white minds

第二十三章 兆し‐2

 白い壁に流線型のなだらかなフォルム。どこか優美なその基地をアルティードは、否、アルは見上げた。短い銀髪に巻き付けたバンダナ、身軽な服装。その顔はアルティードによく似ているのだが、やや若い印象がある。今さらながらこの基地のすさまじさに、彼は感嘆のため息をもらした。この時期だからこそ雪に埋もれているが、夏ならばさぞ目立つことだろう。
「しかし……これはどういうことかな」
 入り口の前で彼は立ちつくしていた。『気』でわかるのだが、この扉には今様々な仕掛けが施されている。おそらくそのまま入ろうとすれば作動するのだろう。
「どうしたものだか……」
 他の神たちには黙ってやってきているため、大事にはできなかった。またこの姿では神技隊にも認知されないだろう。本当はいつもの姿――『アルティード』のままで来たかったのだが、さすがに神界をそのまま放っておくことはできない。だから彼の特殊な性質である『七つの存在に分かれる』能力を行使したのだ。
「弱ったな」
 彼が吹きすさぶ風に目を細めたその時だった。突如として澄んだ気が彼の傍らに現れる。温かくしなやかで澄み切った、けれどもどこか凛としたその気は彼にも覚えがあった。
「ようこそ、我らが基地へ」
「出迎え、感謝する」
 微笑んで優雅に会釈したのはレーナだった。流れるような黒髪をなびかせて余裕たっぷり微笑む姿は、いつも通り不思議な雰囲気をかもし出している。寒さのためかやや赤らんだ頬は外見に相応しかったが、しかしどこか違和感があった。彼は軽く礼をして苦笑する。
「私が来たと、どうしてわかった?」
「ん? そろそろ来る頃かなあと思っていたからな」
 屈託のない笑みは裏など感じさせないもので、彼女のことを恐ろしいと盛んにつぶやいていたケイルの気持ちが、彼にもようやくわかった。確かに得体が知れない。いや、何を考えているのかわからない。それなのにこちらの気持ちは見透かされているような気がする。
「神技隊をな、独立させることにしたんだ」
 彼女はさらりと事実を述べた。呆気にとられる彼を横目に、彼女はふふふと声をもらして笑う。
「何故か、聞きたいだろう? だから取り引きしたいんだ。事情を話す代わりに、条件を呑んでもらいたい。もちろん聞いたからには守ってもらわないと困るがな。ま、お前なら守ってくれるとわれは信じてるよ? ユズのお墨付きだから」
 いたずらっぽい調子で提案する彼女は、そう、ユズに似ていた。彼は記憶の中の人物を呼び起こして思わず頬をゆるめる。
 ユズと同じならば、対処法はある。渡り合えないわけではない。
「どうだろう? 取り引きするか?」
「ああ。私のことを信じてくれるのならね」
 彼の瑠璃色の瞳に、輝きが宿った。



