white minds

第二十二章 離脱‐7

「しかし、魔族の親玉ってのがあんな奴らだとは思わなかったなあ」
 食堂で温かいココアをすすりながら、ダンはぼんやりと外を眺めた。再び降り始めた雪は、まだ明るいはずのその世界を薄暗く染めている。
「五腹心は、魔族の親玉じゃないぞ? 彼らの上にもまだいるはずだ。もっとも、今は封印されているわけだが」
 その斜め後ろ、カウンターに腰掛けたレーナが彼の方に顔を向けた。彼女の手にもカップが収まっているが、中身はほんのり苦いコーヒーだ。彼女の言葉にダンは心底嫌そうに眉根を寄せる。
「あの上がいるなんて考えたくねえっての。オレらびびって声も出なかったんだぜ? お前は余裕綽々だったかもしれないけど、心臓止まりそうだったんだからな」
 ダンはカップから口を離した。その時のことを思い出したのか、指先がかすかにだが震えている。
「われとて余裕などない。だがな、怖じ気づいたら最初から負けなのだ。あいつらはわれの本来の能力をある程度知ってる。だからこちらがどの程度それを取り戻してるかをうかがってるのさ。全てを知られたら終わり。ならはったりも必要」
「お前のはったりはとんでもないな」
 ダンは苦笑してまたずずっとココアをすすった。その甘みが体に染み渡り、先ほどまで凍り付いていた体を芯から溶かしていく。レーナも椅子に座り直し、コーヒーカップに口を付けた。
「そういや、お前の愛しいオリジナルはどうした? ここ数日見かけないけど」
 気分を紛らわせるためか、ダンは今度はいたずらっぽい声を上げた。からかうようなその口調に微苦笑を浮かべながら、レーナはカップのふちを指でなぞる。
「われの部屋にいる。あまり、体の調子がよくないのでな。当人は精神だけの問題だと言い張ってるが、無理矢理連れ込んで寝かせてある。青葉がいるから大丈夫だろう」
「それは別の意味で問題だろ」
 ダンはにやりと口元を歪ませた。にひひと今にも笑い出しそうな顔で立ち上がり、彼はレーナの背後につく。そしてその肩に腕を回した。
「大丈夫かー? 愛しのオリジナルは」
「大丈夫だ。念のためアースをその場に残しているから」
「えぐっ!? そりゃ青葉もアースもかわいそうだろ! 何でお前がついてないんだよ。いや、せめてカイキとかネオンとかそっちにしろよっ」
 レーナはその腕を軽い動作で払うと、咲き誇った花のように微笑んだ。あまりの衝撃にのけぞる彼に、彼女はくすりと笑い声をもらす。
「少しでも二人の仲がよくなればいいなあって思って」
「いや、絶対よくならないから。むしろ悪化する。せめて帰ったらアースの機嫌とってくれよ? オレらが火の粉かぶるのはごめんだからな!」
 何か想像したのだろう、ダンは勢いよく頭を振りながら両腕を天に向かって伸ばした。食堂にいたのが彼とレーナ、そして端の方でぼんやりと雪を見ているホシワだけだったのが救いだろう。そうでなければ気が狂ったと思われてもおかしくない動作だ。
「われは愛情表現は得意だぞ? 大丈夫、火の粉は飛ばないから」
「何するのか激しく気になるけど聞かない。オレは砂吐きたくないし」
 ダンはすわった目で遠くを見つめた。それでも言葉とは裏腹にまた想像したのだろう、今度は勢いよく床に倒れ込む。
「あ、死人発見」
 そこへ扉を開けてリンがやってきた。すぐ目の前で床に突っ伏しているダンに目をやり、彼女はぼそりと冷たくつぶやく。だが彼はぴくりとも動かない。
「今死んだところだ」
「あら、ご愁傷様です。ところでレーナ、丁度いいから一つ聞きたいことがあるんだけど」
 倒れたままのダンをまたいで、リンはレーナの隣に腰掛けた。それから神妙な顔をして口を開く。
「神側から独立ってのはいいんだけど、こんな所にいたら意味ないんじゃないの? 宮殿すぐ側だし」
「ああ、そのことか」
 レーナはコーヒーカップを音もなく置き、びしっと人差し指を立てた。そして首を傾げるリンに向かって笑顔で言う。
