white minds

宮殿初参上‐5

 滝たちを翻弄した女性の言う通りに進めば、確かに中央会議室はそこにあった。確かにそこだけはきちんと部屋の名前も書かれていた。だが入るのも躊躇われるような巨大な扉に、三人の心臓は縮む。それでも立ちすくんでばかりもいられないと拳の背で叩くと、中から男の声が聞こえてきた。低い声だ。
 それも、開いている、という返答としては無愛想な一言だけだった。けれどもそう言われてしまうと、扉の前で待っているわけにもいかなくなる。入るしかないだろう。
 滝たちがおそるおそる中へと足を踏み入れると、そこにいたのは髭を蓄えた一人の男性だった。五十を過ぎたくらいだろうか? 彼は一瞬怪訝そうに目を細めて、だが思い当たるところがあったのか机の上に書類を置いた。目元には疲れが滲み出ている。
「君たちが、ヤマトの長の言う三人かね?」
 彼が立ち上がると、大きな椅子が軋む音を立てた。中央会議室は予想していたよりも広い部屋だった。ただ中は簡素な作りをしていて、広い机ととにかくたくさんの椅子しかその場にはない。あとは奥にある変わった形の扉が目を惹くくらいだろうか? 宮殿の外装が煌びやかなのを考えれば、質素すぎだった。
「はい、そうです」
 汗のにじんだ拳を握り、滝はゆっくりと答えた。すると男はちらりと奥の扉に一瞥をくれ、小さなため息をつく。その眼差しには感嘆とも呆れともとれる色が含まれていた。何かまずいことでもあったのだろうか? 次に何を言われるのかと、滝は身構えながら息を呑んだ。こういった間が心臓に悪い。
「こんなまだ小さな子どもが……いや、ここにももう一人いたか。ああ、そうだな。力あればこそだな」
 つぶやくような彼の言葉は、どう考えても滝たちへ向けられたものではなかった。ただその口振りや気からは、苛立ちといった負の感情は読みとれない。そのことに内心ほっとして、滝はシンたちと目を合わせた。宮殿の者の機嫌を損ねるのは避けたいところだ。何か問題が起これば、早く帰ることもままならなくなる。
「まあ、そうだな。そう、君たちに会っておきたいというお方がいるのだ。たぶんもうすぐいらっしゃる頃だが。ああ、本当に間に合って良かった」
 先ほどから男は、しきりに奥の扉の方を気にかけていた。ということはその『お方』というのはそこから現れるのだろうか? 滝たちが遅れたために、ずっと気をもんでいたのだろう。そう考えると少しだけ申し訳ない気分になった。もっともその原因は、あの謎の女性にあるのだが。
「すいません、迷ってしまって」
 しかし迷わされたとも言えず、滝はそう告げて頭を下げた。あの状況を上手く説明する言葉は、今の彼にはない。それも急に消えてしまったのだ。今となっては全て夢ではないかと思えてしまう。
「ここは迷いやすいからな」
 幸いにも、男はその言葉を素直に受け取ってくれたようだった。珍しいことではないのだろうか? ならばもう少しわかりやすい案内があってもいいと滝は思う。やはり宮殿の者たちが考えることはわからない。
 すると唐突に、奥の方から空気の抜けたような音が聞こえてきた。慌てて彼が顔を上げると、巨大な扉がゆっくり開いていくのが見えた。大きさの割に流れるような動きだ。それも誰かが手で押し開けたようには見えない。つまり、自動だ。
「アル殿」
 その扉から現れたのは、額にバンダナを巻いたまだ若い男性だった。短い銀髪に瑠璃色の瞳が、涼しげな印象を与える。彼は柔らかく目を細めると、悠々とした足取りでこちらへと近づいてきた。傍で見れば実感が増すが、かなり背が高い。
「すまないな、キリス。無茶な頼み事をして」
「いえ、アル殿。滅相もないことを」
 銀髪の青年が、アルという名前らしかった。また彼の言葉からすれば、髭を蓄えた男がキリスなのだろう。見たところ、立場で言えばアルの方が断然上のようだった。ただキリスがひたすらかしこまっている様は、滝の目にはやや奇妙に映る。特にアルが偉ぶっているとか、そういうわけではないのだ。
「君たちも、急に呼び出したりしてすまなかったね。さぞびっくりしただろう?」
 次にそのアルと呼ばれた青年は、今度は滝たちに向き直った。優しげな眼差しを向けられて、それまでの緊張が少しずつほぐれていく。とりあえずいきなり怒られるようなことはなかった。むしろ気遣われた。小さくうなずく青葉にも、彼はただ柔らかく微笑んでいるだけなのだ。思わず安堵のため息が漏れそうになる。
「ここ数年でね、急に強い技使いが増え始めたんだ。君たちヤマト三人組をはじめとして、ウィンの旋風やジナルの天童とかね。あまりにも噂ばかりが耳に入るものだから、どのくらいの実力なのかこの目で確かめたくて。それでキリスに無理を言ってしまったんだ」
 アルはそう説明しながら、斜め後ろにいるキリスをちらりと見た。それでも滅相もないといった様子で、キリスは頭を下げたままだ。
 それだけアルは宮殿でも上の立場にいるのだろうか? かなり若く見えるが、本当はもっと年上なのかもしれない。『異世界』に足を踏み入れた者は見た目年を取らないという、伝説じみた話もあるのだし。
「それにしても君たちの気はすごいな。とても子どもの気とは思えない。心強いよ」
 そう続けるアルは、けれども何故か寂しそうな目をしていた。少なくとも滝にはそう感じられた。痛みを含んだ笑顔には、どう答えてよいものかわからない。
 だから青葉とシンが黙り込む中、滝は困惑しながら微笑み返すことしかできなかった。それがその時精一杯、彼にできることだった。



