white minds

第二十二章 離脱‐4

 もうじき夕食時を迎えようとしている食堂は、しかしどこかぎすぎすとした重い静寂に包まれていた。捕食者に狙われた小動物が息を潜めるように、誰もが何をも言わず身動き一つしない。お互いをうかがうような視線はしかしどれも交わることなく、温かいはずの空気から温度を奪い取っている。優に二十人以上はいるはずだ。だがその気配すら押し殺されていた。
「……それで、いいんだな?」
 その沈黙を破ったのは滝だった。伏せていた瞳を周囲に向け、彼はゆっくりと問いかける。皆は思い思いの表情を浮かべてうなずいた。それぞれが、それぞれの決断を胸に、今までの生活に思いをはせる。
「悪いな」
 そう言ってラフトが立ち上がった。椅子のがたりという音が、彼のどこか泣きそうな声をうまくごまかす。くせのある銀の髪を、彼はかきむしった。
「悪いって、何がですか?」
「いや、何だかんだ理由つけたところで、結局はお前らに任せて行っちゃうわけだろ? 一番大変なところを」
 ラフトの答えに、滝はその茶色い瞳を細めて苦笑するだけだった。自分が渦中に置かれてどうしようもない彼としては、かける言葉は簡単には見つからない。
「何言ってるんですかラフト先輩。一般人の混乱をどうにかするのだって大変なことですよ。大体犯人の予測なんて全然ついてないんですから」
 再び生まれようとした静寂をリンがうち破った。青空に映える太陽のようにその声は明るく、軽やかで、その目に浮かんでいるのは穏やかな色。それがラフトの心を落ち着かせていく。
「そうよ、自分の決断くらい自信を持ちなさいって。私たちはどうせ戦闘向けに集められたわけじゃないんだし、足手まといになっても仕方ないでしょ? 魔族のせいで一般人の混乱が増せば、またこの前みたいなことになるし」
「カエリ……」
 ラフトの背を、カエリが景気よく叩いた。パンという乾いた音が食堂に響き渡る。
 神技隊は、独立を決意した。
 皆が出した答えはそれだった。捨て駒にされる可能性があると、そう言われてなおついていく度胸も、無謀さも、彼らにはなかった。独立は満場一致。
 だがそれはすなわち彼らを縛るものが無くなったを意味する。神技隊として任命したのは『上』で、その大本は神だ。神側から離れるのならば神技隊として魔族と戦う必要はなくなる。それは任務ではなくなる。
 どうするかはそれぞれの意思。
「そうだよな。オレは、一般人を守る、一般人が滝たちの足を引っ張らないようにするって、決めたんだから」
 ラフトは口の端を弱々しく上げた。
 彼は、この基地から出ていくことを決めた。いや、彼だけではない、フライングの五人全員だ。
「でしょ? だから自信持ちなさいって。本当馬鹿なんだから」
 カエリは長い前髪をかき上げる。言葉こそぞんざいだったがまとった空気は柔らかだった。馬鹿と言われて眉根を寄せるラフトに、今度はゲイニの拳が入る。
「うじうじ悩むなんてお前らしくないな。何だ、残るのか?」
 頭を強打されうずくまるラフトを、ゲイニは見下ろした。いつの間に側に来てたんだと、ラフトは内心首を傾げる。先ほどまでは確かにテーブルの向かいにいたはずだった。
「仲良いところ止める気はありませんけど、それぞれもと怪我人同士なんですから気をつけてくださいね」
 取り残され気味だった滝が、小声で付け足す。すると、大丈夫だとでも言うようにゲイニが軽く手をひらひらとさせた。沈黙が、また生まれる。
「守るってのは、大変だってわかったから。今まではずっと守られっぱなしでそれがわかんなかったけど……でもそれがわかったから。だからオレはその負担を減らしたい。どうせオレは怪我とか治せるわけでもないし、精神系使えるわけでもないし、武器もないし……対魔族には向いてないんだ。だったらオレはできることをしたい。だからオレはここを出る」
 そう告げるラフトの脳裏にはレグルスがいた。彼はまだ眠ったままだ。おそらくショック症状のようなものだろうとレーナは言っていたが定かではなかった。何か対策を講じる必要がある。
「ならいいだろ。オレも、ここを出る。お前のいないところなんてつまらないしな」
「……オレは男だぞ?」
「……」
 重要な場でのラフトの素っ頓狂な発言に、ゲイニはまるで別の生き物を見るかのような視線を送った。だがラフトはわけがわからず不思議そうに首を傾げている。
 その様子に、カエリがさもおかしそうに声を上げて笑った。
「相変わらずー。ま、そういうことだから? 滝、後は任せたからね。上がいない方があなたもちょっとはやりやすいでしょ?」
「いえ、そんなことないですよ」
