white minds

第十九章 意識‐5

 見られてる……。
 梅花は何度目かになるその言葉を、また心の中でつぶやいた。
 居心地が悪い、というよりも妙な気分になり、彼女は辺りに視線をさまよわせる。
 まだ見てる……。
 それでもちょっと気になり、彼女はちらりと様子をうかがった。だがやはり青葉は彼女を見ていた。梅花は眉根を寄せる。
 今はまだ夜の八時半頃で、彼らの待機時間ではなかった。だが司令室の様々な機能を使いこなそうと思い、彼女はここに来てレーナの書き残した膨大な資料に目を通しているのである。青葉はそれについてきただけのはずだったのだが……。
「……あ、青葉、何か用?」
「ん? いや、何にも」
「……じゃあ何で見てるの?」
「見ていたいから」
 さっきからこの問答の繰り返しであった。困り果てた彼女は助けを求めたい気分だったが、生憎それは無理なようである。もともと弱気なコブシ、コスミでははなから期待できないし、頼りになりそうなシンやリンは何やら楽しそうにお喋りに興じている。滝とレンカは真剣な話し合いの最中であるし、ヒメワやローラインは期待する気にもなれなかった。ホシワ、ミツバ、北斗、サツバにいたっては、わかっていて無視を決め込んでいるふしさえある。
 今日、何かあったかな……?
 梅花はそれまでのことを思い返してみるが、理由は全く思いつかない。いつも通りの一日だった。この間の魔族の襲撃から三日たつのだが、これといった異変もない。基地内もいたって平和である。
 本当、よくわからないわ……。
 梅花は心底ため息をつきたかった。まさか青葉が、困ってる梅花って可愛い、という馬鹿な考えでそんなことを続けてるなんて、彼女は夢にも思わないだろう。
 まだ見てるし……。
 またもや閉口する梅花。そんな彼女に救いの手をさしのべたのは、皮肉にも響き渡る警報だった。
「魔族か!?」
「こんな時間に!」
 各々が所定の位置に着き、コンソールを叩く。それまで暗闇と月星を映し出していたモニターに、赤い点が煌めいた。数は三つ。
「夜となると、お前らは若干不利だな」
 司令室の扉が開き、レーナが飛び込んできた。彼女は、中央の椅子に構えている滝に言葉をかける。
「反射神経、もしくは気の感知に優れた奴。あとは補助系もいいな。いざというときの光要員に」
 そう言われた滝は、指令室内を見回した。そしてすぐに決断する。
「青葉、梅花。ヒメワ先輩にローライン。いいか?」
 問われた四人は一斉にうなずき、出口へと走り出した。先ほどまでとはきっちり頭を切り換えたらしい、駆けながら梅花は真顔で青葉を見る。
「私が落とすから、あなたが倒して」
「了解!」
 青葉の返事は勇ましかった。梅花はちょっと微笑み、後ろの二人に目を移す。
「先輩たちは援護を」
「わかってますわ」
「美しい」
 微笑み返すヒメワ。ローラインの言葉は返事なのかどうかわからなかったが、彼の表情からするとどうやら異存はないようである。
 基地を出ると、ひやりとした空気が彼らを刺激した。もうすぐ十二月。夜ともなればかなりの寒さである。彼らは簡単な結界を体にまとわせ、冷気を遮断した。
 と、その時、
「来る!」
 梅花がとっさに両手を真上に掲げた。同時に上空から光の雨が降り注ぐ。しかしそれらは彼女の張った結界によって無惨にはじき飛ばされた。
「ご挨拶ってところかしらね。出所はばれてるみたい」
 梅花はつぶやく。
 その言葉が戦闘開始の合図となった。
 再び襲いかかる光の雨を、今度はヒメワの結界が防ぐ。その隙に青葉は剣に精神を込め、梅花と目を合わせた。
「大丈夫」
 梅花が微笑する。それを確認してから青葉は大きく地を蹴った。
「行け!」
 声とともに梅花が右手を前に突き出す。暗闇で目はあてにならないから、頼りになるのは『気』のみだ。だが彼女に迷いはなかった。約斜め四十五度上、その辺りに向かって彼女は技を放つ。
 青白い光が闇夜を貫いた。
 螺旋を描きながらそれは真っ直ぐ突き進む。しかしあるところでそれは急に角度を変えた。と同時に悲鳴が上がる。くぐもった男の声が静かな夜に響き渡った。
「青葉、一人落ちるからお願い!」
「おう!」
 青葉は全速力で低空を駆けた。その間にも梅花の青白い光は進み続けている。どうやら残り二人の動きを追っているらしい。光はまるで何かに弾かれているかのように角度を変え続け、闇夜に軌跡を残していた。
「この人間無勢が!」
 すると突然、そんな叫び声が響き渡った。苛立った一人が攻撃を仕掛けたようで、上空から赤い炎が複数落ちてくる。梅花はよけようとするが――――
「梅花さんは攻撃に専念を!」
 そう言ってローラインが彼女の前に飛び出した。彼は右手の鞭で炎を次々と叩き落としていく。
「捕らえた!」
 梅花がつきだした右腕を上へと掲げた。その動作にともなって青白い光が扇状に広がる。苦痛の声が二つ、もれた。
「逃がさねえ!」
 青葉が先ほどの魔族に最後の一撃を加えたのも、それとほぼ同時であった。彼の剣が小柄な魔族の胸を貫く。血の吹き出る嫌な音と悲鳴が、青葉の耳にまとわりついた。
「青葉、あと二人!」
「おう!」
 続けて梅花の声が彼の耳に入ってくる。彼は間髪入れず再び地を蹴った。地面との激突を何とか免れた一人の魔族、その大きな背に青葉の炎が襲いかかる。
「ちっ」
 青葉の炎を、その魔族は右手で何とか振り払った。そしてそのままの勢いで大きく後退する。
「ギィ、退くぞ。こいつら、夜でもかなりやれる」
「はい……」
 青葉の攻撃を逃れた大柄な魔族は、ギィと呼ぶもう一人の魔族にそう声をかけた。そしてそれを合図に、二人は上空へと飛び去った。
「逃げられましたわね」
「美しくない」
 ヒメワとローラインが青葉たちの方へ駆け寄ってくる。
「……まるで、私たちを試してるみたいね」
 月と星のみになった夜空を見上げて、梅花はつぶやいた。



