white minds

第二十章 平凡な戦闘‐7

「まあ大方予想はついてましたが、やはり私たちが片づけ役なんですね……」
 テーブルの上の皿やグラスを集めながら、ジュリはぼやいた。パーティーもほとんど終盤となると、盛り上がった人たちは部屋なりなんなりに戻っていってしまった。残されたのは、彼女のように端で成り行きを傍観していた者ぐらいだ。
「仕方ありませんね。飲んでないのに酔った勢いでしたし。雰囲気でって奴でしょうかねえ?」
 彼女の隣に立ち、よつきが苦笑する。緩くカーブしたその金髪をちらりと見上げて、彼女は微笑んだ。
「まあこれだけ大がかりな会は初めてですもんね。料理も豪華でしたし。それに――――」
「それに?」
「恋愛ごとはそれだけで脳内麻痺を引き起こしますから」
 いたずらっぽいジュリの口調に、よつきはくすくすと笑った。そして二人は何ともなしに壁際を見る。そこには何やら考え事をしているレーナの姿があった。先ほどまで側にアースがいたのだが、今はイレイにせがまれてどこかへ行ってしまっている。
「いろんな人がいろんな風にあてられてましたからね。すごいことです。でもレーナさん、まさかあれ全部演技とかじゃないですよね?」
 ジュリはつぶやいてから、とんでもないことを口にしたと気づきはっとした。よつきが人差し指を口元にあて、苦笑しながら目を細める。
「それは思っても聞けないことです。聞いちゃいけないことです。後で巡り巡って伝わりでもしたら何が起こるかわかりませんし」
 彼の言葉にジュリはうなずき、それから嘆息する。
 どうしてまあこう不器用な人が多いんでしょうか……。
 彼女は内心でそうぼやいていた。
 他人の気持ちには敏感なのに自分の気持ちには疎いとか、自分の気持ちをうまく外に出せないだとか、わかっているのに動けないとか、そういうのがここには溢れている。
「そう言えばジュリ、メユリちゃんは?」
 よつきがふと思い出したように辺りを見回した。悲惨な状況となった修行室には、その可愛らしい姿は見あたらない。
「隊長の毒牙にかからないように……じゃなくて酔っぱらいの皆さんの被害に遭わないように、途中で部屋に帰しました」
「ジュリ……既に隠す気すらないですね?」
 彼女のその爽やかすぎる程の微笑みに対抗して、よつきも輝かんばかりの笑顔でそう返した。にわかにその場が不穏な空気に包まれる。
「とまあ毒を吐くのはさておき、いい加減この妙な人間関係を打破しないと、こっちの身が持ちませんねえ」
「……さらりと話を変えましたね」
 ジュリは皿を重ねる手を止めて、またため息をついた。その横顔は物憂げで綺麗なのだが、しかし言ってることが言ってることなので妙な違和感をかもし出している。よつきは困ったように眉根を寄せ、汚れたテーブルに布巾を広げた。
「まあわたくしたちがどうこう言ってもどうなるものじゃないですから」
「リンさんが本領発揮してくれれば可能なんですけどねえ……」
「あれは本領発揮じゃないんですか」
 ジュリはどこか遠くを見るような目をしていた。それが過去に思いをはせているからなのか、はたまた妙な未来を想像しているからなのかは、彼にはわからない。しかしどっちにしろ不思議な光景であることには間違いないと、彼は確信していた。
「あれはまだまだ序の口です。まあシン先輩に阻まれちゃってますから、仕方ないですけどね……」
 彼女のぼやきは、片づけが済むまでは終わりそうになかった。よつきは苦笑しながら、気配の変化に気づいておもむろに振り返る。
「あれ、レーナさん、どこへ?」
「ん? ちょっと屋上へ」
 彼の問いかけに、どこか陰のある表情をしていたレーナは立ち止まった。ジュリも振り向き、その答えに怪訝な顔をする。
「屋上って、ものすごく寒いじゃないですか、あそこ」
「まあそうだが。でもそれぐらい空気が冷たい方が、都合がいい」
「都合?」
「ものを考えるには」
 レーナはそう言い残して音も残さず歩いていった。取り残されたジュリとよつきは顔を見合わせ、嘆息する。
「これ、アースさんには……」
「言わない方がいいですね、絶対。止めなかった私たちも怒られちゃいますから」
 白い空間に取り残された二人は、それ以上は何も言わず、食器の片づけに専念した。



 湿った空気はそれでも冷たく、肌を突き刺していた。
 でもその痛みも彼女にはあまり深刻な問題でなかった。痛みがなければ思考がまとまらない。そんな気さえした。
「レシガも、ブラストもよみがえった。これで何も躊躇することはなくなった。必ず、奴らは動いてくる。いや、もう動いているのか。だが……それが何かはわからない」
 つぶやく言葉は小さく、すぐに風にかき消された。しかし彼女――レーナは気にしない。聞く者など最初からいないのだから。
「まああちらとてこちらの考えはわからないだろうから、それは一緒なんだけどな。でもやっぱり気分は良くないよなあ」
 柵に寄りかかりながら見下ろす世界は、黒かった。草原に明かりはない。闇の海と形容するのがふさわしいその景色に、しかし不気味さはなかった。
「わからないというのは、怖いからな」
 誰にともなく語りかけるような口調。だが彼女にはその答えが聞こえたような気がした。
『ええ、だから皆知りたがる。それで私はこうやって動いているのよ』
 それは聞き慣れた声だった。明るく軽やかで、しかし内に凛としたものを含んだ女性の声。レーナは自嘲気味に微笑むと、風になびく髪に手をやった。
「わかっている、ユズ。だからわれもこうして動いてるんだ」
 まるで死人との会話だな、と心のどこかで思いながら、レーナは笑った。あまりに一人でいた時間が長かったせいで、ついてしまった一種の癖だ。声が、どこからともなく聞こえてくる。それはほぼ記憶の中の誰かが言っていた言葉で、しかし何故か的確な答えだった。
「あいつらは動いている。何かを企んでいる。そしてそれはこうしてる今も進行しているのだろう。おそらく、少しずつ、だが確実に」
 その受け入れがたい事実を口にすることで、彼女は何となくだが楽になった気がした。
 これが、音の魔力。音は意識を強化する。
「ああ、だからその時のためにこちらも準備しなければならない。そろそろ、覚悟しなきゃな」
 あらゆる覚悟を。
 彼女は大きくのびをした。白いかけらがふわりと舞い降り、その指先に触れる。今夜もまた降るのだろうかと、彼女は天を仰いだ。空にはうっすらとした灰色の雲がかかっており、その先にかすかに輝く星が見える。
「リシヤの日、か。何故あんなことを言ったんだろうな、リシヤは。それともあれか、彼女もまた、音の魔力を使いたかったのかな。必ず戻ってくると、言うことで」
 それがあまりにあり得そうな話で、彼女は口にしてしまってからげんなりした。
 だとしたら……なんという皮肉だろうか。
「まあ戻ってきてくれなきゃ、われは困るわけだがな……」
 彼女は踵を返した。
 あまり長いこといるとアースに勘づかれる可能性がある。
「覚悟……あらゆる覚悟。これも、覚悟かなあ……」
 消え入りそうなその声は、溶けていく雪とともに、誰に見つけられるともなくその存在を失った。

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