white minds

第十八章 追い求めるもの‐4

 遠のく足音を背にして、レーナは壁に紙を広げていた。勝敗を書き込むごくごく単純な表である。
 先ほど丁度二十七試合目の決着が付き、今日の分は終了となった。今し方神技隊が修行室を出たところである。先ほどまでの喚声と打って変わって静まりかえったこの部屋は、ひどく広く感じられた。
 そんな中、表の中身を埋めながら彼女は口を開く。
「あいつら、大分強くなってただろ?」
 その質問が自分に向けられたものだと気づき、シリウスは答えた。
「確かにな。この短期間ではよくやっている」
 壁にもたれかかったまま、シリウスは彼女の横顔を見る。どこか嬉しそうで、けども悲しみを内に秘めている横顔。続けて彼は、彼女の側に座り込んでいるアースに目を向けた。
 不機嫌きわまりない。
 愛用していると思われる刀のようなものに目を落とし、アースは黙り込んでいた。彼の周りを取り囲んでいる『気』がその苛立ちを如実に表している。
「うん。まあ、負けず嫌いが多いことで」
 レーナはそう言って笑った。全てを書き終えたらしく、彼女は顔を上げると、首もとの布をただしてシリウスを見る。
「この調子で行けば、お前が戻る前には、全試合を終えられそうだな」
 彼女は安堵した様子で言った。するとシリウスの口から思わぬ言葉がついて出る。
「もっと……いた方がいいか?」
 レーナは目を丸くした。しかし驚いたのは彼自身も同様だったようで、はっとして眉根を寄せている。アースが顔を上げる。
「はは……。そういうわけにはいかないだろ? 悪い。どうやらわれ、無意識の危険信号まで発しているみたいだ」
 彼女は苦笑しながら頬をかいた。アースが立ち上がり、彼女の肩にそっと触れる。彼女は軽くうなずいた。
「無理の……しすぎか? 前よりかなり弱くなってるが」
「無理しすぎて弱くなってるんじゃない。弱くなったから何をしても無理になってしまうんだ」
 シリウスの言葉に、レーナはそう答えた。シリウスは再び眉をひそめる。
「じゃあ、何故そんなに弱くなっている?」
 彼の問いは、今度はアースを困惑させた。『弱い』という言葉が、アースには理解できなかった。彼にとっては今でも彼女は十分強く、またこれ以上の強さというのも想像できなかった。
「たぶんだが――」
 レーナが口を開く。
「オリジナルを、梅花を守るための、ある種の制御が働いているんだ。余りにも似通った『気』は、引き寄せ合ってしまう。われの気は、梅花の気を無理矢理引き出してしまう可能性がある。まだその準備が出来ていない体から。下手すると命に関わるだろう。だからたぶん、そうさせないために、『彼女』が制御してるんだ。今のわれは、精神容量は本来の半分以下だし、一度に使える量すら制限されている」
 レーナの説明を聞き、シリウスは再び眉根を寄せる。
「精神容量が半分以下というのは嘘だろ? お前の気からは、確かに以前と同じ強さを感じる」
 間髪入れずに突っ込むシリウスに、レーナは苦笑した。アースが目を細める。
「正確な表現ではなかったな。確かに内に蓄えられている精神は、以前と変わらない。だが、その半分以上が、いわば封印されたような状態になっている。あるにはあるが使えない、というわけだ」
 彼女はそう説明すると、パタパタと手を振った。まあ、気にするなよ、という意味を込めて。シリウスは嘆息する。
 半分以上精神が使えない。それがどれだけ衝撃的なことか、彼にはよくわかった。それがどれだけうろたえるべきことか、嫌と言う程。神や魔族にとって『精神』とは体と同義である。突然精神が半分使えなくなるのは、突然半身が動かなくなることと同じなのだ。
「……よく生きてきたな」
「ん? そりゃまあ何とかな。毒にやられて危ないときもあったが。でもまあ、さすがに慣れてきたな、最近は」
 シリウスがうめくと、レーナはそう言って微笑んだ。アースが奥歯をかみしめ、無意識に手に力を込める。レーナははっとして彼を見上げた。
「アース……気にするなよ?」
 彼女は小首を傾げ、心配そうに顔をゆがめて彼の手を優しく握った。アースは自分の姿が彼女の瞳に映るのを見つめながら、言葉を探す。しかしうまく見つからない。
『毒』
 その言葉を不用意に口にしたことを、彼女は悔いた。そして浅はかな自分を苦々しく思う。
『前の代』については、せっつかれて既に話してしまっていた。自分が彼らを気にかけたがために、毒を浴びたこともだ。『前の代』。この別とも同一とも言えない『存在』。それを気にかけているのは自分だけではないのだ。彼女はそう思い、目を細める。
「な?」
「ん……あ、いや、大丈夫だ」
 彼女が微笑みかけると、アースはどうにかそう答えてうなずいた。握られた手に神経が集中しているのがわかるのだが、彼はそれを顔には出さず、もう一方の手で彼女の頭をなでる。指通りのよい柔らかい髪が、さらりと揺れた。
「……気持ちはわかるが、人前でいちゃつくな」
 シリウスは半眼で言った。アースはこのまま彼女を抱きしめてやりたい衝動に駆られるが、彼がそうするより早く、彼女はぱっと手を離して口を開く。
「あはは……悪い悪い。色々あるのでな」
「想像はできる」
「それはありがたい」
 どんな想像だ!?
 アースは胸中で絶叫した。何故か不思議とわかり合っている二人に、苛立ちさえ覚える。
「それが『心の神』と呼ばれるゆえんなのだよ」
 そんなアースを再び見上げて、レーナは言った。アースは眉をひそめる。
「今、何で通じるのかって思っただろ? つまりそういうこと。『気』やあらゆることから、感情を察知する能力が極めて高い、それが『心の神』と呼ばれる者」
「……でもお前は神じゃないだろ?」
「うん、そうだ。だがまあ、似たようなものだな」
 突如彼女の口からもれた『心の神』という言葉。耳にしたのは初めてではなかったが、アースはやはり顔をしかめていた。
 一歩譲って似たようなものだとしても……。察知とはどの程度だ?
 自分の感情がこの二人に筒抜けだとすると、かなり気持ちが悪い。彼はそう思い、ひどくげんなりする。
「あ、大丈夫。全部じゃないぞ?」
「怪しいな」
「おいおい、信じてくれないのか?」
 レーナはくすくす笑って再び彼の手を取った。そして微笑みかける。
「われは嘘は言わないぞ? ごまかすことはあるが」
『信じられん』
 するとアースとシリウス、二人は揃って声を発した。それはお互い予想外だったようで、アースはあからさまに嫌そうな顔をし、シリウスは皮肉げに口元をゆがめる。
「ひどいなぁ」
 レーナは苦笑していた。そして言葉を失った二人のことなど気にしない様子で、彼女は歩き出す。
「さて、じゃあそろそろお開きだ。明日もあることだしな」
 立ち止まって、彼女はそう言った。いつもの笑顔で。
「負けず嫌いなあいつらのために頑張るとしよう」
 それはやはり、悲しく優しく、けれど強さを秘めた笑顔だった。




