white minds

第二十四章 切れない鎖‐1

 二月の半ばを過ぎても魔族たちに動きはなかった。
 降り積もる雪で基地は陸の孤島のようになり、ただただ静かな時が流れている。
 唯一の進展といえば神側からの連絡だった。あちらこちらの町に潜り込み、妙な噂を触れ回っていた者たちについての報告である。
『オレらはただこの星をまとめてる連中がどんな奴らなのか調べだして、それについて悪い噂流せばいいって、ただそう言われてただけだよ。金は前金でたんまりもらえるから悪くない仕事だなって思って乗っただけで。は? 依頼してきた奴ら? 知らねえよ、あいつらが何者かだなんて。そんなこと興味ねえし』
 わかったことはほとんどなかった。どうやら魔族が金で雇った技使いだということ、そして人間たちの危機感をつのらせ不満をあおるのが仕事だということ、それくらいだった。
 長々と続く夜は光をさえぎり、ますます気温を下げていく。星さえ見えないような黒々とした空からは、またふわりふわりと白い雪が舞い降りていた。暗闇の世界でほんのりと明かりを灯す雪面は、儚く甘美で幻想的な光景だ。全ての感覚を狂わせるような、切なる愛のようなその美しさは知らず知らずのうちに胸の奥深くまで染み込んでいる。
 まだ、春は遠い。



 久しぶりに修行室を訪れた青葉は、そこで不思議な組み合わせの四人組を発見した。外と同じ白い世界、その隅に座り込んでいるのはアキセ、ジュリ、アサキ、そして梅花だ。彼は迷わず梅花の背後に回り込む。
「何してるんだ?」
 梅花を背中から抱きしめるようにして彼は尋ねた。しかし幸いかな、そこにいたメンバーは誰も彼の行動にはつっこまない。ただ当の彼女が当惑した様子で嘆息しただけだ。彼は目の前のアキセの手元に目をやる。
 アキセは工具らしきものを片手に銃を眺めていた。その銃には青葉も見覚えがある。確か以前レーナがジュリに与えていたものだ。
「手入れってところですね。オレは一応メンテナンス任されてるんで、武器の手入れもしてるんですよ。特にこういう銃とかはちゃんとしておかないとまずいみたいなので」
 アキセはそう説明しながら爽やかに微笑んだ。日頃はあまり目立った行動がないだけに、その少し自慢げな笑顔がまぶしい。黒に近い深い緑の髪は空気を含んだように軽やかに揺れていた。顔だけ見ればどちらかといえば女に近いと、その時青葉はあらためて思う。
「ってことはレーナに任せられてるってことだろう? すごいな。あいつが他の奴に何か任せるなんて、あんまり聞かない話だし」
「これだけの人数ですからね。オレ機械系とは得意なんで、精神系とか必要じゃなければ何とかなるんですよ。ちゃんと教えてもらいましたし」
 無邪気な笑顔で笑うアキセは、年よりもずっと若く見えた。ついこの間二十三になったばかりだが、十代でも通じそうだ。青葉は少し腕の力を緩め周りの面子を見回す。
「で、何でこのメンバーが揃ってるわけ? まあジュリはわかるけど」
 青葉の視線を受けアサキは嬉しそうに手を挙げた。爛々と輝くあやめ色の瞳がその高揚ぶりをよく現している。
「ミーは体動かしにきただけでぇーす! 冬は体がなまりやすいでぇーす。でも面白そうだったから輪に加わったんでぇーす!」
「……わ、わかったわかった。で、梅花は? まさか修行しに来たとかは言わないよな?」
「そのまさかだけど?」
 梅花は背後の青葉を見上げるように首を傾けた。何が問題なのかと、そう言わんばかりの表情だ。青葉は抱きしめる腕に力を込めて彼女の耳元でささやく。
「そういうことは体調が万全になってからにしろっ」
「……私としてはもう十分だと思うんだけど」
 やや頬を赤らめながらそれでも憮然とした目で彼女は抵抗した。頭を抱えたい気分の彼は言葉を求めて奥歯に力を込める。このままではいつもの繰り返しと判断したジュリは、二人をなだめようと声をかけた。
「そこまでにしましょう、先輩たち。ちょっと体を動かすくらいなら問題はないんですし」
 優しく流れるような柔らかさをたたえつつも、どこか強制力のある彼女の口調。青葉と梅花はそれ以上何も言わずに小さく息をもらした。青葉はそっと腕をとく。
「重症なのはたぶんレーナの方よ。最近色々感じ取ってるみたいで、かなり気が張ってるから」
 つぶやくように梅花は言った。その視線の先には何もなく、ただ真珠のような光沢の白い空間が広がっている。
「感じ取って……?」
「そう。私も、何となく嫌な予感するしね」
 その言葉はただそれだけで空気を凍らせるのに十分だった。
 平和ではない、それは見せかけなだけ。水面下では何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか。
 彼らの顔に影が差した。



