white minds

第二十二章 離脱‐6

 昼過ぎ、基地に残った神技隊は全員司令室に集まっていた。以前食堂を包み込んでいた重々しい空気はないが、それでもどこか空虚な気持ちが各々を覆っている。
「先ほどレグルスを、レーナとときつが医者のところにつれていった。レーナは戻って来るが、ときつはしばらく付き添う予定だ。そこでだ、まあ人数も減ってしまったわけだし、シフトの組み直しをしたいと思う」
 いつもの席から立ち上がって、滝が皆の顔を順に見た。覇気のない者が多いが、それでもかまわず彼は言葉を続ける。
「レグルスとときつがしばらく戻ってこないと考えると、抜けたのは第一班が三人、第二班が四人、第三班が三人だな。サイゾウ、ローライン、たく、コスミが、今のところ相棒なしか……」
 彼は名前を挙げた者たちの顔を、ちらりと見た。誰もがどこか不安そうにその瞳をやや歪ませている。彼は微苦笑を浮かべ、勢いよく手を打った。
「じゃあそうだな、サイゾウとローライン、たくとコスミが今度は組むってことでどうだろう? それとも何か希望はあるか?」
 その問いかけに、四人はすぐさま首を横に振る。それはまるで、滅相もない、とでも言っているかのような反応の早さだった。何をどう言うべきか迷い、滝は隣のレンカに視線を送る。
「今は物事を考える気力もないのよ。いいんじゃない、あなたの案で」
 レンカは手のひらをそっと重ね、微笑みながらそうささやいた。その音色は透き通ったガラスのようであり、また絶え間なくうち寄せる穏やかな波のようである。滝はうなずき、再び皆の方に顔を向ける。
 とその時、視界の端に何か強い光が生まれたかと思うと、何者かが司令室のど真ん中に姿を現した。滝の目の前に降り立ったその少女は床に手をつき、静かに顔を上げる。
「レーナ……何ていうか、もっと心臓に優しい現れ方はできないのか」
「いつもならそうしてやりたいところだが今は時間がない。五腹心が動き始めた。後十分もしないうちにこっちに来るぞ」
 何もない空間から現れた少女――レーナは、開口一番とんでもないことを言い放った。滝は息を呑み、レンカと顔を見合わせる。
「だが妙だ。引き連れた魔族の数があまりに少ない。これはひょっとして……まあいい、とにかく準備だ。いいな?」
 何か言いかけてから、しかしレーナは表情を険しくして周囲に視線を配る。皆顔を強ばらせてその場に立ちつくしていた。それに気づいたレーナはふっと顔をゆるめ、春にとけゆく雪のように微笑む。
「心配するな、おそらく戦闘はない。だが、油断はするなよ? 何が起こるかはわからないからな」
 戦闘はない。
 その不思議な言葉に首を傾げつつ、神技隊は慌てて出撃の準備を始めた。不安をうち消さんばかりに迅速に。
 巨大な気が複数上空に現れたのは、それから十分弱たってからのことだった。
 基地の前に立ち並び、神技隊らは灰色の空をにらみつける。雪は止んでいた。だがいつ降り出してもおかしくない様子だった。
 そんな中レーナは黙って手を挙げ、左前方を指さす。わけがわからず怪訝そうにする神技隊とは違い、上空の気の持ち主たちはその意図を察したようだった。そのまま真っ直ぐに左前方、ナイダの山の方へと向かっていく。
「レーナ?」
「顔合わせに邪魔者は不要だ。行くぞ」
 疑問を投げかける滝にレーナはそう言い切り、白い地を蹴って駆けだした。神技隊らも、急いで彼女を追う。 レーナが立ち止まったのは山の入り口辺り、切り立った崖のすぐ下だった。広がった草原には今は雪がどっさりと積もっている。追いかけてきた神技隊らもそこで立ち止まった。吹きすさぶ風、深い雪に足を取られないように注意しながら、彼らは辺りの様子をうかがう。
「こんにちは。寒い中出迎えありがとう、皆さん」
 透き通った美しい声が、突然降りかかった。優雅な旋律を奏でるようなその音色は誰の耳にも心地よい。
 彼らが声の方に視線を移すと、切り立った崖の上に数人の男たちと一人の女が立っていた。
 空色の髪に割と華奢な体つき、うっすら微笑みを浮かべた青年がその中心にいる。その斜め後ろにはがっしりした体つきの男が神妙に控えていた。その暗緑色の髪は今は風に乱れている。
