white minds

第二十四章 切れない鎖‐2

 予感を胸に抱いたまま三月が訪れた。寒さはゆるみ始めたものの、まだ雪がとけきるには至っていない。だが日差しには温かさが戻りつつあった。時折耳にする雪解け水の音が、春の気配を確実に伝えている。
 そんな中、ついにその時はやってきた。
「滝っ!」
 司令室の扉が開くと同時にレーナの声が上がる。呼ばれた滝は慌てて振り返った。警報はまだ鳴っていないし、鳴る気配もない。が、彼女の顔にはは明らかな緊張が表れていた。
「れ、レーナ。何かあったのか?」
「魔族が、来る。おそらく今から二十分以内には到着するだろう。イーストの一団だ」
 彼女の言葉で司令室に戦慄が走った。今まで息を潜めていた彼らが、ついに動き出したのだ。自然と張りつめていく空気が肌に痛い。
「……狙いは、おそらくわれだろう」
「……は?」
 立ち上がりかけていた滝は思わず首を傾げた。魔族に狙われているのは宮殿の下と、そして転生神のはずだ。彼の怪訝そうな視線を受けて、彼女はうっすらと微笑む。
「指揮を執っているのは……おそらくアスファルトだ」
 その微笑みをどう解釈すればいいのか彼は戸惑った。声は穏やかで表情は柔らかでそれなのに瞳は切なさをたたえている。そんな彼の傍らで、レンカが口を開いた。
「じゃあ今回はレーナを前に出すわけには行かないわね。かといって基地に閉じこもってもらってちゃ私たちがやられるし」
 彼女はどこか不敵に笑っていた。漂うオーラさえいつもよりも力強く感じられる。それに応えるようにレーナは声をもらして笑い、相槌を打った。その瞳にも柔らかさが戻ってくる。
「ああ、もちろんわれも出るさ。まさかこそこそ隠れるわけにもいかない。お前たちを守るのが、われの目的であり役目なのだから」
 レーナは身を翻した。それから肩越しに振り返ると少し頭を傾けていつものように余裕の笑顔を浮かべる。空を踊る黒い髪は優雅で美しかった。
「わかった。すぐに放送をかけて準備しよう。もちろん全員で、いいんだよな?」
「ああ。この気の動きだと、イーストも来るぞ」
 滝の問いにレーナはうなずいた。イーストという名前とともに頭をよぎるのは、あの空色の髪の美しい青年だ。だが美しいだけではない、放つ気には清々しさと厳かさが備わっていた。そこにいるだけで圧倒されそうになるすさまじさが、確かにあったのだ。
「大丈夫、お前たちはわれが守るから」
 レーナはそう言い残して司令室を去っていった。その後ろ姿は、いつもと変わらず軽やかだ。

 それから約十五分後のことだった。圧倒的な気配が、地球に迫ってきたのは。


 手早く準備を澄ませた神技隊は、基地の前に立って空を見上げていた。
「今は丁度巨大結界の外だ」
 レーナは説明するように言う。結界越しでこの威圧感というのは、考えただけでも恐ろしかった。自然と喉が鳴り、手に汗がにじんでくる。
「来る」
 彼女のささやきとその衝撃はほぼ同時だった。
 目を灼かんばかりの輝きと爆風が彼らを襲う。だがそれはすんでのところで防がれた。彼らを覆うように張られた傘上の結界が、その進行をくい止めたのである。掲げたレーナの手の先が淡く輝いている。
 爆風が収まった時、魔族の大軍が空を埋め尽くしていた。先ほどまでの青空は今はどこにもない。神技隊の誰もがその光景に息を呑んだ。一体何人がいるのか、考えることを脳が拒否する。
「滝」
「ああ」
 皆が立ちつくしそうになる中でレンカと滝が動き出した。各々の武器を構え、二人は一気に地を蹴る。
「まずはご挨拶」
 レンカが右手を横に流すと、その動作に従うように透明な衝撃波が魔族の大軍へと向かっていった。魔族たちは逃れようと四方八方へ散っていくが、中には避けきれず餌食になる者もいる。くぐもった悲鳴と緊張が辺りを包み込んだ。
「じゃあ左はオレたちが」
「右は私たちね」
 するとそれを見計らったように青葉と梅花、シンとリンが左右に別れた。滝とレンカによって分散させられた魔族たちの一部が、左右から地上に迫ってきている。
「じゃあ左の援護はわたくしたちが!」
「右はオレたちが行きます!」
 それに続いてよつきとジュリ、アキセとサホが走り出した。銀白色の世界で、彼らの姿は小さくなっていく。
「アース」
「何だ?」
「我々の相手はどうやらあいつららしいぞ」
 そんな中、レーナは空の一点を指さした。そこには背景に溶け込むように浮かぶ一人の青年と、それに付き従う一人の大柄な男がいる。
 イーストと……その部下フェウス。
「早々と帰ってもらいたいものだな」
 アースは吐き捨てるようにそう言うと、剣を握る手に力を込めた。



