white minds

傷跡はそのままに-9

 合同誕生会を終えてから、仲間内の空気が若干穏やかになった。梅花が素っ気ないのは変わらないが、それでも以前よりは話しかけやすくなったと青葉は思う。サイゾウは相変わらず彼女を苦手としているようだが、それでも文句を口にすることは少なくなった。
 仕事も順調だった。上からの任務は週に一度くらいの頻度で、大概それほど難しいものでもない。店の方も特に問題はなく、日々の生活に困ることはなかった。
 うまくいきすぎているのではと思う程、彼らは平穏に包まれていた。梅花との距離の縮め方に難儀する以外は、本当に平和だ。
「ねえ青葉、また梅花どこか行ったの?」
 だからようにそう問いかけられるまで、青葉は何ら疑問を抱いていなかった。夕食を食べ終えてくつろいでいたところ話しかけられ、彼は目を丸くして振り返る。
 今特別車の中にいるのは彼とようだけ。先ほどアサキが出て行って、それと入れ替わりにようが入ってきていた。サイゾウが外で通りかかった子どもをからかっている声は聞こえるが、梅花の気配はない。
 だが彼女の気配がないのはいつものことだった。気を探れば居場所を感じ取ることができるが、彼女はいつも誰にも気づかれないうちに行動している。いつの間にか神魔世界へと戻り、上からの任務を持って帰ってくることも多々あった。
「夕食の時はいたよなー。まさかまた上から呼び出しがあったのか?」
 出かける時は声をかけてくれと、何度か言ってみたが効果はないらしい。椅子に腰掛けたまま青葉が腕組みすると、ようは大きく首を横に振った。
「ううん、梅花はまだこっちにいるよ。上の呼び出しは昼間あったじゃない」
「まあ、そうだけど。でも前にも一日二回呼び出されたことあっただろ」
 言いながら青葉は彼女の気を探った。そしてそれがかすかにだけ感じ取れることに気づき、慌てて椅子から立ち上がった。全く感じ取れないのならば、この世界にはいないと考えるのが妥当だ。だがそうではない。それはつまり、彼女がまだこの世界にいることを意味していた。
「あいつ、まさかどこか勝手に――」
「ね、ね、だから言ったでしょー!? この間だってどこかふらっと行って戻ってきたみたいだったし。でも僕は気を探るのが苦手だから、場所までは特定できないんだよね。青葉はできる?」
 事態の重みに青葉が顔を蒼くしていると、その袖を引っ張りながらようが口を尖らせた。青葉はとりあえず相槌だけ打ち、より深く彼女の気を探ろうと試みる。
 彼女の気は特殊な色合いとでも言うべきものを持っているし、気の強さも技使いの中では飛び抜けていた。だから気に疎い者でも、彼女の気ならばすぐ見つけ出すことができる。
 しかしそれは、彼女が素のままでいればの話だ。隠れるつもりがなければだ。彼女は気の扱い方にも慣れているため、あっさり集団に紛れることも可能だろう。かすかに感じ取れることを考えれば、そこまで隠すつもりはなさそうだが。
「あーくそっ」
 彼は念入りに彼女の気を探った。だが方向を定めることはできても居場所までは掴めなかった。よほど遠くにいるのか目立たないよう抑えているのか。つい先ほどまで夕食を共にしていたことを考えれば後者だろうか。人前で技を使うことは禁じられているから、そう遠くまでは行けるないはずだった。
「無理そう?」
「方向まではわかるんだけどな」
「僕はそれもわからないよー。こっちにいることはわかるけど」
「それじゃあ捜せないよな」
 青葉は大きなため息を吐くと、特別車の扉へと向かった。帰ってくるとは思うし放っておいても問題は起きないとは思う。しかし彼女が何をしているかわからないというのは、落ち着かないし心配だった。
 ようが『また』と言っていたことを考えれば、以前にも同様のことがあったのだろう。すっかりこの世界を出たものだと思い込んでいた自分を、彼は罵りたくなった。
