white minds

第二十二章 離脱‐1

 再び、寝付けない夜が訪れた。体は疲弊しているにもかかわらず、頭が冴えてどうしようもない。
 シンは暗い部屋で一人、一つ大きなため息をつく。
「シン……?」
 するとゆっくりと扉が開き、聞き慣れた声がかかった。彼は慌てて立ち上がり、扉の方へ急ぐ。
「リンも、眠れないのか?」
「まあ、ね。死にかけたし色々あったし」
「……入るか?」
「うん」
 静かにリンは部屋の中に入ってきた。そしてちらりと周囲を見やると、ベッドの端に軽く腰掛ける。柔らかいマットが音を立てて緩やかに沈んだ。明かりは、一つも灯されていない。
「何だか……不思議な気分よね」
 力無い声でリンはつぶやいた。シンは微笑しながら彼女の隣に腰を下ろす。彼女は彼を見上げ、頬をかきながら小首を傾げた。
「こんな所に転生神が、だなんて急に言われても実感わかないし。入り込んだ神が、とんでもないすごい奴だったってことなのかしら?」
「ってことかな」
「ってことよね」
 薄暗い部屋に、静けさが戻る。雲の隙間から顔を出す月光は窓からかすかに差し込んでいて、壁の一部にくっきりと二人の影を貼り付けていた。だがそれ以外は全てが灰色。黒に近い灰色に覆われている。
「……また、滝さんと青葉に置いていかれちゃったなあ」
 シンは窓から外を見る。暗闇の世界。白い雪も、空も、皆夜の闇に染められている。リンはそんな彼の横顔を見て、いたずらっぽく微笑んだ。
「それじゃあシンは転生神になりたいの?」
「いや、そういうわけじゃないけど……」
「ならいいじゃない。滝先輩や青葉だって、好きでなったわけじゃないんだし、ここにちゃんといるわけだし」
 シンは、リンの方を振り返る。彼の瞳に不安の色を見つけて、彼女は人差し指をその鼻に突きつけた。シンは驚きその茶色い目を丸くする。
「そんな顔しないでよ。誰もあなたをおいてなんかいかないから。シンはシンでしょ? それと同じ。滝先輩は滝先輩で青葉は青葉、レンカ先輩はレンカ先輩で梅花は梅花。それは変わらない」
 強いなと、それだけを彼は心の中でつぶやいた。
 うろたえるばかりの自分と違っていつだって前向きだ。羨ましくなるくらいに……。
 彼女の目に映る自分を、彼は凝視する。
「そうだな……リンの、言うとおりだ」
「シンは考えすぎなのよ、何でも。そんでもって臆病になりすぎ。あなたが距離をおいたら、おかれた方が困るんだからね?」
 リンは手を下ろした。再び、訪れる沈黙。しかし先ほどと違い、どこか暖かく穏やかな空気がそこには満ち始めていた。シンは柔らかに目を細める。
「まあ、魔族さんたちには距離おいて欲しいんだけどね」
 冗談めかして放たれた彼女のつぶやきに、彼は声をもらして苦笑した。



