white minds

第十九章 意識‐1

 その部屋に足を踏み入れた時、まず気づいたのはほのかに漂ういい香りだった。
 青葉はゆっくりとした足取りでその香りの元へと近づいていく。
「また滝にいはここでくつろいでるわけね」
 青葉がそう言うと、大きな椅子に腰掛けている滝が、コーヒー片手にうなずいた。すると揺れたコーヒーからまたいい香りがほんのり沸き立つ。
「悪いか?」
「いやぁ、そりゃ別に誰も困らないし。っていうか慣れたし」
 滝が余裕たっぷりに答えると、青葉は肩をすくめて適当に相槌を打つ。
 ここは司令室。別に何の指令も出してるわけではないのだが、何故かそう呼ばれるのが当たり前となっていた。通常は三交代制で、いざというときに備えて十人が待機することになっている。だが昼間はそれ以外にも数人いるのが、これまた慣例となっていた。特に滝とレンカは食事と修行時間以外はほとんどここにいる。
「滝はここがしっくりくるのよねえ」
 すると今日もやはり司令室にいたレンカが、コーヒーカップを持ちながら微笑んだ。彼女は、ねっ、と誰にともなく同意を求めて横を見る。その彼女の視線に気づいて、ホシワが振り返った。彼は曖昧な笑顔を浮かべてうなずく。
「で、青葉。お前は冷やかしのためだけに来たのか?」
 滝はそう聞きながらにやりと笑った。
 わかってるのにわざと聞いてる。
 青葉はそう思ったが、うまく言い返せる言葉も見つからないので正直に答えることにする。
「ええーと滝にい、梅花知らない?」
 ほら来たと言わんばかりの顔で滝はカップを持ち上げた。不満そうな青葉の顔を見ても動じることはない。
「さっきまでそこにいたぞ? あ、リンに聞いてみろ。ずっと話してたから知ってるかもな」
 意味ありげな滝の声音に青葉は表情を険しくする。だが彼は渋々とその助言通りリンのもとへ向かった。
「リン先輩」
「ん?」
「梅花どこ行ったか知りませんか?」
 青葉が尋ねると、嬉しそうにリンは笑った。その笑みがまた怪しくて、青葉はまた嫌な感じを覚える。
「知ってるわよ。さっき急にレーナたちがなんたらかんたらとか言いながら出てったから、レーナのとこじゃない? 何か起きそうなのよきっと」
 リンはそう言って、ねーっ、と後ろのシンに同意を求めた。シンは一瞬青葉をにらみつけるようにしてから小さくうなずく。邪魔するなと言わんばかりの顔だ。
「あ、そうですか、わかりました」
 青葉はそう答えると足早に司令室を出た。
 これ以上いたら何言われるかわからない……。滝にいやリン先輩にからかわれて、しまいにはシンにいにどやされるとか。
 そう思いつつ彼は修行室へと足を運ぶ。
 レーナがいる場所といえば修行室か『裏側』か彼女の部屋のどこかであった。神技隊では、整備補佐として働いているアキセ以外は『裏側』へ入ることはできなかった。理由は簡単、迷うからである。修行室から出入りできるその『裏側』にこの基地を動かす仕組みがあることは間違いないのだが、どうなってるのかはさっぱりわからなかった。もちろんこれは梅花とて同じはず。
「梅花!」
 青葉は修行室のドアを勢いよく開けた。そして白い空間の端の方に、目的の少女の姿を見つけて声をかける。
「あ、青葉。丁度いいところに」
 梅花は振り向いて彼を手招きした。青葉は嬉々として彼女のもとへと駆けつける。
「この二人、何とかしてくれる?」
「……何とかって」
 青葉はゆっくりと梅花の指さした方を見た。そこには今にも火花を散らさんばかりの勢いでにらみ合う、アースとレーナの姿がある。
「寝ろ」
「嫌だ」
 二人の発する言葉といえばそればかり。青葉は眉をひそめて梅花を見た。
「えーとつまりいつものパターン。レーナが疲れてるからアースは寝かせたいんだけど、レーナは嫌だって」
「寝かせたいって……おい」
 梅花は困り果てた顔でそう言うと、ため息一つつく。青葉は仕方なく二人の方をゆっくりと向いた。
「レーナ、お前は子どもか。疲れてるんなら寝れば?」
「青葉、お前までわれを寝かせたいのか。われは断じて疲れてなどいない」
 青葉の言葉に、レーナは振り返って不満そうに答えた。そしてこう続ける。
「こんなの疲れてるうちにははいらん。本当に疲れた時は倒れるから大丈夫だ」
『大丈夫じゃないだろ!』
 アースと青葉、二人の声が重なった。同じ声なだけによく通る、というよりも干渉で二倍の迫力だ。レーナは耳をふさぐ。
「また倒れる気かお前は! その前に寝ろと言ってるんだ寝ろと!」
 苛立ったアースが背後からレーナを抱きしめた。青葉は複雑そうな表情でレーナと梅花をちらりと見る。
 むかつくけどうらやましい奴……。
 最近の青葉にとって、アースとはそういう存在であった。会えば毒舌を浴びせられ、そしてこのように見せつけられる。どちらも彼の体にはあまりよくない。
「一つ聞いていい? レーナ」
 抱きしめられたまま顔をしかめているレーナに、梅花はそう問いかけた。レーナはうなずく。
「基地は完成したし、一応生活も安定してきたし、で、レーナはいつも何やってるの? その、疲れる原因がわからないんだけど」
「……オリジナルまで疲れてるが前提なのだな」
 レーナは苦笑した。アースはその手をゆるめ、ゆっくりと彼女の頭をなでる。
「われは特に何もやってないぞ?」
「嘘つけ。あれ作って欲しいだのこれ作って欲しいだの頼まれてるだろ、お前。使い方教えろだとか。あと裏側の点検とかもよくやってるし」
「アース、それは日常の業務というんだ。雑務だ雑務。掃除と同じだ」
 レーナとアースのやりとりを聞きながら、青葉は心底思った。
 ……レーナと梅花って、本当同じだな。やることなすこと。
 彼は一年前を思い出す。
 仕事のうちにはいらないと言い張って梅花は一人で黙々と作業をしていた。他人の心配は全くお構いなしに、だ。
 うん、やっぱり似てる。
 彼はそう結論づける。
「まあ、気を抜けない状態なのは事実だけどな」
 レーナはぽつりとそうもらした。
 青葉と梅花、二人ははっとして彼女の方を見る。
「たぶん、そろそろだから」
 彼女の言葉は、その白い空間に瞬く間に吸い込まれた。



