white minds

第二十二章 離脱‐2

 昇る朝日に照らされた雪は、煌めく海原のように輝いていた。目を覆う程のまぶしさが一面に広がり、どこからが空かもわからない。冷たい空気はコートを羽織ってもなお体の芯から熱を奪い、吐く息を凍らせた。引っ込めた手の指先からも次第に感覚が失われている。
「お前たちも……屋上好きだとはな」
 背後からかけられた声に、滝とレンカは振り向いた。出入り口の方からやってきたのはもはや見慣れてしまった少女、レーナだ。その結われた黒く長い髪が風に舞い、白い世界の中で浮き立っている。
「下にいると、他の奴らに気を遣わせるからな」
「気まずそうな顔、させちゃうからね」
 滝とレンカはそう説明して苦笑いを浮かべた。レーナは微笑しながら二人の横まで歩いていき、側の手すりにもたれかかる。
「そう言うレーナはどうしてここに?」
「われは、ここが好きなんだ」
「もうこんなに寒いのに……よくアースが許してるわね」
「整備だからって言ってある。実際それもやってるし」
 滝とレンカは顔を見合わせた。後でばれたらと思うとやや不安な面があるが、しかし今どうこう言うべき問題ではない。レーナは冷たくなった手すりに腕を置き、遠くを見やった。
「少しは、落ち着いたか?」
 ささやくようにレーナは言った。その隣のレンカは風に揺れる髪に手を添えながら、同じようにてすりにもたれかかる。彼女の口から柔らかい声が静かに放たれた。
「まあね。色々考えることは多いけど。少し、聞いてもいいかしら?」
 彼女がそう尋ねると、レーナは小さく相槌を打つ。滝はゆっくりと手すりに背をあずけ、レンカたちの方を見た。
「転生神の話。前に聞いた時はリシヤやアユリのことがちらりと出ただけだったけど、他にもレーナは知ってるんでしょ? 教えてくれない?」
 レーナはちらりとレンカを見た。その顔は予想していたよりも穏やかで、レーナは少し安堵する。
 強い。
 そう思わざるを得なかった。
 自分の存在が根底から揺るがされようとしているのに、それでも落ち着いていられる。そこには確かに別の何か大きなものが存在し、それを支えているのだろう。
 軽く瞼を閉じ、レーナは口を開く。
「ああ、そうだな。自分のことがわからないってのは、辛いことだ。われが知っている範囲でよければ」
 彼女の長い髪が風に揺れた。
「転生神という考えは昔からあったが、それがおとぎ話でなくなったのはアユリが現れてからだ。アユリは突然、シレンの前に姿を現した。何もない空間に、突然。そして言った、『よかった、追いついて。また、会えてよかった』と。だが彼女はその後すぐに気を失い、それ以前の記憶を全て失ってしまった。その台詞を言ったことさえ覚えていなかった。だが周りがその台詞を忘れることはなかった」
 彼女は目だけでレンカたちを見た。二人は神妙な面もちで彼女を見ており、その瞳に揺らぎはない。彼女は微笑する。
「そのことで、アユリとシレンは転生神ではないかという話が持ち上がってきた。それは、瞬く間に広まった」
 銀世界を見下ろし、レーナは目を細める。風にあおられて飛ぶ粉雪が頬に当たり、ぴりぴりとした痛みが走った。だが彼女は表情を変えずに話を続ける。
「丁度同じ頃、リシヤとヤマトも出会っていた。リシヤを見つけたのは、ヤマトだった。彼女がどこから来たのかは、誰も知らない。彼女自身も覚えていなかった。だが気は確かに神のものだったから、彼は彼女を仲間に引き入れた」
 そこでレンカはくすりと声をもらして笑った。彼女は滝の方に顔を向け、いたずらっぽく微笑む。
「どうやらどの時代でも、私はあなたに見つけられる運命みたいね」
「で、オレがみんなのところに連れてくってか?」
 滝も同じような顔をして笑い返した。その場ににじみ出す温かいものが、彼らを覆う。
 風にはためくコートの襟がぱたぱたと音を立てた。今日はそれほど風はないはずだが、しかし屋上ともなればやはり無視はできない。けれども彼らは頬を赤くしたままそこから動こうとはしなかった。
 レーナはゆっくりと手すりに積もった粉雪を払う。
「アユリとリシヤの出会い。それが転生神の第二幕を落とすこととなった。偶然出会った二人は、しかしお互い干渉を引き起こして倒れた。……数週間程起きあがらなかった。それが何故かは、いまだにわかっていない。しかしアユリと反応を起こしたことである噂が広まった。リシヤもアユリと何か関係があるのではないか? ひょっとしたら過去に何かあったのではないか? 転生神の一人なのではないか? そう皆は噂するようになった。そして希望を含んだそれらの言葉は、いつしか定説として伝わっていく」
