white minds

第十三章 始まり‐4

 ザンの町、その入り口。三人はワープゲートを利用して、そこまでやってきていた。
「久しぶりだね、ここ通るのも。でもやっぱりいいや、ここからの景色は!」
 ミツバがうーんとのびをして、ついでにあくびもする。ダンもつられて大きく口を開けた。
「そうっすよね。オレ、ここから見る大河が好きで」
 サイゾウも深呼吸をする。
 ザンの町は割と高台にある。そして、最も有名であるこの入り口には、『大門』と呼ばれる、大きな木の門がそびえ立っている。普通、町と町の間には大きな通りが幾つもあるものである。しかしこの町には、このような入り口に続く緩やかな細い坂道があるだけ。そのおかげか、ザンは静かな町として知られている。
「そういやさ、サイゾウってどの辺に住んでたんだ?」
 ダンはふと気になって聞いた。
「あ、オレはずっと南の方です。あんまり人のいない」
 サイゾウは簡単に答える。
 ザンの『町』と言っても、その広さはかなりのものだ。地名を言ったところで、わからないことの方が多い。
「じゃあ、僕たちとは反対の方だね」
 ミツバが笑顔でそう言った。
「先輩たちはこの辺なんですか?」
 サイゾウは聞き返す。『大門』はザンの町では最北端である。
「うん、そうだよ。ちょっと寄ってく?」
 ミツバは誘いかけた。
「いや、いいですいいです。そんなの悪いし。オレも早く家に帰りたいから」
 彼らはそんな会話をしながら歩き始める。
 風は心地よく吹いていた。『大門』から路面電車の駅へと続く繁華街は、人でにぎわっている。石畳の道を歩くと、ひんやりとした感触が足の裏から伝わってくるようだ。
「じゃあ、オレ、そっから路面の奴に乗ってくんで」
 駅の前まで来ると、サイゾウは二人にそう言った。路面電車は、主に繁華街や住宅街の入り口などをつなぐように走っているが、時には長距離を行くものもある。それに乗るのだろう。
「ああ、じゃあな!」
 ダンが手を振った。サイゾウは走り出す。二人は彼のはやる気持ちがよくわかった。彼らも同じなのだから。
 二人は再び歩き出した。
「久しぶりだよね。会ったら何て言おう?」
 ミツバが不意に口を開いた。本当に真剣に考え込んでいるので、ダンがプッと笑い声をもらす。
「そんなのどうだっていいだろ? 会ったら今まで通りだって」
 ダンは気楽に言った。
「うん、そうだと思うけど……でも、三年半もたってるんだよ! それに年は変わってないし、背、伸びてないし、背、伸びてないしー」
 そう言いながら、だんだんとミツバの顔はゆがんできた。彼が身長にコンプレックスを持っていることは、ダンも知っている。何より、『レンカよりも低い』ということが、大きなショックであることも。
「大丈夫、大丈夫。しゃあないじゃん、それは。誰だって伸びてねえよ」
 ダンは、トホホ……という顔をして、ミツバの肩をポンポンと叩いた。ミツバはしゅんとうなだれている。
 二人はそうやって何だかんだ言いながら、ゆっくりと歩いていった。




 カエリとコスミは、ディーンの町の繁華街に来ていた。
「よかった、よかった。ディーンの活気は失われてないみたいね」
 店の様子などを見て、カエリがうんうんとうなずく。この町はついこの間戦場となったばかりである。それでも何もなかったかのように、人々は、買い物をしたりお茶を楽しんだりしている。
「技使いによるケンカなんかがしょっちゅうだったから……それと大して変わらないと思ってるんじゃないですか? 実際に近くにいた人でもないと、違いなんてわからないと思うし」
 コスミがそう推測すると、それもそうかもね、とカエリは相槌を打った。
 慣れた道の感触に、自然と心は落ち着いてくる。香ばしい食べ物の匂いと、さわやかな草花の香りが、体を元気にしてくれる。
「そう言えば、ホシワ先輩もディーン出身ですよね? 何で来ないんでしょう?」
 コスミはふと思い出して尋ねた。ディーン族にいる強い技使いの中で、男というのは珍しいのだ。自然と名前を耳にする。
