white minds

第二十四章 切れない鎖‐4

「ようやく状況が掴めてきたわ」
「……それはこっちもです」
 食堂で紅茶をすすりながらうなずくユズに、滝は苦笑しながら相槌を打った。彼女は今カウンターの椅子に座っている。足を組んで思案する様子は凛々しいの一言に尽きるが、先ほどの行動を見てしまった彼としては苦笑いするしかない。
 今食堂には七人が集まっていた。騒ぎの原因であるユズと、彼女と鉢合わせになった滝、レンカ、そしてアース。加えて、レーナがらみということで呼ばれた梅花、その付き添いの青葉。そしてユズを追いかけて駆け込んできたアルという青年だ。
「えーと、まずあなたは……その、アルティードの中の一人ってことでいいんですよね?」
 まず滝はアルと呼ばれた青年に確認した。彼はゆっくりとうなずき微笑みを浮かべる。どうやら彼は、突然飛び出したユズを追ってきたようだった。『上』と連絡が付かなかったのもその騒ぎのためなのだろう。
「それであなたがユズさん。レーナたちの生みの親の一人で、未来からやってきた神」
「そうよ。ついでにアルティードたちの知り合いでもあるわ」
 今度はユズに問いかける滝。余裕の笑顔で応える彼女はどこかレーナと似ていた。ちょっとした表情や仕草がそう感じさせるのだろうと思いつつ、彼はちらりとレンカに視線を送る。
「それで……ユズさんのお姉さんというのが」
「転生神の一人、リシヤの生まれ変わりよ。名前はキキョウ」
「つまり、レンカの生まれ変わりでもあるわけですよね。ユズさんは未来からやってきたんですから」
 彼はレンカとユズを交互に見た。ユズはゆっくりとうなずき、満面の笑みをレンカに向ける。だが当のレンカは困惑した表情で愛想笑いを浮かべていた。それも無理のない話ではあるが……。
「ユズさん、その、どうして急にこちらの時代にやってきたんですか? あまりにもタイミングがよすぎるんですけど」
 そんな彼女を助けるためであろうか、滝がユズに問いかける。ユズはちらりと彼を一瞥して、ふうと息を吐いた。それは彼の意図を理解している目だ。
「予感があったのよ、ここ半年くらいね。それで一週間くらい前にこっちの世界に来てみたの。あっちこっちの魔族に吐かせたら、レーナたちが地球にいるって情報掴んでね」
「吐かせたのか……」
 彼女の言葉に、アルはどこか遠い目をしてつぶやいた。瑠璃色の瞳にはありありとその光景が浮かんでいるのだろうと思うと、皆は同情を禁じ得ない。
 魔族から情報を聞き出す神。恐ろしい響きだ。
「それなのに……あの馬鹿が連れてっちゃっただなんて」
 ユズは明らかに険悪な顔つきになった。彼女の背後に幻の炎を見て、周りの者は思わず後退する。いつもはいがみ合うばかりのアースと青葉でさえ、どうしたものかと目を合わせる程だ。
「まあ落ち着けユズ。今ここで激怒したところで何も変わらないだろう。レーナを失った我々は今危機的状況だ。五腹心が再度攻めてくれば、太刀打ちできない」
「私とあなた以外は、ね」
 そんな彼女をなだめるべくアルが冷静な声を発した。それにあわせるようにユズも真顔に戻り、不敵な笑みを浮かべる。
「まだお姉さまたちは力を取り戻していないみたいだし。確かに問題な状況だわ」
 ユズは椅子から立ち上がった。髪をかきあげ余裕綽々な態度をする彼女は、ゆっくりと唇を動かす。放たれた言葉は、決意と力に溢れていた。
「なら取り返せばいい。レーナを、助けにいきましょう」
 彼女は傍らのアースを見た。視線を受けて彼は立ち上がり、大きくうなずく。
「どこに捕らえられているのか、知ってるんですか?」
「さっき探知してみたんだけど、レーナの気はアスファルトの研究所にあるわ。あそこなら行けるし入り方もわかる。この基地と、同じなんだけどね」
 問う滝にユズはあっさりと答える。行き詰まっていた彼らにとっては非常に頼もしかった。それこそ本当に救いの女神だ。
「いいわよね? アル。私たち乗り込むけど」
「私がだめだと言っても行くのだろう? ならば止めないさ」
「理解があって嬉しいわ」
 苦笑しつつ立ち上がったアルは、いつも以上に疲れ切っていた。彼につられてか、残りの四人も次々と席を立つ。
 じゃあ準備しましょう、というユズの一声でその場は解散となった。



