white minds

第二十一章 ずれ始めた心‐8

 魔族たちが出現する、赤く歪んだ空の一部。そのすぐ側に青色の髪の男は浮かんでいた。今は実はファイティングブルーなのだが、しかし何ブルーなのかわかる者など当人たち以外はほとんどいない。外見上の装備、そのちょっとした違いしかないからである。
 彼はそこで向かってくる魔族を片っ端から薙ぎ払っていた。それが一体どれだけの数なのか、もう覚えていないくらいに。
「大丈夫か? レーナ」
「まだまだ、これくらいは余裕だ」
 ビートブルーの『中』でアースとレーナはそう言葉を交わす。このブルーというのは、まるで体内に異空間を持ったような、そんな存在だった。外見からは一人にしか思えないが、しかしその中は不思議空間のようになってるのである。『中』から見える景色は普通のものと全く同じ。だから慣れないうちは自分がそんな妙な空間にいることさえ忘れてしまう。しかしブルーの体のコントロール権を持つ者以外は、まるで世界から切り離されたように、外界のものに触れることもできないし、走ろうが飛ぼうがその場から離れることもできなかった。だが権利を持つ者が動けばそれにあわせて景色は変化する。攻撃を受ければ衝撃は伝わる。権利者の動きについていけなければ酔ってしまうこと確実だった。
 だからブルーを使いこなすにはかなりの意思疎通、相手の行動の予測が重要となる。今アースの動きに対応できるのはレーナだけだった。
「どうやら使える精神が増えたみたいだからな」
 レーナは『中』でそう言いながら微笑する。
 次の瞬間、迫り来る敵の気配を感じてビートブルーは剣を振るった。不定の剣と剣とがぶつかり合い、耳障りな音が生まれる。
「一人っ!」
 しかし彼はすぐさまその魔族を一刀両断した。悲鳴を発する間もなく消え去る魔族。その様を尻目に彼は次の気配へと目を移す。
 と、その時――――
 ――――!?
 身の毛がよだつような強烈な気が、突如現れた。
 ねとりとからみつくような、浸食してくるようなその気の持ち主は、赤く歪んだ空の、その前にいた。自然と、喉が鳴る。
「どうもー頑張ってるねー」
 楽しげな声音でその男はけらけらと笑った。頭の上で無造作に結われた黒い髪に、くすんだ黄色の、少し風変わりな服装。その灰色の瞳は笑っているようで、しかし鋭い光をたたえている。
「ブラスト……」
 レーナが『中』でその名をつぶやく。ともすれば息でも止まりそうになる圧倒感に堪えながら、彼女は口の端を上げた。戦う前から、負けてはいけない。
「レーナ……」
「アース、技の出し惜しみはしないからな」
 二人は『中』でそう言葉を交わした。その声は『外』にいるブラストには届いていないはずだ。だが何か違和感は覚えたのだろう、彼は顔をしかめる。
「ずいぶん無口だね、君。それとも声も出せないくらいに緊張してるとか? まあどうでもいいんだけど。どうせ君はすぐ消えるんだから」
 ブラストの瞳に妖艶な色が宿り、その手に黄色く輝く大きな弓矢が現れた。いや、そう呼んでいいのかわからない程の巨大なものである。
「さっさとくたばってよっ!」
 その弓から矢が放たれた。胴体程の太さのその矢は、途中で分裂し、無数の矢となって周囲をぐるぐると回り始める。ビートブルーはそれらに目を走らせた。めまぐるしく回るその矢は速度を増していき、ついには姿さえ確認できなくなる。気づけばブラストもいない。
「来るぞっ!」
『中』でレーナが声を上げた。刹那、矢の一部がビートブルーめがけて突き進んでくる。四方八方から迫り来るそれらを、彼は結界で何とか防いだ。だがそれでも攻撃はなかなか止まない。
 ――――!
 矢に混じった気配に気づくのと、衝撃が走るのはほぼ同時だった。背中を強打された彼は前方へと突き飛ばされる。そこは矢の群れの中だった。
「ちっ!」
 彼は右手の剣で矢を防ぐ。しかしさらに背後に気配が迫った。
「遅いよっ!」
 体をひねるがよけきることはできない。何かが脇腹をかすめ、鋭い痛みが走った。服にじわりと血がにじむ。
「アース、左!」
「この……っ!」
 痛みを堪えて振るった剣と、何かがぶつかり合った。目の前には巨大な弓の柄、そしてそれを構えたブラストの姿がある。
「君は弱いねー」
 ブラストの顔が笑みの形に怪しく歪んだ。だが状況に反して、ビートブルーの表情はほとんど変わっていない。それが気に障ったのか、ブラストはさらに柄を打ちつけてきた。
「アース、われに代われっ!」
「しかし……」
 傷の痛みのためか力が入らないアースに、レーナがそう叫ぶ。これもブラストの耳には届いていないはずだ。だがアースは躊躇した。
『ブルー』としての負傷は全て体のコントロール権を持つ者にのしかかってくる。今彼女に主導権を渡すことはこの痛みを引き渡すのに等しい。それは彼にとっては忌むべきことだった。
「アース!」
 彼女の切なる声が響く。
「……わかった」
 その瞬間、『ブルー』の主導権は全て彼女に移行した。打ちつけられる弓の柄、その勢いを受け流し、ビートブルーはさらに上空へと舞い上がる。
「逃げるの?」
 ブラストはそれを追った。無数の矢もその後をついてくる。
 出し惜しみは……しないっ!
 ビートブルーの右手にある剣、それが強い光を放った。神々しいまでの白い輝きに一瞬ブラストは目を背ける。その隙を、彼女は狙った。
 降り注がんとする矢には目もくれず、ブラストめがけて剣を振るう。
 その巨大な刀身を勘でもってブラストは受け止めた。しかしそれにはかまわず、彼女は続けて剣を繰り出す。
 読みとれ、その心を。感じ取れ、その気配を。そして思い出せ、自分の流れを――――!
 白い刃の動きが、さらに俊敏になる。
「……さっきまでと動きが違う?」
 弓の柄でその攻撃を受け止めながら、ブラストは眉根を寄せた。こうもいきなり癖が変わる相手というのを、彼は知らなかった。自然と口角が上がる。
「楽しくなってきたじゃない」
 そのささやきは、戦火の中に飲まれていった。



