white minds

第二十一章 ずれ始めた心‐9

 なめらかな動きで繰り出される槍が、梅花の左太股をかすった。彼女は眉根を寄せながら右足で地を蹴り、前方へと回転する。雪面に赤い点がいくつか落ちる。
「梅花!」
 青葉が大きく飛び上がり、オルフェに向かって剣を振り下ろした。オルフェはそれを黒い槍で難なく受け止める。耳障りな音が、頭を揺さぶった。
「ちっ……」
 しかし不利なのは青葉の方だった。疲労の蓄積、そして何より精神量の違いが確実に響いている。オルフェの動きには余裕さえ感じられるのだが。
「青葉っ!」
 梅花はすぐに立ち上がろうとした。しかし足に力が入らず、彼女は左手をつく。溶けかけた雪に埋もれ、手のひらにじわりと冷たさが広がった。
 体力が……かなり減っている。
 それでも彼女は右足の力だけで何とか体を起こした。精神はまだ残っている、まだ戦える。彼女は太股の傷に手を当てる。
「ちょっと待って」
 そこへ後ろからそんな言葉がかけられた。聞き慣れた声に驚き一瞥すると、低空をかけてやってくるカシュリーダの姿が見える。そのゆれるウェーブした髪とゆるやかな服は彼女独特だ。
 カシュリーダは梅花のもとへやってくると太股の傷に目を移し、そこに手のひらをかざした。暖かな淡い光が生まれる。
「無駄遣いは……禁止よ」
「カシュリーダさん……」
 梅花は苦笑しながら青葉とオルフェに視線をやった。二人の戦いは続いている。剣と槍がぶつかり合いけたたましい音を響かせ、時折混じる爆音が耳に痛い。
 ――――!
 迫る気配を感じて、梅花は右手に剣を生み出した。そしてカシュリーダの後ろから現れた魔族を、そのまま薙ぎ払う。
「これくらいは一人で片づけられるから、あなたはあっちを!」
 かざしていた手をのけて、カシュリーダが叫んだ。だがさらに魔族が数人迫ってきているのが目に入り、梅花は躊躇する。
「ぐっ――――!」
 青葉のうめきと、地面に叩きつけられる音がした。その瞬間、決意した梅花は彼のもとへと走り出す。剣を消し両手を突き出すと、そこから青白い光弾が放たれた。オルフェはそれに気づくと小さく舌打ちし、黒い槍で叩き落とす。その隙に梅花は青葉の前に辿り着いた。
「梅花……」
 かすれた声を発しながら青葉は身を起こした。左腕の袖には焦げ付いたあとがあり、赤黒くにじんでいる。梅花は彼の様子を目の端に捉え、再び剣を生み出した。白い刃は先ほどよりも大きく、そして放つ気も鋭い。オルフェの浅葱色の瞳ががすっと細くなった。
「そこに立つ意味、わかっているのだろうな?」
「意味?」
「守ろうとすることは、先に消える可能性があるということだ。置いていくかもしれない、ということだ」
 オルフェは地を蹴った。白い地面に溶け込むようにその姿が一瞬消える。
 ……右っ!?
 梅花は気配を感じて力一杯剣を振った。白い刃がかろうじて黒い槍を受け止める。だが力では勝てるわけもなくじりじりと押され、とはいえ青葉を置いてよけるわけにもいかない彼女は、ひたすら気による圧のみで対抗するしかなかった。
 ……視界が、かすむ。
 額を落ちる汗。足場も悪いし、足自体にももう力は残っていない。限界の体は悲鳴を上げ始めているが、それでも彼女は退かなかった。その後ろで、青葉が何とか片膝を立てる。
「――――梅花っ!」
 その時、左から突然声がした。
「カシュリーダさん!?」
「――――!?」
 声の持ち主に気づき青葉が目を見開く。その次の瞬間には、カシュリーダは飛んできた勢いでオルフェに体当たりしていた。梅花は驚きのあまり言葉を失うが、オルフェはというと冷静な眼差しのままで、懐に飛び込んできたカシュリーダを一瞥する。
 刃にかかっていた圧力が消えたのを、梅花は感じた。続いて知覚できたは、悲鳴だった。
 黒い槍に右腹を貫かれ、地面に落ちていくカシュリーダ。その姿がやけにはっきりと見える。
「ひ弱な神に用はない」
 オルフェのつぶやきが梅花の耳に届く。はっとした梅花は白い刃を彼に向かって振るった。だがそれはその体に触れることとはなかった。刃は黒い槍に受け止められ、体を浸食するような嫌な音を放っている。
「その優しさは、命取りだ」
 オルフェの言葉と、衝撃は同時に来た。何が起こったかわからないまま彼女は地面に叩きつけられる。痛む背中、遠のく意識。だが彼女は気力で上半身を起こし、オルフェたちの方に目を向けた。
 倒れたままのカシュリーダはぴくりとも動いていない。だが出血もないようであった。そしてその側には、青葉がいる。
「青葉っ!」
 梅花は叫んだ。だがかすれかかった声では彼の耳までは届かない。オルフェがゆっくりと彼に近づいていく。青葉の右手には、いつもの剣がなかった。先ほど地面に叩きつけられた時にでも落としたのだろう。彼の焦りが見えた。
 オルフェの口が、開かれる。そしてその黒い槍に怪しい輝きがともされた。
 最期だ。
 彼女にはその唇の動きがそう読みとれた。
「青葉――――っ!」
 彼女は叫んだ。かすみゆく視界の先の光景を、その脳は拒否しようとしていた。全てがゆっくりと動いているかのように見える。
 もう力など残っていないはずの体が熱くなった。
 失ってはいけない。
 死なせてはいけない。
 もう、何をも――――!
 彼女は必死に右手を空へつきだした。
「お願いっ――――!」
 何故そうしたかなどわからなかった。しかしそうせずにはいられなかった。手のひらが信じられない程熱くなり、光が、満ちた。



