white minds

傷跡はそのままに-5

 ここ数日の自分の変化を、青葉は渋々と受け入れていた。はじめはそこから目を逸らしていたのだが、しかし無視し続けるのも辛くなって、結局は諦めた。それもこれも全て、先日宮殿を訪れたことが原因だ。
 何のために呼び出されたかわからず出向いてみれば、待っていたのはまるで尋問のような質問の嵐。しかも聞かれたのは全て梅花についてのことで、『上』は揃いも揃って彼女を疑っているかのようだった。これでは彼女が捻くれるのも不思議はないと、納得するような扱いなのだ。
 いや、わかったのはそれだけではない。宮殿でたまたま出くわした梅花は、とんでもない事実を告げてきた。
「いとこだなんて、誰が普通信じるかよ」
 早朝のゴミ出し、その帰り道。つい口をついて出るのはそんな台詞ばかりだった。しかし言葉とは裏腹に、彼はその事実を受け入れていた。彼女が意味のない嘘をつくとは考えにくいし、時々恨みがましく父親が呟いていたのは、よく覚えている。どこかへ消えてしまった叔父がいたのだと、何度も耳にしていた。
「可愛いけど素っ気ない従姉妹、か。まあでもあそこで育ったら、仕方ないのかな。あんな場所だしな」
 ぶつぶつと独り言を口にしながら、彼は降り注ぐ朝日に目をすがめる。初夏にはまだ早い季節だが、今日は気温が高くなりそうだった。店の売り上げも好調だろうなと予想して、彼は手で軽く扇ぐ。不安定な天気が続いて、最近は収入が減っていた。
 しかし彼の当ては外れた。特別車のある公園へと戻ったところ、待ち受けていたのは予想外の事態だった。いつもなら朝ご飯だと騒ぐようが静かなことに、まず青葉は気がつく。これはおかしい。しかも普段ならもう店の準備が始まっているはずなのに、今日はそれもない。
 不思議に思って車の中を覗くと、原因はすぐにわかった。そこにいたのはアサキだけだった。椅子に腰掛ける様はぐったりとしており、その顔色も妙に青白い。目に力はなく、いつもは丁寧に梳かされている長髪も乱れ気味だった。アサキの視線がゆっくりと、青葉へと向けられる。
「お帰りなさいでぇーす」
「アサキ、具合でも悪いのか?」
「どうやら、風邪をひいたみたいでぇーす。ミーとようがやられました」
 背もたれに体をあずけて、アサキは弱々しく微笑んだ。まさかゴミ出しに行っている間に、そんなことが発覚しているとは。そういえば今朝は二人とも目覚めが遅かったなと、青葉はふと思い起こす。ように限って言えばよくあることだが、アサキとしては珍しかった。あの時から既に、徴候はあったのだろう。
 すると視界の端で、扉がおもむろに開いた。青葉たちが利用している、男性側の部屋へと繋がる扉だ。けれどもそこから出てきたのは梅花だった。彼女は青葉の姿を認めると、無表情のまま口を開く。
「青葉、帰ってきたのね」
 彼女の手には濡れたタオルがあった。その様子からすれば、ようはおそらく奥の異空間で眠っているのだろう。サイゾウがどこにいるかはわからないが、看病しているのは彼女のようだった。
 以前なら予想外だと驚くところだが、先日の宮殿のことを思えば、何となく納得もできる。最近わかったことだが、困っている人を助けることなら、彼女は全く厭わない。
「アサキとようが風邪だって?」
「そうみたい、きっと疲れが出たのね。この時期の神技隊には、よくあることよ」
 相変わらずの淡々とした口調で、彼女は言った。その細い手にタオルがなければ、冷たい奴だとぼやきたくなる受け答えだ。いや、それともアサキが自責の念を抱かないようにという、配慮なのだろうか? 最近、彼女の言動をどう受け取っていいのか、青葉はますますわからなくなっている。
「今日は店も休みね。サイゾウも喉が痛いって騒いでるし」
「サイゾウもなのか?」
「さっぱりした物が飲みたいからって、今買い物に行ってまぁーす。本当は出歩かない方がいいんでしょーうけど」
「私が買ってくるっていっても嫌だって言うのよね」
 肩をすくめるアサキに、梅花は苦笑してみせる。となると、健康体なのは青葉と梅花だけということか。せっかくいい天気なのに残念だが、こればかりは仕方がなさそうだった。青葉は首を縦に振ると、耳の後ろを掻く。
「ご飯食べたら、薬を買ってきた方がいいかもしれないわね。こちらの菌には、私たちは免疫がない可能性もあるし」
「うわ、そういうのも考えないといけないのか」
 現状は思ったよりも深刻なのかもしれない。梅花の言葉に思わず呻き、青葉は顔をしかめた。異世界ではありふれた物でも、彼らにとってそうとは限らないのだ。ならばこの時期の神技隊にはよくあること、というのもうなずける。体力も気力も尽きた頃に、やられるのだろう。
「私が買ってくるから、青葉はアサキたちをお願い」
「いや、オレも行くって。どうせ買い出しもしなきゃならないんだろう? 店ないんじゃ、一日中暇なわけだし」
「そう」
 青葉の申し出にも、梅花は感情のこもらない声で答えた。これで笑顔の一つでもあれば違うのだろうなと思いつつ、彼は何とかため息を堪える。
 以前なら腹立つところだったが、今は何故かそうならなかった。これは大いなる変化だ。淡泊なのも表情が変わらないのも、それが標準なのだと思えば、苛立ちも湧き起こらない。行動だけを取ってみれば、彼女は案外親切だった。
 誰にも聞こえないよう小さくつぶやいて、彼は口の端を上げる。
「損してるよなぁ」
 色々な意味でと胸中で付け足し、彼は視線を車の外へと向けた。青々とした空も、先ほどよりは爽やかに感じられなかった。



