white minds

宮殿初参上‐3

 シンと青葉を引き連れて、滝はまずワープゲートへと向かった。ワープゲートとは町と町等を繋ぐ役割を果たす、移動装置の名前だ。一瞬でかなりの距離を移動できるのは便利なのだが、これを動かすためには技が必要となる。
 そのため普通の人々でも利用できるようにと、昔は宮殿から派遣されていた者たちがその役割を引き受けていた。しかし今ではそれも、移動する者が果たさなければならなかった。全て人手不足によるものだと、滝は聞いている。
 つまり現在では、技使いがいなければゲートを使用することができなかった。その結果として、ワープゲートの使用頻度はぐっと減っている。どんな物なのか、見たこともない子どももいるという。
 もっとも滝たちのように幼い頃から親しんでいる者もいて、そういった人々は今でもそれなりに利用していた。だから特に使用を躊躇うことなく、彼らはゲートの前に辿り着いた。滝はシンへと目配せをして、前へ行くよう促す。
 ワープゲートを利用する時、技を使うのは大抵シンの役目だった。三人の中で最も技の安定度が高い彼の方が、危険性が低いからだ。空間をねじ曲げて繋げるという実は荒技なこの移動装置は、事故が皆無というわけではない。やはりそこは技使いの技量が試されるところで、自信のない者は使わない方が無難だった。
「じゃあ、宮殿の方に」
 シンはうなずくと、ゲートへと向かって歩き出す。もっともゲートと言っても、それは見ただけではただの四角い小屋のようで。ただその中には手のひらくらいの輝く画面があり、移動する先はそこで選ぶことができた。しかしそれ以外は本当にただの小屋。そこだけは正直、今でも滝は不思議だった。
 具体的にどうやって空間を繋げているか、滝はよく知らない。それは周囲の者も同じで、両親に聞いてもわからないということだった。知っているのはおそらく宮殿に住む『上』の者たちだけなのだろう。かつては整備していたのだから。
「滝さん、準備できたよー」
 そんなことを滝が考えていると、小屋の中から顔を出してシンがそう声をかけてきた。滝は青葉の肩を叩いてから、小屋の中へと歩き出す。青葉はまだ不満顔だが、それでも渋々と後をついてきた。まだ陸のことが気にかかるのだろうか? それとも宮殿という未知の場所に不安を覚えているのか。
「じゃあ頼む、シン」
 滝は青葉と一緒に小屋へ入ると、シンを一瞥してそう告げた。青く輝く画面を前にしたシンは、振り返って小さくうなずく。途端、滝の視界が一瞬黒く塗りつぶされた。
 移動の時に必ず起こる現象だ。慣れれば大したことはないが、初めてだと戸惑うだろう。だがそれもしばらくすれば終わり、視界が回復してきた。
 再び目の前の像がはっきりと結べば、そこは先ほどほぼ同じ内装の小屋の中だ。いや、成功しているならそれは宮殿傍にあるワープゲートの中のはず。滝は小屋の扉をおもむろに開けた。やや強い風が、彼の髪を揺らした。
 まず見えたのは巨大な建物だった。煌びやかな外壁の、ヤマトにはない建造物。その前にひたすら広がる草花は、手入れがされているのか遠目には緑の絨毯のようだった。風にそよいで揺れるその様は、まるで別世界にでも来たようだ。
「滝にい」
 彼が息を呑んでいると、不満顔の青葉が上着の袖を引っ張ってきた。見えない、ということだろう。そう思って横に避けると、青葉の口からも感嘆のため息が漏れた。続けてシンも小屋から顔を出し、その瞳をめいっぱい見開く。
「近くで見ると、やっぱりすげー!」
「宮殿って、こんなに大きかったんだ」
 青葉とシンの声が重なった。滝も同意の言葉を口にしようとしたが、しかしそこではっと我に返った。こんなところで立ち往生している暇はないのだ。早く帰るためには、さっさと用事を済ませてしまわないといけない。
「ほら。シン、青葉、行くぞ」
 だからできる限り冷静な声でそう告げて、滝は歩き出した。目指すは宮殿の入り口。そこへはだだっ広い道が真っ直ぐと続いていて、周囲には草原が広がっていた。いや、それ以外は何もないと言うべきか。ヤマトでもあまり見られない光景だ。
「あ、門がある」
 シンがつぶやいた言葉に、滝は首を縦に振った。大きな道の途中には、そこだけ異質な茶色い門が立ちはだかっている。その両側には番人らしき男たちがいて、厳つい顔をして立っていた。それだけで威圧感を放つことができる顔というのは、正直すごいと思う。
「滝にい、すごい人たちがいる」
「これがあれば大丈夫なはずだ……たぶん。子どもたちだけだと不審に思われそうだけど」
