white minds

宮殿初参上‐4

「迷った……」
 意図せず漏れた滝のつぶやきは、冷たく白い廊下へと吸い込まれていった。温かみを感じないその空間には、何故だか寒気まで感じてしまう。
 とにかく宮殿は広かった。いや、ただ広いだけならばまだましだ。その上構造は入り組み、しかも案内が一つもなかった。これで迷うなという方が無理な話だろう。前もって場所を聞いておけばよかったと、滝は心底後悔していた。ここまで不親切な場所だとは思わなかったのだ。
「言わなくてもわかってるって、滝にい。ここに入ってからもうずいぶん時間たつし」
 うなだれた青葉が、恨めしそうに滝を見上げる。弟たちのことを心配しているのかもしれないし、この現状に絶望しかけているのかもしれない。どちらにせよ、彼の気力はつきかけているようだった。滝は苦笑しながら首を縦に振る。
「仕方ないから場所を聞こうとしてもさ、無視して歩いて行っちゃうなんて、ひどいよなあ」
 同じく疲れた顔のシンがそうぼやいた。わからなければ聞けばいいという外では当たり前の行為も、ここでは成功しないのだ。皆うっとうしそうな視線を向けてくるだけで、まともに話を聞こうとはしない。そのあまりのつれなさに、滝たちは憤慨しながらも泣きたくなった。これはひどすぎる。
「入り口がどこだったかも、よくわからないしさー。気も上手く察知できないし!」
 廊下の隅に座り込んだ青葉が、唇をとがらせながら辺りを見回した。それも重大な問題だった。普通ならばヤマトの方向も、気を探ることで見つけだすことができる。それを利用すれば今どちらへと進んでいるのか、おおよそはわかるのだ。それなのにそれすらも、宮殿では上手くいかない。
 何故なら妙なくらいに気が入り乱れ、判別できないのだ。この宮殿のあらゆる場所から放たれる気が、滝たちの感覚を麻痺させている。
「そうだなあ」
 答えながら滝も周囲を見回した。複雑な気がある場所だとは聞いていたが、それにしてもこれはおかしかった。通常とは気の流れが違いすぎる。気の動きはそれを放つ人と同じか、技による影響くらいしか受けない。つまり遠くにある気はほとんど動かないのが普通なのだ。だがそれさえもここでは探れない。
 まさか、何か技が働いているのだろうか?
 その可能性に気づいた滝は、目を凝らすように精神を集中させた。技がどこかで使われていれば、その辺りの気が強くなっているはずだ。技の訓練をする場所はあるようだが、そこには複数の強い気があるのが普通で。
 けれどもそうではない場所が、一つだけあった。強い違和感を覚える場所が、確かに一つだけ存在していた。
「あっちだ!」
 滝は声を上げると走り出した。その後ろを驚いた顔のシンと青葉が、慌てた様子でついてくる。三人の軽やかな足音が廊下に響いた。迷惑だと言わんばかりの大人たちの視線も、この際は無視する。
「滝にい、わかったの!?」
 息を切らしながら青葉が問いかけてきた。滝は大きく首を横に振ると、青葉たちの方を一瞥する。それまでの疲れなどどこかへ行ってしまったように、足も体も軽かった。そしてそれはシンや青葉も同じなのだろう。またその双眸にも、強い輝きが宿っていた。おそらく状況の進展を期待してのことだ。
「いや、そうじゃないけど。でも誰かがここで技を使ってるんだ。たぶん気が変なのはそれが原因だと思う」
 走りながらなので手短に、滝はそう説明した。こうやって意識してみれば、気のおかしさは明白だった。
 目まぐるしい速さで絶えず動く気の流れ。それ自体おかしな事だが、それを気にしないとしても、ただ一点だけ動かない場所があるというのは妙なのだ。しかもその一カ所に気が集まっているというのは、あれこれと考えてみても理由が説明できない。
「技?」
 シンが走りながら首を傾げる。彼が疑問に思うのも仕方ないだろう。長が滝たちを見送る際、忠告されたことの一つだからだ。宮殿でみだりに技を使ってはいけない。それは宮殿での決まり事なのだと、長は言っていた。
 それなのにここで大がかりな技が使われているのは変なのだ。とりあえず技の出所を確かめる必要がある。どうせ進んでいる方向もわからないのだからと、滝は腹をくくった。
「技ー?」
「あ、本当だ。滝さん、変な技が」
 首を捻る青葉の横で、シンがぱっと顔を輝かせる。この三人の中で最も気に聡い彼には、おそらく滝よりもはっきり妙な気の流れが見えたはずだ。滝は相槌を打った。
 行ってみる価値はある。そう信じて、三人は走った。



