white minds

第十七章 白き空間‐2

 四人はまず宮殿に向かった。
 真夜中のそこは静かだった。大した明かりもなく、月光と葉のささやきだけが一帯を満たしている。
「この時間なら見られることもないだろう」
 シリウスはそう言った。
 昼間は人通りが多い。あくまで通るだけだが、とにかく多い。
「同じ顔というのも不便なものだな」
 レーナは嘆息する。妙な噂が立つのは避けたいところだ。
「どこに行くんだ?」
 カイキが尋ねた。シリウスは先頭を切ってを歩いていたのだが、振り向く様子もなく端的に答える。
「中央会議室だ。四階にある。そこから上へ行く」
 宮殿に入ったところにある広場の横、そこに階段はあった。無愛想な白い壁面が刺すような冷気を放っている。
「やたらめったらに結界があるのは困ったものだな」
 レーナは眉をひそめた。
「結界?」
「特殊なタイプだな。素通りできる。誰が通ったかわかるようにするためか?」
「そうだ。全てアユリのものらしい」
 カイキの問いにレーナが答え、シリウスがうなずいた。
「ふーん、わっかんねーなー」
 カイキは辺りを見回す。
 気に敏感な奴しかわかんねーのかな?
 彼はそう思う。そういうことはよくあった。レーナはいつでも状況の変化にいち早く気がつく。自分たちが感じられなくとも彼女にはわかる。
「変わった結界なら数え切れない程あるぞ。もっとも、何のためなのかわからないものも多いが」
 シリウスはそう付け加えた。
 四階まで上るとすぐ右に中央会議室はあった。わかりやすいプレートが掛かっている。重い大きな扉を開けると、中は割と質素であった。
「こっちだ」
 シリウスは真っ直ぐ奥へ向かう。そこにはやたらと豪華で変わった形の扉がある。その前まで行くと、シリウスは軽くそれに手を当てた。
 プシャァッ。
 小さな音とともに扉は開く。中は数畳程度の部屋……というよりも、『箱』のような場所であった。
「移動装置?」
「ま、そんなところだ。精神が必要ないのが何よりだな」
 そう言いながらシリウスは中へ入る。三人も続く。そしてシリウスは、左側の壁にはめ込まれている透明な球に触れた。
 プシャーッッ。
 扉が閉まる。
「移動ってどれくらいかかるんだ?」
「まあ数秒程度だ」
 カイキの質問に即答するシリウス。カイキは不満そうに目を細める。
 動いているようには感じられなかった。不思議に思ってカイキは三人の顔をちらりと見てみる。
 平然としているシリウス。アースの仏頂面はいつものこと。レーナは――何故か顔色が悪いように見える。
 プシャァッ。
 再び扉が開いた。
「ほぉーっ」
 思わず、カイキは感嘆の声をもらした。
 そこは白い世界であった。真珠のような光沢の床が真っ直ぐに続いている。右手には大きな湖があり、小さな島々の姿も見える。左手には円形の小さな建物が点在している。
「空が白い……」
 アースがつぶやいた。
 確かに白い。いや、やはり真珠が光を反射するように、かすかな揺らめきもある。地球の夜空が白かったならば、オーロラはこのように見えるのだろうか。
「行くぞ」
 シリウスは歩き出した。続く道の先には巨大な、とてつもなく巨大な建造物がある。『下』の宮殿とよく似た形だ。
「で、われを呼び出したのは一体誰なんだ?」
 レーナが尋ねた。いたずらっぽい微笑みを浮かべて、彼女はシリウスをじっと見つめる。
「ケイルら、いわゆるさんの神の上層部、数人だ。どうやらカシュリーダかミケルダかが『女魔族狩り』の話をもらしたらしい。奴らはお前のことをかなり疑っているからな。色々詰問されることは間違いない」
 シリウスも同じような笑みで見返した。レーナは少し目を細め、長く息を吐く。
「産の神?」
「戦闘をあまり得意としていない神。特にその中でも闇歴の頃からいる奴らをそう呼ぶ。つまりまあ、昔からいるにもかかわらず、何にもわからないで空威張りしている奴らということだ」
 カイキが首を傾けると、シリウスは彼の方を振り向いて皮肉そうに口元をゆがめた。
「ずいぶんな言い方だな」
 レーナは苦笑する。
 彼らはその巨大な『宮殿』の中へと入った。
「こりゃまたすごい」
 カイキのつぶやきは雑音にもみ消された。そこでは大勢の神々が行き交っている。広い廊下、広場を忙しく歩き回る。