「ああ。なんかね、今、実家にはお姉さんしかいないんだって。でもって、のこのこと顔なんか出したら、『真面目に仕事しろ!』って叩き出されるから、行かないんだってさ」
 カエリはそう説明して肩をすくめた。
「へえー、そうなんですか」
 コスミもどう反応していいやら……とりあえず曖昧な声を上げておく。
 二人はしばらく道に沿って歩いていった。途中で、コスミが何度も寄り道しそうになったが、その度にカエリにたしなめられた。
「あ、これかわいいー」
「お金は?」
 この一言でおしまいである。今のコスミはほとんど文無しだ。
「でもいいじゃない。コスミはここ出てから半年ぐらいしかたってないんだから、私物、まだ残ってる確率高いんでしょ? 私なんかほとんどゼロよ!」
 カエリはそう言って、コスミの背中をバシバシ叩いた。痛ーっ、とコスミは眉根を寄せる。
 繁華街も終わりに近づいてきた。
「じゃあ、カエリ先輩は家族に会いに行くんですか?」
 上体を起こしてから、コスミはそう聞いた。
「うん、まあね。それと、弟の墓参り。ずっとしてないから」
 カエリは伏し目がちに答える。その側を、わらわらと子ども達が駆けていった。
「弟さん、亡くなってたんですか……。すいません。そんなこと話させちゃって」
 コスミは急に悲しくなって、うつむいた。その様子を見て、カエリは顔をしかめる。ついでに頭をこつんと叩く。
「いったぁーい」
「弟が死んだのはずっと昔。ってそれより、あんたがそんな顔する必要ないでしょ? どうして私よりもしぼんだ顔してんのよ!?」
 カエリは眉をつり上げて腕組みをした。元々湿っぽい話は嫌いだし、何より、同情されるのはもっと嫌いなのだ。
「ふぇーん、すいませーん」
 頭を押さえながら、コスミは謝った。
「あ、もう繁華街は終わりね。私こっちだから」
 彼女の言うとおり、繁華街は終わり、十字路になっている。カエリは左を指さす。
「あ、はい。私は真っ直ぐですから」
 立ち止まるコスミ。
「そう。じゃあね、寄り道するんじゃないわよ!」
 カエリは歩き出しながら、振り向いて手を振った。コスミも振り返す。カエリが背を向けると、コスミもそのまま真っ直ぐに歩き出した。




「ずいぶん嫌そうだな」
 青葉は後ろを振り返ってそう声をかけた。
「嫌って言うか、面倒なだけ。それと、知らない人が大勢いるところは苦手なの。知ってる人ならいいってわけじゃないけど」
 梅花はしかめっ面で言い返す。仕事でない以上は、部屋に一人でいたいのが彼女の本心だ。
「でもお前、一人で部屋にいたらジメジメしそうだしなー」
 そう言いながら彼女の元までやってくると、青葉はその手を引いた。梅花はあからさまに嫌な顔をする。
「私がジメジメしてたって、関係ないでしょ」
 彼女は不服そうな様子でそう反論した。すると彼は、キッとした目で怒鳴りつけるように言う。
「そうなるとオレがイヤなの!」
 そしてぐいぐいと引っ張っていく。
「……」
 彼女は目を伏せて黙り込んだ。
 あー、何かスッゲー、イライラする。
 青葉はそう思いながら、ちらっと梅花の顔を盗み見た。あきらめたのか、いつもの無表情であさっての方を見ている。
 悪いのはわかってるけど、黙ってほっとけないし……。
 青葉は無理に梅花を外へ連れ出した。彼女は私物はほとんどかばんに入れて持ち運びしていたため、宮殿に行く必要はない。買い物に行く気など、起こすはずはない。だからといって、部屋に一人で残っていたら、色々と考えて気分がダークになっていくのは目に見えている。それを彼は見過ごせなかった。
 それに――――
 これからオレが向かうのは実家。
 青葉は、小高い丘の向こうに屋根だけ見えるそれを、にらみつけた。弟――陸はいない。つまり、あそこには親父だけがいる。
 もう一度、彼は彼女の方を振り向いた。すると今度は、先ほどとは別の表情で、彼女は彼を見ていた。
「な、何だよ……?」
