white minds

第二十二章 離脱‐5

 無愛想な机を指で叩きながら、レーナは口角を上げた。椅子の上から時折揺れる足は白いブーツに包まれており、その存在を主張している。浮かんでいるのは、微笑んでいるとも苦笑しているともとれる微妙な表情。それは彼女としては珍しかった。彼女は、特に最近は、神技隊を前にしては滅多に曖昧な顔をしない。
「そういうことになったか」
 彼女がまず発したのはその一言だった。それからゆっくりと、入り口に立つ滝を見やる。そんな彼女の意図がわからず、彼はもどかしさを堪えながらうなずいた。
「ああ、オレたちは独立することに決めた。抜けるのはフライング先輩と、サツバ、北斗、コブシだ」
 彼はもう一度繰り返す。彼女は何か思案するように何度か相槌を打ち、それから咲き誇った花のように微笑した。たったそれだけの変化なのに、彼は心底安堵感を覚える。いつも通りでないというのは、どうしてこれだけ不安なのだろう。自分のことなのに、彼はそれが不思議だった。
「予想より多く残ったな、よかった。それなら何とか乗り切れそうだ」
 レーナは立ち上がった。揺れる黒髪が部屋を照らす光を反射し、紫色に輝く。シンプルすぎる部屋を彩るのは彼女自身だけだ。その不思議な光景を目に収めながら滝は笑う。
「よかった。お前にそう言ってもらえるとかなり安心するな」
「われの言葉を簡単に信じるのか? これだけ色々隠してるというのに」
 彼女が浮かべたのはいたずらっぽい笑みだった。からかうようなその調子に滝は苦笑しながら頬をかく。
 確かに彼女はいつも何かを隠している。それは今回のことでもそうだった。それは彼だって嫌と言う程わかっているはずなのだ。だが彼は何故か彼女の言葉を信じようとしていた……いや、何故だが信じられる気がした。
「オレもよくわからないが、お前の言うことなら信じられる気がする」
 彼は正直にそう述べた。レーナがふっと力を抜き、先ほどまで座っていた椅子をくるりと回す。がたがたと音を立てる椅子を見下ろしながら、彼女は言った。
「まあわれは色々隠すしごまかすけど、でも嘘は言わない」
 宣言のようにも聞き取れるその言葉を、彼は噛みしめた。彼女はぐるぐると回る椅子を見つめている。それは、異様な光景だった。彼女が何を思っているのか、何故そんなことをしたのかわからず、彼は小さく息を吐く。
「これからは、さらに厳しくなるぞ。だから喧嘩なんかするなよ」
「……は?」
「仲間内でのごたごたは、精神に響く。気まずい雰囲気なんか作るなよ?」
 レーナはくすりと笑って椅子を止めた。滝は怪訝そうに首を傾げ彼女の横顔を見つめる。しかし彼女はそれ以上説明する気はなさそうだった。大きくのびをするとにこりと微笑んで可愛らしく振り返る。
「というわけだから、われも気まずい雰囲気を作らないようにアースの所に行ってくる。お前たちも、頑張れよ。ってもうすぐ就寝時間だから今日は無理か」
「はあ……」
 結局彼女が何を言いたかったかわからないまま、彼はその部屋を後にした。



 重たい灰色の空から、大粒の雪がはらりはらりと落ちていた。昇り始めたであろう太陽は雲の後ろに隠れており、まるで夜明け前のような明るさである。風も時折強く吹き、落ち行く雪を、降り積もった雪を巻き上げていた。気温は定かではないが、見るからに寒そうである。
「行ってしまいましたね……」
 ぞうきんを片手にサホはつぶやいた。部屋に比べればずっと気温の低い廊下、そこでの作業というのはなかなか応えるものだった。特に水仕事となればなおさらだ。彼女は赤くなった手をさすりながらついと横を見る。
「そうですね……本当に、行ってしまいました」
 巨大なモップを持ったローラインは、せわしなく動かしていた腕を止めて窓を見た。その先にあるのは白い世界のみ。もう去っていった仲間たちの姿はない。
「寂しいですね」
 ローラインはうっすらと笑みを浮かべた。モップの柄をゆるゆると揺らし、彼は細く息を吐く。うつむくと流れるような金髪が服に触れ、かすかに音を立てた。
 朝早く、基地を出る者たちはここをたっていった。軽い挨拶程度で出ていってしまった彼らを、見送れなかった者は多い。後で知ったら何と言うだろうかと、彼は思った。
「あ、サホにローライン先輩」
 窓をぼーっと眺める二人に、静かで透明な声がかかる。二人が振り返ると、そこには毛布を抱えた梅花の姿があった。いつも以上にか細く見えるのは顔色のせいもあるだろう。だが瞳には力強さがあった。サホはゆっくりと頭を傾け、花のように微笑む。
「梅花先輩、体の調子はもういいんですか?」
「まあ大体ね。精神はちょっと足りないかもしれないけれど」
 サホのいたわりの言葉に、梅花は優しく微笑して軽く手をひらひらとさせた。ローラインは何かを言いかけ、しかし無駄だと諦めて口を閉ざす。
「どこに行くんですか?」
「司令室よ。滝先輩たちにちょっと話があって」
「話?」
「そう、レグルスのことで」
 サホの息が一瞬詰まった。梅花はそれに気づき、かすかに震える彼女の肩に手を置いて、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「心配するようなことは何もないわ。ただここじゃ打てる手も限られてるから、医者の所につれてった方がいいかもしれないっていう話」
 流れるような声がサホの中に染み渡っていく。ほっと胸をなで下ろし、サホは静かにうなずいた。その瑠璃色の瞳に落ち着きが戻ってくる。
「でも梅花さん、技でやられた人となると、治癒系の医者か両系の医者じゃないとだめですよね? 急には難しいのでは……」
 そこで申し訳なさそうにローラインが口を開いた。口癖の『美しい』や『美しくない』が消えているだけでどことなく違和感を覚えるのだが、それを堪えて梅花は答える。
「私の知り合いに一人、両系の医者がいるんです。さすがに私が出向くわけにはいかないんですが、一応手紙を持っていってもらおうと思いまして。たぶん、診てくれるはずです」
 ローラインは目を丸くした。両系の医者というのは実はなかなかいないのだ。
 神魔世界には医者は主に三種類存在する。技に全く頼らず、知識、薬、機械、技術によって治療する『一般系の医者』、治癒系の技で治療する『治癒系の医者』、そして両方を組み合わせて治療する『両系の医者』である。圧倒的に多いのが、名前の通り『一般系の医者』だ。
「以前仕事の関係で。あ、大丈夫です、宮殿関係者ではありませんから」
 また梅花は手をひらひらとさせた。体を締め付けないゆるめの服が、その動きにあわせてふわりと揺れる。薄水色の布が舞うその様はどこか幻想的だ。
「誰か付き添いも必要でしょうし、とにかくはまず相談しようと思いまして。提案してきたのは、レーナなんですけどね」
 梅花はそう言うとくすりと笑った。どこかいたずらっぽいその顔は、レーナがよく浮かべる表情とよく似ている。最近梅花とレーナは以前にもまして似通っていた。それが何故だかは誰もよくわからないが。
「そうですか。レグルスさん、早く目覚めるといいんですけど……」
 サホが目を伏せた。
 しんしんと降る雪は止む気配がなく、窓から見える景色も白一色。遠くに見えるはずの山も、何もかもが見えなかった。もちろん未来など、見えるはずもなかった。
 梅花は軽く手を振ると、それじゃあ後で、と言い残して足早に去っていった。

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