white minds

第二十一章 ずれ始めた心‐3

「人の……群れだ」
 宮殿までたどり着くと、ダンはそうつぶやいた。警備しているはずの者も、今は見あたらない。あの人混みにもまれているのか、それとも諦めて逃げ出してしまったのかは定かではなかった。
 報告よりも人数は増えていた。ざっと見たところでも八十人近くはいるだろう。それが皆宮殿の扉の前に群がり、怒声を上げている。
「あいつら……何言ってるのか、聞こえるか?」
 ラフトが眉をひそめて首を傾げた。皆が首を横に振る中、一人梅花が耳を澄ます。
「……化け物がどうのこうのとか、そう言ってます。あ、今何か聞こえました。何を隠してるんだ、とか、お前ら化け物のせいで町がめちゃくちゃになったらどうするんだ、とか」
 彼女がそう言うと、皆は一斉に怪訝そうな顔で目を合わせた。何かものすごい勘違いをしてる、そうとしか思えなかった。しかしそんな中、梅花は顔を曇らせ小さくうめく。
「化け物……まずいですね、このままじゃ」
 青葉が心配そうに彼女を見た。だが、彼の伸ばしかけた手を制して、彼女は口を開く。
「おそらく化け物ってのは、神のことを指すのだと思われます。上に対する不信感を、誰かがあおったに違いありません。実際、普通の人間からしてみれば化け物並みの能力ですから」
 彼女の言葉に、皆ははっとした。魔族と神の関係を思えば、それらの言葉に嘘はない。
「でも、だからって押し掛けたって……」
 カエリがうめく。そんなことをしたって意味はなかった。わめこうが暴れようが、騒ぎを大きくするだけだ。
「不安が、そうさせるんでしょう。とにかくこのままだと怪我人が出かねません」
 入り口の方へ、梅花が駆け出す。青葉が慌ててそれを追い、続いて他のメンバーも走り出した。喧騒がよりはっきりと聞こえてくる。
「でもどうするんだよ、あいつら、話なんて聞きそうにないぞ?」
「そのうちバインやイダーの長たちが来るはず。だからそれまでの時間稼ぎね」
 彼らはすぐにその人混みの中へと到着した。だが人が多すぎて先頭の人々の様子は全く見えない。仕方なく彼らは何とかその中を割って入ろうとする。
「何だお前ら、押すなっ!」
 だがいきり立った人々を押しのけるのは容易なことではなかった。相手を傷つけまいとすればなおさらのことである。
「う、梅花、大丈夫か?」
「私の体格じゃ……つぶされるのがおちね」
「つぶされちゃまずいだろっ! こっち来い」
 青葉はそう言い、無理矢理梅花を引き寄せる。ダンがその後ろで口笛を鳴らした。だがかまってられない青葉はそれを無視する。
「――――何か来るっ!?」
 青葉の腕の中で、突然梅花が声を上げた。彼女は天を仰ぎ、いっそう精神を集中させる。だが彼女の言葉を聞いたのは側にいた数人だけだった。喧騒が、全てを飲み込んでいる。
「何か?」
「魔族が……数十人」
 梅花がそう声を絞り出すのと、事態が一変するのはほぼ同時だった。
 空から、火の玉が幾つか落ちてくる。
「間に合って――!」
 右手を、梅花は高くつきだした。そこから目に見えない気の流れが生まれ、巨大な結界を作り出す。それが間一髪火の玉を全てはじき返した。
「な、何なんだ!?」
「化け物の攻撃かっ!?」
 詰め寄っていた人々の間に動揺が走る。混乱は、免れなかった。一斉に我先にと走り出す人々。だがその方向はてんでばらばらで、ぶつかり合い、押し合い、転倒者が続出する。
 そんな中、もちろん彼ら神技隊も引き離されていた。
「梅花っ!」
「と、とにかく私が結界を維持するから、何とか被害を防いでっ!」
 思わずゆるめてしまった腕を悔やみながら、青葉が叫ぶ。梅花は人混みにもまれながらも結界を張り続けていた。こうしてる今も、光球やら火の矢やらが降り注いでいる。彼女がいなければどうなっていたかなど、想像もしたくない。
「来たぞ!」
 少し離れたところでラフトが叫んだ。どうやら人混みに流されてしまったらしい。しかし戦闘するのを考えれば好都合だった。そこならば何とか動ける。
「こっち来い魔族っ!」
 ラフトは大きく腕を振りかざし、炎の矢を空に向かって放った。遠距離攻撃は得意じゃないはずだが、注意をひくためであろう。案の定、魔族の数人が彼の方を見た。そして一直線に突っ込んでくる。
「ラフト先輩……っ!」
 その彼のもとへ、魔族よりも早くレグルスが辿り着いた。その華奢な姿を見てラフトはうなずき、拳を構える。次の瞬間、一撃目が彼らのもとへ降り注いだ。結界をぶち破り、魔族の一人がラフトへ蹴りを食らわせようとする。
「接近戦ならっ!」
 ラフトはそれを強化した右手ではじき返した。その魔族は一旦後方へ下がり、目を細めながら口の端を上げる。
「……?」
 その表情に疑問符を浮かべるラフト。しかし不幸にも、彼はその理由をすぐ理解することとなる。
「危な――!」
 レグルスの切羽詰まった声が、ラフトの耳に飛び込んできた。慌てて彼は振り向く。目に入ったのは、恐怖ですくんだ男の前に立つ、レグルスの姿だった。その腹部が溢れんばかりの血で染まっている。
「レグルスっ――!?」
 ラフトの悲鳴とレグルスが地に落ちる音とが重なった。後ろからのねっとりとした視線、横からの攻撃の気配を感じながら、ラフトは駆け出す。
「逃げろ、とにかく、早く、さっさと逃げろっ!」
 彼は力の限り叫んだ。
 右から光弾が迫ってくるが、それを彼は腕ではじき返す。強化してあるので痛みはないはずだが、しかしじんと痺れたような気がして彼は歯ぎしりした。
 こいつは、今まで以上に強いかもしれない。
「下がって――――!」
 遠くから、梅花の声がした。それとほぼ同時に白い光が辺りを覆う。結界で、何か技を防いだのだろう。しかしそれも時間の問題だと彼は思った。
「レグルスっ!」
 ラフトはレグルスの前に立った。踏み固められた雪の上に鮮血が広がっている。
 重症だ。
 確認しなくてもわかった。
 いや、もしかしたらもう……。
「こぉんのぉぉぉっ!」
 ラフトはそこからでたらめに火の玉をいくつも放った。人々は逃げまどい、しかし魔族たちは余裕の表情でそれらを難なくかわす。
「ラフト、落ち着きなさいって!」
 そこへ聞き慣れた声が彼にかかった。カエリだ。彼女の水流が一筋、彼の前を通り過ぎる。狙われた魔族は地を蹴って、一旦空へと身を翻した。
「落ち着きなさいよ、馬鹿っ」
 カエリの罵声が飛ぶ。しかしラフトは首を振ることしかできなかった。怒りが、よくわからない怒りが体を支配して、冷静になんてなれそうもない。彼は奥歯に力を込める。
「もうじき、きっと、他の人が来るわ。そうしたら、レグルスは助かる。だからそれまではもたせるのよ」
 彼女の言うことはもっともだった。だけど、それでも収まりきらない何かが彼の中には芽生えていた。彼は走り出す。
「梅花っ!?」
 そんな彼の耳に、聞きたくもない悲鳴が飛び込んできた。青葉の声だ。彼は思わず立ち止まる。
「馬鹿、ラフト!」
 彼の頬を、黄色い光がかすめた。そこにできた筋からじんわりと血がにじむ。彼は前を見た。そこには六人の魔族が立っていた。それぞれ統一感のない格好をし、体格もばらばらである。しかし共通してることがあった。
 気が、今まで以上に強い。
 彼は息を呑んだ。
「とにかくもたせる、わかったわね」
 背中からかかるカエリの声も、若干だが震えていた。彼は、小さくうなずいた。