「青葉、どこ行くの?」
「探してくる」
「それなら僕も行く!」
「ようは方向もわからないんだろう? ここで待ってろ。もしかしたらすぐ戻ってくるかもしれないんだし」
 扉に手をかけた青葉は、ようの言葉に軽く振り返った。ぶっきらぼうな喋り方になったのは自らへの苛立ちのためだ。完全に八つ当たりだな思いながらも、優しい口調ではいられない。
 案の定、ようはしょぼくれた顔でうなずき、小さくなって椅子に腰掛けた。胸の奥がわずかに痛む。
「すぐ戻る」
 罪悪感を振り払うよう、軽く手を振って青葉は外へ出た。沈みかけた茜色の夕日が、視界いっぱいに広がった。



 梅花の気を目指して歩けども、なかなかその姿は見あたらなかった。近づいたはずなのにはっきり感じ取れないことからすれば、やはり彼女はある程度気を隠しているのだろう。全て隠していないのはそれでも紛れ込めるからなのか、それとも面倒だからなのか。それは青葉にはわからなかった。
「何してるんだあいつは……」
 彼女が何も言わずにどこかへ行ってしまうのは珍しいことではない。それでもこちらの世界にいるのに隠れているというのが、どうにも解せなかった。彼女に限って何か問題を起こしているとも思えないのだが。
 まさか誰かに会いに行ってるのだろうか? そんな可能性が頭をよぎり彼は顔をしかめた。絶対にないとは言い切れない。神技隊選抜にも関わっていたらしい彼女ならば、前の隊に知り合いがいたとしてもおかしくはなかった。ただその場合でも気を隠す理由はない。
 考えれば考えるだけわけがわからなくなってくる。まさか恋人に会いに行ってるのかと、突拍子もない想像まで膨らんできた。そんなものができる機会も時間もなかったはずなのだが。
「あーあ」
 ひたすら歩き続けてどれだけ経っただろうか。おおよその居場所に見当をつけることさえできず、彼は道端で立ち止まった。川に沿って伸びる細い道には、犬の散歩中の人が遠ざかっていく背中だけが見える。もうとっくに日は暮れ、辺りは薄闇に包まれていた。街灯がまばらな中で、月明かりを映した水面が風に吹かれて揺れている。
 風が冷たい。まだそれほど秋も深まっていないとはいえ、夜になるとやはり冷える。いや、川の近くだからだろうか? 青葉は両腕を抱えるともう一度息を吐いた。きっと全ては気分のせいだろう。昨夜買い物に出た時は寒さなど感じず、むしろ緩やかに吹く風が心地よいと思ったくらいだ。
 彼女を知りたいと思う一方で諦めているのだろうか? いつも気にかけているはずなのに、ように言われるまで気づかなかったのは何故だろう?
 自問しながら彼は水面を見つめた。最近お金を気にして切りに行っていない髪が、緩やかな風に煽られて瞼を撫でる。すると別の冷たい何かが頬へと触れた。不思議に思って見上げると、今度は額に冷たい一滴が当たる。
「……雨?」
 そんな予報だっただろうかと首を傾げている間にも、雨粒は彼の頬に数滴落ちてきた。しかもその頻度が少しずつ増している。一雨来るのだろうかと彼は顔を歪めた。
 これは帰れということか、諦めろということか。塞ぎ込みたい気分のまま、彼は元来た道へと一歩を踏み出した。急いで帰ったとしても雨には濡れてしまうが、このままここに突っ立っているよりはましだろう。
 しかし彼は途中で立ち止まった。声が聞こえた気がした。否、ずっと探していた気がすぐ近くに現れていた。つい先ほどまで感じなかった気配が、今はすぐそこにある。
「梅花!?」
 振り返った彼が目にしたのは、こちらへとゆっくり近づいてくる梅花の姿だった。表情に乏しいのは相変わらずだが、一本に結わえられていた髪がほどけている。歩きながらも怪訝そうな顔で、彼女は彼を見ていた。