 幾筋もの光が迫ってくるのを察知し、滝はとっさに背をそらした。彼の目の前を白い光が通り過ぎていく。
 誰だ?
 その光の元を目で確認すると、そこには一人の青年が存在していた。確かに先ほどまではいなかったはずの空間にふんわりと浮かぶその姿は、よく空に映えている。山吹色の髪は軽やかに揺れ、エメラルドをはめ込んだような瞳は爛々と輝いていた。うっすらと開かれた口元にはかすかな笑みが浮かんでいる。
「こんにちは、あなたたちの相手は私がすることになってるんです。よろしくお願いしますね」
 その青年は人懐っこく笑った。放たれる空気があまりにも友好的で滝は思わず困惑してしまう。彼は視界の端に浮かぶレンカを一瞥した。
「そう、そこの女の人も一緒ですよ。あなたたちは二人で一組なんでしょう?」
 なおも青年の言葉は続く。この場が戦場でなければ、周りを飛び交うのが悲鳴と閃光でなければ、敵だとは思えない明るい声音だった。レンカが滝の異変に気づき、魔族を一人たたき落として彼のもとへと向かってくる。
「私は輝慎弾きしんだん……半魔族の一人です。アスファルト様のために、お願いだからさくっとやられてくださいね」
 青年――輝慎弾の右手に白い光弾が生まれた。放たれたそれは、滝めがけて不規則な動きでやってくる。
「精神系!?」
 レンカが声を上げた。彼女は滝の前に立ちはだかり、結界でもって光弾をはじき返す。だがその時既に輝慎弾は動き始めていた。真横から放たれた幾筋もの光には、今度は滝が対応する。右手の剣が淡く光った。
「半魔族だからって甘く見ない方がいいですよ。力を注いでくれた人との相性によっては、それまでよりも強くなることだってあるんですから」
 輝慎弾の声は真上から聞こえた。と次の瞬間、レンカの左腕に鋭い痛みが走る。手のひらまで伝ってくる生暖かい血の感触が、全てを告げていた。次々と迫ってくる白い光を、彼女は結界で何とか防ぐ。
「レンカ!」
 叫ぶ彼の頬を、光弾がかすめていった。予感とともにとっさに振るった剣が、残りの光弾を叩き落とす。
 一つ一つの技の威力は普通……でもスピードがかなりのもの。速度重視タイプね。
 結界を張りつつ傷を塞ぐレンカは、冷静にそう分析した。ならば打つ手がないわけではない。彼女は心中で祈るようつぶやく。
 レーナの手を煩わせるわけにはいかない。狙いが彼女なら……その負担は減らさねばならない。今この中で大物なのはおそらくイーストとその忠臣らしき男、そしてこの輝慎弾だろう。気になるのはアスファルトの姿が見あたらないことだが、隙をうかがっていると考えるのが妥当だ。ならば誰かをレーナのフォローに回せるぐらいの方がいい。
 瞬時にそれらのことを頭に入れると、レンカは青白く輝く弓を生み出した。通常よりも巨大なそれを、彼女は駆けながら構える。
「本当に私が転生神の一人なら……こんな時くらい役に立たせてよね」
 柔らかい唇からもれたささやきは、鋭さをたたえたまま戦場へと飲み込まれていった。