 突然声をかけられた滝は慌てて首を横に振った。それでもカエリは堪えきれない笑い声をもらしながら、いたずらな目を彼に向けている。彼は困惑しながら、斜め後ろにいるレンカにちらりと視線を送った。
「私たちのことは気にしないでください。最後に決めるのは、先輩たちですから」
 どこまでも透明で、それでいて凛とした響きを持つ声を、レンカは発した。浮かべた微笑みには温かさと輝きがあり、目をそらすことさえ叶わない。照れ隠しなのか頬をかくカエリは、自分を見つめる焦げ茶色の瞳を静かに見返した。
「……わかってるわよ。私たちは、私たちで決断したの。五人一緒なんて、結構仲いいでしょ?」
 おどけた口調は何を隠すためであろうか。
 しかしレンカはただ微笑みうなずくだけで、何も言わない。安堵した表情のカエリは、まだいがみ合っているラフトとゲイニの方を振り向いた。
「ほら、いつまでそんなことやってるのよ。さっさと座る!」
 その言葉に、二人は渋々と従った。すると再び食堂を重い空気が覆う。口を開くのをためらわせるその雰囲気は皆を飲み込み、その思いを奥へ奥へと押し込めていく。
「オレも、ここを出る」
 一体どれだけの時間が過ぎたのだろうか?
 痛い程の沈黙から次に抜け出したのは、サツバだった。様々な思惑を込めた視線に射抜かれて、彼は居心地悪そうに唇を強く結ぶ。ローラインの息を呑む音が、耳に痛かった。
「私たちに止める権利はないし、その理由を聞き出す権利もないわよ?」
 レンカの落ち着いた、落ち着きすぎて突き放したような言葉が彼に降り注ぐ。だがその声に非難の色はなかった。そこにあるのは穏やかさだけだった。
 サツバは顔を上げる。
「……もともとオレは他人と連むのが好きじゃないし、わけわかんない奴といるのも好きじゃないし、他人の言いなりになるのも好きじゃない。ラフト先輩と同じで、補助系も使えないし武器も向かない、精神系も使えない。オレは、ここにいるべき奴じゃない」
 何度も唱えてきた言葉を、彼は口にした。脳裏をよぎるのは何故か煙たがっていた父親の姿で、彼は心底げんなりとする。だが納得もした。知らないところで糸を引かれているのか、彼は我慢がならなかったのだから……。
「オレも、抜ける」
「……え?」
 近くで上がった声に、サツバは目を見開いた。隣にいた北斗だった。いつも通り何も考えていないような、それでいて冷静な顔をした彼は、それでもにこやかに微笑んでいる。
「ばっ、馬鹿! 北斗、何でお前もやめるんだよ!」
「え? だって相棒無しでやっていける程オレは強くないし、それに足手まといになるのはわかってるからさ。オレは気持ちだって強くないから、五腹心とか、あんなすごいのが出てきちゃ正直足がすくむ。それじゃ、一般人と同じだ。だからオレは抜ける」
 それがどうかしたのか、と問いかけるように北斗は首を傾げた。その切りそろえられた髪がさらりと揺れる。
「ほら、他にもいないのか? 遠慮しなくていいんだぞ? 今ならまだ間に合う。命をかけるんだ、それを強いる権利はオレたちにはない」
 滝は笑いながらそう言い、ぱんぱんと手を打った。話の流れのせいもあるだろう、それまで顔を強ばらせていた数人が戸惑いながら辺りをうかがい始める。ざわめきが、徐々に生まれた。
「コブシ、わたくしに尋ねる必要はないんですからね?」
「隊長……」
 食堂の端で縮こまっているコブシに、よつきが微笑みかける。今にも泣き出しそうな顔でコブシはよつきを見た。
「たくも、コスミもですよ? いつもみたいに聞き返さないでくださいね?」
「隊長!」
「そんなっ!」
 続けてよつきはたくとコスミにもそう告げる。すがるように声を上げる二人は、置いていかれそうになった子どものようだった。実際そのような気分なのだろう、その瞳は揺れている。
「ちゃんと最後は自分で決めてくださいね、残るにしても出ていくにしても、ってことですよ」
 諭すようによつきはそう語りかけ、子を見守る親の様に目を細めた。うろたえたたくとコスミはお互い顔を見合わせながら、言いあぐねている。
「わたくしは、あなたたちを守って上げられる程強くはないです。自分の道は、自分で決めてください」
 そう告げたよつきは遠くを見やるように辺りに視線を泳がせた。決意した者、迷う者、入り混じった食堂は混沌とした気配を漂わせている。
「ちょっとタイムリミットが、早すぎですけどね」
 苦笑気味にはき出されたつぶやきは、そこはかとなく哀愁を帯びていた。

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