 無機質な灰色の壁に明かりが数個並んでいる。それらによってうっすらと照らされた廊下を一人の青年が歩いていた。髪は空気を含んだように軽やかで、鮮やかな山吹色をしている。またその瞳はエメラルドをはめ込んだような輝きだ。服は薄緑を基調としたさっぱりとしたものである。彼は足早に奥の部屋を目指す。
「アスファルト様!」
 やや背の高い扉を開けると、彼は嬉しげに声を上げた。小さなモニターとコンソールが並んだ部屋の奥、そこに無造作に置かれた椅子に目的の人物は腰掛けている。深い緑の髪を後ろで束ね、長く白い上着を羽織った男――アスファルトはゆっくりと振り返った。
輝慎きしんか。イーストと話はついたのか?」
「はい! 何とか数は揃えられそうとのことです。それにイースト様も来てくださると」
「そうか。ご苦労だったな」
「いえ、大したことはありません」
 輝慎と呼ばれた青年は軽い足取りでアスファルトのもとによった。こぼれんばかりの笑顔で見つめてくる彼に、アスファルトは微苦笑しながら立ち上がる。
「では次の準備に移ろう。今回の目的は、わかっているよな?」
「はいっ! レーナという少女の奪還ですよね?」
「簡単に言えばな。顔は……知っているわけないか」
 アスファルトは目の前の机から一つ薄い紙を手に取った。うっすらとした何かが映っているそれを輝慎に渡す。
「イーストに渡した報告書の一部だ。もうほとんど消えかかっているが、下の方に何か描かれているだろ? 技による記憶の映像化の一種だ。目覚めた当初のだが顔は変わってない」
 輝慎はその紙を受け取って目を凝らした。上部に書かれている字はもはや読めるものではなかったが、しかし描かれている方はどんな顔か判別できる程には残っていた。黒く長い髪に黒い瞳、白い肌。小柄で可愛らしい少女がうっすらと微笑んでいる。
「さすがアスファルト様の娘ですね」
「どの辺がさすがなんだ……。それに正確には私の娘ではない」
「じゃあ何なんですか? アスファルト様がこんなに気にかけるなんて……」
「答えにくい質問だな」
 アスファルトは眉根を寄せてため息をついた。この関係をうまく言い表す言葉を……彼は持っていない。輝慎はその様子に不満そうな顔をした。そっぽを向き唇をやや尖らせて言い放つ。
「じゃあいいですよ、答えなくて。アスファルト様の大切な大切な人なんですよね」
「……おい、輝慎。ひょっとして拗ねてるのか?」
「拗ねてなんかないですよ!」
 長い前髪をかき上げてアスファルトは声をもらして笑った。わかりやすすぎる反応は彼としては非常にありがたい。今まで付き合ってきた者たちは、誰もが自分の内心をうまく隠し通してばかりだった。
 彼は優しく輝慎の頭をなでる。
「機嫌を直せ、輝慎」
「どうせ私はアスファルト様に命を助けられたしがない魔族ですから」
「輝慎、お前は大切な私の家族の一人だ。そして彼女も、その一人だ」
 その言葉にぱっと輝慎は顔を輝かせた。どうやらご機嫌は取れたと判断してアスファルトは安堵する。輝慎は溢れんばかりの笑顔でうなずくと紙をアスファルトに返した。
「わかりました。じゃあその大事な家族の一人を連れ帰ればいいんですよね?」
「そうだ」
 輝慎は握り拳を作り、自らに気合いを入れた。アスファルトはそんな彼を微笑ましく見守りながら、遠くの気配に神経を集中させる。
 あの人間たちはまた強くなり、レーナは力を取り戻しつつある。
 そしてあいつが近づきつつある。
 あまり、時間はない……。
 彼はきつく唇を結ぶと紙を無造作に投げ置いた。ひらりと空を舞いながら、それは音もなく机に収まった。
 時は既に満ちていた。



 無愛想な静かな部屋の中で、小さな寝息がもれていた。差し込む日差しは低く弱々しく、うっすらと室内を照らしている。
 自分にもたれかかっている愛しい少女に、アースは目を落とした。ベッドの端に腰掛けたまま体をあずけてくる彼女の目は固く閉じられている。時折もれるうめきとも取れない声がひどく切なく胸に響いた。それでも彼は黙って彼女の頭をなでる。今眠りを妨げれば、今度いつその機会が訪れるのかはわからないのだから。
「ぁ……」
 かすかに声をもらして、彼女は身じろぎした。どうやら目を覚ましたらしいと判断し、彼はその顔をのぞき込む。
「レーナ、起きたのか?」
「ん……アース。おはよう」
 まだ焦点の定まらない目で、彼女は力無く微笑んだ。その様子に一つの予感を覚え、彼は彼女の体を強く抱き寄せながら問いかける。
「また悪い夢でも見たのか?」
「悪い夢……かな。昔のことを、そのまま夢に見るんだ」
 抵抗することなくその腕に収まった彼女は、手のひらをそっと彼の手に重ねた。唇からもれる言葉は甘く切ない響きをもって彼の耳に届く。彼は彼女の頭をなでた。すんなりと指を通る黒く長い髪がさらさらと流れ、静かに音を立てる。
「たぶん、近づいてるからだ。予感があるから、なんだ」
 今にも消えていきそうな声で彼女は言った。答える言葉のない彼は黙って頭をなで続ける。静寂の満ちた部屋には二人の他に気配はなかった。色も、匂いも、音もなかった。
「もうすぐあいつが来る。今度は……覚悟しなければ」
 覚悟? 何の覚悟を?
 彼にそう問いかけることはできなかった。今問うことは、彼女の痛みを強めてしまうに他ならないから。だから彼は抱きしめる腕に力を込めるだけで何も言わない。
「ありがとう、アース。傍にいてくれて」
 彼女はうっすらと柔らかに微笑んで、その胸に頭をあずけた。

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