「どぅえーっ!?」
 ドアを開けた瞬間鳴り響いた音に、サツバは思わず声を上げた。明日の試合の打ち合わせをしようと、北斗に言われてやってきたのだ。
 彼は目をパチクリとさせる。
「サツバ! お誕生日おめでとーう!」
 リンが叫んだ。その手には、あちらの世界で時折見かけたクラッカーが握られている。彼女の後ろには、同じようにクラッカーを手にしたシン、北斗、ローラインがいる。
「誕生……って、あ!」
 今日は十一月一日。自分の誕生日だということにを、サツバはようやく思い出した。思い出して唖然とする。
「お前ら、覚えてたの?」
「あったりまえでしょー!」
 リンは意気揚々と答えた。ものすごく嬉しそうである。
「ちなみに企画したのはリンさんです」
「だろーよ」
 ローラインがそう付け足すと、サツバは胸がいっぱいになり目をそらした。すかさず北斗が立ち上がり、サツバのもとへ行くとその肩を押す。
「まあまあ。とりあえず座れよ。ご馳走は何にもねえけどな」
 北斗の言葉を聞き、サツバは簡易テーブルの上へ視線を移した。盛られているのは色とりどりの果物。甘い香りが胃袋を刺激する。
「ケーキ作ろうにも材料ないしね。夕食もすませちゃってるからフルーツだけ。みすぼらしくてごめんね」
「バーカ、オレを太らせる気かよ」
 サツバは勢いよく空いている席についた。見覚えのある椅子だなと思って見てみると、どうやら食堂のものらしい。わざわざこっそり運んできたのだろう。
「さあ、では皆さん早く食べましょう。明日もあることですし」
 ローラインが微笑む。シンが全員にジュースをついでいく。
「でぇー、ガキじゃないんだぜー」
「酒は無理だろ? 明日あるのに」
「何だよシン、真面目ー。つまんねぇーの」
「あららー、子どもじゃないんだから文句言わないの」
「そうです、美しくない」
 会話は弾んだ。それは久しぶりに楽しい時間だった。この基地で暮らし始めてから、重い使命を課されてからは、なかなかすごせなかったひととき。
 北斗の部屋からはしばらく、笑い声が絶えなかったという。

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