 この辺りでは冬と言っても差し支えない時期故に、日が落ち始めるのは早かった。先ほど四時を回ったところだが、既に空は赤く染まっている。
 モニター越しに茜色の空を見上げて、レンカはため息をついた。
「どうかしたのか?」
 滝が不思議そうに問いかける。先ほどまではいつも通りにこにこしていたのだから、彼が疑問に思うのも無理はない。
「何て言うか、こう、嫌な予感がして」
 レンカのその言葉に、司令室の空気が一瞬で変わった。
 嫌な予感。
 レンカがそう言うと、百発百中、何かが起きるというのはダンたちが以前主張していたことである。待機中のメンバーもそれを覚えていたのだろう。
「まさか……来るのか……?」
 滝がそう言い終わるか終わらないかという時に、けたたましい警報が鳴り響いた。
「滝先輩! 今何者かが上空の結界を突破しようとしてます!」
 コンソールを叩きながらリンが叫ぶ。
 モニターの映像が切り替わり、黒い画面に赤い点が二つ、怪しく光り出した。
「魔族だ!」
 そう言いながらレーナが司令室に飛び込んできた。彼女は滝の座る椅子に手をかけて、彼を見る。
「数は二。どうやら巨大結界に手を焼いてるようだな、レベルは下級ってところか。おそらく一組出れば勝てる」
 彼女はそう告げる。
「滝先輩……」
 北斗がモニター前の椅子から不安そうに滝を見上げた。滝はちらりと右のレンカを見る。彼女は全てを見透かしてるかのように、微笑んでうなずいた。
「よし、わかった。初っぱなだから無理せずいこう。シン、リン、ホシワ、ミツバ、出られるか?」
 滝の言葉を聞き、四人は立ち上がった。
「もちろん。行くぞ、リン」
「はい、了解!」
「ミツバ」
「うん!」
 そして四人は走り出す。
「結界、突破しました!」
 モニターを見ながら泣きそうな声でコブシが叫んだ。そんな彼を落ち着かせるかのように、ローラインが彼の肩を叩く。
「大丈夫ですよ、コブシさん。皆さんはきっとやってくれます。美しい」
 そう言いながら。
 司令室の、いや、基地中の者の意識は、戦闘へ赴く四人に向けられていた。

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