 部屋に連れっていったのはいいものの、そのまま置いてくのは憚られて青葉は当惑していた。ベッドの端に座ったままの梅花は、窓の外に目をやっている。
 着替えも何もかもが終わっていた。弱っていた彼女を、ジュリやサホが手伝ってくれていた。だから彼がやるべきことといえばもう何もない。
「梅花……」
 それでも彼はやっぱりそこを離れられなかった。先ほどの話が頭にこびりついてどうしようもない。それは、彼女も同じだろう。一人にするということを、一人になるということを、心が拒否している。
「何? 青葉」
 彼女はゆっくりと彼を見上げた。いつも通り感情を宿してないはずのその瞳が、今はどこか頼りない。揺れる長い髪すら儚さを思わせる。彼は彼女の隣に腰を下ろし、その頭をゆっくりなでる。
「大丈夫か?」
「大丈夫って、何が?」
「色々」
「そう……色々、ね」
 彼女の瞳が伏せられた。その白い肌を照らす月光さえ弱々しく差し込むだけだ。明かりをつけるべきか迷う彼だったが、しかし今彼女の側を離れるのもためらわれる。結局彼はこの薄暗い部屋で我慢することにした。目は次第に慣れてくるはずだ。
「転生神だなんて……信じがたいわよね」
 彼女が小さくそうもらす。彼はうなずき、またゆっくりと彼女の頭をなでた。
「梅花……そのさ、あの剣」
「剣……?」
「オレがあのオルフェとかいう奴にやられそうになった時、突然現れた剣」
 彼の方を、彼女はゆっくりと見上げた。彼はなでる手を止めずに続きを口にする。
「薄紫色の光に包まれた、剣。あのときさ、お前の周りを同じ色の光が覆ってた。あれってさ……お前の?」
「……かもしれない」
 小首を傾げて彼女は表情を曇らせた。確信はない。しかしその可能性は高かった。彼は柔らかに微笑みながら彼女の頭を少し引き寄せる。
「ありがとう。あれがなかったら、オレ、死んでた」
「うん、死なせちゃいけないって、思ったから。失ってはいけないって」
 指通りのよい髪を、彼はなでつけた。いつもなら怪訝な顔でにらみつけられるところだったが、しかし今日は違った。彼女は不安げに目を伏せるだけで何も言わない。
「私はやっぱり、あなたを追ってきたのかしら?」
「……え?」
「レーナがそう言ってたでしょう?」
 彼は言葉に詰まって視線をさまよわせた。彼女はそんな彼をうかがうようにそっと見上げる。
「それなら私には、まだやることがあるのね。やらなければいけないことが」
「……梅花?」
 彼女はまた目線を落とした。彼は不思議そうに彼女を見るが、しかし陰となってその表情はうかがえない。彼は唇をきつく結ぶ。
「本当は……ずっと消えるべきだと思ってた。私が存在することで皆が苦悩するなら。神技隊に選ばれれば、それも可能かなあって。人知れずどこかに行って、そのまま忘れ去れればいいなって……。でも私にはまだやらなければならないことがあるのね。まだ、残っているのね、きっと」
「梅花……」
 青葉は彼女の頭を抱き寄せた。近くなる吐息に心臓の鼓動が早くなるが、彼は一度瞼を閉じて、何とか気持ちを落ち着かせる。
 今、オレがやらなきゃいけないのは、言わなきゃいけないのは……。
「なあ梅花、オレはお前がいないとだめだったし、それはこれからもそうだと思う。だから、アユリやシレンがどうのこうのとか、そういうのは関係なく、ただ、その……オレの側にいて欲しい。側にいたい」
 彼は抱き寄せていた手をゆるめた。彼女はゆっくりと頭をもたげ、小首を傾げて彼を見る。息が詰まりそうになるのを、彼は感じる。
「今も……側にいるじゃない?」
「そうだけど……これからも、ずっとってこと」
 彼女はますます怪訝そうに眉根を寄せた。しかしその反応も彼にとっては予想済み。ゆっくりと口を開き、一言一言に力を込める。
「オレは、お前が好きだから。だからずっと側にいたいし、いて欲しい」
 まるで時が止まったようだった。暗闇と静けさが支配する部屋の中で、二人の呼吸音だけが繰り返される。
 先に動いたのは梅花だった。彼女はぽんと軽く手を叩く。
「あっ、そっか。従姉妹としてってことね」
「……お前が自分に向けられた好意にどう対処していいかわからないのは、よーくわかってるから。だからオレはめげないぞ?」
「……めげて?」
「おいっ」
 青葉は彼女の両肩をつかみ、その瞳をのぞき込んだ。彼女は困ったように顔をゆがめ、小さく息を吐く。
「……だってそんなこと言われても、よくわからないんだもの。何を求められてるのかもわからないし」
「愛」
「だからそれがよくわからないの」
 彼は彼女の体を力一杯抱きしめた。そして落ち着かせるようにゆっくりとその頭をなでる。
「それもわかってる。だから今は別に何も求めないって。ただ、側にいて欲しいだけ。ただ、オレの気持ち知ってて欲しいだけ。答えは、今はいらない。こんな時にこんなこと言うのは卑怯だってわかってるし」
 梅花は頭をそっと彼の胸にあずけた。何故だかわからないけどひどく泣きたい気分だった。彼は手を止めずにささやくように言う。
「もう、消えるとかいなくなるとか、そういうこと言うなよ?」
「……うん」
 消え入りそうな返事に、しかし彼は満足し微笑んだ。

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