white minds

第十七章 白き空間‐6

「滝先輩」
 呼び止められて彼は振り返った。
 先ほど一通り仕事を割り振ったばかりだ。度重なる心労に本当は休みたかったが、彼はそれを口には出さず聞き返す。
「どうかしたのか? ジュリ」
 呼んだのはジュリだった。これが他のお気楽な仲間――そのようにしか彼には思えないのだが――だったら、彼は軽くあしらうところである。
「あの、お願いがあるんですけど」
 彼女はそう言ってから、一旦間をおく。少し躊躇しているようだ。
「お願い?」
「はい。その、妹をここに連れてきたいんです」
 唐突に発せられたその言葉に、彼は驚いた。
 妹。
「ここが危なくなるってのはよくわかってますし、反感買うのもわかってます。でも、お願いします」
 彼は、彼女の目からその意志を読みとった。
 ものすごく本気だ。
「ダメなら、私が出ていきます。大丈夫です。ちゃんと見張りの時間には戻ってきますし、修行もしますから」
 滝は頭を抱えたくなった。
 実行しかねない……。どうして神技隊の女性にはこういう強者が多いのだろう……。
 たとえ周りが何と言おうとも、彼女はやり遂げるだろう。しかも完璧に。
「ああ、わかった。レーナはここに誰が住もうと関係ない、って言ってたからな。一応他の奴にも聞かなきゃなんないが、まあ何とかなるだろう」
 仕方なく彼はそう言った。するとジュリは、彼女にしては珍しく子どもっぽく喜び、嬉しそうにして目を輝かせた。
「本当ですか!」
「たぶんな」
「よかった。滝先輩が了解してくれれば、他に邪魔する人はいませんもんね」
「は?」
「いえ、リンさんはわかってくれてるんで反対するどころか他の皆さん丸め込んでくれますし、隊長たちは何も言わない、と言うより言わせませんし。ゲットの皆さんは何も言わないでしょうから。滝先輩の了承さえあれば大丈夫なんです」
「……」
 とっても穏やかな笑みを浮かべたジュリを見て、滝は胸中でため息をついた。
 やっぱり、た・だ・も・の・で・は・な・い。
 今まで気づかなかっただけなのだ。他にも、ひょっとして、ものすごい人がいるのではないか?
「じゃあ、滝先輩。早速連れてきますので、皆さんへのお話の方をよろしくお願いします」
 そんな彼の心境にかまわず、ジュリは深く礼をした。



「ねえねえ聞いてレーナ! 僕ら安定してビートブルーになれるようになったんだよ!」
 レーナの部屋のドアを開けるなり、イレイは大きな声を出した。彼女は大きな机の前に立ちながら、怪しげな薬品を使って何かを作っている様子。
「おめえ、言うなってあれほど忠告したのに」
 慌ててやってきたネオンがあきれ顔でそうつぶやいた。彼に続けてカイキも駆け込んでくる。
「秘密の特訓が意味ねえだろーが」
 ネオンはため息をついた。あまりに残念そうなその表情に、レーナはクスクスと笑う。
「秘密の特訓か。で、成果は出たようだな。だが、あまり無理はするなよ?」
「それはこっちのせりふだろう」
 彼女がそう言うと、予想通りのタイミングでアースが口を挟んだ。彼はカイキの後ろでいつもの仏頂面をしている。
「ああ。でも今は仕方がない。無理は承知だ」
 やはり微笑みながらレーナは答えた。それでも疲れは隠しきれないらしく、顔色はいいとは言えない。
「まったく……」
 そうつぶやきながら、アースはすたすたとカイキとネオンの間をすり抜けて彼女の側まで行くと、その頭を優しくなでた。
「そんな妙なもの作らずに、少しは寝たらどうだ?」
「ありがとうな。でも今は無理だ。今はまだ」
「じゃあいつだ?」
「え? あ、そうだな……」
 そんな二人のやりとりを横目にして、白けた顔でネオンはつぶやく。
「こりゃ、オレたちゃ出てった方がいいな」
「え? 何で?」
「何でも」
「おい、ネオン! ってどこ行くんだ!?」
「どっか」
 歩き出すネオンに向かってイレイとカイキは声を上げた。ネオンは投げやりに手を振って、しかし立ち止まりちらりと後ろを振り向く。
「お前らも来なきゃ意味ないじゃねえか。ほら、ええーと、とにかく外! 行くぞ」
「しゃあないな」
「え? カイキも行くの? じゃあ僕も行く!」
 ゆったりとした足取りで部屋を出ていくカイキ。イレイはパタパタと小走りで彼の後を追った。アースはドアの方を一瞥する。
「……何だ? あいつら」
 レーナが小さくつぶやいた。普通はすぐにわかりそうなものだが……いや、彼女のことだから、わかっていてとぼけている可能性もある。アースは心中でため息をついた。
「とにかくお前は寝ろ。倒れるぞ、本当に」
「ああ、倒れるだろうなあ、そのうち。その時は頼む」
「頼む、じゃない!!」
 彼はあきれかえってどうしたらいいかわからず……結局彼女を抱きしめることに決定した。三人の好意に甘えてだ。
「ちょっ、おい、アース!」
 レーナは眉をひそめて声を上げた。と、同時に気配を感じて、彼女は目だけでドアの方を見る。
「……お取り込み中みたいだな」
 そこには妙に白けた目の青葉がいた。
 とんでもないものを目撃した、とその顔が語っている。
「何か、用か?」
 青葉の声に気を取られて機を逸したアース。その隙をついて彼女は彼の腕を離れ、そう尋ねた。
「いや、別にいいんだけど……ただちょっと確認したいことがあっただけだから」
「だからそれは何だ?」
「……いや、ただここの住人が一人増えるってこと」
「増える? われは別にかまわんよ。誰が来ても」
 彼女はにっこりと微笑んだ。反対にアースは今にも射殺しそうな視線で、青葉をにらみつけている。
「……わかった。それじゃあ、し・つ・れ・い・し・ま・し・た」
 不機嫌な足取りで青葉は歩いていった。レーナは、隣から発せられる怒りのオーラを何とか無視して、ドアの方へ向かう。
「おい……」
「一応、確認してくるだけだ、誰が来るのか。大丈夫、すぐ戻ってくるから」
 彼女はとびきりの笑顔でそう答えた。アースは黙り込む。
「じゃあな。あ、薬には手をつけるなよ?」
 彼女の去っていく背中を見つめながら、彼はうめいた。
 ……してやられた気がする。
 そして彼は青葉への報復を固く決意した。