 今日が休日であったことを思いだして、青葉は後悔していた。いや、ここに彼女を一人放り出さなくてよかったと、安堵すべきところなのか。とにかく人混みの多さに辟易として、彼は息を吐いた。店が立ち並ぶ通りには、子どもから年寄りまでとにかく人でいっぱいだ。少し移動するだけでも一苦労する。
「こ、これでようやく終わりか」
 手からぶら下げた袋を、青葉は一瞥した。一つ一つの量は控えめにしてあるのだが、それでもかなりの重さになっている。
 ようが希望する食べ物が豊富だったせいだろう。普段買い出し担当が彼であるため、やけに細かい注文が多く、中には聞いたことのない果物まで入っていた。それらを探し出すのは、青葉たちには骨が折れることだ。見れば隣を歩く梅花の顔も疲れている。いや、青いと言うべきか。
「そうね。でも肝心の薬がまだだわ」
 淡々と返してくる声にも、かすかに疲労の色がにじんでいる。彼女は紙袋を抱えたまま、気怠げに辺りへ視線をやっていた。その様子から先日の体調不良を思い起こして、彼は眉をひそめる。まさか彼女も風邪をひいたのではないだろうか? あの三人がやられたことを考えれば、可能性はゼロではない。
「おい梅花、大丈夫か?」
「何が?」
「顔色悪いぞ」
「平気、別に風邪じゃあないわよ」
「その割には青いって。うん、そうだ、一旦休憩しよう」
 目すら合わせてくれない様子に、彼はさらに不安を覚えた。彼女が自ら具合の悪さを訴えてきたことは、今のところない。彼は左手に袋を持ち替えると、右手で強引に彼女の腕を引いた。その細さに内心で驚きながらも、彼は無抵抗な彼女を引っ張っていく。
「ちょっと、青葉」
「オレ一人健康とか、問題ありすぎるだろ」
「だから平気だって。単に人混みに酔っただけよ」
 目的とするベンチは、ちょっとした広場の中にあった。その大半が既に人で埋まっているが、一カ所だけ空席がある。彼は彼女をそこへ無理矢理座らせると、その足下に袋を置いた。彼女の視線が一度地面へと落ち、それから彼へと向けられる。
「薬ならオレが買ってくるから」
「わかるの?」
「……じゃあとりあえず飲み物を買ってくるから、ここで待ってろ。いいな、勝手にここ動くなよ。一人で薬を買いに行くなよ」
 人差し指を彼女へと突きつけて、彼は念を押した。彼女に倒れられたら困る。シークレットが機能しているのも、全て彼女のおかげといって過言でない。彼一人が元気でも心許なかった。
 彼女がうなずくのを見届けてから、彼はまた人の流れへと身を滑り込ませた。袋が手元にない分、ずいぶんと身軽になる。飲み物でも買えばいいだろうと自動販売機を探せば、それはすぐ近くにあった。この国にはやたらとある機械だ。普段は鬱陶しく感じられるが、こんな時ばかりはありがたい。彼はその前へ走り寄ると、すぐに硬化を入れた。
「えーっと、まあお茶でいいか」
 選択は適当だ。彼女は文句も言わないだろう。それよりも早く戻るべきだと自分に言い聞かせて、彼はペットボトルを手に取った。人混みで蒸した空気の中では、その冷たさが心地よい。彼は口角を上げると、踵を返そう――として立ち止まった。
 目に付いたのは、自販機の横にある露天だった。若い女性が好みそうな装飾品が、所狭しと並べられている。だが何故そんな物に視線が行ったのか、彼自身にもわからなかった。どちらかと言えばあまり高くなさそうな品ばかりが、そこには置かれている。
 考えてみれば梅花は、装飾品の類をつけていない。それらを見下ろしながら、不意に青葉はそんなことを思った。彼の知る少女たちは、皆こぞって自分を飾り立てるような者たちばかりだった。花を模した物やら蝶を模した物やらと、とにかく可愛らしく彩り豊かな物を好む。
 だが梅花は、その服装でさえ極めて淡泊だった。お洒落という概念が欠けているのではと、訝りたくなる程だ。着飾ればそれだけで印象も変わるだろうに、もったいない。
「笑顔がないなら、せめて恰好くらい考えてもいいよな」
 そう、このままじゃあもったいなさ過ぎる。宝の持ち腐れだ。見目も客商売には重要だと、青葉は強引に決めつけた。せっかくの可愛らしさも、恰好で半減してしまうというもの。ただでさえ愛想がないのだから、それを補う物があっていいはずだ。
 何故そんな言い訳を考えてるのかわからないままに、彼は装飾品を物色し始めた。首飾りなんかは面倒がるかもしれない。いや、そもそもエプロンで隠れてしまうか。ならば髪飾りはどうかと視線を移せば、山吹色のリボンが目に付いた。よく見れば透かし模様の入った、一見しただけではシンプルなリボン。やや幅広なのが特徴だろうか。
「これいくらですか?」
 彼は迷わずそれを指差した。彼女の白い肌に、黒い髪にきっと映えるだろうと、直感がそう伝えていた。こういった感覚は、実は結構磨いてきたつもりだ。彼女はきっと素っ気ない反応を返すだろうが、それにめげない覚悟を抱いて、彼は再び硬化を手にした。



