white minds

第二十三章 兆し‐8

 ミケルダを見送りようやく基地内に静けさが戻ると、リンは周りがぎょっとすぐ程の満面の笑みを浮かべた。彼女の視線の先には、北斗とサツバがいる。
「……い、言いたいことがあるならさっさと言ってくれ。生殺しは嫌だっ」
 その笑顔に恐怖しながら北斗はじりじりと後退する。サツバに至っては必死になって北斗の陰に隠れようとしていた。その光景に気づいた数人が不思議そうに首を傾げる。
 いつの間に二人は戻ってきていたのだろう。まず浮かんだ疑問はそれだった。そして同時に何故リンがこんなに笑顔なのかという疑問も浮かんでくる。だがそれを口にする程愚かな者はいなかった。触らぬ神に何とやら。そのことをこの何ヶ月かの生活で学び取った者は多い。
「生殺しだなんてそんな、別に怒ってるわけでも何でもないんだから」
 リンは表情を変えずに北斗の手を取った。彼の額を汗が一筋流れ落ちる。
「誕生会いつにする? 約束したわよね」
 たっぷり十秒以上、北斗は固まった。彼女の言葉を飲み込むのにそれだけの時間を要した。飲み込んで消化して、その言わんとすることをようやく理解して彼は脱力する。その様子にリンは首を傾げていた。
「どうかしたの? あ、一人じゃ恥ずかしい? 確か十一日がアキセの誕生日だったから、合同でしてもいいしね」
 彼の手を離し、彼女はちらりと窓際にいるアキセに視線を移した。アキセは突然飛び出してきた自分の名前に驚いているようだった。何故誕生日なんて知ってるんだと、その瞳は疑問を投げかけている。
「お、オレはどっちだって別にいいけど……」
 今にも笑い出しそうになるのを堪えて北斗はそう告げた。抜けると言って出ていったのに戻ってきて……そして聞かれたのが誕生会のこと。その感覚に彼は涙すらしそうだった。サツバも同様なのだろう、泣き出しそうな笑い出しそうなおかしな顔をしている。
「あ、何。居づらいんじゃないかって気にしてるの? 馬鹿ね。残るのも出ていくのも自由だって言ってたでしょ? 戻ってくるのだって自由なのよ。誰も強制なんてできないんだから」
 彼女の声ははつらしとしつつとても温かかった。それは例えるなら木陰を作り出す青々と茂る大樹のようだった。包み込まれるような感覚を覚えながら、北斗の顔は自然とゆるんでいく。
 あんなにためらってて……馬鹿みたいだな、オレは。
 彼の口元に自嘲気味な笑みが浮かぶ。
「魔族が現れた時にね、それでも吹聴してた奴を追っかけてたのがフライング先輩で、駆けつけてきてくれたのが北斗たち。それが分かれ道だったのよ」
「リン……」
 北斗とサツバは顔を見合わせた。そうなのかもしれない、違うのかもしれない。けれども気になって気になって仕方がなかった。放っておけなかった。それだけは真実。
「ほら、だから滝先輩たちに挨拶してね。これからもよろしくお願いします、って」
 リンは二人の肩を景気よく叩いた。二人はおどおどしながらも滝たちの姿を求めて視線をさまよわせる。彼らよりずっと小さいはずの彼女の姿は、やけに大きく力強く、皆の目に映った。



