white minds

第二十章 平凡な戦闘‐6

 基地中の者たちが修行室に集まるというのは、総当たり戦以来のことだった。あれからそれほどたったわけではないのだが、しかしどうにも遠い日の出来事のように思われる。
 そんなことを考えながら、滝はグラスを掲げた。
「そろそろ全員揃ったみたいだから始めたいと思うんだが。って別にくどくど挨拶の口上なんてするつもりはないからとにかく黙ってくれ」
 テーブルを前にしていきり立っている者たち――少なくとも彼にはそのようにしか思えなかったのだが――に、彼はあきれた視線を向ける。並んだご馳走は予想以上のものであった。何より巨大なケーキが皆の目を引く。だがそんな競争する必要はないはずだろうと、彼はいぶかしげに思った。確かにようやイレイの手にかかればどうなるかはわからないが。
 幸いにも、彼の言葉ですぐにその場は収まった。
「というわけでグラス持ってくれ」
「滝にい、中身がない」
「それは全員だ。後でついでくれ。それぞれのオーダーを聞いてる時間はない」
 青葉の文句にも、表情を変えず即答しながら滝は周囲を見渡した。皆思い思いの顔をしながら、それでもほとんどの者がグラスを手にしている。
「それじゃあ、メリークリスマス。そして聖なるリシヤに乾杯」
 すでに乾いている杯を、滝は傾けた。皆も同じようにグラスを傾ける。乾杯、という声が修行室に響き渡った。
「酒はないのねー。つまらんっ」
「当たり前だろ。いつ戦闘が起きるかわからないのにアルコールなんぞ取る馬鹿がいるか」
 不満そうにジュースをつぐダンを、レーナがたしなめる。彼女はグラスを手にしていなかった。格好もいつもの通りで、それなりにお洒落着をしている者たちの中では浮いている。そしてその彼女の後ろにはアースだけがいた。彼もいつも通りだ。イレイたちは料理を取りに既にどこかへ行ってしまったようである。正確には、ネオンとカイキはイレイに連れられていったのだろうが。
「まったお前もお堅いこと言うのかよ。それじゃ母親だな」
 ダンの隣にいたサツバが、口の端を上げながらそう言い捨てた。その無謀な行動にダンは慌てる。アースの機嫌が悪くなったのは明白だった。
「経験値が違うんだ、仕方あるまい。ってアース、ちょっと待てっ!」
 殺気だってサツバに近づくアースに、レーナはしがみついた。それにはさすがのアースも立ち止まる。困り切った瞳に見上げられて、彼は息を呑んだ。
 危機が去った……。
 ダンは安堵のため息をもらす。アースが悶々考えている間に、彼はサツバの首根っこを捕まえこっそりと逃げていった。それを確認し、ほっと息を吐いてレーナは手を離す。
「レーナ」
 しかし今度は彼女が拘束される番だった。腰に腕を回して抱き寄せられて、彼女は一瞬目を丸くする。それからすぐに曖昧な表情を浮かべた。
「ア、アース……その、われも善処したいのだが、でも、その、自信がなくて。いや、というか、われには資格がないから――――」
「お、おいレーナ。意味がわからん。お前変だぞ、落ち着け」
 いつにない彼女の様子に、アースは焦った。見上げてくる彼女の顔は、笑っているのに今にも泣きそうで、ひどく不安定だった。それでも離すにはしのびなく、彼はそのまま彼女を強く抱きしめる。そしてその小さな背中をさすりながら、周囲に目を向けた。
「……」
 その瞬間、皆が一斉に目をそらした。誰も彼の方を見ようとはせず、顔を背けている。唯一目が合ったのは梅花だけだった。彼女は不思議と落ち着いた顔で、ちょっと微笑んでうなずく。
「レーナ?」
 彼はもう一度その名を呼んだ。手をゆるめると彼女は少し離れ、ゆっくりと顔を上げる。
「あ、うん、悪い。もう大丈夫だ。気にしないでくれ」
 それはいつもの口調だった。彼女のはにかむような微笑に魅せられ、彼はその額に口づけを落とす。彼女は目を丸くして一瞬何かを考えた後、それでも静かに微笑んだ。彼は目を細めて彼女の頭を優しくなでる。
「……見てられない」
 その様子を横目で一部始終眺めていた青葉は、吐き捨てるようにそう言い、梅花の方を見た。彼女はレーナたちの方を見ながらグラスに口を付けている。
「ん? 何?」
 梅花が彼を振り仰いだ。その黒く澄んだ瞳は真っ直ぐ彼を捉えていた。胸の中にあるわだかまりがどうしようもなくて、彼は思わず口を開く。
「あのさ……その……オレのこと、好き?」
 発してしまってから、彼は後悔した。取り返しのつかないことをしてしまったと。梅花は突然の問いに目を丸くしている。
「どうしたの、急に? 好きか嫌いか聞かれれば好きだけど」
 彼女の答えは、たぶん自分が求めている『好き』じゃないとはわかってはいたけれど、でもそれでも彼は嬉しかった。自然と頬がゆるむ。
「それより私も気になってることがあるんだけど」
「え? な、何?」
「青葉は私のこと嫌いじゃなかったの?」
「……はい?」
 青葉は、彼自身も嫌になるくらい間抜けな声を上げた。予想外の切り返しだった。確かに会ってしばらくは、その冷たさに憤っていたが、それも大分昔の話である。
「前はそうだったでしょ?」
「……前って、それ相当前。会った当初だろ」
「じゃあ何で変わったの?」
「何でって…………」
 本当は誰よりも優しいんだってわかったから。
 彼はその言葉を飲み込んだ。何故だか言ってはならない気がした。今それを口にしたら全てがあふれ出してきそうな気がした。彼はグラスの中身をぐいっと飲み干す。
「まあ、言いたくないなら別にいいんだけどね」
 彼女はあっさりと諦めた。青葉はほっとするやら寂しいやらで、小さく息を吐く。
「あーあ、シン先輩、アースにあてられちゃったみたいね。口説き始めちゃった」
「はっ?」
 梅花の言葉に、またもや青葉は素っ頓狂な声を上げた。彼女の視線を追ってみると、シンとリンが話をしている姿がある。
「口説い……てる?」
「うん」
 答える梅花の声は凛としていてよどみがない。青葉は複雑そうに眉根を寄せた。
 シンにいの気持ちには気づいてるんだ……。でも、オレのには気づかないんだ。絶対オレの方がわかりやすいはずなのに。
 彼の視線に気づき、梅花は小首を傾げた。最近は彼女もずいぶん穏やかな顔をするようになった。営業スマイルではなく、微笑むようにもなった。今も彼女は静かな笑みを浮かべている。それは年相当というわけではなかったけれど、でも以前よりはずっとましだった。
 しかし――――
「梅花」
 青葉は梅花の肩に手を置いた。
 何か、何か決定的なところが、やはり彼女は皆と違った。
「あのさ、その……勝手に、黙って、いなくなるなよ? 急にオレの側を離れるなよ?」
 彼の言葉に、彼女は小さく息を呑んだ。視線を逸らし、グラスを口元に持っていく。
「な?」
「……うん、大丈夫。今は、考えてないから」
 梅花ははにかむように微笑んだ。先ほどレーナが同じ表情を浮かべていたなど、彼女は夢にも思っていないだろう。青葉も微笑み返し、彼女の頭を優しくなでる。
「それじゃあ梅花、その約束の証として――――」
「何?」
「抱きしめてもいい?」
「……やっぱり最近変、青葉」
 うろんげな目を向けられ、結局青葉は笑顔のままその場で固まるしかなかった。

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