 灰色の壁に囲まれた無機質な廊下には、明かりが数個並んでいるだけだった。カツカツという小気味よい足音とともに一人の青年が奥へと歩いていく。
「アスファルト様、ただいま戻りました!」
「輝慎か、ご苦労だったな」
 彼が背の高い扉を開けた先には、アスファルトが立っていた。その長い深緑の前髪をかき上げながら、アスファルトは右隣を一瞥する。いつも彼が座っている椅子には、今はレーナがもたれかかっていた。刺されどころが悪かったのかそれとも出血が激しいのか、その顔色はひどく蒼い。
「……アスファルト様、その、手当はしなくていいんですか?」
「元気になったら逃げるぞ、こいつは」
「じゃあ縛っておけばいいんですよ。このままじゃ危ないですよ?」
「縛ったくらいでは意味がない、こいつには」
 アスファルトと輝慎弾はレーナをうかがいつつ言葉を交わした。すると不意に苦しそうな吐息をはき出して、彼女が弱々しく頭をもたげる。
「心配しなくても、今は逃げ出さないよ。無駄に体力を消耗したくないからな」
 椅子の背に頭をあずけたままそれでも微笑む様は、どこか不安定だ。アスファルトはやや眉根を寄せて、彼女の頭に手をのせる。
「お前の言うことも、時々信用ならないからな」
「ひどいなーアスファルト。われは嘘は言わないぞ? ごまかしたり曖昧にしたりはするけど」
「今まで逃げてた奴が逃げ出さないわけないだろう?」
「われは逃げ出さないよ、助けに来るから」
 あくまで微笑み続けるレーナと、顔をしかめるアスファルト。その視線が交わった。彼は彼女の頭をなでながら微苦笑して嘆息する。折れたのは、彼のようだった。彼女の体を軽々と抱き上げ、彼は輝慎弾に視線を移す。
「輝慎、奥の第二研究室を開けておいてくれ。そこでお前が治療してくれるか?」
「あ、はいっ! 今すぐ準備します」
 大きな扉を開けてぱたぱたと輝慎弾は駆けていった。その背中を見送りながら、アスファルトもゆっくりと歩を進める。傷が痛むのか顔をしかめるレーナは、彼の白衣をぎゅっと握った。
「アスファルト……」
「ん? 何だ」
「われは……全ての覚悟をしてしまったから」
 切なげに細められた瞳が、アスファルトを捉える。色のない唇からもれる息は苦しげで、力がなかった。彼は眉をひそめて、彼女を抱き上げる手に力を込める。
「だから、もしもの時は、お前を……」
「レーナ」
 彼は彼女の黒い目をのぞき込んだ。それ以上言葉が紡がれるのを阻止した彼は、いつになく優しく微笑み言い聞かせるようにささやく。
「言葉には力がある。それはお前もわかっているだろう? 何も言わなくていい」
 彼はそのままゆっくりと廊下を歩いていった。突き当たりでいつもとは逆の方へ進み、奥の部屋へと入っていく。窓一つないその部屋には、一枚の毛布を持った輝慎弾が待っていた。
「アスファルト様、ここにはベッドも何もないんですけど……」
「床でいいだろう。毛布を敷いて、そこに寝かせる」
 アスファルトの言葉に従って、輝慎弾は固い無愛想な床に毛布を敷いた。薄茶色の毛布の上では、彼女の顔色の悪さは一段と際だつ。輝慎弾はその傍らに膝をつくと、困惑した顔でアスファルトを見上げた。
「あの……アスファルト様、えっと……め、捲ってもいいものなんでしょうか?」
 おどおどした輝慎弾の右手は、彼女の腹部の上で右往左往していた。一瞬目を丸くしたアスファルトは、しかしその理由を探し出してくすりと笑う。
「そうか、輝慎は女を見るのは初めてだったのだな」
「み、見かけたことはありますけどこんな近くでは……」
「まあそれも仕方ないだろうな。本人に聞いて見ろ」
 輝慎弾はおそるおそるレーナの顔をのぞき込んだ。それまでうっすらと瞳を閉じていた彼女は、少し頭を傾けて春の花のように微笑む。その意味がわからずわたわたとする輝慎弾の肩を、アスファルトは叩いた。
「かまわないそうだ」
「え、ええっ、そういうことなんですか? ってちょっとアスファルト様!」
 なおまごつく輝慎弾を後に、アスファルトは部屋から出ていった。去り際に、ちゃんと治して見張っておけよ、と言い残して。
「われと二人きりじゃ不安か?」
 やや上体を起こして、レーナがいたずらっぽく笑った。無愛想な灰色の部屋で男と女が二人。さすがの輝慎弾も、今の台詞は自分のものでないかと疑問に思う。彼はあらためて目の前の少女を観察した。
 ……小さい。
 それがまず率直な感想だった。白くて細くて今にも折れそうなその体は、どう考えても皆が恐れる程の強さを秘めているとは考えられない。彼はおそるおそる彼女の傷口に手を触れさせる。
「そ、そんなことありません。傷は、ここでいいんですよね?」
 彼は彼女の目をのぞき込んだ。黒く輝くその瞳は今は穏やかな色を帯びている。宇宙を思わせるその美しさは幻想的でさえあった。不思議と、吸い込まれそうになる。
「ああ。よろしく頼むな? えーと、キシン?」
「輝慎弾、です。でもアスファルト様は輝慎と呼んでいます。私は……その方が好きです」
 名は大切にしろよと、そうささやいてレーナは顔をほころばせた。輝慎弾の顔も自然とゆるみ、その唇からかすかな安堵の息がもれる。
 何も不安に思うことはない。
 彼はそう自らに言い聞かせた。