 奏でられる物語はひどく静かだった。そこから読みとれる感情は皆無に等しい。ただ静かに告げられる事実は、滝とレンカの心を揺さぶった。理由もわからない気持ちの変化だけが、二人に訪れた。
 それでもまだレーナの言葉は終わらない。
「その結果、アユリと何らかの特殊な反応を起こした者は皆転生神と認められるようになった。シレンとリシヤの他にもヤマト、ツルギ、レイスがそうだと認められた。他にもいたのかもしれない。しかし出歩くことの少ないアユリと会うことができたのは彼らだけだった。実際この六人は、少しずつだがその力を発揮していくことになる。そしてついには、対魔族の主力となった。彼らは多くの神たちに転生神として称え誉れ、そして頼られた」
 よくわからない感覚にとまどいを覚える二人に、レーナは向き直る。そしていつもの微笑を浮かべ小首を傾げた。その白い肌は背景の白さに溶け込んで、まるで何かの精霊のようにも見える。着ているものさえそれらしければ間違えるところだろう。それぐらい、彼女の放つものは浮世離れしていて、それなのに柔らかかった。
「話は、もう終わりだ。われも大したことは知らない。実際見かけたのもちらりとだったしな。それに、それは彼らが没する直前のことだった。ヤマトはプレインと相打ちになったと、そう伝えられている。その隙をついてリシヤが封印したと。実際はヤマトはそれから数日は生きていたわけだがな、われが見たのだから。リシヤについては詳しいことはわかってはいない。だがヤマトがいなくなって間もなく、彼女も忽然と姿を消したと言われている。アユリもそうだ。シレンがブラストと相打ちになり力つきると、いつしか彼女もいなくなっていたと。まあシレンも同じく数日は生きていたと思うがな。われはこの目に収めたわけだし。ツルギとレイスについては大分前に消息を絶っていたので、残念ながら確認してはいない。だがいつの間にかいなくなっていたことは確からしい」
 レーナの口から、小さく息がこぼれた。曇ったそれは瞬く間に空気に溶け込み、何事もなかったかのように消え去る。滝は額に手をやった。冷え切った手のひらの感触に眉根を寄せながら彼は口元をゆるめる。言葉は、ゆっくりと紡ぎ出された。
「それは、お前が調べた話なのか?」
 音もなくレーナは首を横に振った。舞うような一筋の黒い髪が銀世界の中で浮かび上がる。
「いや。これは全て、ユズがアスファルトにした話を、われが聞いていたものだ」
「ユズ……?」
 間髪入れず、レンカは疑問の声を発する。レーナは小さくうなずいた。
「ああ、我々を生み出した者のうちの一人。未来からやってきた女神で、まあ変わり者だな。アスファルトの……恋人? とでも言うのだろうか? 今は別居中みたいなものだけど」
 レーナの苦笑に、滝とレンカは顔を見合わせる。それにすぐに気づいて、レーナは人差し指をつきだし軽く振った。
「そう、魔族と神。敵同士のはずの二人が、我々を作り出した。われにはユズの、アースたちにはアスファルトのいわば遺伝情報が入っている。我々は言うならば異端だ。だから魔族からも、神からも忌み嫌われ、疎まれる」
「そうなの……。でも私はその別居中というのも気になるんだけど?」
 すぐにレンカのからかうような声が上がった。レーナは一瞬目を丸くし、それから苦笑しながら手をひらひらさせる。それにあわせて彼女の髪が、はちまきの端が、ゆるゆると揺れた。
「まあ色々と、な。やはり神と魔族というのは難しい。一緒にいるのには、相当なものが失われる。些細なことからそれは崩れていく。まああいつらが意地っ張りってのも、かなりの原因だけど」
 くすりと、レーナは笑った。だがその瞳は悲しみの色を帯びている。滝とレンカは目を合わせ、同時に相槌を打った。
「じゃあそろそろ話はこれくらいにしようか? このままじゃ風邪ひくし、なんといってもそろそろアースが勘づきそうだからな。オレはにらまれるのはごめんだ」
 滝は手すりから背を離した。彼に続いてレンカも体を起こし、歩き始める。
「怒られるのは、われもごめんだ。あんな顔されて接近されると、さすがのわれも何も言えなくなるからな」
 輝く雪面を背に、レーナはおもむろに歩を進めた。

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