 アルと少しだけ話をした滝たちは、すぐに中央会議室を出た。そして階段を使って真っ直ぐ一階へと下り、迷うことなく宮殿を出た。話といってもアルが一方的に話すだけで、それに時折滝は答えるだけでよかった。そのおかげか精神的な疲れも行きよりは感じていない。
 ただアルの気は、滝たちの心に深く刻み込まれていた。隠していてもわかる、彼の気は今まであった誰よりも強いのだ。そして気高いとでも言うべきか。不純物のない気、というものは初めて感じたと滝は思う。気を感じにくい宮殿でわかるくらいだから、相当なのだろう。
 宮殿を出た三人は、再びワープゲートを使ってヤマトへと戻った。そしてそこで滝は、シンや青葉とは別れることにした。長へと今日のことを報告するためだ。二人は幼い弟、妹たちのことが気にかかっているはず。だから滝だけが行くことにしたのだ。
「まあ、報告っていってもほとんど何もなかったんだけど」
 長のいる部屋の前まで辿り着くと、滝は苦笑混じりにつぶやいた。あの謎の女性のことも、どう報告していいものかわからない。それともあそこでは有名人だったりするのだろうか? 聞いてみる価値はあるかもしれない。
「長、滝です。今戻りました」
 滝は部屋の扉を軽く叩くと、返事を待ってから中に入った。そこは相変わらずほこりっぽい部屋で、蔵書独特の匂いが立ち込めていた。本の積まれた机に向かって、長は椅子に腰掛けている。朝見た時とほとんど変わらない光景だ。すると滝を見た長の瞳が、柔らかく細められた。
「遅かったな、滝。心配したぞ」
 そう言われると急に緊張の糸が切れそうになり、滝は表情が崩れそうになるのをぐっと堪えた。珍しい。長は滝がすることに対してはいつも寛容、を通り越して放置なのだ。どんなことがあっても動揺した素振りさえ見せない。
 滝が薬草を採りに山奥へ入った時だって、三日も帰ってこなかったのに平気な顔をしていた。無論気で無事がわかるからなのだろうが、それにしても落ち着きすぎなのだ。それなのに今日に限って、心配しただなんて言葉が飛び出してくるとは。
「あそこに入れば、気の判別が難しくなるからな」
 長はそう告げると、手元にあった書類を指先で撫でた。滝はその言葉に導かれるように、もう一度宮殿のある方向へと双眸を向ける。
 もちろんそんなことをしても、あの煌びやかな建物が見えるわけではない。ただあの不思議な気の感覚はここからでも掴めた。まるで何か大きなものに包み込まれているように、ただ雑然とした気を内包したそれが一つ、そこには確かに存在している。
「滝、これだけは忘れるな。あそこは未知の領域、禁じられた領域。あそこで見たもの聞いたものを、みだりに外で話してはいけない。それは混乱を招く。大きな壁を、災いを生み出す。あの中の出来事は全て胸にしまっておけ。今日のこともだ」
 ただそう付け足す長に、滝は疑問を感じて眉根を寄せた。あの場所がわけのわからない、未知なる領域であることには納得できる。ただそこであったことを口にできないとは、どういうことだろうか? 理由がわからない。
「いいか、滝。もう一度言う。あそこであったことは全て胸にしまっておくんだ。いいな? 青葉やシンにも言っておくんだ」
 うなずかなければ何度も言うのでは、そう思う程に長の口調は重かった。仕方なく首を縦に振り、滝は積まれた本へと視線を落とす。安堵とは別の感情が、胸の中を迫り上がってきた。
 それはおかしいのではないか?
 けれども問いかけることもできずに、滝は唇を結んだ。その心には確かに何かが、芽生え始めていた。

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