white minds

第二十一章 ずれ始めた心‐6

 皆が皆暗い顔をしたまま、結局朝を迎えた。眠れなかった者も多いのだろう。かなりの人が疲れた表情を浮かべている。
 天気は相変わらずで、時折雪が空を舞っていた。気温もますます下がっている。
「梅花」
「ん? 青葉?」
 廊下の窓から外を眺める梅花。その姿を見つけて青葉はそっと声をかけた。時刻は七時を過ぎた辺りで、丁度朝食の時間である。先ほど彼も食堂にいたのだが、そこには大勢の人がいた。皆が重い表情を浮かべていたが……。
「こんなところで何してるんだ? 寒さは傷に響くぞ?」
「大丈夫よ、もう傷口はふさがってるから」
 彼はおもむろに彼女の肩を抱いた。彼女は苦笑しながらゆっくりと首を横に振る。
 あれだけの傷を戦闘中に治癒する。それは荒技といってもいいだろう。実際それを目の当たりにしてしまった彼としては、その言葉は信じがたいものだった。
「でもさ、あれだけの出血量だったわけだし……無理するなよ?」
「出血? 大丈夫よ、あれくらい大したことないから」
「う・そ・だ。普通大丈夫じゃねえ。お前体重軽いだろ? なおさら大丈夫じゃないっ!」
 青葉は眉根を寄せながら梅花の頭を引き寄せた。そしてゆっくりとなでる。梅花は怪訝そうな顔をして目だけで彼を見上げようとしたが、しかし頭を押さえつけられた状態ではそれも叶わない。ため息だけがもれた。
「お前が……もし死んだら……オレはどうなるんだよ……」
 そう言う彼の声はかすれていた。ともすれば聞き逃す程の小ささで放たれたそれは、しかし彼女の耳にはしっかり届く。
「青葉……?」
 肩に回された手に、彼女は手のひらを重ねた。彼女の冷え切った手に比べると、彼の手には確かな体温があった。彼は目を見開き、重ねられた手を握り返す。
「手……冷たい」
「窓の側は冷えるからね」
「ならそんなとこいるなっ」
「はいはい」
 頭を押さえつけていた力を緩め、苦笑する彼女の顔を彼はのぞき込む。不思議なことに、何故だか彼女は泣きそうに見えた。
「梅花……?」
「レグルス、早く目覚めるといいわね」
 しかし彼女の口からこぼれたのは全く別の話だった。彼は一瞬どう反応すべきか迷い、しかし結局は口角を上げる。
「ああ、そうだな」
 静かな廊下に、彼のつぶやきが取り残された。微笑んでうなずく彼女の瞳には、何か、確かな光が宿っていた。