 青葉が聞く。
「不安なの?」
 梅花は聞き返した。青葉は言葉を失って立ち止まった。しかしそれ以上、彼女は何も言わなかった。
「……不安って言うか、何かイラつく」
 それだけを、彼は言った。彼は彼女の手を離して歩き出した。けれども彼女は黙ってその後をついてきた。
 しばらくして、彼らは一軒の家の前で歩みを止めた。
「ここで待ってろ」
 彼は低くつぶやくように言う。
 家の周りは塀で囲まれていた。周辺の家と比べても、その大きさはかなりのもの。土台が高めにしてあるせいもあってか、『孤高』という言葉がよく似合っている。
 青葉はその塀を飛び越えて、庭の中へと入っていった。梅花は言われたとおりに、門の前で待つことにする。
 彼は庭の一角、木のすぐ側まで近づいた。そして地面に手をかざし――簡単な技をかけて、中ぐらいの箱を取り出す。銀色の、鈍い光沢のあるケース。彼はそれを丁寧になでた。
 その時――――
「そんなところで何をしている」
 低い声が彼の背中に突き刺さった。半ば予想していた展開なだけに、特別驚いた様子もなく、彼は振り返った。そして相手の顔を見据える。記憶と変わらない、渋い面の人物。
「昔から何か隠していると思ったら、今頃取りに来るとは。あきれた奴だな」
 その人物は、玄関の前に仁王立ちしたまま、見下すように言い放った。青葉は鋭い眼光でもって返す。
「陸との約束だ。だから取りに来た」
 青葉はぼそりと口にして、ケースを持ったまま、ゆっくりとした足取りで門へと向かった。重い空気が辺りを覆っていく。
「その娘は何だ?」
 青葉が梅花のすぐ横まで来ると、彼の父は憮然たる面持ちで口を開いた。梅花はと言うと、いつもの無表情――いや、怒っているのか哀れんでいるのか悲しんでいるのか……それらが微妙に入り交じっているような、そうでないような……とにかく、一言では表せない表情――で、その男性――積雲を見据えている。ひるんだり動じたりしないところが、彼女らしいと言うか何というか。
「仲間――――で、従姉妹」
 低く、鋭く、青葉は答えた。
 一瞬眉根を寄せる積雲。だがすぐに気がついて、彼は目を大きく見開いた。妻――紅に兄弟はいない。
「乱雲の娘か」
 積雲はつぶやきながら、頭からつま先まで彼女のことをじろりと見た。
 はっきり言って、似てはいない。記憶にある面影とは重ならない。おそらく母親似なのだろう、その少女は、痛いほど澄んだ瞳でこちらを見て、いや、見透かしている。
 彼はそう思いつつ、笑いたい衝動を必死に堪えた。
 ばかばかしい。何故あいつの娘よりも、自分の息子の方が、あいつに似ているというのだ。皮肉な運命? それともまさか……。
 しばらく沈黙の時間が続いた。まるで金縛りにあったように、一歩も動かない。
 その重厚な空気を振り払うべく、苦々しい笑いを浮かべながら、積雲は、門へと続く階段を下り始めた。
「あいつに子供がいるとは考えてもみなかったな。……あの馬鹿はどうしているかね?」
 青葉たちから数メートル離れたところで立ち止まって、積雲は尋ねる。青葉は苛立たしげに唇をかんで、隣の彼女の様子をうかがった。
「こちらの世界にはいません。あちらの世界で、元気に暮らしてます」
 彼女は積雲の目を見てはっきりと答えた。声によどみはなかった。
「あちらの……世界?」
 積雲は考えるように目を細める。
「父が神技隊として派遣されてからは、もう十八年以上ですから」
 梅花は説明するように付け加えた。
 弱い風が吹き、彼女の髪が緩やかになびく。何か写真でも眺めるような意識で、青葉はそれを見つめた。
 再び梅花の唇が動く。
「父が派遣されたその翌年に、母も同じく派遣されました。今は、そのままあちらの世界で生活しています。あなたには会えないから、よろしく伝えてほしいと、言ってました」
 彼女の話を聞いていた積雲の表情は、次第に硬くなっていった。冷たい血が体中を駆け回るような気がして、彼は拳を握りしめる。うつむき加減だった青葉の目には、それがはっきりと映った。