 打ち付けた背中がひどく痛み、レーナは顔をしかめた。だが、霞みそうになる意識をかろうじて引き止めているのがその痛みなのだから、この場合は感謝するべきかもしれない。
「レーナっ!」
 降り立ったアースが彼女の前に駆けよってきた。戦闘開始からは相当の時間がたつ。かなりの疲労のはずだが彼にはその気配が全くなかった。さすがだなと心の中で微苦笑しながらレーナは素早く立ち上がる。
 一対二では不利とビートブルーへの合体を解いたが、イーストとフェウスの連携攻撃は予想以上に強かった。実質動いているのはフェウスだけなのだが、しかし時折不意をつくイーストの攻撃は一度くらえば再起不能となりかねない。彼の氷は、触れるだけで『核』ごと凍らせる程の威力を持っているのだ。そこにいるだけで、彼は十分驚異となり得る。
「あいつには悪いが、私はお前たちを無傷のまま帰すつもりはない」
 フェウスの太い腕がうなりを上げた。どこからともなく降り注ぐ無数の短剣を、レーナは結界ではじき飛ばす。
 精神はまだ十分にある。問題は……体力か。反応速度が落ちてるな。
 彼女は地を大きく蹴りながら半回転して、イーストの手刀をかわした。その後方で、アースの剣とフェウスの短剣が激しく音を上げている。
 刹那、悲鳴のような金属音が途切れ、骨のきしむような鈍い音が耳に届いた。つぶされた雪の音、小さくもれたうめきから、アースが力で押し切られたのだと彼女は推測する。
 来る――――!
 フェウスの迫る気配に、彼女は体勢を低く保ったままふわりと飛んだ。瞬時に生み出した白い刃を構え、彼女は神経を研ぎ澄ませる。
「レーナ、上だっ!」
 膝をついたアースの叫びと同時に、嵐のような風が巻き起こった。粉雪が舞い上がり視界は完全に白に塗り潰される。さえぎられたのは視界だけではない、感覚その物だった。イーストの気が染み込んだその風は気の感覚さえ麻痺させる。
 どこから来る?
 イーストに触れられれば終わり。高鳴る鼓動と裏腹に、頭の中はどんどん冷めていった。思考を鈍らせるなと、惑わされるなと、体を構成する全てのものが警告を発している。
 ちらりと、白い世界に鮮やかな空色が目に入った。だが彼女は第六感でそれを無視し後方へ大きく飛び上がる。
「惜しいね」
 彼女の鼻の先を、イーストの空色の髪がかすめた。すぐ目の前に現れた彼は、悠然と彼女に微笑みかけている。
「もう少しで君を捕らえられたのに」
 時の流れが、ひどく遅くなった。雪とともに吹きすさぶ冷たい風の中、向き合う二人。ある予感を覚えて彼女はとっさに右へ体を倒した。
 次の瞬間、左の腹を鋭い痛みが捉える。
 フェウス……!
 彼女は力一杯刃をふるってフェウスの短剣を退けた。舌打ちしたフェウスの顔には明らかに殺意があった。体をむしばまんとする痛みを堪えて、彼女はかろうじて右へ跳躍する。
 風が、止んだ。
「レーナっ」
 思ったよりも近くでアースの声がする。イーストの細い腕と、フェウスの血に染まった短剣が、彼女の霞んだ目に映った。
 まずいという言葉が頭の中を駆けめぐる。
「――――――!?」
 だが彼女を襲った衝撃は、予想していたものとは全く別のものだった。背中を覆う温かさ、体に回された長い腕。頭上から降り注ぐ懐かしい声。
「殺さないという、約束のはずだが?」
「アス……ファルト……?」
 彼女の細い体を、アスファルトが抱えていた。長めの白い上着に深い緑色の髪。その瞳は相変わらず険しくゆがめられている。その腕に押さえつけられた傷口がずきずきと痛み、彼女は苦悶の表情を浮かべた。だがそのおかげで、労せず意識を保っていられるのも事実。
「心配性だね、君は。フェウスがそのつもりでも、いざというときは私が何とかするんだから大丈夫だって言っただろう? それともこれ以上私には触れさせないというつもりなのかな?」
 怒りを露わにするフェウスを手で制して、イーストが笑った。彼はフェウスを一瞥すると、目でアースを止めるよう合図する。雪を蹴散らして駆けてくるアースの前に、大柄なフェウスが立ちはだかった。アースは苦渋に唇をかむ。
「お前の言うことは時々信用できない」
「ひどいね、君は。まあいいよ。早くつれて帰りたくて仕方ないんだろう? 先に戻っていてもいいよ、後かたづけは私がするから」
 胡散臭そうにするアスファルトに背を向けて、イーストは言った。アスファルトは眉をぴくりと跳ね上がらせるが、それ以上は何も言わず大きく飛び上がる。
「レーナ!」
 何度目かの呼び声が、辺りに響いた。応える彼女の声は音にならない。彼女の唇が自分の名前を唱えるのを、アースは歯ぎしりして見つめるしかなかった。動き出そうにもフェウスが邪魔だった。短剣を構える彼には、隙がない。
 アスファルトの姿はどんどん小さくなっていく。
「また後でね、アスファルト」
 イーストのささやきと同時に、アスファルトの姿はかき消えた。先ほどまで空に浮かんでいたはずのその気配が、突然消滅する。青々と広がった空と、その中を駆けめぐる魔族たち、神技隊たちの姿だけがそこにはあった。アースは言葉を失う。
「さて、撤退の準備をするよ、フェウス」
「はい、イースト様」
 澄んだ空に似つかわしい微笑みを浮かべて、イーストはひらりと天へ舞い上がった。

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