「リン先輩……!」
 上空から恐ろしい勢いで落下してきたその姿を見やり、梅花は声を上げた。その次の瞬間、耳をふさぎたくなるような衝撃音が周囲に響き渡る。
「リン!」
 そこへ同じく空からシンが降り立ってきた。その左腕は赤く染まり、額からも血が流れ出ている。
 二人を追って現れたのは白い髪の男だった。最初に出現した魔族である。梅花は二人のもとに駆けよりながら後方をちらりと確認する。青葉が丁度魔族を一人片づけたところだった。彼は彼女の行き先に気づき、小さくうなずく。
「大丈……夫」
 普通なら即死の状況で、リンは無理矢理頭を起こした。おそらく結界か何かで衝撃を和らげたのだろうが、それにしても信じがたいとしか言いようがない。シンは彼女をかばうように立ち、白い髪の男をにらみつけた。
「先輩たちは下がってください。ここは私たちが相手します」
「梅花」
「そうそうシンにい、ほら、まだ雑魚はいるしさ」
 梅花の横に、青葉が走り寄ってきた。白髪の男の視線が、彼らの方に注がれる。
 シンがうなずくと、二人はすぐに動き始めた。空に浮かぶ白髪の男めがけて同時に光弾を放つ。しかしそれは命中することなくどこかへ消え去った。その男が瞬時に消えたからである。
「後ろ……!」
 梅花はとっさに剣を生み出した。黒い槍を、かろうじて受け止める。
「梅花!」
 青葉が男の背に剣を振り下ろした。だが彼はそれをひらりとかわし、大きく地を蹴って後方に飛ぶ。その長い髪が風に揺れる。
「先ほど彼らにも聞いたのだが、君たちの名も聞いておこうか」
「……は?」
 黒い槍を構えつつ、白い髪の男はそう言った。落ち着いたその声はこの激しい戦闘には似つかわしくない。だが迫力はあった。それは長年積み重ねられてきた経験故のものだろうか。
「……青葉」
「梅花」
 二人は端的に答えた。白い髪の男が、柔らかく微笑む。そこには敵だとは思えない程の優しさがにじみ出ていて、彼らはとまどった。風の音が、再び強くなる。
「素直だな……。私は、オルフェだ」
 黒い槍に、光が宿った。

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