white minds

第二十一章 ずれ始めた心‐5

 人々の避難は滞っていた。時折側を通り過ぎる光弾が彼らの足を止め、怯えさせる。人数も人数なので統率を取るのも難しかった。
「くそっ……!」
 迫り来る炎球を、滝が剣で払い落とす。人々の周りには結界があるのだから本来は必要のない行為だが、しかし攻撃が結界に当たるだけで彼らは立ち止まってしまうのだから、それも仕方がなかった。
「滝さん、オレとリンであいつらくい止めますから先行ってください! とにかく遠くまでっ」
 途中で立ち止まり、シンが声を張り上げた。リンは既に足を止めて低く構えており、技を放つ寸前の状態である。
「頼む!」
「お願いね!」
 滝、続いてレンカがそう叫ぶ。とにかく一般人を避難させないことにはまともに戦うことすら難しかった。二人はシンたちの姿を横目に、人々を急がせる。
「風よ!」
 リンが右手を空に向かってつきだした。そこから生み出された風の渦が、上空にいる魔族たちを捉えようとする。だが彼らは難なくそれをよけてしまった。
「まーだまだっ、行くわよ!」
 しかし気にせずリンは同じ技を放ち続ける。まず優先すべきは一般人の避難。足止めがとりあえずの目的だ。
「ぬるいっ……!」
 そこへ、一筋の光が訪れた。黒い影が地を蹴り、空へ飛び立つ。悲鳴が、上がった。
「アース!」
「のろいぞ、お前ら!」
 魔族の一人を薙ぎ払ったアースは、そう叫びながら再び地に降り立った。膝をついた際指先に触れた雪の冷たさに、彼は一瞬眉根を寄せる。そこへシンとリンが駆けよってきた。
「間髪入れず攻撃しろ。とにかく速さが重要だ。レーナはもう十人以上は倒してるはずだぞ」
「なるほど、彼女の頼みなわけね」
「うるさいっ」
「了解。さっさと片づければいいんでしょ」
 勝手に事態を把握したリンは笑顔のままうなずき、シンを見た。シンは苦笑しながら相槌を打つ。
「私が引きずり落とすから、シン、とどめお願い!」
「おうっ」
 二人はまた駆けだした。アースも動きだし、それにあわせたかのように魔族たち数人が攻撃を再開する。
 と、その時――――
「この気配は……神か……!?」
 魔族の一人が唐突に動きを止めた。そのため彼はリンの風をもろに受け、地上へと落下していく。
「神?」
 シンが後ろを一瞥するのと、その人物が現れるのはほぼ同時だった。戦闘にはふさわしくないゆるめの服に、肩程の深緑の髪。それは見知った姿だった。
「ラウジングさん!?」
 声を上げるシンの横に、彼、ラウジングは立った。久しぶりだが以前と何ら変わりない様子だ。彼は目を細めて周りの様子を確認する。
「こんなところで魔族に暴れられると非常に困るのでな」
 彼は一言、そうつぶやいた。相変わらず説明が足りないが、しかしシンは文句も言わずにうなずき、剣を構える。いつも使っているレーナ特製のものである。
「速攻じゃないとだめらしいです」
「言われなくともこっちもそうする。これ以上騒ぎが続くと老人たちに文句を言われるからな」
 ラウジングの手にはいつかのエメラルド鉱石の剣が握られていた。だが今は他の剣と変わりない、金属的な光を放っているだけだ。彼が口元を引き締めると、その剣が淡くエメラルド色に輝き始める。
「シン、行ったわよ!」
「おうっ!」
 リンがそう叫ぶのと同じタイミングでシンは大きく地を蹴った。風に巻かれてバランスを失い降下してくる魔族、それめがけてシンの剣が繰り出される。
 勝負は一瞬。その魔族は為すすべもなく光の粒子となって消えていった。
「かなり……強くなってるんだな」
 ラウジングは苦笑しながら駆けだした。
 自分も負けてはいられない、と。
 白い戦場に舞う戦士たちは、少しずつ、だが確実に、魔族たちを追いつめていった。