 宮殿内を走り回った滝たちは、ついに異変の元へと辿り着いた。宮殿の構造がわからないため思っていたよりも難儀したが、それでも無事見つけだすことができた。どのくらいの時間を要したのかは定かではないが。
「滝さん!」
 シンの指し示すその先にいたのは、一人の若い女性だった。廊下横の小さなスペースに置かれたベンチ、そこに彼女は腰掛けていた。
 光に透けると金とも見紛う茶色の髪は、短いためか空気を含んだように軽やかで。袖のない上衣は真夏かと思われる程涼しげだった。だが寒そうな顔もせずに、彼女は白いカップに口づけている。ほんのり漂ってくる香りからすると、中身は紅茶だろうか。
 ともかく、全てにおいてこの宮殿の中では異質な存在だった。皆が足早に通り過ぎていく中くつろぐ姿は、まるで別世界の住人だ。しかもそれが当たり前のような顔をしているとなると、もう決定的ですらあった。
「見つけた!」
 青葉が叫ぶ。すると彼女はそこで初めて気がついたように顔を上げ、彼らの方を見た。その茶色い目が見開かれて、喉からはけほけほという軽い咳が漏れる。慌てぶりは滑稽なくらいだった。
「な、ななな何であんたたちがここに!?」
 彼女はうわずった声を上げた。ここまでの反応が引き出せれば、もう滝たちがわざわざ真偽を確かめる必要性はないだろう。怒り顔の青葉は、わざと足音を立てながら彼女へと近づいていく。
「オレたちのこと知ってるってことは、やっぱりあんた何かしたんだな!?」
「あ、へ? えーと何のことかなあ?」
 彼女は白々しいそぶりでそっぽを向き、取り繕うようにカップに唇を寄せた。怒りを露わにする青葉の隣に、滝とシンも黙って並ぶ。彼女はある種曲者だと、薄々滝は感づいていた。この妙な宮殿の中でも浮いている存在となると、やっかいな性格の持ち主のはずだ。そんな確信が彼の中にはあった。
「何をどうしたか知りませんが、オレたちの邪魔をしてたんですか?」
 瞳にだけ怒りをにじませて問いかけると、観念したのか彼女は小さく舌を出した。すくめられた肩がかすかに震えてるのは、おそらく笑いを押し殺しているからだ。彼女の気からは正の感情しか滲み出ていない。
「まあーねー。久しぶりに外から訪問客が来て、しかもそれが楽しそうな子どもたちだったからさー。たまたま遊びに来ただけなんだけど、いいもの見つけたって思ってね。最近退屈してたもんだから、ちょーっと悪戯しちゃおうかなと思って。ずいぶん迷ったでしょう?」
 開き直ったのか笑顔で人差し指を振る彼女に、滝の中では怒りよりも呆れの方が勝った。青葉は真っ赤な顔で激怒し、シンは疲れ切った顔で遠い目をしていたが、滝にとってはある意味予想通りの反応だった。見ただけで曲者感を匂わせる者というのは、ろくでもない。
「まーでもここまで来れば、もう大丈夫よー。じゃあ私はそろそろ……」
 彼女はへらへらと笑いながら、ゆっくりベンチから立ち上がった。見たところ二十歳くらいの女性ではあるが、浮かべる表情は子どものものにも似ている。彼女は残りの紅茶を飲み干すと大きく伸びをした。
「なっ、ちょっと――」
「逃げるの!?」
 シンと青葉が慌てた様子で彼女の傍に寄る。だが彼女は意に介した様子もなく、あやすように二人の頭をぽんぽんと叩いた。そしてベンチの上にカップを置くと。その真っ直ぐな眼差しを滝へと向けてくる。
「中央会議室は一番上の四階。ほら、そこの階段を上ってすぐよ。そこにはちゃんと部屋の名前も書いてあるから」
 彼女はそう告げると片目を瞑った。まさか目的地を教えてくれるとは思っていなかった滝は、目を丸くして彼女を見上げる。他の誰に聞こうとしても取り合ってくれなかったことを思い返せば、まさに予想外の展開だった。シンと青葉も不思議そうな顔で首を傾げている。
「じゃあね」
 だが驚きは、それだけでは収まらなかった。お礼を言おうと滝が口を開いた瞬間、彼女の姿は唐突に消えてしまった。まるで彼女の存在などなかったかのように。跡形もなく、それはなくなっていた。ただベンチに置かれたカップだけが、確かに今のやりとりが現実であることを物語っている。
 今のはおそらく、技によるものだろう。そうとしか考えられなかった。だが何をしたのかわからない技というのは、滝たちも今まで見たことがなかった。聞いたことさえない。技が使われる気配だって、直前までは感じなかったのだ。
「すごい人が、宮殿にはいるんですね……」
 シンのつぶやきに、滝は首を縦に振った。しばらく三人は何もできずに、その場にたたずんでいた。

◆前のページ◆  目次  ◆次のページ◆