white minds
第十八章 追い求めるもの‐2
ミケルダは陽気な足取りで歩いていた。軽くウェーブのかかったその髪が、そよ風に揺れる。時折くるくる回りながら鼻歌など歌う彼に、シリウスはあきれた視線を送った。
「そんなに嬉しいか?」
「あれ? シーさんは嬉しくないんですか?」
ミケルダは目を丸くさせて後ろを振り返る。彼の子どものような瞳を見下ろして、シリウスは苦笑した。
「しかしそれは浮かれすぎだと思うが」
「そうですかねえ? ちゃんと感情表現はした方がいいと思うんですけど、オレは」
そんなことを言いながら、目標の建物、その入り口を発見すると、ミケルダはにんまり笑った。
「それじゃあオレ先行きますよ? いいんですか? オレが先に会っても」
「勝手に言っていろ」
「つまんないなー、シーさんは」
二人は神技隊の基地に向かっていた。ここ一週間は訪れてはいなかったのだが、それもひとえにこの日のためである。
そう、全ては口うるさい『産の神』を言いくるめて来るために。
「それにしてもカール大丈夫ですかね? あの仕事終わらせられると思います? シーさん」
先ほどまでの不満顔とは打って変わって、ミケルダは心配そうに尋ねた。
「終わることは終わるが、後は時間の問題だろうな。その総当たり戦とやらがどのくらいかかるのかにもよる」
「ですよねえ」
彼らのような『神』が頻繁に『下』へ降りるのを、産の神たちは快く思っていなかった。不必要な馴れ合いは、いざというとき決断を鈍くする、そう考えているのである。いざというとき人間を切り捨てる決断を。
だからこうやって神技隊に会うにもそれ相応の理由が必要となる。
「せっかくのシーさんの交渉も、オレ止まりですもんね。カール怒ってるだろうなあ」
「仕方ないだろ。お前は仕事上しょっちゅう下にいるから、あきらめてるんだろ、あいつらも」
「うわ、本当ですか? あ、ってことはこれかららもちょこちょこ遊びに行けるんだ、オレ」
「……おい。今回は、神技隊の修行の成果を見る、という名目があるから行けるんだ。わかってるだろうな?」
「はいはーい! わかってますって。でも宮殿をちょーっと抜け出せば、オレはいつでも行けるし」
ミケルダは依然としてはしゃいでいた。再びあきれた顔で見るシリウスを横目に、彼は走り出す。基地の入り口はすぐそこだ。
「おはようさーん!」
なめらかに開いたドアの中に滑り込み、ミケルダはそう言った。すると食堂から数人が顔を出す。
「あ、ミケルダはんや」
「それにシリウスさんも。おはようございます」
にこやかに手を振るミケルダを見つけて、すいはつぶやいた。続けて現れたシリウスには、青葉が声を掛ける。
「あれれー総当たり戦とやらは?」
「今もやってますよ。さっき滝にいのが終わったところで」
ミケルダは尋ねながら食堂の中をのぞき込んだ。答えたのに無視される格好となって、青葉は顔をしかめる。ミケルダは、すぐ側のテーブルについている梅花を見つけて微笑みかけた。
「やあ! 梅花ちゃん! どうどう調子は? 勝ってる?」
「まだ戦ったの一回だけですよ? 勝ちましたが」
「さっすがオレの梅花ちゃん!」
「オ・レ・のー?」
「ミケルダさん、またそういうわけのわからないこと言わないでください」
さわやかな笑顔で梅花の肩に手を置いたミケルダは、青葉からきつーくにらまれた。当の梅花からは白けた目線だ。
「……ミケルダ、口は災いの元だぞ? 少しは考えたらどうだ」
「えー? オレ何か言いました?」
シリウスはミケルダの側まで行くと、その首根っこを掴まえた。そして梅花の方を見る。
「ほとんどの奴らは修行室か?」
「あ、はい。試合待ちだったり見物だったり。なんか催し物のノリですよ、みんな」
「なるほどな」
シリウスは食堂の中を見回した。ここにいる神技隊は全部で六人。皆水分補給といったところか。
「じゃあ行くぞ、ミケルダ」
「え? ずるいシーさん、自分のがいるか……ぐほっ!」
シリウスに強引に引っ張られる格好で、ミケルダは去っていった。その姿を見送りながら、青葉はにやけた顔をする。
これでまた邪魔者は消えた!
彼がそう思って振り向くのと梅花が立ち上がるのは同時であった。青葉はきょとんとして彼女を見る。
「修行室行ってくる。何か気になるから」
ぬぁ!?
青葉は危うく叫びそうになるのを堪えて、無理矢理笑顔を作った。心の中では舌打ちしながら、それでも元気よく立ち上がる。
「あ、じゃあオレも!」
「わても行く!」
青葉がそう答えると、すいも満面の笑みで手を挙げた。梅花は、そう、とだけ口にして歩き出す。
二人は慌ててついていった。
「なかなかにぎやかにやってるな」
「ん?」
突然声を掛けられて、レーナは横目で右を見た。
「まあな」
そして彼女はにっこり微笑む。声の主――シリウスに向かって。
ぬぁ!?
彼女の側で試合を観戦していたアースは、すんでのところでその叫びを飲み込んだ。『オリジナル』が同じことをしていたとは知らずに、彼は眉をひそめる。
何故お前がここに――!?