「確かに近すぎるかもしれないが、だが魔族が狙っているのも宮殿、その下だ。あまり離れすぎるわけにはいかない。だからとりあえずは厳重ロックをかけようと思っている」
「厳重ロック……?」
「このカードなしには基地には入れないようにするんだ。それを破って侵入しようとすれば、警報が鳴るし自動的に結界が発生するようになる」
 そう説明しながらレーナが取り出したのは手のひらサイズのカードだった。薄緑色のそれは一件何の変哲もない。だが彼女の作ったものなら色々機能があるのだろうと、リンは考えた。そもそもどこから取りだしたのかさえわからない。
「さすが用意周到ね。それを実現させちゃう技術もすごいけれど」
 余裕をにじませるレーナに、リンはお手上げと言わんばかりに手をひらひらとさせて苦笑した。
 やはり長生きをすれば物知りになるのか? 何でもこなせるようになるのか? それとも彼女だからなのか?
 リンには後者のように思えたのだが、しかし確証はない。それでもレーナが並はずれているということだけは嫌と言う程理解していた。
「全部、アスファルトのまねさ」
 レーナは微苦笑を浮かべコーヒーカップを手に取った。何を思うのか、カップに目をやりやや瞼を落とすその横顔は、儚げで切ない。リンは音もなく立ち上がった。
「了解。じゃあカードのことは滝先輩たちに言っておくわね。ってそうだ忘れてた、みんなの飲み物取りに来たんだっけ」
 ポンと手を叩くと、リンはぱたぱたと厨房の奥へと駆けていった。レーナは顔を上げ、その様子を柔らかな眼差しで見守る。
「で、お前はいつまでそこで死んでいるつもりだ?」
「……誰かが助け起こしてくれるまで」
「……仕方のない奴だな」
 床に突っ伏したままのダン、その横にしゃがみ込んでレーナはその頭をつついた。くぐもった声の彼はそのままの状態でわざとらしくうなっている。彼女はいたずらな微笑みを浮かべ、その脇腹をくすぐった。
「にゅにょわぁどぅわぁぁーっ、何すんだお前はー!?」
「あ、起きた。おはよう」
「おはようじゃな――――っげぅぅっ!」
 体を起こし、怒りに拳を振るわせるダンの背中に、今度はリンの足蹴りが見事命中する。彼女はティーカップセット――司令室へと簡単に運べるようかごに入っているもの――を抱えて憮然とした表情をしていた。
「あ、ダン先輩ごめんなさいー。まだ死んでると思ってたので」
「わざとだろっ!? 絶対わざとだっただろ!? 今思いっきり蹴っただろっ!?」
「思いっきりだったらダン先輩吹っ飛んでますよー?」
 顔に貼り付けてある笑みはわざとらしさに溢れており、答える声は棒読みだ。だが悪びれたそぶりもなくリンはダンを見下ろしていた。その目は暗に、退いてください、と言っている。
「退けます、はい、退けますとも」
 渋々とダンは脇によけた。そして去っていくリンの後ろ姿を恨めしそうに見送る。
「ここの女は強すぎだって」
 彼のぼやきに、レーナは何も応えなかった。



 消えた歴史の切れ端は、今ここにある。見えない時の流れが、今ここに注ぎ込まれている。
 かすかな光とそれを覆わんとする闇。
 一寸先すら見えない世界で、これから何が起こるのかを言い当てられる者はいない。
 それでも確かに、今ここに全てが集おうとしている。
 だから必要なのはタイミングだけ。そのタイミングを見落とさないことだけ。
 感覚を研ぎ澄まし、あらゆる可能性を考慮に入れ、何が起ころうとも『その時』に応じる。
 そのための力は既にここにある。
 歴史を、歴史の全てを。
 この始まりが何だったのか、それを明らかにするために。この不毛な争いに決着をつけるために。
 今を逃せば全てが無になる……。
 終わらない負の連鎖は愛故に生じる。だが終わらせるための力も、また愛故に生まれる。
 全ては愛故に。

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