 滝は手にしていた薄青色の紙に目を落とした。そのための許可証のはずだが、やはり少しは不安にはなる。何しろ番をしている男たちの恰好も、長が時折着る正装のようにかしこまったものなのだ。上下揃った紺色の衣服の上には、金のボタンが煌めいている。
 しかしだからといってここに止まるわけにもいかない。滝は深呼吸すると、門番へと向かって歩き出した。その後を黙ってシンと青葉がついてくる。固い道の上で、乾いた足音が鳴り続けた。
「止まれ」
 ある程度まで進むと、案の定門番の冷たい声が響き渡った。素直に立ち止まった滝は、唇を結んで彼らを見上げる。表情の読みとりにくいその顔の中でも、特に濁った瞳に目がいった。人形みたいなと表現したくなるような、生気のない眼差しなのだ。
「ジナルならカードを、そうでなければ許可証を提示しなさい」
 門番の低い声に、滝は手にしていた紙を突き出した。それを奪い取るようにして受け取り、門番は額に皺を寄せる。彼がその許可証の内容を読んでいたのは、おそらく十秒もなかっただろう。しかしその時間が滝たちには非常に長く感じられた。手のひらに冷たい汗がにじんでいく。
「確かに許可証を受け取った」
 門番はその許可証を腰の袋に入れ、脇に避けて道をあけてくれた。とりあえず宮殿へと入れることにほっとして、滝は肩の力を抜く。そして背後で固まる寸前のシンと青葉を、無言で一瞥した。二人はぎこちない動きで首を縦に振る。
「行くぞ」
 小さいかけ声と共に、滝は再び歩き出した。緊張していることはわかっているから、それをほぐすようにあえてゆっくりとした足取りで進む。門から宮殿への道のりも、当初の予想よりはなかなか長かった。建物が巨大なだけにすぐそこにあるように感じられるが、思っていたよりは遠くにあるのだ。静寂の中で、滝はひたすら足を進めていく。
 宮殿の入り口には、巨大な扉があった。だがそれは見た目よりも軽く、滝たちでも何とか開けることができた。先ほどから全く喋らないシンと青葉を引き連れて、滝は宮殿の中へと入っていく。
「わあ……」
 そこでようやく、青葉の口から声が漏れた。中に入ってすぐ目についたのは、巨大な時計だった。大きな広場の奥、壁に埋め込まれたそれはひときわ強く存在感を示している。
 しかしその前を通り過ぎる人々は、無言のままだった。もちろん時計を見ることもしない。足早に通り抜けていく彼らの足音が、白い廊下に反響して得体の知れない旋律を奏でた。
「滝さん、中央会議室って――」
 その様子を呆然と眺めていると、前に一歩進んできたシンが辺りを見回した。それにつられて滝も周囲へと視線を巡らす。はっきり言って、どこに何があるかなど、さっぱりわからなかった。どこかに案内図でもないかと探してみたが、それらしき物も見あたらない。
「聞いてみる?」
 青葉はそう提案してきたが、それが現実的でないことは自覚しているのだろう。なにしろここを通る人々からは、あからさまに拒絶の空気が感じられるのだ。話しかけてくるなと、その横顔も語っている。ここでこんな子どもが声をかけるのは、どう考えても難しい。
「中央ってつくくらいだから、真ん中辺りなのかなあ」
 シンのつぶやきに、滝は相槌を打つことしかできなかった。実は部屋を捜し出すことの方が難関なのかもしれないと、今さらになって焦りが出てくる。まさかこんなにわかりづらい所だとは思わなかった。これだけの人がいるのだから、もう少し親切であってもいいはずなのに。
「仕方ないよな。とりあえずこの辺りを回って、それでもわからなかったら誰かに聞こう」
 滝はため息をついてから、右手へと向かって歩き出した。広場から伸びたその廊下も、外の道と同様に幅が広い。左右に扉がずらりと並んでいるが、どれが何の部屋かは書いていなかった。つくづく不親切だと滝は訝しがる。ここに住んでいる人々は、不便ではないのだろうか?
 そのまま廊下をしばらく進むと、困ったことに十字路に差し掛かった。さらに右へ進む道はないも同然だが、前と左の廊下はどちらもそれなりの長さがある。滝は顔をしかめた。こうまでわかりにくいと、わざとやっているのではないかという気にもなってくる。
「右じゃあないよねえ、たぶん」
「真っ直ぐ進めば、中央じゃあないよなあ」
 シンの言葉に青葉が続ける。滝は頭を掻きながらうなずくと、左手の廊下を見やった。ここからでもわかるが、いくつかの廊下とも繋がっていそうだ。壁も床も天井も白いそこは、別世界への入り口のように思えた。けれども立ち止まっていても仕方がない。
「行くか」
 滝は意を決すると、再び歩き始めた。

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