 抱えた体は小さかった。だからこそ余計に不安だった。
 青葉は奥歯に力を込め、周囲に視線をやる。
 迫る魔族は四人。しかしそれほど強いわけではなさそうだった。だが、この状況では不利なのには変わらない。
「青葉……ごめっ……大丈夫、だから」
 かすれた声で梅花はつぶやき、回された手を退けようとする。しかし彼は離さなかった。今離せば、確実に彼女は死への道を急ぐこととなる。
 一般人をかばっての負傷は、彼女らしいとも言えた。自己犠牲の旺盛な彼女なら、ためらいもなくやるだろう。しかしだからといってそのまま死なせる気は彼にはなかった。
「何言ってんだ、離さねえよ」
 彼は右手だけで構える。左腕に力を込めると、傷が痛んだのか彼女は小さく息をもらした。肩口から溢れ出す血はまだ止まってはいない。
 オレが退けば後ろの一般人がやられる。いや、梅花がそれはさせないか。こいつこんな状況でも結界張るな、絶対。じゃあやっぱり面倒でも一つ一つの攻撃をはじき返すしかないか……。
 彼は目の前の四人を見据えた。思い思いの格好をした彼らは、隙なくこちらをうかがっている。
 いきなり出てきたから武器はないしな……。
 彼は覚悟を決めた。
「お前はとにかく傷をふさげ」
 そう言って彼は右手に炎の剣を生み出した。それを見て魔族が動き出す。
「アースにできて、オレにできないはずがないっ!」
 彼の叫びが、辺りに響き渡った。

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