「お姉ちゃん……」
 耳なじんだ声に呼び止められてジュリは振り向いた。そこには不安そうな顔のメユリが立っている。もう遅い時間のせいか人影はなく、いつもはにぎやかな廊下もひっそりと静まりかえっていた。
「どうかしたんですか? メユリ」
 ジュリは優しく微笑みながらメユリの頭をなでた。ここに住み込んでからしばらくたつ。メユリも大分この生活には慣れてきたはずである。忙しい神技隊に代わって掃除をこなすなど、なかなかの活躍ぶりだ。皆からも可愛がられている。
「その、えっとね、あのね」
 メユリは言いよどんでいるようだった。ジュリを見上げ、目をそらし、また見上げ、おどおどしている。
「メユリ、何でも正直に言ってくださいね。私は怒りませんから」
 ジュリは腰をかがめてメユリの瞳をのぞき込んだ。すると意を決したようにメユリは口を開く。
「ケンカ……してるの? みんな、何だか変な感じ」
 ジュリははっと息を呑んだ。ここ最近の妙な空気をこの小さな妹も感じているのだとわかり、彼女はいたたまれなくなる。
 緊張感と油断という相容れない空気の混合。その何とも表現しがたい重さがここしばらくこの基地を覆っていた。それが精神的なもの故、打開しようにもなかなかうまくいかない。
「いいえ、大丈夫ですよ、メユリ。心配しないでください」
 結局ジュリはそう答えてメユリの肩を軽く叩いた。正直になどと言っておいて自分はごまかしてるな、とは思ったものの、彼女にはそうするより他はなかった。
「そっか、それならいいんだけど」
 まだ釈然としてないようだが、それでもメユリはうなずいた。それから何かを思いだしたかのように目を見開く。
「あ、それとね、お姉ちゃん」
「何ですか?」
 メユリは一度小さく息を吸った。ジュリは不思議そうに首を傾げる。まだ何かあるのだろうかと心配になる彼女に、メユリは予想外の言葉を発した。
「何でお姉ちゃんはよつきさんに冷たいの? 最近冷たい、つれない、ってよつきさん愚痴ってたよ」
 ジュリは吹き出す寸前だった。顔には笑顔を貼り付けておいたものの、内心は煮えくりかえっていた。
 隊長……メユリにまた何吹き込んでるんですか。というか、つれない、って何ですか。それは隊長がメユリに妙なこと教えるからです。
 ジュリは心中でよつきに反論する。何故か、そんなーわたくしはただ話してるだけですよ、という答えが返ってきたように、彼女には思われた。たった数ヶ月のつきあいのはずだが、そう言いながら笑う彼の様子は鮮明に浮かんでくるのだった。
「……そんな、冷たくなんかしてませんよ? メユリ。それは隊長の勘違いです。ほら、私も隊長も忙しいですし」
「そっかあ。じゃあ今度よつきさんに言っておくね」
「いえ、隊長には私から直接言いますから、メユリは気にしなくていいですよ」
 ジュリの微笑みを素直に受け取ったメユリは、じゃあもう寝るね、と言って駆けていった。その後ろ姿を見送りながら、ジュリは決意する。
 やっぱり隊長をメユリに近づけてはいけない。
 彼女は拳に力を込める。
 コブシ、たく、コスミに何故か崇め奉られているよつきだが、それがメユリにも波及しそうでジュリは怖かった。最近よつきとメユリが一緒にいるのをよく見かけるし、油断はならない。
 隊長はいい人だけど悪い人です。わかってます。同じ匂いがしますから。
 ジュリの心に静かな炎が灯っているのを、まだ誰も知らない。

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