white minds

第十九章 意識‐6

 灰色の塔の中、空色の髪の青年は物思いにふけっていた。時折窓から吹き込むなま暖かい風が彼のやや長めの髪をなでていく。まるで世界から切り取られてかのような静けさ。しかし彼には何の問題もないらしい。目を細めて腕を組むその姿には優雅ささえ感じられる。
「レシガ……君ならどうする? 君なら彼女の考えがわかるのかな?」
 その青年――イーストはささやくように言った。問いに答えるはずの女はここにはいない。彼女はまだどこかで眠ったままのはずである。
「ラグナ……君ならたぶん、何も考えずに正々堂々戦うのだろうね。誰が止めようとも君も行くのだろうね。でも私にはできない。危険はおかしてはならないのだから、今は」
 彼は、まるでその当人がそこにいるかのような様子で右を見た。そしてふっと頬をゆるめる。返るはずのない言葉が彼には聞こえたような気がした。
「そう、私はまだ戦うわけにはいかない。かといってブラストみたいに放置することもできないし、プレインみたいに威圧して止めることもできない」
 彼は嘆息した。その青い瞳に宿る感情は、おそらく誰にも理解されないだろう。否、今彼が話せる者の中には存在しないであろう。上に立つ者の、そして優しき者故の苦悩。
「回りくどいとか姑息だとか、また言われるかもしれないけど、でも私にはこれが精一杯なんだ。私なりの最善策なんだ。何もしないよりは、ましだろう? なあレシガ。彼女のこと、君ならわかるのかな? 同じ女の君なら。私は動かずして彼女と戦わなければならない。あの可愛らしいお嬢さんとね。大変だな」
 イーストの独り言は続いていた。話しかけるような、かつどこか哀愁の漂う口調で言う彼の目には、確かに何かが映っていた。
 立ちつくす彼の髪を、また風がなでていった。



 先ほどシフトの交代を終えたばかりで、時計は丁度六時半を指していた。昇ったばかりの朝日がモニター越しでも輝いており、寝起きにはまぶしい。
 いつも通り司令室の席につく仲間を一瞥してから、滝は小さく息を吐いた。毎日毎日繰り返される光景。魔族の来襲が始まってからはやや緊張感が漂っていたものの、それにもまた慣れてしまった今は気怠ささえ感じられそうだ。
 緊張を保つってのは難しいな。
 彼は独りごちる。
 非日常が日常に変わる。慣れなければやってはいけないが、油断してもいけない。その微妙なバランスはとても難しい。
 彼はもう一度部屋の中を見渡した。あくびをかみ殺したような顔をした人。お喋りに興じる人。物思いにふける人。その様子は千差万別だ。だが緊張している者はいない。
「戦闘準備をしろ!」
 しかしそんな『日常』に『非日常』を持ち込む声がした。レーナである。扉から飛び込んできた彼女は滝のもとへ駆け寄った。彼女の瞳に張りつめたものが宿っているのを感じて、彼は目を見開く。
「魔族か? ……今までと違うのか?」
 彼は恐る恐る言葉を紡ぎ出す。
「違う。人数がまず違う。最低五十。気が弱すぎて確定はできないが、かなりの数だ。だが百はない」
 司令室内の空気が一瞬、凍った気がした。皆の表情が硬くなる。数だけでも、神技隊を圧倒するには十分なものであった。そんな状況の中、レーナは続ける。
「すぐに放送をかけろ。全員戦闘準備だ。どうやら奴らはまた巨大結界で手間取ってるらしい。一度に通れないからだろうな。だが時間の問題だろう。今回は全員出撃になるぞ」
 滝はうなずいた。彼が一番前の席に目を移すと丁度振り返ったサホと視線が合う。か弱そうな見た目に反して気丈な様子で微笑むと、サホはコンソールを軽く叩いた。
「緊急事態発生。直ちに戦闘準備を開始してください。魔族が迫っています。繰り返します。直ちに戦闘準備を開始してください。魔族が迫っています」
 彼女の高い声が基地内に響き渡った。皆も動揺するだろうが仕方ない。一刻を争う事態となるかもしれないのだ。
「とにかくここにいる奴はすぐに外に出ろ。他の奴らにはわれが状況を説明する。とりあえずは皆の準備ができるまでの時間稼ぎだ。いいな? 無茶はするなよ?」
 レーナは言った。不安を隠しきれないメンバーの中で、ただ一人余裕の微笑みを浮かべたレンカが大きく相槌を打つ。
「ええ、わかったわ。任せて。そのための待機メンバーだもの」
 何か不思議なオーラが彼女からは発せられていた。