彼の怒りを知ってか知らでか、二人は談笑なんかをし始める。いや、実際は談笑とは少し違うのだが。
「今は何試合目だ?」
「えーと、六試合目だな」
「出来は?」
「まあまあ。結構やってくれてるよ、あいつらも」
「それはよかった。が、お前の方はよくなさそうだな?」
「われがよくない? そうか?」
「今にも倒れそうな気がする」
「それは何人にも言われてるなあ。うーん、そんなにひどいか? まいったな」
「ならもっとそれっぽい顔をしろ」
「それは無理な相談って奴だ」
意識の一部は試合に残しながら、レーナは声を上げて笑った。その長い髪がさらさらと揺れる。不満と苛立ちで会話が聞こえないアースは、ただ彼女の横顔をじっと見ていた。
と、そこに――――
「レーナ」
嬉しそうに少し微笑みながら、小柄な少女が駆けてきた。黒く長い髪を後ろでまとめた少女――梅花が。
「ああ、梅花。どうした?」
「どうしたって言うか、レーナ、大丈夫? 何か色々ひどいことになりそうだから来てみたんだけど」
梅花はそう言って、周りを取り巻く面々を見回す。シリウスは笑いを無理矢理飲み込んだような顔をしているが、アースはあからさまに不機嫌であった。アースの前にいるイレイは、試合に夢中である。その他は、皆、話が聞こえない程度の距離にいた。
一触即発。
梅花の頭にそんな言葉がよぎる。
「あ、梅花ちゃん、来てくれたんだ」
すると左の方から声がして、彼女は振り向いた。さっき別れたばかりのミケルダが、笑顔でやってくる。
「新しい子いるね、名前なんていうの?」
「新しい子……? ひょっとしてメユリちゃんのことですか? ダメですよミケルダさん、子どもを口説いちゃ。それにジュリに暗殺されますよ。今試合中ですけど、確実に実行しますよ、彼女は」
梅花は醒めた目で彼を見る。彼は目を丸くして、
「やきもち?」
とつぶやいた。もちろん、彼女は完全に無視である。そのまま視線を逸らすと、梅花はため息をついた。
「あ、梅花!」
同じく左方から彼女を呼ぶ声がした。その主はすぐにわかった。が、彼女は段々面倒になって、そちらは向かずに口を開く。
「何? 青葉」
駆けよる青葉の顔がひきつったのは誰の目にも明らかであった。うなだれた青葉は速度をゆるめ、立ち止まり、何気なく横を見る。
そして思いっきりアースと目を合わせてしまった。
「バカが」
「ぬぁっ!?」
不機嫌度マックスのアースは、すわった目でそうつぶやいた。青葉は声を上げる。お互い、今にも戦闘を始めそうな勢いである。
一触即発ではなく触れてしまった二人を見て、シリウスはレーナの肩を叩いた。レーナは彼を見上げ、嘆息しながらうなずく。
「おい、アース、青葉、こんなとこで争うのは止めろ」
彼女はにらみ合う二人に割って入り、そう言った。突き飛ばすわけにもいかず、青葉は渋々拳を引っ込める。だがアースの行動はそれとは違った。彼は右手を伸ばし――――
「は?」
彼女の体をからめ取った。
『……』
その場をしばし沈黙が包む。
アースは右を見て、小さく、しかしはっきりと言った。
「こいつはわれのだ」
『……』
再び訪れる静寂。アースの視線を受けたシリウスですら、言葉に詰まっている。そんな中、背後から抱きすくめられたレーナは、一言だけ発した。
「アース、われはものじゃない」
「って言いたいのはそれだけかよ!? レーナ!」
思わず突っ込んだ青葉のおかげで、ようやく時は動き出した。
何か空気が変わる気配を感じて、レーナは中央の方へ目をやる。
その一瞬後、修行室に鈍い音が響き渡った。彼女はすかさず右手を軽く挙げる。
「そこまで! 一名戦闘不能により、よつき、ジュリ組の勝ちだ!」
彼女は叫んだ。
修行室の中央当たりでジュリが立ち止まる。よつきは膝をついているホシワに手をさしのべた。ホシワの相棒であるミツバは、壁にもたれたまま気を失っている。
よつきはにこやかに笑った。
「やりましたねえ、ジュリ。わたくしたち勝ちましたよ?」
「そうですね、隊長」
「ところでジュリ、わたくしすごーく言いたいことがあるんですけど」
「わかってます、隊長。思いっきり言ってやってください」
二人はひとしきり微笑み合った後、パッと振り返った。よつきは笑顔のまま、しかし何とも言えないオーラを放ちながら口を開く。
「わたくしたちが戦っている間に何してたんですか? レーナさん」
レーナを見つめるよつき。その口調は鋭かった。
しかしそれは非難と言うより、好奇心の色を強く帯びていた。
隙をついてアースの手から逃れると、レーナは小首を傾げながら二人に笑いかける。
「試合を感知しながら状況説明して、ケンカの仲裁して、そして捕らえられた」
彼女はそう説明した。
修行室中の視線が注がれている中、彼女は何も感じてない様子でパタパタと手を振る。仕草は妙にかわいらしい。
「じゃ、ほら、救護班頼む。治療室へ」
「お、了解!」
「救護班出動しまーす」
場の空気には惑わされずに、カイキとネオンがミツバのもとへ走り寄った。金髪の小柄な少年が運び去られるのを見ながら、レーナは一歩前に出て叫ぶ。
「さっ、次はシン、リン組対アサキ、よう組だ。早く準備しろよ!」
そんな彼女の後ろ姿を見ながら、梅花はつぶやいた。
「つ、強いわ、レーナ……」
梅花は、自分の横顔を見つめて青葉が嘆息していることなど、全く気づかなかった。