 駆け寄るべきなのか否か、迷っている間にも次第に雨音は強くなっていった。このままだと彼女も濡れるし風邪を引く。彼は意を決すると、彼女へと向かって走り出した。背後からは犬の鳴き声がかすかに聞こえてくる。
「梅花っ」
「やっぱり青葉なのね」
 強く名前を呼ぶと、彼女は呆れた様子で立ち止まった。いつも通り……ではない。よく見ると襟元の辺りに誰かに掴まれた後がある。何かあったのは確かだった。彼はすぐ傍まで寄ると、その肩を引き寄せて顔を覗き込む。
「やっぱりってなんだよ。っていうか何でこんな所にいるんだよ」
「それは私の方が聞きたいんだけど」
 お前が勝手にいなくなるからだ、と彼は毒づくように付け加えた。こんなに心配しているというのに何故通じないのか。声を張り上げそうになるのを堪え、彼は間近から彼女の瞳を見た。それでも彼女の視線は揺らぐことなく、彼のものを受け止めている。
「上から任務がきてたの」
 しばらくその状態が続いた後に、折れたのは梅花の方だった。ため息とともに吐き出された言葉を聞き、彼は息を呑み耳を疑う。まさか任務を一人でこなしたとでも言うのだろうか? 仲間たちには何も言わずに。
「梅花、それって――」
「でもどうしても害のある人たちだと思えないから、確かめてきたのよ」
 彼の叫びを遮るよう、彼女はかすれるような声でつぶやいた。その眼差しが彼から逸れて、静かに揺れる水面へと移される。本降りとなった雨がその上で跳ね、次々と音を立てていた。彼の上着も徐々に湿って重くなっていく。
「確かめるって」
「上にとって害があるのかないのか。なかったから放っておいたわ。捕まえないって言ったのに抵抗されたけど」
 彼女の視線は川面に固定されたままだった。その長い前髪が湿気を含み、額へと張り付き始める。その様にはっとして、彼は上着を脱ぐと強引に細い肩にかけた。表は少し濡れてしまっているがまだ中までは染み込んでいない。眉をひそめた彼女が文句を言う前に、彼はすぐさま口を開いた。
「抵抗されて嫌な奴は抵抗するな」
「……意味がわからないわ、青葉」
「意味がわからないのはこっちだ。何でお前は一人で勝手に任務引き受けて、しかも勝手に逃がしてるんだよ。そんなことしても上にばれるだろう?」
 ぶかぶかな上着を羽織らされた彼女は、珍しくも不服そうだった。だがその様が妙に可愛らしく彼の目には映り、つい口元が緩みそうになる。もっともそんなことをすればさらに怪訝そう……を通り越しておかしいと怪しまれるかもしれないから、ここは我慢だ。
「大丈夫よ、今までも平気だったんだし」
「は? 今までって、お前っ」
 彼は眩暈を覚えそうだった。つまり、彼女はこのようなことを繰り返してきたのか? 今まで気づけばいなくなっていたのはそのためだったのか? 思い返してみれば当てはまることばかりで、彼は顔をしかめると左手で頭を押さえた。どうしてそんなことを上が許しているのかも疑問ではある。
「上が危険視してるのは機密情報を漏らす可能性がある人たち、それと技を公で使う可能性がある人たちだけよ。でもそれを判断するのが面倒だから一律に取り締まってるの」
 肩に置かれた手を迷惑そうに一瞥して、彼女はそう付け加えた。まるで上の考えなど手に取るようにわかると、そう言っているかのようだった。視線を交わらせる気のない彼女の横顔を、彼は瞳をすがめて見つめる。
 雨音がさらに強まり、また冷たい風が吹き抜けた。上着の袖が音を立てて揺れ、彼女の長い髪がふわりと煽られる。川岸の草もさざめくように波打った。
「ただあそこから逃げ出したいだけの人も、中にはいるのよ」
 風の鳴き声に半ば掻き消されながらも、小さく彼女はつぶやいた。その言葉は杭のように彼の胸に突き刺さる。何気ない調子で、いつものように淡々と口にされたからこそなお、彼の心臓は速く強く打ち始めた。
 彼女もそう思っていたのではないか? あそこから逃げ出したかったのではないか?