 彼女の出した条件というのは至極簡単なものだった。
「というわけだから、お前に頼みたいことは一つだけだ。神技隊を見捨てるな、ただそれだけ。そしてできればあまりこの噂を広めないで欲しい。まあいずれ気づかれることではあるのだが、しかしまだ力を取り戻して切れていない彼らではその名は重すぎる」
 切実な声音で紡がれる言葉はアルの心に響く。彼ら神がどれだけ転生神の到来を望んでいるのか、それを知っていればこそこんなにも案ずるのだ。伏せた目からはその表情はよくわからないが、しかし苦痛を噛みしめているのだろう。
「わかった、努力しよう。私にできる限りで」
 アルは口ずさむようにそう答えた。できる限りのことしかしてやれないが、しかしそれでもないよりはましなはずだ。少しでも時間稼ぎになれば、その間に力を取り戻していけるかもしれない。
「ありがとう」
 レーナは柔らかに微笑むと頭を少し傾けた。今にも消えていきそうな儚い微笑みが胸を締め付ける。
「すんなりと信じてもらえるとは思わなかったよ。転生神が人間として現れるなんて、神ならば認めがたいだろうからな」
 遠くを、彼女は見た。同じように彼も銀世界を見やる。先ほどまでとは打って変わって、陽を浴びて輝く白い雪面は得も言われぬ程美しかった。だがまぶしすぎた。触れられない世界を見つめるようで不思議と寂しさがわき上がってくる。
「私も、神ばかりを見てきたわけではない」
「それはありがたいな、本当に」
 人間を巻き込まないように、人間に害をなさぬように。それを魔族たちは偽善だと言う。アルは下唇を咬んだ。じわりと血がにじみ鉄の味がする。
「アユリの大結界にほころびが生じたのが今から二十年弱前。丁度、梅花が生まれる前あたりだ。当人に吸い寄せられたため弱まったのだと考えれば、つじつまが合う。リシヤの封印が弱まり始めたのも二十年程前からだ。そう、レンカが生まれる前辺り」
「そう考えれば話がわかると、そういうわけか」
「ああ、皮肉なことにな」
 彼女は苦笑混じりにそう言うと空を仰いだ。凍えるのではないかと思うその様に目をやりながらアルは軽く口の端を上げる。どんな顔をするべきか、よくわからない。
「ユズのいた時代では……あと数年で第二次地球大戦が勃発する。復活した五腹心が攻め込んでくる。そのせいでおそらく転生神はその力を取り戻す前に、殺されたのだろう。皮肉だよな……自分たちが生まれたことで戦いを呼び起こし、そのせいで死ぬのだから」
 それは心を凍らせるような冷たい事実だった。
 そうだ……もしこのレーナがいなければ、神技隊は既に殺されていたかもしれない。
 アルは固唾を呑む。背筋をぞくりとしたものが走り抜けていき、体が震えそうだった。
「だから、彼らを死なせないようわれは頑張る。お前も頑張ってくれよ?」
 ふっと優しく笑ってレーナは小首を傾げた。念を押すようなその仕草に彼は肩の力を抜く。
「ああ、もちろんだ」
「うん、ありがとう。助かる。っとそろそろわれのお迎えが来そうだな……」
 彼女はちらりと後方を振り返った。基地の入り口には一見何の変化もないが、しかし何か感じ取っているのだろう。アルは微笑みながら軽く手を挙げた。
「それでは私も帰るよ。あまり長いこと留守にするべきじゃないからな」
 そう言い残し、彼はその場を去っていった。消えたようなその素早さに目を細めながら彼女は雪面を眺める。するとがらりと音がして、入り口の扉が開いた。
「レーナ」
 名前が呼ばれるのと、後ろから抱きしめられるのはほぼ同時だった。さすがにそこまでは予想してなかった彼女はどうしたものかと思案する。
「アース……ええーと、これは新手のお迎え方法?」
「寒そうだからな。で、今の男は誰だ? 知らない奴だった」
 抱きしめる腕に力を込めて、アースは問いかけた。半袖なのだから寒そうなのはそっちだ、という台詞を飲み込んで彼女は素直に答える。
「アルティードの……別の姿、みたいなものだ。ちょっとした取引を、な」
「梅花たちのために、か。だが何故こんなところで話をする? 寒いだろ」
「特殊上着だから大丈夫だぞ?」
「顔と足までは覆ってない」
 アースは少し腕の力を緩めると彼女の体を反転させた。きょとんとするその顔をのぞき込んで彼は表情を険しくする。
「勝手にいなくなるな」
 凄みをきかせてかけられた言葉に、彼女は閉口し眉根を寄せた。頭に浮かぶ反論の言葉は、しかしどれも効果は薄そうだ。結局彼女は諦めて、微苦笑しながら素直に謝ることにする。
「すまなかった」
 風の音に混じりながら耳に届いた声は、歌うようになめらかで柔らかかった。今度は彼が言葉に詰まり、視線をさまよわせながらどうしたものかと頭を悩ませる。彼女は小首を傾げた。
「アース……?」
「そういう顔は、他の奴の前でするなよ」
 彼は何とかそれだけを口にした。なおわけがわからず不思議そうにしている彼女の頬を、彼は両手で包み込む。そして黒く澄んだ瞳をのぞき込み、静かにささやいた。
「可愛らしすぎてどうしようか困る顔なんて、他の奴には見せるな。あと、上目づかいも禁止だ。ついでに言えばこんなすぐ無防備になるのも禁止」
「わ、われはいつもこの顔だぞっ!? そ、それに無防備なのはお前がいるからで――――」
 風が、ぴたりと止んだような気がした。彼の瞳がすっと細くなる。その原因を一秒程探して、ああ失言だったなと彼女が思った時にはもう手遅れだった。視界が黒く覆われ、言いつくろう前に唇がふさがれる。抵抗するも、それは無駄なあがきだった。
「寒いから部屋に戻るぞ。ああ、お前の部屋にはまだ梅花とあの馬鹿がいるかもな。じゃあわれの部屋だ。話はそこでたっぷり聞こう」
「あ、アースっ! いや、そんな話なんて何にもないから。うん、だめだからそういうのは。というかわれはこれ以上失言したくないから」
「ん? しっかり受け取るから心配するな」
 嫌がる彼女を引きずるようにして彼は歩き出した。さすがに力では敵わないと観念したのか、彼女は心底ため息をつき切なげに眉を寄せる。
 どこまで話すべきか。何を話すべきか。言うべきか、言わぬべきか。全ては流れ次第と、彼女は覚悟を決めた。

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