「君は一人で残っていたのかね?」
「はい。まあ、幼かった私には選ぶ権利はなかったんですけどね」
 憮然とした顔で積雲が尋ねると、梅花は即答した。彼女には、彼が次に何を言おうとしているのかが、手に取るようにわかった。
「あいつはそういう奴だ。いつも勝手に独りで行ってしまう。残された者を気にもしないで」
 積雲はそう吐き捨てた。青葉は、目を伏せて歯を食いしばる。
 小さい頃から何度も聞かされた言葉。まるでその罪が自分のものであるかのような、恨みの眼差し。それはもう記憶というより、体に刻み込まれてしまっている。
「やっぱり恨んでいるんですね、あなたは」
 彼女は言った。
「君は恨んでいないと?」
 積雲は問いかける。
「恨みは何も生み出しませんから。恨んでも、何も得になりません。自分が苦しいだけ。そこに囚われて動けなくなる。それに、エネルギーも時間もすべて無駄にしてしまう、それは嫌ですから」
 つぶやくように梅花は述べた。さとす、つもりもないらしく、彼女は青葉の方に顔を向ける。
「私、戻ってもいい?」
 ハッと、青葉は頭を上げた。
「あ、オレも戻る」
 梅花はさっさと歩き出した。それを慌てて追いかけようとした青葉は、途中で不意に立ち止まって、後ろを振り返る。
「オヤジ、また来る。陸の奴の情報が入ったら」
 彼はそれだけを言い残して駆けていった。
 独り残った積雲は大きく息を吐く。
 嵐が過ぎ去った後の心境であった。
「おい、ちょっと待てって」
 青葉は梅花に追いつくと、彼女の肩をつかんでそう言った。彼女は彼を一瞥すると、歩調を遅らせる。
「ずいぶんもててたみたいね」
「は?」
 思いもかけない言葉に、青葉は言葉に詰まった。 え? は? もて……って、それってつまり……。
 彼はそろーりと彼女の様子をうかがった。取り立ててどうという表情の変化はない。
「ずっと視線が痛くて。敵意の視線が」
 彼女はふうとため息をついた。は!? と思って彼は辺りをキョロキョロ見回す。言われてみれば、近所に住んでいる顔なじみの姿がちらほらと。
 ぜ、全然気がつかなかった……。
 青葉は愕然とした。自分の余裕のなさが、今更ながら思い知らされる。
「話でもしてくる?」
 梅花は聞く。見上げてくる彼女の目を見て、彼は心の中で嘆息した。
 こいつは本当に何考えてんだか……。
「いや、いい。早く帰るぞ」
 彼は投げやりな気持ちでそう答えた。
「そう」
 彼女は視線を遠くの家々へと移す。
 まばらな間隔で建ち並ぶ家屋、小さな公園、こぢんまりとした店。平和な町の姿がそこにはあった。割と郊外なためか、静かでのんびりとした雰囲気が漂っている。
「……」
 黙って青葉は彼女の横顔を眺めた。一見すると線の細そうな、か弱い少女。が、どこか醒めた大人の顔が、いや、瞳が、彼女に何か別の空気をまとわせている。
 空は青かった。どこまでも青いように思われた。
 彼は大声を上げたい衝動を抑えて、何も言わない横顔に微笑みかけた。




 イダーの町は、ヤマトとザンの間に位置している。人通りの多いにぎやかな町だ。イダー出身の三人は、ワープゲートを使って、ほぼ中心にあたる大公園の中へとやってきていた。
「懐かしいなー」
 見慣れた風景に、思わず北斗は声をもらした。
「北斗先輩はここを出てから二年半ですもんね。オレはまだ半年だけど」
 うれしそうな北斗の顔を見て、たくがそう話しかける。そう言う彼だってやっぱり懐かしい。自然と顔はほころぶ。
「そっかぁー、まだ半年なんだよな、ここを出てから。それに神魔世界には何度か戻ってきたし。でもほっとする」
 コブシも笑顔でうんうんうなずいた。
 おそらく、もうしばらくすると枯れるだろう、葉が、陽を浴びてきらきらと光る。木々を揺らすそよ風の音が、耳に心地よい。
「で、コブシはどの辺に住んでんだ? オレはここからちょっと南のとこだけど」
うーんとのびをしてから、北斗は尋ねた。
