white minds

傷跡はそのままに-1

 青葉が出会った最初の仲間は、サイゾウという名の青年だった。
 異世界へ神技隊として派遣されることが決まってから十日がたつ。滝、シンと続けて神技隊に選ばれていたため、青葉自身としてはさほど動揺していないつもりだった。しかし周りはそうではないらしく、慌ただしい日々が続いていた。いや、混乱していたと言っていいかもしれない。
 そんな最中、彼は呼び出しを受けて宮殿へと赴いていた。謎が多く迷宮のような宮殿だが、それでも初めて訪れるわけではない。しかも彼が以前訪ねた時より、十年以上も経過していた。
 そのためきっと何とかなるだろうと、彼は楽観的に考えていた。あの頃より少しは改善されているだろう、親切な人も少しはいるだろうと。しかし残念なことに、今もそこはわかりにくい場所だった。案内がないのは相変わらずで、廊下を行き交う者たちも不親切極まりない。
「おい、お前ひょっとして神技隊に選ばれた奴?」
 だが迷いかけた彼に、率先して声をかけてくる者がいた。それがサイゾウだった。茶色い髪を無造作に伸ばした青年。年は青葉と同じくらいだろうか? 青葉が怪訝そうに首を傾げると、ああ、とサイゾウはうなずいて一枚の紙を手渡してきた。神技隊用と走り書きされたそこには、簡単な地図が描かれている。
「オレはサイゾウ。さっきさ、入り口をうろうろしてたらリューとかいう人がたまたま通りかかって。その人が神技隊を選んだらしいんだけど、今忙しいから先にここ行ってろってさ。で、オレと同じようにうろうろしてるのがいたから、ひょっとしてと思って」
「ああ、そうだったのか。助かった。呼び出しは受けたものの、部屋の場所わからなかったから」
 昔の記憶がよぎり、心底青葉は安堵の息を漏らした。ここがどういう場所かは、身に染みてわかっているはずだったのだ。それでも少しは改善されたかと期待し、そして変わりないと知って愕然としていたところだった。
 けれども今回、運は彼に味方してくれたようだった。同じく神技隊に選ばれた仲間が、しかもありがたい情報を持ってきてくれるとは。そう考えると、青葉は心底感謝したい気分だった。その気持ちを胸に、彼は右手を差し出す。
「オレは青葉。これからよろしくな」
「おう、よろしく」
 二人は笑顔で握手を交わした。そして相談の末、しばらく仲間がやってくるまで待つことにした。神技隊に選ばれるのは五人。となれば同じような仲間があと三人いるはずなのだ。ここを訪れるのが初めてなら、まず間違いなく途方に暮れることだろう。
 しかし結局、そのまま誰もこないままに約束の時間が迫ってしまった。もう宮殿の中で迷っているのか、それとも先に部屋へと案内されているのか。もしくはぎりぎりにやってくるのか。けれどもいくら地図があるとはいえ、本当にぎりぎりまで待つのは危険だった。
 仕方なく彼らは地図を参考に、目的の部屋まで行くことにした。四階にある会議室の一つらしいが、そこに付加されている数字には嫌気が差してくる。
「リューってどんな人だった?」
「うーんそうだな、割と背が高い女性だった。結構若いかも。しかも眼鏡かけた」
「へーさすが宮殿だなあ」
 部屋へ辿り着くまでの間、二人はたわいのない会話を繰り返した。はじめはリューのこと、それから宮殿についての印象。ついでまだ見ぬ仲間の予想へと進み、最後は派遣される異世界についての話にまでなった。未知なることが多すぎる今は、不安を共有することが重要なのだ。
「あ、ここだ」
 だがそんな会話も、会議室の前に立てば終わりとなった。白一面の壁の中に埋もれるよう、白い扉が存在している。青葉はサイゾウと目を合わせると、軽く扉を拳で叩いた。思ったよりもいい音がして、それが静かな廊下に反響する。
「どうぞ」
 驚くことに、中からすぐさま返答が聞こえてきた。それは女性の声だった。いや、少女と言ってもいいかもしれない。先に行っていてくれというリューの発言からして、その主はリューではないのだろう。二人は再び顔を見合わせ、うなずきあった。緊張するが、どうぞと言われた以上入らないわけにはいかない。
「失礼します」
 そう言いながら、青葉はゆっくり扉を開けた。予想に違わず、部屋は壁も天井も真っ白だった。そこには簡素な机と椅子、小さな棚だけが置いてある。結構狭い部屋だ。
 その奥では、声の主を思われる少女が棚の本に手をかけていた。後ろ姿だから少女というのは予想でしかないが、大人としては小柄な印象がある。
「ど、どうもー」
 サイゾウの気の抜けた声が、部屋の中に響いた。そこでようやく、少女は振り返った。結わえられた黒髪が揺れ、同時に簡素な灰色の服が衣擦れの音を立てる。