 昼を過ぎた頃になると、灰色の雲の間から青空がちらちらとのぞき始めた。だが相変わらず気温は低く、外に出るものは滅多にいない。
 ……何か、嫌な予感がする。
 先ほどから妙な胸騒ぎに襲われていたレーナは、基地の出入り口のところで立ちつくしていた。そこには冷たい空気が溜まっており、じわりじわりと体温が奪われていく。しかしその場を離れられず、彼女は唇を強く結んだ。
 絶対に、何かが起こる。
 それはあまりに強烈な感覚で、体を支配しそうな程だった。そのせいか空気の冷たさも時間の感覚も薄らいでしまっている。
 どれくらい時が流れたのだろう。唐突に、言葉にならない程の圧迫感を感じ取り彼女は外へ飛び出した。たまたまそれを見たらしいネオンの叫び声がかすかに聞こえてくるが、それをも彼女は無視する。
 零下の世界で、顔を出したばかりの青空を、彼女は見上げた。そこには得体の知れない揺らぎが生まれていた。七色に変化する小さな点のようなものが次第に増していき、楕円形をかたどり始める。
「レーナ!」
 そこへアース、アキセ、サホが駆けつけてきた。おそらくネオンが知らせたのだろう。彼女は彼らの方を一瞥すると、目で上空を見るよう合図を送る。
「こ、これは……?」
 七色に変化する楕円は、異様としか表現できなかった。青空の一部に突如出現したそれは、そのうち一般人の目にも入るのだろう。混乱を引き起こすのは目に見えていた。
「何があったんだ!?」
 さらに他の神技隊も駆けつけてくる。戦闘できる者の大半が集まってきたようだ。おそらく緊急放送でもかけたのだろうと、レーナはそう判断した。そして思う、それは正しい、と。
「あ……」
 神技隊のうち誰かが声を上げた。七色に変化していたはずの楕円に、次第に何者かの姿が映し出されていく。黒い髪を頭の上で結んだ、灰色の瞳の青年だ。その男はいたずらっぽい笑みを浮かべると手を振り始めた。
『こんにちはー、地球の皆さん。お元気ですかー?』
 それはこの緊張感に似つかわしくない、ふざけた口調だった。困惑した顔の数人が顔を見合わせている。だがレーナはその姿から目を離せなかった。一つの予感が、あったから。
『僕の名前はブラスト。五腹心の一人、って言えばわかってもらえるかな? あ、わからないならいいよ、別に。要するに君たちに害をなす者だってわかればいいから』
 そのお気楽な声はまるで世界その物を揺るがしているかのようだった。頭の中に直接響いてくるような、そんな錯覚すら感じる程、それは強烈だった。
「ブラスト……」
 レーナはその映像をにらみつけながら、うめくようにささやく。心配そうなアースが、彼女の肩に手をやった。
『この映像はねー、まあなんというか、僕らのサービスみたいな感じ? 慈悲ってところかなー。これから攻め込むよーっていう宣言のために頑張っちゃったんだ。どう? 優しいでしょ?』
 脳天気としか思えないブラストの言葉が続く。神技隊の間にも、動揺が走っていた。そしてそれはおそらくこの地球上のどこだろうと起こっていることだった。
 攻め込む。
 その一言がどれだけの威力を持っているのか……。
『残念ながら僕は、今、地球神の代表が誰か知らないんだけど、でも覚悟しておいてねー? 最期になるかもしれないよ? あ、それと僕らの邪魔するなら人間でも容赦しないから。できたら隅っこにでも避難しててね』
 少しずつだがその映像がかすんできた。どうやらブラストの一方的な宣言も、そろそろ終わりを迎えそるようだ。
『あ、もうそろそろ時間かな? それじゃあもうちょっと待っててね、これから僕が乗り込んでいくから。たぶん数分でつくよ? もう、すぐ側まできてるから。じゃあまたねー』
 ぼやけていた映像が消え、再び七色の楕円形が出てきた。しかしそれも瞬く間に消え去り、何事もなかったかのような青空に戻る。
「ブラストが……来る。さっさと準備をするぞ」
 レーナが声を張り上げた。あまりに突然のことにその場に固まっていた神技隊たちは、その言葉にはっとする。
「狙われるのは宮殿だ。おそらく相当の大軍を連れてくるだろう。とにかく来た奴を片っ端から倒していかないと数に押されるぞ。いいか? ブラストの相手はわれがする。だからお前たちはとにかくその手下を相手しろ。気圧されるな」
 彼らの視線が、彼女に集中した。
「気持ちで負けたら全て終わりだ。おそらく神も動くはずだ、お前らだけじゃない。だからとにかく乗り切れ、生き残れ、いいな?」
 彼女の声は力強かった。この重圧の中でよくぞと思う程に、凛としていた。アースが彼女の腕をぎゅっとつかむ。
「レーナ……」
「アース。その、力を貸してくれるか? たぶんわれ一人だと、体力が持たない。持久戦に持ち込まれるとまずいんだ」
 彼の言わんとすることを察して、彼女の方が先にそう申し出た。彼は一瞬目を見開いた後、満足そうに静かにうなずく。
 その時は、既にそこまで迫っていた。

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