「……」
 その一人一人が彼らの方を一瞥していく。誰一人として例外なく。
「言っておくが私が原因ではない」
 歩きながらシリウスがそう一言。
「いや、十五パーセントはお前」
 レーナが反論する。
「オレは?」
「ゼロ」
 カイキは即答されて、不満そうに口をつぐんだ。アースが、どうとでも取れるような笑いを口の端に浮かべている。
「……じゃあアースは?」
「うーん、五パーセントぐらいかな?」
「って、じゃあ八十パーセントはお前か?」
 レーナはくすくと笑った。そしてゆっくりと首を横に振る。
「いいや、違う。われは三十パーセントくらい。残り五十パーセントはこの四人が一緒にいることだ」
 シリウスが声をもらして笑った。
「確かにそうだな。こんなものは滅多に見られない」
 さらに加えるとすれば、彼らが談笑(?)していることもである。
 彼らは『宮殿』の中を奥へ奥へと進んだ。進むにつれて人気(人じゃないが)がなくなっていく。それと同時に道の幅も狭くなっていった。
「ここから先は一般神いっぱんじんは立ち入り禁止だ。つまり偉いと思われている奴らの領域」
 何の変哲もない道のど真ん中で立ち止まり、シリウスは言った。レーナが大儀そうに前髪をかき上げる。
「気の充満ぐあいが半端じゃない。息苦しいな」
 彼女はつぶやいた。シリウスは黙って目を細め、そして再び歩を進める。
 だがすぐに彼は立ち止まった。
「これはこれはシリウス殿。お久しゅうございます。誰かをお捜しですか?」
 くせのある髪にターバンを巻いた男が話しかけてきたのだ。彼はうやうやしく頭を下げると、シリウスの後ろの面々をじろりと見回す。
「ケイルたちに呼ばれているんだが」
 シリウスはつっけんどんな声で答えた。
 じわじわと伝わってくる感情が痛い。何が言いたいのかひりひりと感じられる。
 言いたいことがあるならはっきりと言え!
 シリウスは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「ケイル殿なら大広間の方にいましたよ」
 ターバン男はそう言って微笑む。
「そうか、すまない」
「いえいえ」
 適当に言葉を交わして、シリウスは彼の横を通り抜けた。執拗な視線を無視して、アースとカイキも続く。レーナは、いつものように透明な目でもって、彼に微笑みかけた。
「……」
 去っていく彼女の背中を見つめながらその男は黙り込む。
 あの女は何者だ? 何を目的としている!?
 そんな彼の気持ちをも、レーナは感じていた。背後から冷たく突き刺さる感情。あからさまな。
「何だあいつは?」
 くすぶった声音でアースはぼやいた。
「産の神の一人、サライゼル。今見た通りの奴だ」
 シリウスはけだるそうな顔でそう説明する。
「なんつーか、ねちねちしてるな。目が。オレああいう奴嫌いだ」
「私も同感だ」
 そういった会話とも言えないような会話をしながら、彼らは大広間へと辿り着く。そこにはサライゼルの話の通り、ケイルたちがいた。
「道案内ご苦労、シリウス殿」
 ケイルの隣に立っている男――金髪碧眼、おまけに白いマントを着た神――が最初に口を開く。
「大したことではない」
 シリウスはそう言って後方を一瞥した。
「お前がレーナか……。思っていたよりも……迫力に欠けるな」
 次に言葉を発したのはマント男の隣――空色の髪にグレーのローブを着た、学者風の男――であった。
「そんな、迫力を求められても困るんだが。むしろわれ、小柄で有名だし」
 小首を傾げてレーナは答える。
「有名なのか?」
「魔族では」
 マントの男はじっと彼女を、頭から足の先まで見回した。
「……確かに小さいな」
「いや、そこまで強調されたくもないんだが」
 そんなやりとりを終わらせるべく、ケイルが咳払いをする。
「ああ、すまん。話だったな」
 そう言ってレーナはケイルを見た。
「お前は『女神狩り』について、何か知っているようだな?」
 ケイルは鋭い視線でもって、彼女に尋ねた。
「知ってるって程じゃない」
 レーナはあっさりとした返答をする。
「報復だとか言っていたようだが」
「ああ。彼らはそう思っている」
 ケイルは顔をしかめた。
 彼女は何を思っている?
