white minds

第二十一章 ずれ始めた心‐10

「レーナっ!」
 そう叫んでアースが降り立った時には、戦闘は既に終わりを告げていた。冷たい風に目を細めながらレーナは彼を仰ぎ、苦笑しながら手をぱたぱたとする。
「何とか乗り切ったってところかな。もう、大丈夫だ」
 彼女はそう告げてすぐ後ろに倒れている梅花に目を落とした。すると青葉が力無い足取りで彼女たちの方へ駆けよってくる。彼は梅花のすぐ側によると、その体を抱き起こした。震える腕に何とか力を込める。
「梅花……?」
「大丈夫、気を失ってるだけだ」
 おそるおそるその名を呼ぶ青葉に、レーナはそう声をかけた。それは春の川の調べのように優しく、穏やかだ。青葉は不安そうに彼女を見上げ、それから自分の右手に視線を向ける。先ほどまで確かにあったあの謎の剣は、今はどこにもなかった。薄紫の光が弱まったと思ったら、一瞬で消えてしまったのだ。
「大方の魔族は退散した。とにかく、われわれも一度戻ろう」
 レーナは歩き出した。戦闘の熱気で解けた雪は、土と混じりあい汚く茶色に染まっている。そしてその所々に赤が混じっていた。
 彼女は視線を前方のカシュリーダに向け、その側へと急ぐ。
「破壊系……か。核の一部をやられたようだな」
 出血は全くなく、けれども死んだように倒れているカシュリーダを、レーナは見下ろした。緩やかに広がった狐色の髪に土気色の肌、紫色の唇。それは核への傷の深さを物語っている。
「リーダ――っ!」
 そこへ、そう叫びながら低空を駆けてくる者がいた。カシュリーダと同じ狐色のくせ毛の青年、ミケルダだ。彼はすぐ側までくるとカシュリーダを抱え上げ、その頬を軽く叩いた。だが彼女は身じろぎ一つしない。
「破壊系をくらったようだ」
「破壊系!? くそっ……!」
 ミケルダはカシュリーダを抱えたまま走り出そうとし、だが一旦立ち止まってレーナを振り返った。その反応に彼女は小首を傾げる。
「後始末は……オレらがする。だからレーナは神技隊をつれて戻っててくれ。たぶんしばらくこっちは大混乱だから、連絡は取れないと思うけど」
 そう言い残し、ミケルダは去っていった。風に吹かれてなびく髪に手をやりながら、レーナはうなずく。体を薄く覆っていた結界を解くと、寒さがじわりと身に凍みてきた。彼女は一瞬目を細め、それから辺りの気に意識を集中させる。
 さすがに……弱ってる奴らが多いな。まあ、乗り切れただけでも十分か……。
 安堵とも何ともとれないため息が、その口からもれた。



 頼りない足取りでジュリは廊下を歩いていた。気を緩めると視界がぼやけ、バランスを失い足がもつれてしまう。彼女は壁づたいに進みながらも前に迫る気配に気づき、顔を上げた。
「サホさん……?」
「ジュリさん、大丈夫ですか!?」
 気配の主はサホだった。銀の髪を振り乱しながら走ってくる姿に、ジュリは微笑みかける。サホは気遣わしげにその手をゆっくりと伸ばした。
「……ジュリさん、お疲れさまです。治癒、大変でしたもんね。怪我人が多くて」
 ジュリの体を支えようとするサホ。だがその手を制してジュリは口の端を軽く上げた。サホは一瞬目を丸くする。
「私が胸張ってできるのは、これくらいですから」
「そ、そんなことありませんっ!」
 サホは力一杯首を横に振った。しかしその返答は予想していたのか、ジュリは依然として微笑したままサホの頭にそっと手をのせる。
「そんなことあります。あっ、サホさんは大丈夫なんですか? どこか怪我は?」
 ジュリはサホの様子を上から下まで観察した。だが幸いにもどこにも傷らしきものは見あたらない。サホは苦笑しながら口を開く。
「大丈夫です。私は……アキさんと一緒で精神砲用の待機組でしたから」
「精神砲……?」
 聞き慣れない単語に、ジュリは首を傾げた。サホはうなずき、おもむろに壁に手を当てる。
「はい、そうです。この基地の、まあ装備みたいなものらしいですよ。いざというときは使えと、レーナさんに言われました。それにレグルスさんを一人置いていくわけにもいきませんしね。だから、私は平気なんです」
 ジュリの腕を肩に回し、サホはその体を支えた。今度はジュリも抵抗せずに、その申し出に甘える。
「基地っていう呼び名も、あながち嘘っていうわけでもないんですね」
 そのつぶやきに、ただサホは静かに微笑むだけだった。



 灰色の壁に囲まれた部屋。重々しい空気に包まれたそこには、三人の男女が立っていた。それぞれが各々別の表情をしているのだが、だがそこには共通の思いがある。
「本当か……と聞き返すのは意味のないことだろうな」
 空色の髪をかきあげながら三人のうちの一人、イーストが口を開いた。彼の目には苦悩が宿っており、顔色もどこか優れない。目を細めてちらりと他の二人を見やるイーストに、ブラストは怪しく笑いかけた。
「そりゃね、確かに見たのはちょっとだったけど、でもあれは間違えようがないよ。アユリとシレンは、確かにいた」
 ブラストの口調は軽かったが、しかしその声には別の色が含まれていた。彼はくすりと笑いながら、服のほこりを払うような仕草をする。
「あの面倒な青髪に邪魔されてなきゃ、すぐ気づけたんだろうけどねー。そしたらさくっと殺せたかもしれないのに。あ、でもあの娘、レーナがいるからやっぱり面倒だったのか。どっちにしろ」
 天井を見上げて嘆息するブラストを、レシガは見やった。それにあわせて彼女の長い髪がゆっくりと揺れる。
「でもあなたの話じゃそのレーナは――――」
「ああ、転生神もどき。何故だかわかんないけど、当人は知ってたみたいだったけどねー」
 いたずらっぽくゆがめた灰色の瞳を、ブラストは二人に向けた。イーストは眉根を寄せ、レシガは細く息を吐く。
 訪れる、沈黙。
 痛い程の静けさがまるで肌を刺すかのようで、立っているのも辛くなる。
 そんな中、レシガが言葉を発した。
「つぶすのなら、今のうち。この機を逃してはいけないわ。けれども、焦ってもいけない」
 そこに全てが集約されていた。イーストが相槌を打ち、いつもの爽やかすぎる笑顔で彼女を見る。
「そうだね、レシガ。もうじきなのだろう? ラグナは」
「ええ、おそらく、もうすぐ」
 二人はうなずきあい、それからブラストに目を移した。心外そうな顔で片目をつむりながらブラストは肩をすくめる。
「僕はもとから実行担当。考えるのはお二人さんに任せるよ。まあそれでも、顔合わせくらいしておいた方がいいかもね。今度はさ、みんなにも覚えてもらわなきゃ」
 その棘のある声に二人は苦笑した。その様子を確認してブラストは口角を上げる。
「まあ人間たちの方は順調にやっててくれてるみたいだから、内部崩壊も間近じゃない? 人間も守ろうだなんて、そんな無理なことするからこうなるのさ。それを早く教えてやりたいねえ」
 その部屋唯一の窓から、彼は薄暗い空を見やった。

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