 空色の髪の青年、その左横にはブラストがいた。この間と変わらないその得体の知れない笑顔は、背中に冷たいものを走らせる。後ろにはオルフェが控えていたが、その表情はブラストの陰となって見えなかった。だが放たれる気は鋭く、覇気に満ちている。
 ブラストの反対側、青年の右隣にいたのは唯一の女性だった。腰よりも長いワインレッドの髪が風になびき、白い世界によく映えている。つややかな褐色の肌も印象的だ。
「イースト」
「お久しぶりだね、お嬢さん」
 レーナのつぶやきに、空色の髪の青年――イーストは優しく微笑みかけた。その表情には何ら偽りはなさそうに見える。そう、まるで旧友にでも会ったかのような穏やかさだ。アースが近寄るのを、レーナは手で制する。
「ああ、お久しぶりだな」
 彼女も同じように微笑してそう返した。余裕たっぷりの仕草で礼までしてみせる。動けない神技隊たちを尻目に、彼女は小首を傾げて口を開いた。
「お変わりないようで、何よりだ」
「それはどうも。そちらこそ、お変わりないようで。相変わらず可愛らしいね、君は」
「お褒めの言葉、光栄だな」
 社交辞令のような言葉が幾度も交わされる。二人の間にある何とも言えない空気を、神技隊は誰も理解できなかった。否、中には理解できている者もいた。しかし口を挟めなかったのである。
 その空気の重さ故に。
「せっかくだから、私たちも挨拶しておこうと思ってね。ほら、顔がわからないのってなかなか不便だろう? こちらも、そちらも」
「お気遣い、感謝する」
「いいんだよ、別に。私は君のこと気に入ってるわけだし。どう? こちらに来ないかい? アスファルトも寂しがっているよ」
「残念なことに、われの愛しいオリジナルたちがこちらにいるのでな、それはできない。できればこっちに来て欲しいなと、そう伝えておいてくれないか?」
 笑顔で交わされるやりとりは、とんでもなく恐ろしいことを含んでいた。いきなりの提案にただただ目をむく神技隊。だがレーナは相変わらず嬉しげに微笑んだまま、崖の上のイーストたちを見上げていた。
「そうか、それはとても残念だね。アスファルトにはそう伝えておくよ。まあ彼のことだから、ここに来てまた暴れないとも限らないけどね」
「それは困るなあ。オリジナルたちを危険な目にはあわせたくないんだ」
 お互いの意図がわかっていて、それでもなお戯れるような言葉の応酬が続く。澄んだ声同士が響き渡り、得も言えぬ空気を作り出す。そのやりとりを終わらせるべく、ワインレッドの髪の女が音もなく前に出た。
「あなたも好きね、イースト。でもこれくらいにしない? ブラストが飽きてだだこね始めたら、なかなか面倒だわ。こちらも、そちらも」
「ああ、そうだねレシガ。久しぶりの再会だったからつい、ね」
 イーストは微笑を浮かべたまま軽く手をひらひらとさせて、一歩後ろに下がった。レシガと呼ばれたその麗しき女は、崖の下の方に顔を向ける。
「私はレシガ、五腹心の一人。今日はわざわざお出迎えありがとうね。また近々会うでしょうけど、顔は忘れない方が身のためよ」
 レシガは、強ばった表情の神技隊から目的の数人を見つけだして微笑した。これだけ近づけば嫌でもわかる、その『気』が普通でないことなど。だが――――
 ブラストが報告したのは二人、私が知っているのは二人。でも……それと同等の気が幾つもある。やはり早めにつぶしておかないと、やられるのはこちらね。
 最悪の可能性を考慮に入れて、レシガは内心嘆息した。それから彼女はレーナに目を移す。
「ではお互い、頑張りましょうね」
 優雅な仕草で手を振ると、レシガは音もなく身を翻した。それに続くようにイーストも軽く手を挙げ、崖の向こうへと消えてゆく。怪しい笑顔のままのブラストも、手をぱたぱたとして去っていった。残りの二人は崖の下など見向きもせず、無言で消えてゆく。
「頑張る、ね。こちらは死ぬ程頑張らなきゃいけないがな」
 レーナのつぶやきは、雪を巻き上げる風に飲み込まれていった。

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