 自分を見つめる黒い瞳からは何も見えてこない。感じられない。静かな目。恐ろしい程穏やかな。まるで自分たちの狼狽ぶりを見透かされているような、そんな気すらする。
 恐ろしい奴。
「それで一体、お前たちは何を聞きたいのだ? その件に関することなら、われはもう全て彼らに話してしまっている。これ以上、お役に立てるとは思わないのだが?」
 ため息混じりにレーナがそう言うと、ケイルは言葉に詰まった。そんな彼の代わりに、学者風の男が口を開く。
「いや、話してもらうことならまだまだある。その『女魔族狩り』はいつ頃まで行われたのか。『女神狩り』の指揮を執ったのは誰か。どういった命令がなされたのか、とかな。お前は知っているはずだ。魔族についてはかなり博識のようだからな」
 彼は鼻で笑った。カイキがむっとしてにらみつける。アースは元々そうなのだが、さらに眼光が鋭くなる。
「女魔族狩りは……上位魔族の封印と並行して行われた。ひそかに、しかし確実に。混乱のさなか、彼らはようやくそのことに気づき、そして一部のものが報復として女神狩りを始めた。女神狩りが魔族中に命として伝わったのは、それから少し後のことだ。中心となったのはブラストとプレイン。ブラストは神の負の感情を増幅させることを、プレインは神の戦力増強策を探ることを、目的としていた。『狩り』と言っても実際は捕らえることが多かったらしいが――大半は反抗して殺されたり、敵わぬと悟ると自殺するものが多かったようだ」
 静かにレーナは答えた。唇をかみしめてケイルは顔を背ける。マントの男は目をそらしながら頬をかいた。
「ブラストというのはあれだろ、あのふざけた変わり者。プレインは冷徹な策略好きの奴だな?」
 そんな中、何の変哲もないというような顔で、シリウスが聞く。
「そうそう。黒髪を束ねた物好きがブラスト。前髪だけ長い『橡の軍師』がプレイン」
「会ったことがあるのか?」
「ない。見ただけだ。レシガとイーストはある。あ、ラグナも……会ったというのだろうか? あれは」
 レーナは口元に手を当てて目を伏せた。
 脳裏をよぎる光景を、無理矢理押し込める。それでもうずく胸はどうしようもないが。
 シリウスは神々の方をちらりと見、息を吐いた。
「ケイル、聞いておくことはそれだけか? 私はもう親切に呼びになど行かないぞ。他の奴らに言いつけるのは勝手だが」
 そう言う彼の声はひどく苛立たしかった。
「それでは率直に聞こうか、ケイル」
「ジーリュ?」
「我々が重要とすることはただ一つ。お前は本当に誰の味方なのか、それだけだ」
「ジーリュ!」
 いけしゃあしゃあと不敵な笑みで言い放つ学者風の男――ジーリュに向かって、ケイルは声を上げた。
 これが原因で彼女が取引を破棄するということはないだろうが、それでも友好的ではなくなる可能性がある。現状を考えればあまり好ましくはない。
 だが当の彼女、レーナは、やはり微笑みながら顔を上げた。
「大丈夫、何を言われようともこちらから取引を破棄することはしないよ。だから気にするな。信用されてないことも、好感を持たれてないことも、はなから承知している。では質問に答えようか。われは神技隊の味方だ。われには彼らを守らねばならない理由がある。そうである限り、われは彼らを見捨てたりはしない。全面的にお前たちに協力するとは言わないが、少なくともここの下にちょっかいをだされるのはわれも困るから、それだけは防ぐ。これぐらいで満足してもらえるかな?」
 レーナは子どもによくそうするように、小首を傾げてジーリュを見つめる。ジーリュはフンと鼻を鳴らした。
「いかがしますか? ケイル殿」
 するとマントの男が困ったような仕草でそう尋ねた。ケイルはゆっくりと息を吐き出す。
「確かに、最低限のものは得られた。これ以上聞こうとしてもこちらが疲れるだけからな。今日のところは帰ってもらおう」
「妙なことをすればまた呼びつけるぞ、ってか? ずいぶんと傲慢で」
 鼻眼鏡の位置を直してケイルが言うと、レーナはクスリと笑って後ろを振り返った。
「じゃあ帰ろうか? アース、カイキ」
「はいはい、さんせー」
「無論、こんな息の詰まるところに長居する気はない」
 歩き出すアースとカイキ。続くレーナは数歩進んだところで立ち止まり、肩越しに神々を見た。
「ま、何度呼ばれても来てやるから安心しろ。われ、一応いい人だから」
 彼女は軽く左手をふる。
 黙りこくってしまった三人を後目にして、シリウスは苦笑した。
「だそうだ。せいぜい振り回されないように努力するんだな」
 さも愉快と言いたそうなシリウスに向かって、ケイルは口を開く。
「お前、普段、彼女とどんな会話をしているんだ……?」
「それはどういう意味かな?」
 シリウスは口の端をつり上げた。
「あんな奴と……まるで心を見透かしているかのような奴と……どんな話ができる?」
「愚問だな。何を恐れる? 普通に話すだけだ。ただ、上辺だけの繕いの言葉が意味をなさなくなるだけだ。何も変わらない」
「……」
「くすぶっている負の感情をぶつけられるよりはずっと楽だと思うがな。私は。ではこの辺で、そろそろ仕事に戻るとしようか」
 シリウスの背中と、もう遠くに見える三人の後ろ姿とを交互に眺めて、ケイルは嘆息する。
「まったく、扱いにくい奴らばかりで苦労するな」
 彼の疲れ切った声が大広間に響いた。

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