white minds

第二十章 平凡な戦闘‐1

 初雪が降った。
 やや湿った大粒の雪がゆっくりと地面に落ちてくる。風に巻かれ、それでも重力に引かれてやってくるその姿はどことなく寂しい。
「降っちゃったわねえ。これからますます寒くなるわ」
 リンはつぶやいた。食堂から見える景色は白一色というわけではないが、それでも大半が真っ白に覆われている。日が昇れば溶けるだろうが、しかしいずれ積もるのはわかっていた。それが明日か一週間後か一ヶ月後かは定かではないが。
「だな」
 彼女の向かいの席では同じようにシンが外を眺めていた。ちょっと早めの朝食。そのせいか人はまだまばらで、いつもの騒がしい食堂といった感じでもない。そんな中だから、二人の会話はよく通った。
「なにしんみりしてるんすか、シンにい」
「ってなんだ、青葉か」
「青葉か、って……」
 青葉がシンの肩をポンと叩いた。からかっているような口調だが、表情からするにそういったわけではない。邪険に扱われ、彼は不満そうに眉根を寄せる。
「あれれ、青葉。愛しの梅花は?」
「レーナに奪われました。お散歩だそうで」
「お散歩!? この天気で!?」
 いたずらっぽい笑顔で尋ねたリンだったが、返ってきた答えに素っ頓狂な声を上げてしまった。青葉は苦笑しながら周りをちらちらと確認する。
「大丈夫、北斗はあれは半分寝てるから聞いてない。すいもだ。あとは厨房のレンカ先輩だけだから」
 シンがそう告げると青葉はほっとしたように微笑みを浮かべる。
 よかった、シンにいの機嫌が直ってる。邪魔されたの忘れてる。
 彼がそんなことを気にしているとはシンは思ってもいない。
「お散歩って何でそんな馬鹿なことしてるのよ、あの美少女さんたちは」
 リンが頬杖をつく。その黒い髪が軽やかに揺れ、同じ色の瞳が不思議そうに揺れた。青葉は苦笑しながら後ろ髪をかく。
「なんか一応見回りも兼ねてるらしいです」
「何それ。危なくないの?」
「レーナいるし。っていうかアースついてってるし」
「アースは行っても青葉は行かないのね」
 そこで青葉は不満そうにリンをにらみつけた。しかし彼女は怖じ気つくことなく、楽しそうに微笑むと青葉の腕をつつく。
「そんな顔しないの。わかってるわよ、アースがいるから青葉は行けないんでしょ? 二人揃うと喧嘩ばっかりだもんね」
「あいつが絡んでくるのが悪いっ」
 リンとシンは顔を見合わせた。
 確かに同じ顔というのは複雑な心境なのだろう。しかも普通の双子と違い、生活の共有もなければその土台となるものすら別なのである。
 でもネオンとサイゾウはそれなりにやっていた。あえて気にしないようにしている、と言った方が正しいであろうが、それでも普通の会話は交わしているようだった。ようとイレイは以前にもまして仲がよかったし、レーナと梅花も相変わらずである。アサキとカイキに関してはアサキが一方的によそよそしいだけで、他の人に害はない。
 アースと青葉は、まあ恋愛が絡むからややこしいんだろうな……。
 漠然とシンは思う。
 特にレーナと青葉がよく話したりなんかするからまずいのだ。
「まあまあ、んな苛立つなって。梅花が戻ってきたらまた話せばいいだろ? アースのことは気にするなって」
 結局シンはそう言ってなだめることで、その場を収めることとした。
 何の解決にもならないけどな。
 そう心中でつぶやきながら。
「そうそう。寒くなかったかって、一目散に駆けつけたらいいのよ。手なんか冷たいんだろうし、触る口実いっぱいあるじゃない」
「触るって……せめて触れるとか言えよ」
「青葉としては触るって言った方が事実に近いんじゃない?」
 そんなリンとシンの会話はしばらく続いた。当の青葉は置いてけぼりだ。何となく口を挟みにくい雰囲気がそこにはあった。
 二人の……世界か。ならオレの話題は止めてくれ。
 自分の中の醒めた部分がそうもらすのを、青葉は聞いたような気がした。



 指の間をさらさらとすり抜けるワインレッドの髪。その持ち主である美しい女は、ひどく物憂げな顔をしていた。寝台と呼ぶにはやや大きい台の上に、彼女は座している。腰よりも長いその鮮やかな髪が白っぽい台に波打っており、時折自らの手でそれをすくいながら彼女はため息をつく。
「遅い。何しているの、あいつは」
 彼女のつぶやきを聞いてしまい、側に控えていた気弱そうな男がうろたえた顔で辺りを見回した。しかし彼を助けてくれる者はいない。このだだっ広く、しかし台以外何もない部屋には、彼と彼女しか存在していなかった。彼はおそるおそる主である女を見る。
「イーストったら……目覚めのプレゼントとか言ってたけど、またわけのわからないものを持ってくる気じゃないでしょうねえ」
 彼女は苛立った目で、この部屋唯一の窓から外を眺めた。見えるのは薄暗い空に茶色くすすけた大地。まばらに生えた木は危なげで、生という輝きを持ってはいなかった。彼女は再び嘆息する。
「遅い、イースト」
 肩にかけた大判の布を、彼女は取り去り脇によけた。褐色の美しい肌がさらに露出して、控える男の目はあちこちに泳いでしまう。目に入ってくるのは生成色の壁のみではあるが。
「遅かったわね、イースト」
 彼女の声の調子が変わった。独り言ではない、語りかける口調だ。彼女の視線は開きっぱなしの入り口、そこに立つ一人の青年に向けられている。
「おはよう、レシガ。ずいぶん目覚めが悪そうだな」
「それは誰のせいかしらね、イースト」
「私のせいだろ?」
 イーストは笑っていた。それは二億七千年前――封印される前と同じ笑顔だった。自分と対照的なその空色の髪を見つめて、レシガは口の端を上げる。
「そうね、あなたのせいだわ。でもいいわ、別に。それで、プレゼントとは?」
 イーストはゆっくりとした足取りで彼女の前によった。そして彼女の耳元に唇を寄せる。
「それは本当なの?」
「私は嘘はつかない」
「それが嘘っぽいけど、まあいいわ。では私の部下を行かせましょう」
 レシガは立ち上がった。その豊かな髪が空を踊り、いっそう彼女の存在を際だたせる。彼女は控えていた気弱な男に目を落とした。
「シルクたちを呼んで」
「は、ははっ!」
 慌てて出ていくその男をレシガは視界の端に収め、一人微笑んでいるイーストの手を取った。
「あの子と、ね」
「ああ、あの可愛らしいお嬢さんと」
「難しいわ」
「気が引けるのかい?」
 レシガは首を横に振った。彼女の目に宿るのは、上に立つ者としての光だ。
「いえ、ただ、あの子が恐ろしいだけ。あの子の上を行くのが難しいだけ」
 風が、吹いた。長いワインレッドの髪がさらさらと音を立てる。沈黙が支配する中、レシガは顔を上げイーストを見つめた。
「でも勝機は今しかないわ。今やらなければいけない。少々無茶でも、ね。皆を守るためにも」
 彼女の微笑みには力があった。それが五腹心だからか女だからか、はたまたレシガだからかはイーストにはわからなかったが。
「ありがとう。また、よろしく頼むよ」
 彼もまた微笑み、窓から見えるすすけた大地へと目を移した。

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