「滝! 先に七人降りてくるわ!」
 レンカは走りながら叫んだ。滝がうなずくのを確認してから彼女は草原の途中で立ち止まり、上空に向かって威嚇する。
「行け!」
 掲げた彼女の手のひらから白い刃が無数、空へ放たれた。しかしそれはあちらも予想済みだったのだろう、結界の気配とともに彼女の刃はかき消える。
「いいか、時間稼ぎだからな」
 剣を構えた滝が後方の仲間に向かって再度忠告した。だがその次の瞬間、彼らは爆風に包まれる。
「くそっ、はめられたか!?」
 そう毒づく滝の声は、しかし誰にも届かなかった。爆風のせいである。巻き上がった土煙で視界も利かない。誰がどこにいるのか、それを示すのは『気』のみだ。
 !?
 かすかな技の気配を感じて滝は右へ飛んだ。彼のもといた場所に赤い刃が降り注ぐ。おそらく炎系。
「そこかっ!」
 彼は剣を振るった。すると鈍い音とともに何かを弾く感触がする。そこでようやく敵の姿が目に入った。赤茶けた髪に簡素な服装。二十代半ば程に見える大柄な男だ。手には短剣が数本収まっている。
 さっきのはこの短剣か。
 滝は低く構えた。
 負ける気はしないが、他の仲間が心配であった。すぐに片づけて駆けつけるべきだろうと彼は判断する。
「悪いがオレに当たったことを後悔するんだな」
 滝はそう言って口の端を上げた。



「げっ、何も見えねえじゃん! おい、カエリ、どこだ!?」
 爆風に包まれてラフトは慌てた。爆発の中心はわからない……というよりも爆発その物があったかどうかさえ怪しい。あったとすれば空中で、だろう。しかし土煙はすさまじいものだった。土と一緒に草も空を舞っている。
「カエリ!」
 叫ぶラフト。けれども返事はなかった。代わりに返ってきたのは幾つかの炎球である。
「うおあぁっ」
 ラフトは何とかそれをよけた。すぐに彼は精神を集中させ、周りをうかがう。しかし相手の気配は感じるのだが肝心の姿は見えないままだ。彼は苛つく。
「ラフト先輩、左に飛んでください!」
 突然、そんな声がした。誰かと意識するより早く彼は左に飛ぶ。彼の右側を白く太い光がかすめていった。すると光の進んだ先から低い悲鳴が上がる。
「レンカか!?」
 ラフトは後ろを振り返った。そこには両手を前につきだしたままのレンカがいる。今の攻撃は彼女のものだろう。
「危ねえじゃねえか!?」
「ラフト先輩ならよけてくれると思いましたので」
 レンカは不敵な笑みを浮かべてラフトを見た。彼は何も言えずに苦笑いを浮かべる。
「今ので一人片づけました。さっき滝も一人倒したからあとは五人です。でも数分で次の魔族が来ます」
 彼女はそう述べながら右手を掲げた。するとその手のひらから白い光弾が放たれる。そのまま真っ直ぐ突き進んだ白い光弾は何かとぶつかり、音を立ててはじけ飛んだ。
「どこから攻撃してくんのかわかるのか!?」
「気で」
 ラフトの問いに端的に答えるレンカ。このとき改めて彼は彼女のすごさを理解した。確かに気は感じられるが、その動きを逐一追っていられるほどの集中力を持っている者は珍しい。しかも相手は複数だ。その集中力はすさまじい。
「ラフト!」
 そこへ彼の待ち望んだ人物が駆け寄ってきた。カエリの姿を見つけてラフトは声を上げる。
「どこ行ってたんだよカエリ!」
「どっか行ってたのはラフトでしょ! ここ基地からどれだけ離れてると思ってるのよ!」
 カエリは軽くラフトの頭を叩くとレンカを見た。レンカは優しく微笑む。
「じゃあ先輩たち、ここは任せます。私はサイゾウたちの方へ行きますので。たぶんもう少ししたらリンが来て、この土煙晴らしてくれるので大丈夫ですよ」
 レンカはそう言うと地を蹴って低空を飛んでいった。残されたラフトとカエリは顔を見合わせる。
「見えないけどいつも通りやるからね」
「あったりまえだ」
 二人は背中合わせになって構えた。

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