「治療、終わりましたよ」
 少しだけ捲った上着を元に戻して、輝慎弾は顔を上げた。だが彼の目に映ったのは予想外の光景だった。
「寝てる……んですか?」
 目を閉じたまま何も言わないレーナは、安らかな顔で毛布に横たわっていた。問いかけにも反応はない。どうやら完全に眠っているようだと彼は判断した。かすかな寝息にあわせてゆっくりと胸が上下し、時折長いまつげがわずかに揺れる。
 本当に小さい……。
 彼はそっと彼女の頬に手を伸ばした。指先でなでるようにすると、くすぐったそうに少し身じろぎをする。その黒く長い髪がさらりと音を立てた。
「輝慎」
「うわわわわわわぁっ!?」
 突然背後からかかった声に、彼は思わず大声を上げた。心臓が飛び出そうというのはこのことを言うのだろうと思いつつ、彼は振り返りぱたぱたと手を振る。
「えええっと、別にそんな何もしてません。見張ってました、普通に見張ってました」
「……」
 あわてふためく彼はただ笑顔を浮かべて何度も相槌を打った。眉根を寄せたアスファルトは、それでも何も言わずに彼に近づき膝をつく。ぎくしゃくとする輝慎弾の耳に届いたのは、予期していた言葉ではなかった。
「もうすぐ、ここにイーストがやってくる。あいつだけならいいが、他の奴もやってくる可能性がある。第一研究室の奥、隠し部屋に移動させるぞ」
 目を丸くする輝慎弾の頭をなでつつ、アスファルトは毛布の上のレーナを見下ろした。自分がさらわれたということを忘れてるような無防備な寝顔に、彼は微苦笑する。
 また……ひどい夢でも見ているのだろうな、お前は。そして目覚めると切なそうに儚く微笑むのだろう。
 彼はゆっくりと彼女の体を抱きかかえ、輝慎弾に目で合図した。輝慎弾は立ち上がり、急いで毛布を片づけ始める。
「イーストはともかく、ブラストやプレインはこいつの情報を欲しているはずだ。渡したら最後、戻っては来ないだろう」
 アスファルトは眠るレーナの顔を一瞥した。
 ようやく取り戻した光を手放す程、愚かではない。手にした家族を、失う程には。
 彼は一度きつく目を閉じる。浮かぶ光景は何度も目にしたあの姿だけ。傷ついた目をした、彼女だけ。言い得ぬ胸の痛みがよみがえり、彼は重いため息をつく。
「アスファルト様……?」
「行くぞ、輝慎」
 彼は歩き出した。よぎる思いを、痛みを振り払うように、薄明かりの廊下をただひたすら前へを進む。後に続く輝慎弾の足音が、カツカツと響き渡った。

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