 ベンチへと戻った時、何故か梅花は先ほどよりも青い顔をしていた。時折辺りをうろつく眼差しには力がなくて、紙袋を抱く手には不用意な力がこもっている。青葉は怪訝に思いながらもその傍へと駆け寄った。
「悪い、遅くなった」
 ほらとペットボトルを手渡せば、彼女はそれを黙って受け取った。ありがとうと返される言葉は、相変わらず素っ気ない。しかしよく見ればその横顔には安堵の色があって、彼は首を傾げた。これは変だ。
「何かあったのか?」
「え?」
「何かあったんだろ」
「……別に、しつこい人たちに絡まれただけよ。さっき諦めて行ったけど」
 静かに問いただせば、彼女は渋々そう答え肩をすくめた。絡まれたと聞いて眉をひそめ、彼はその原因を想像する。ただベンチに座っている少女に絡む輩など、この世界にいただろうか? ……いや、いるにはいる。確かそういうのを軟派というのだと、彼は記憶から掘り起こした。彼女は気づいてなさそうだが。
「そうか、悪かった」
「別に青葉のせいじゃあないでしょう」
 遠慮なく隣に腰掛けると、彼女は顔をしかめた。それもそうだが、しかしこんな人目が多いところに、目を惹きやすい彼女を、一人で座らせておいたのは彼だ。全く責任がないとは言えない。ペットボトルに口を付ける彼女を、彼は横目で見た。ただでさえ人付き合いが苦手な彼女ならば、軟派撃退は苦痛だったはずだ。
「梅花」
「何?」
「これ、やる」
 彼は先ほど買ったばかりのリボンを、彼女の方へと突き出した。安っぽい紙袋に包まれているそれは、どう考えてもプレゼントには相応しくない。だがその方が彼にとってはよかった。何の理由もなく仰々しい物を渡すのは、さすがに憚られる。
 だが突き出してしまってから、彼は後悔した。あまりに唐突すぎたと、今さらながら冷静な思考が戻ってきた。袋を手にしたその指先が、かすかに震える。彼女の反応がこれほど怖いことは初めてだった。
 しばらく沈黙が続いた。彼女はなかなか、それを受け取ってくれなかった。ペットボトルを手にしたまま、ただ黙って小首を傾げている。いや、驚いてるのか何度も瞳を瞬かせていた。よく見ればわかる程度に、眼も見開かれている。
「ほら、あれだ、お詫びというか……いや、従姉妹だからな。プレゼントだ」
「……従姉妹には、プレゼントなんてするものなの?」
「そう、それが普通。年下ならなおさらだな」
「そうなんだ」
 サイゾウあたりが聞いたら、勢いよく吹き出しそうな理由だった。でっち上げもいいところだろう。しかしそれでも、彼女は素直に信じてくれた。ようやく小袋を受け取った彼女は、それをまじまじと見つめ始める。
 彼女の横顔を、彼は居心地悪く見守った。大した物じゃあないだけに、凝視されると居たたまれなくなる。できればさっさと開けて欲しいくらいだ。すると次の瞬間、彼女の口から予想外な言葉が漏れ出た。
「プレゼントとか、もらったの初めてだわ」
 ぽつりと、かすれるような声を彼の耳は拾った。周囲のざわめきにかき消されそうな言葉が、胸の奥深くに杭を打つ。何に衝撃を受けたのかわからないままに、彼は彼女の一挙一動を見つめた。彼女の指先がそっと、袋を開いていく。大切な物を扱う時のように、慎重で丁寧な動きだった。
 プレゼントをもらったことがない少女。『上』から疑われていて、それなのに利用されている少女。しかもそれを自覚しながら、受け入れている少女。
 湧き上がる感情の正体を掴み取れず、彼は奥歯を噛んだ。彼女の素っ気なさの裏側が、朧気にだが見えたような気がした。

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