「オレはもう少し東側です。『路面』で一時間ほど」
 コブシは短く答える。
『路面』――路面電車のことだ。どこの町でも大抵通っている。速度はそこそこにしかでないので、一時間と言ってもたいした距離ではない。技使いなら飛んでいった方がよっぽど早い。
「そっか。んじゃあ、どうすっかな。バラバラになる前に、何かつまんでく?」
 北斗が誘う。
「いいですね」
「賛成ー!」
 コブシとたくはすぐに同意を示した。
 三人は大公園を出て、それを取り囲むように広がる中心街を練り歩いた。様々な店が建ち並ぶ中、途中で彼らはアイスクリームなぞを買う。ちなみに北斗が後輩に奢ると言い張って三人分を払った。ちゃんとこちら側の通貨――ケントを持ち合わせているところが謎ではある。
 三人は適当なベンチを見つけて腰掛けた。
「そう言えば、たくと北斗先輩は顔見知りだったんだよな?」
 アイスをなめながら、コブシはたくの方を向いた。
「ああ。家が割と近かったし、たまに先輩たちのグループとオレたちのグループが一緒になって遊ぶこともあったし。あ、北斗先輩はイダーでトップのグループね」
 同じようにアイスを堪能しながら、たくは答えた。
 どこの町でも、子供の技使いは大抵十人くらいでグループを作っている。技使いだとわかった時点で加わる。小さい頃は技の制御ができない場合があり、そうなったときに対処するためだ。だから、年があがるにつれて、そのグループは地域と強さによって再編成されていく。誰に決められるともなく。
「んなことないって。どこも変わんないよ。ヤマトやウィンじゃないんだから」
 北斗はそう言って笑う。
「そうそう、たくんところの親、二人とも若いんだって!」
 思い出したように北斗は声を上げて、コブシの方に顔を向けた。少し恥ずかしそうに、たくは上を見る。
「へえー、そうなんですか」
 適当にコブシは相槌を打った。
 オレんとこは……とても若いとは言えない。
「北斗先輩だって、お姉さんすごい綺麗じゃないですか!」
 今度はたくが反撃する。
「……当人の前では言うなよ。つけあがるから」
 北斗は目を細めた。
「で、コブシ、兄弟は?」
 続けて北斗は再びコブシに話を振った。コブシは頬をぼりぼりかく。
「ちょっと自己中心的な兄が一人」
 彼はそれだけしか言わなかった。
「ふーん。でもこんな話してると、何か早く会いたくなっちゃったなー。……死んでなきゃいいけど」
 北斗はあえて深く聞かずに、わざとらしく髪をかき上げながらそうつぶやいた。アイスはもう食べ終えて、手元にはコーンの包み紙だけが残っている。
「何、縁起でもないこと言ってるんですか!? そりゃあ、まあ、既に亡くなってる人とかは結構いますけど」
 たくもアイスを食べ終える。彼は立ち上がって、遠くに見える何組もの親子の姿を、無意識に目で追った。
「ああ……あの奇病でな」
 コブシは少し声のトーンを落とす。
 確かに。若い若くないという問題以前に、生きているだけで満足しなければならないのかもしれない。あの奇病がはやったのは今から十五年前。人口の四分の一が亡くなるという大惨事だった。それもたった数日だけで。唯一の救いは、子供がほとんどかからなかったということぐらい。
「んじゃ、オレもう行くわ!」
 北斗は笑顔で立ち上がった。
「あ、じゃあオレも」
 たくも口を開く。北斗は包み紙をポケットに突っ込んで、ゆっくりと歩き出した。途中で軽く振り返ると、彼はコブシに手を振る。慌ててたくは彼の後を追うと、同じように後ろを向いた。
「コブシ、また後でな!」
 たくは大きく手を振った。
「オレも行くかな」
 コブシは独りつぶやいて、アイスを一気に口の中に放り込んだ。冷たい感触が口の中いっぱいに広がる。二人の歩いていった方をもう一度見ると、彼らの姿はもう人混みに紛れて見えなかった。
 コブシは立ち上がり、路面電車の駅へと歩き出した。

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