「お勤めご苦労様、オルフェ。それで早速で悪いんだけど報告聞きたいなあ」
 灰色の壁に囲まれた部屋で、癖のある黒髪をいじりながらブラストは開口一番そう駄々をこねた。部屋の主であるイーストは隅の方でその細い腕を組んでいる。彼の隣には気怠げな顔のレシガが立っていた。二人並ぶと色のコントラストが目にも鮮やかである。
「はい、ブラスト様」
 入り口のところでオルフェは膝をついた。流れるような白い髪が音を立ててさらりと揺れる。その入り口の側にはプレインが仁王立ちしていた。顔に浮かぶ表情はなく、ただその茶色い瞳だけが強い光を宿している。
「転生神は今のところそれほど力を取り戻しているようには見えませんでした。強さは……おそらく下から中の戦の神程度でしょう。以前の戦闘のように時折能力の発現があるかもしれませんが、それでも中の上程かと」
「へえ……」
「そしてこれは残念な報告なのですが、どうやら地球に潜り込ませていた人間たちが神に捕まったようです。内から突き崩す策はやはり難しいようで」
 オルフェの報告にブラストは興味深げに眉を跳ね上がらせた。彼は妖艶な笑みを浮かべ、手を腰に当てて子どもに言い聞かせるように言葉を放つ。
「それはわかった。でも彼女はどうだい? えーと、そう、レーナとかいうあの女の子。彼女の強さはわかったの?」
 彼の問いにオルフェは困惑したようだった。浅葱色の瞳を歪ませて所在なげに、オルフェはブラストを見上げる。
「その……気は感じたのですが、姿を確認できませんでした。確かにすぐ側にはいたはずなのですが、しかし妙な気と混じり合っていて」
 珍しく歯切れの悪いオルフェの返答に今度はブラストが怪訝な顔をした。答えられないオルフェは、まるで助けを乞うかのようにイーストとレシガに視線を送る。ブラストやプレインならいざ知らず、この二人は特に部下には優しかった。案の定、イーストは爽やかな微笑みを浮かべて口を開く。
「それはおそらくブルーの能力を行使しているのだろうね。前にアスファルトがもらしたのを聞いたことがあるよ。すぐ側に、青い髪に青い服の男がいなかったかい?」
 イーストの柔らかい問いかけにオルフェははっとした。すぐ側どころではない、彼はその青い髪の男と戦っていたのだから。しかし別の所からも反応は返ってきた。
「ええぇーっ、ちょっと待ってよイースト。じゃあ何、僕がこの間戦ってたあの青い奴ってひょっとしてあの子だったの? そういうことは早く言ってよねー」
 ふくれっ面のブラストがイーストをにらみつける。子どもっぽい表情に反して放たれる気は毒々しい程に鋭かった。だがそれに動じるような者はここにはいない。
「……実際私も見たわけではないから断定はできないが、おそらくそうだろう。神以外で青い髪の男がいたら、そうだと思っていいんじゃないかな。人間の髪はもっと地味だよ」
 答えながらイーストは自らの髪を軽くかきあげた。その空色は光を放つ程に繊細で美しく、流れるように軽やかだ。ブラストは不満そうな顔を一転させ、妖艶に口元を上げる。
「ならあの子も大したことないね。僕この間戦ったけどそんなんでもなかったから」
「正体を見破れなかったのにか?」
 満足げなブラストに水を注いだのは、今まで口を閉ざしていたプレインだった。ブラストの射抜くような視線を受けても、彼は顔色一つ変えない。むしろ皮肉下に口元をゆがめる程だった。灰色の部屋の中にどす黒い空気が広がっていく。
「慎重になりすぎるのも好かないが、楽観的すぎるのも好かない。ならば直接聞いてみればいいだろう」
「直接? あの子本人に?」
「答えるわけがないだろう。アスファルトに、だ」
 壁にあずけていた背を、プレインは離した。その茶色い瞳は今はイーストを捉えている。
「まさか嫌だとは言わせないよな、イースト。あいつが余計なことをしなければ、こんなことにはなっていないのだ」
「わかっているよ、プレイン。彼の傷もどうやら癒えたみたいだしね。ただ少し機会を与えたいんだけど」
「機会?」
 プレインの冷たい瞳と、イーストの澄んだ瞳がぶつかった。音が、全ての音が一瞬消える。
「あの可愛らしいお嬢さんを取り戻す機会を。万が一失敗しても、何らかの情報を聞き出せるかもしれない」
 艶やかで柔らかく、それでいて凛とした声が部屋に響いた。絡み合った視線はいまだほどかれず、ますますその温度を上げている。
「うわっ、イースト本気ー?」
 ブラストがお腹を抱えて笑い出した。空気を読まないその行動にオルフェは非難の眼差しを向ける。だが制する言葉は予想外の所から放たれた。
「少し黙れ、ブラスト。――わかった、どうせどちらに転んでも私たちに被害はない。ラグナ復活までのいい時間稼ぎをしてもらおう」
 プレインの醒めた声が部屋を覆う。その返答に驚いたのは提案したイースト自身だった。あっさりと承諾されて、彼は目を細めながら隣のレシガに視線を送る。彼女はくすりと笑ってゆっくりと首を傾けた。
 いいじゃないの、何だって。
 そう語りかけているようだった。
「はいはい、わかりましたー。いいですよ、どうせ僕は実行担当ですからね。行こう、オルフェ」
 拗ねた声音のブラストは足早に部屋を去っていく。その様を一瞥してからプレインはささやいた。静かに、だがはっきりと。
「手配はお前がしろ。だが勝手な判断は許さない」
 全てを切り裂くような、氷のような言葉に、イーストは微苦笑することしかできなかった。



 切ない願いは切り裂かれ、今また新たな歯車がかみ合おうとしている。
 流れる時は全てを集わせ、悲しみを膨れあがらせる。
 その出会いは必然か、偶然か。
 何故こうも思いは交錯するのか。
 不器用な者たちの不器用な愛は儚い旋律を奏で始める。

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