 黒い槍が自分に向かってくるのを意識しながら青葉は空っぽの右手に力を込めた。武器もない、精神も残っていない。防ぐ手だては、ない。
 彼は何とか横へ転がり逃げようとする。が――――
 !?
 不意に感じた右手の重み。よくわからないまま彼はそれを迫り来る槍に向かって構えた。力の入らない体勢での無理な動き、しかし彼に迷いはなかった。
「――――何っ!?」
 オルフェの声に動揺の色が現れる。
 危機を乗り越えたことを感じて青葉は自分の右手に目を移した。そこには、見慣れない、薄紫の光を帯びた長剣の姿がある。
「な、何だこれは……」
 動揺を抑えきれないまま、オルフェは一旦後ろへ飛んだ。彼は自分の槍と青葉の剣とを交互に見比べている。その隙に、青葉は立ち上がった。剣を構えながら地面に伏したカシュリーダに目をやり、それから遠くの梅花を一瞥する。上半身を起こすのがやっとという状態の彼女の周りを、薄紫の光が覆っていた。
「あ、こっちはオルフェのところかあ」
『――!?』
 その時突然、強烈な気配が飛来した。オルフェと青葉は同時に声の方を見やる。そこには黒い髪を頭の上で結わえた、風変わりな服装の男が立っていた。その男はちらりとオルフェを見、軽く手を振る。
「元気ー? オルフェ。変な気のふくらみを感じたから来ちゃった」
「ブラスト様……」
 ブラストという名前に、青葉は身を固くした。あのとき妙な宣言をした奴と、確かに同じ顔をしている。そして同じくらい、いや、それよりも圧倒的な気配がそこからは放たれていた。青葉の額を、汗が落ちる。
 不意にブラストはオルフェから目を離した。そして視線をさまよわせた後、梅花の方をちらりと見る。
 表情が、一変した。
 目を見開き、まるで時が止まったかのごとく身動き一つしないで、ブラストはただ彼女を凝視する。オルフェが怪訝そうにそんな彼と梅花の間で視線を行き来させた。
「ブラスト様……?」
 オルフェの呼びかけで、ブラストは我に返った。彼はもう一度心配そうなオルフェの方を見やり、そしてその後ろにいる青葉の存在に気がつく。
 笑い声が、響き渡った。狂ったようなその声はしばらく続き、まるで戦場であることを忘れたかのように周囲の動きまでぴたりと止まる。
「オリジナルっ!」
 そこへ耳馴染んだ叫びとともにレーナが降り立った。彼女は梅花の前に立ち、気味の悪い笑いを発しているブラストをにらみつける。
 梅花の気が、途端にしぼんだ。気を失ったのだと判断し、レーナはさらに緊張を高めて右手を構える。
 声が、止んだ。ようやく正気に戻ったらしいブラストは、自分をにらみつけている存在に気づきその方を向く。その口元が怪しく歪んだ。
「まさかまさかね、まさかこんなことが起こってるだなんて、僕も思いもしなかったよ。オリジナル、か。なら君があのレーナなんだろ? ラグナを斬った、あの」
 愉快そうな顔のブラストに宿っていたのは狂気その物だった。レーナは奥歯に力を込め、低く構える。痛い程張りつめた空気が肌を突き刺していた。それは恐ろしい程重く、体にのしかかってくる。
 ブラストの灰色の瞳に、静かな光が宿った。
「まさかこんなところに転生神がいるだなんて、誰も思わないよ。あのアスファルトだってね。本当、何て偶然なんだろう。僕があのとき君に会ってさえいれば、全てを終わりにできたのに」
 レーナはただひたすらブラストをにらみつけた。今ここですべきことは一つしかなかった。
 戦わずに追い返すこと。
 それしか道はない。
 いつにない程解放した『気』が自分の体さえむしばんでいるが、今はそれも仕方がなかった。はったりでもいいから相手に強さを認めさせる、それが今できる唯一のこと。
 ブラストが口角を上げた。
「まあまあそういきり立たないでよ。いくら僕だって、転生神二人と転生神もどき相手に戦うなんて無謀なことはしないから。弱ってるかもしれないけど、万が一ってことがあるからね。イーストとレシガ連れてこなくちゃ」
 いたずらっぽく微笑んでブラストは片手を上げた。それから彼は立ちつくしたままの部下の方へ向き直る。
「オルフェー、今回はこれで終わり。まあ色々収穫はあったし? あの二人も満足するでしょ」
「……わかりました」
 オルフェの姿がかき消えた。青葉はそれに驚き、慌てて周囲に視線を走らせる。ブラストが、声をもらして笑った。
「じゃあね、アユリ、シレン、そしてレーナ。次は覚悟しておいてね」
 そう言い残し、ブラストは姿を消した。
 戦闘は、終わりを迎えようとしていた。

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