 一般人の避難を終えた滝たちは再び戦場へ戻ってきた。しかしその時既に戦闘は終わりを告げていた。
 攻撃の余波で溶けた雪面に注意を払いながら、彼らは仲間たちのもとへと急ぐ。
「ラウジング……?」
 懐かしい姿を見つけてレンカが首を傾げた。風になびく深緑の髪、ゆったりとした服、そして不満を押し殺したようなその横顔は彼の特徴と一致していた。その声に気づき、ラウジングが振り向く。
「レンカ。ああ……避難は終わったのか」
 彼はそう言って微笑すると再び視線をある一点に戻した。白の中に広がった赤。それは目にまぶしい程、恐ろしい程鮮やかである。
「今レーナさんが、レグルスさんとラフト先輩、梅花先輩、サイゾウ先輩とすいさんを運んでいきました。あとジュリも」
 滝たちの到着に気づいたよつきが立ち上がり、そう説明した。滝は眉をひそめてレンカと目を合わせる。
「あ、なんていうか、またあいつの妙技? 瞬間移動、みたいな」
「似てるけど違いますね。その辺切り開いて亜空間入ってましたから」
 すると彼らが何を疑問としているか察し、青葉が近寄ってきた。なるほど、それでそんな大人数を運べたわけだ。
「容態は……どうだったんだ?」
「まずいです。特にレグルスさんは出血量がかなりのものだったので……。サイゾウ先輩もどうやら結構出血してたみたいですし」
 よつきはうつむく。
 ジュリの治癒能力を考えれば、傷をふさぐことはたやすい。実際ふさぐことはできてるのだろう。内臓がやられていたとしても、まだ死んでいなければ治すことさえできる。ただ出血だけはどうしようもなかった。それを回復させるのは今のところ無理らしい。
「輸血とか、そういうのは大丈夫なのかしら?」
「ある程度ならレーナさん保存してるらしいです」
「……恐ろしく用意周到ね」
 よつきの返事に、レンカは苦笑した。しかしある程度と言うのなら限界はあるのだろう。足りない可能性もある。
「ラウジング、そちらに血液の手配とか頼めないのかしら?」
「こちらにか? ……前例がないが、掛け合ってみよう。アルティード殿なら何とかしてくれるはずだ」
 そう答えたラウジングは音もなく姿を消した。こちらもレーナと同じく瞬間移動のようなものなのかもしれない。彼が先ほどまでいた空間を、レンカは凝視する。
「じゃあとにかく一旦戻ろう。話は、それからだ」
 滝の声には重さがあった。いつもの力強さも欠けていた。
 大きな不安の波が押し寄せ、皆を飲み込もうとしている。彼はそう感じていた。



「原因はわからないのか?」
 薄暗い部屋の中で彼は問いかけた。少しくせのある銀色の髪に白っぽい服。その瑠璃色の瞳が今は伏せられている。
「はい、すいませんアルティード殿。詳しいことは何も……。ただ何故だか、妙な噂が人間たちの間に広まってることは確かなようです」
 尋ねられた青年――ラウジングは申し訳なさそうにそう告げた。問いかけたアルティードは怪訝そうに眉根を寄せる。
「噂?」
「近頃の魔族襲撃の原因が、我々にある、というものです。全くの嘘というわけでもないのですが、しかしそれを知っているのは神技隊だけですし……」
「そうか……」
 そう、それは事実でもあるのだ。だから何も言うことはできないし、説明しようにもあまりにも前提知識が違いすぎる。神技隊に理解してもらえたのも、魔族との接触やレーナたちの存在があったおかげだ。一般人には、無理である。
「しかも押し掛けてきたところに魔族、か……。あまりにもタイミングがよさすぎるな」
「はい、それは私も感じました。今ミケルダを介して調査させています」
 ラウジングの行動の速さに、アルティードは微笑した。苦労させてきたせいだろうと思うと、いささか複雑な気分ではあるが。
「ところで神技隊の被害の方はどうだったのだ?」
「一般人をかばっての負傷が数名。アルティード殿の許可で血液はどうにかなりましたので、全員命は取り留めました。しかし……まだ意識が戻らないのが一人いるようです」
 アルティードは強く唇をかんだ。
 いつかはこういう日が来るとわかってはいたが、しかしいざきてみるとやはり苦い気持ちはぬぐいきれない。これは、どうしようもない。
「しかし大幅な戦力減ではないようです」
 酷いことを言ってると自覚しつつ、ラウジングはそう述べた。アルティードもそれはわかっているのだろう、苦笑しつつ静かにうなずく。
「調査の方をしっかりやっていてくれ。それから、また近々魔族が攻めてくる可能性がある。お前たちはその時のために待機を」
「わかりました」
 薄暗い部屋に立ちこめる空気は濁っていた。それが物理的なものなのか気持ちのせいなのかはわからなかったが、息苦しいのには変わりない。重く、張りつめた雰囲気が彼らを覆い、その表情に影を落とす。
 一礼して、ラウジングはそこを出ていった。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む