 白い、巨大な建物が見えてきた。直線と曲線の融合した優美なフォルム。何ら飾りはないのだが、それでもその建物は美しかった。
 ジュリはあらためてその基地を眺め、簡単のため息をもらす。その隣で目を大きく見開いた少女は、彼女の袖を引っ張り言った。
「す、すごいねお姉ちゃん! あれがその基地!?」
「はい、そうですよ」
 ジュリは答える。そしてはしゃぎながら歩く妹を見て、彼女は微笑んだ。
 すいませんね、寂しい思いをさせて……。
 そう心の中でわびながら。
 ジュリの妹であるメユリは、まだ十歳であった。とは言え、物覚えの良い彼女は家のことは何でもできるし、しっかりしている。現に、半年以上一人で生活してきた。
 神技隊に選ばれたときはひどく動揺しましたが……結果的にはすぐに戻ってこられて、本当に良かったです。
 もうこれで、この暗い気持ちを抱かなくて済むのだと思うと、ジュリは嬉しかった。今後の生活がたとえどんなものになろうとも、大丈夫、ずっとましである、と。
「あれ? 入り口のところに、誰かいるよ?」
 メユリの声で、ジュリはその方を見た。ドアの前には、不思議なくらいの笑顔をたたえたよつきが立っている。
「隊長ですね」
 ジュリはつぶやく。最初はコスミたちに強制されただけだったはずのこの呼び名も、今はなじんでしまっている。彼女は内心苦笑する。
 メユリはちょっと首を傾げた。
「よつきさんです。私の所属する、第19隊ピークスの隊長ですよ」
 ジュリは妹の疑問の気配を察して、そう説明した。メユリはコクリとうなずく。そんなことを言ってる間に、二人はよつきのすぐ側まで辿り着いていた。
「隊長、待っていたんですか?」
「ジュリがいないと暇ですからね、わたくし」
「……やろうと思えばいくらでもすることはあると思いますが」
 上空を飛び交うそんな会話を聞きながら、メユリは目の前の男性を見上げる。
 くせのある軽やかな金髪。体つきはしっかりしているが、物腰は柔らかい。瞳は綺麗な青。
「あ、ええと、妹のメユリです」
 そこで言うべきことに気がついて、ジュリは付け加えた。メユリは慌てて礼をする。
「わたくしはよつきです。よろしくお願いしますね、メユリさん」
 よつきはそう言って笑いかけた。顔を上げたメユリも微笑み返す。途端に嫌な予感がして、ジュリはすぐさま口を開いた。
「滝先輩から話はいってるんですね?」
「ええ、それはもう早急に。みんな知っていますよ。あ、でも大丈夫です。リン先輩が、騒がないようにとビシッと言ってましたから。とりあえず中に入りましょうか」
 三人は歩き出した。
 廊下は静かであった。修行室から響く足音だけが、その空間を満たしている。
「部屋は空いているところでいいですよね? あ、もちろんジュリと同じ二階ですよ」
 よつきの言葉に、メユリは嬉しそうにうなずく。ジュリは再び危機感を覚えて眉をひそめた。
 ……まさか、コブシさんたちと同じように、変な病気にかかりませんよね……?
 突然生まれたこの不安。メユリは大丈夫だと信じてはいるが、脳のどこかが危険信号を発している。ジュリはそう感じて内心息を呑んだ。
「まずは、やっぱり滝先輩のところに行きましょうかね」
「あ、そうですね」
 しかし彼女はその心配を奥に押し込んで、穏やか微笑みでよつきにそう返した。
 私が気をつければいいだけの話です。
 彼女は力強く、心中でそう言った。

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