 しかしそれよりも何よりも、少女の瞳が彼らの視線を惹いて止まなかった。黒い双眸はそう珍しいものではない。が、意志の強さを感じさせるそれは、思わず息を呑む程だった。サイゾウの喉の音が聞こえてようやく、青葉は瞬きを再開させる。
 一言で言うなら、可愛かったのだ。かといってただ笑顔が魅力的とかそういう話ではない。彼女は微笑んでいるどころか無表情だったのだから。しかしそれでも可愛いと言いたくなる程に、彼女の姿は目を惹いた。微笑まれたら息が止まるかもしれないと、危惧するくらいだった。
「リューさんはまだだから、そこの椅子にでも座っていて」
「あ、はい」
「どうも」
 高いながらも落ち着きを感じさせる声に、青葉はうなずくと手近な椅子を引き寄せた。同じく硬い動きで首を縦に振り、サイゾウも適当な椅子に腰掛ける。すると少女はもう用がないとばかりに、再び本の背に視線を戻した。何か探しているらしい。
 その後彼女が本を取りだしては戻す様を、二人は何度も見た。それでもいっこうにリューが現れる気配はなく、また他の仲間たちが来る様子もなかった。沈黙の中に漬かった二人は、居たたまれなさにため息さえつけなくなる。
「あのー」
 このまま静寂が続くのだろうか。そう青葉が辟易していた時、幸いにもサイゾウが先に口を開いてくれた。この静けさを破る決意をした彼は、勇気ある青年だろう。青葉がそんなことを思っていると、振り返った少女に向かってサイゾウはさらに言葉を続けた。
「いつまで待てばいいんでしょうか?」
「リューさんなら、たぶんあと三十分は来られないかと」
「三十分!? ……ってそれまでオレたち、このまま?」
「そうなるわね。今あなたたち用の本を探してるんだけど、どうも二冊しかないみたいで」
 少女の口調は淡々としていた。それだけでなく、その表情も先ほどと同じだった。無愛想をそのまま顔に貼り付けたように、それは変化することがない。
 息が詰まる中さすがにその状態だと、サイゾウの苛立ちも増してきたようだった。青葉はここがひどい場所であることを知っているが、サイゾウはそうではないのだ。しかも始めリューが親切にしてくれたとなると、その差は大きく感じられることだろう。
「その見つかった二冊は?」
「それは他の二人に貸してあるわ。早くついてしまったみたいだから、先に資料館に行ってもらっているの」
 彼女の態度は、まさに宮殿の人間と言っていいものだった。少なくとも青葉にはそう思えた。彼女からは、この場を快適にしようという意志が全く感じられない。ただ仕事を淡々とこなすことだけが目的のようだった。見た目が見た目なだけ、その冷たさは際だって感じられる。
 まるで噂に聞く極寒の地の、氷のようだった。
「はあ? 別にオレら遅れたわけでもないのに――」
「効率が悪いので。ここは大人数を引き連れて歩くには、不便なところだから」
 このままだと喧嘩が始まるのではないか。青葉はそんな可能性さえ考えるようになった。
 美少女につらなくされるという体験のせいか、それとも息苦しさを覚える部屋のせいか、サイゾウは苛立ちを隠しきれないでいる。一方それなのに彼女は、この場を取り繕う気もないようだった。顔をしかめるサイゾウを一瞥するだけで、手にしていた本を棚へと収めている。
「そもそも君は?」
 仕方なく青葉は、そこで口を挟むことにした。このままサイゾウを喋らせるのは危険だった。ここで口喧嘩が始まれば、さすがに青葉も居心地が悪すぎる。
 するとほっとしたサイゾウの視線がゆるりと、青葉へと向けられた。と同時に、少女の双眸も彼へと向けられた。何を考えてるかわからない澄んだ瞳に、心臓がわしづかみにされたかのように感じる。それは真正面から見るとなお強大な力を持っていた。
「私は梅花」
 彼女は端的に名乗った。柔らかそうな唇が紡ぎ出した言葉は、やはり淡泊だ。しかし今度はそれだけでは終わらなかった。意志を感じさせる瞳はそのままに、声の調子だけがやや低くなる。
「第十八隊シークレットの一人で、ジナル出身。つまりあなたたちの仲間よ」
 青葉とサイゾウ、二人は思わず絶句した。仲間という単語だけが、止まりかけた思考の中でもひたすらその存在を主張していた。
 ジナル族の者が、神技隊に選ばれるとは。しかもそれがよりによって自分たちの仲間になるとは、夢にも思っていなかった。
 不安要素が一つ増えたという事実を突きつけられて、二人はただ声もなく彼女を見つめた。一方彼女は文句を言うこともなく、ただ彼らの視線を受け止めているだけだった。

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