 宮殿での彼女の扱いを思い出すだけで息苦しくなった。慌ただしく冷たく刺々しいあの空間は、その空気を吸うだけで息が詰まりそうになる。なのにその中でさらに異端な者として見られるだなんて、相当辛かったに違いない。
「梅花――」
「私がこういうことしてるのを上はわかっているのよ。わかっていながら害がないから知らない振りをしてるの。ま、今回も逃げられたとか言っておけば大丈夫よ」
 言いながら彼女は彼の手をのけ、視線を真っ直ぐ向けてきた。その瞳に見上げられると全てが見透かされているようで、彼は息を呑みながらそっと手を下ろす。頬へと当たる雨粒がやけに冷たく感じられた。
 どこかが、何かが痛くて仕方ない。何が苦しいのかよくわからずとも、苦しいことだけははっきりしていて。雨で額に張り付いた髪を、彼は右手で掻き上げた。
「だからあなたたちが咎められることはないわ」
「お前は?」
 安堵させるつもりなのか、ついで放たれた言葉に彼は咄嗟に聞き返した。彼女は数度瞬きをして、それから困惑したように小首を傾げる。何故そんなことを尋ねられたのか、わかっていない顔つきだった。いや、わかっていてなお理由が理解できないのか。とにかく彼の思いは伝わっていないようで、彼女は不思議そうに彼を見上げていた。
「どうして青葉は、私のことなんて気にするの?」
「聞いてるのはオレなんだけど」
「私は平気よ。こんなことくらいで何か言われたりしないわ。私が勝手に判断して勝手に動くのは、上はよくわかっているもの。それでも自分たちの害にはならないと考えてるから、私を放置してるのよ」
 空気が次第に冷えていく中で、微妙に噛み合わないやりとりは雨音に紛れていった。彼はそっと手を伸ばすと、濡れて重くなった彼女の髪を背中へとのけてやる。彼女はそれでも、彼をじっと見つめていた。
「私は答えたわ。もう一度聞くけど、どうして?」
 これだけ近くにいるというのに、どうしてこんなに遠いのか。唇を結んだ彼へと、彼女は再度問いかけてくる。どうしてなのかと。彼は双眸を川面へと向け奥歯を噛んだ。
「オレは――」
「従姉妹だから?」
 意を決して開いた口から、その続きがこぼれ落ちることはなかった。彼女の不思議そうな声音に遮られて、彼はそっと彼女から手を離す。そしてゆっくり向き直った。
「梅花」
「私、こんな風に心配されたことってほとんどないの。リューさんとほんの一握りの人たちだけよ、私に関心を持ってるのは。だから私はあなたがわからない」
「心配するのは、そりゃ当たり前だろ。誰だって仲間がいなくなれば気になる。言っておくが、最初に気づいたのはようだからな?」
 結局彼は、ため息混じりにそう答えた。好きだからとでも言ってしまえばよかったのか、考えてみるがそれもうまくはいかない気がした。きっとどうして好きなのかと、そう問い返されるだろう。自分へ向けられた好意というものに対して、彼女は実感を持っていない。
「ようが?」
 驚いた彼女は眼を見開いた。さすがの彼女も、ように気づかれるとは思っていなかったのか。彼が気に疎いことを考えれば無理もないことだが。
「ああ、この世界にいるのに居場所はわからないんだとさ。だからオレが捜しに来たんだけど」
「そうだったの……」
 彼女の視線が地面へと落ちた。申し訳なく思っていると、その俯き具合からも気からも容易く読み取ることができた。こんな風に彼女がわかりやすく反応するのは珍しい。それだけの衝撃があったのだろうか?
 青葉は思わず手を伸ばすと彼女の頭を抱き寄せた。ほとんど反射だった。しかし華奢な体は抵抗もなく、彼の胸にすっぽりと収まる。間近で感じる体温からあえて意識を逸らして、彼はその髪を撫でた。
「オレたちのこと、もっと信用してもいいだろう? お前に負担も何もかもを任せるのは嫌なんだから、どこか行く時はせめて何か言ってくれ。梅花がいないとみんな気になるんだから」
 声は出さずに彼女は小さくうなずいた。それはほんのわずかな動きで、触れているからこそわかる変化だった。彼はこのまま抱きしめてしまいたい衝動と戦いながら、ひたすら単調にその頭を撫でる。
 このまま雨に濡れるのはまずいから早く帰らなければならない。それはわかっているのに、その場を一歩も動けなかった。彼女から離れがたくて、この温もりを手放したくなくて、この時間を終わらせたくなくて動き出すことができない。
 彼女も身じろぎ一つしなかった。せめて嫌がるそぶりでも見せてくれれば諦められるのにと、他力本願なことを彼は思う。
 雨はますます強くなるばかりだ。彼はそっと目を閉じると、公園で待っているだろう仲間たちを思って胸中で詫びた。

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