white minds

第二十四章 切れない鎖‐6

「どうしてあなたは逃げ出したの?」
「それは言えない」
「どうして突然飛び出したの?」
「それは言えない」
「レーナっ!」
「言えない、ユズには」
 皆が寝静まった基地の中、二人の問答が続けられていた。必要最低限の家具、調度品しかないレーナの部屋には、今は三人が集っている。レーナとユズと、そしてアースだ。
 繰り返される言葉にアースは何も言わず、部屋の隅に座していた。ベッドに腰掛けて眉根を寄せるユズと、椅子の上で足を組むレーナは、互いに言い得ぬ張りつめた空気を放っている。
 これは……アスファルトとの時もやっていたな。
 アースはふと記憶を呼び起こした。つまりそれは、二人に関わっているということだろうか? 彼は視線をレーナに移す。
「……だめなんだ、ユズ。それは言えないんだよ、もう」
 寂しげな声音でレーナは告げる。アースはそんな彼女を抱きしめたい衝動に耐えて、じっと黙し続けていた。ユズがふぅと大きく息を吐いて髪をかきあげる。
「わかったから、そんな顔しないでよ。抱きしめて頭なでたくなるじゃない」
 ユズの言葉にアースはもう少しで吹き出すところだった。台詞を取られたというのが正直な心境だ。だが取られた相手が相手なので、何と言っていいのかわからない。
「でもこれくらいは答えてくれるわよね? あなたが今何をしようとしているのか、くらいは」
 いたずらっぽくユズが微笑む。その様子を見てレーナは愉快そうに頭を傾け、軽やかに唇を動かした。揺れる長い黒髪が幻想的だ。
「アルティードから何も聞いてないのか? 地球にある『鍵』を守り、転生神を守り、消えた歴史を取り戻すことだ」
 無謀すぎて美麗な目的をレーナは告げた。ユズは立ち上がりレーナに近づくと、その頭にそっと手を添える。
「あなたは、私を継いだのね」
「結果的には、な」
「よかった。これで私は役目を果たせたことになるのね。お姉さまも、きっと喜ぶ」
 二人が交わした会話はアースには理解できないものだった。部屋の隅で一人首を傾げる彼に、レーナは微笑みかける。
「未来を、変える。希望を繋ぐ。それがユズがキキョウから託されたことなんだ」
「だから私は手遅れでない時代に来たの。お姉さまの悲痛な顔は、もう見たくないから」
 キキョウの名だけは聞いていたが、しかしそれ以上のことを彼は知らなかった。問う彼に二人は静かに語り始める。簡潔に、だがごまかすことなくはっきりと紡がれた物語は、彼の胸に落ちていった。
 ユズの姉、名はキキョウ。転生神リシヤの生まれ変わりであり、唯一消えた歴史――闇歴の記憶を宿す者。しかし彼女はその場を動けなかった。動けば彼を刺激してしまうから、と。だから彼女は妹のユズに全てを託した。まだ手遅れでない世界があるはず、その未来を変えなさいと。同じ過ちを繰り返してはならない、と。
 彼女は多くを語らなかった。
 それが何故だかはわからなかったが、しかしその悲痛な瞳が全てを語っているようだった。
 だからユズは誓った。未来を変えてみせる、希望を繋いでみせる。手段などわからなくてもきっとやってみせる。
 一人が起こせる変化は微々たるものだ。だがそれは別の者に変化を呼び起こし、その変化は鎖となって繋がっていく。些細なことでも十分なのだ、繋がりさえすれば。起こす変化は、小さくてもいい。
「私は繋げたわ」
 そこまで説明するとユズは微笑んだ。犠牲になったものは大きく、失ったものは多い。それでも繋いだことにかわりはないのだ。安堵の色が彼女にはあった。同時に、儚さもあった。
「だからレーナ。ちょっとだけご褒美をちょうだい?」
「ご褒美?」
 アースから視線をはずして、ユズは真っ直ぐレーナを見つめる。
「あの子は、誰なの?」
 問うユズの瞳をレーナは見返した。神妙な空気がそこはかとなく漂っていた。



 ユズが基地を訪れてから三日程がたった。彼女の話だとどうやら魔族は陰で動いているらしいが、まだ地球へやってくる気配はないそうだ。もちろんだからといって油断はできないのだが。
「で、あのユズって人はいつまでここにいる気なわけ?」
 食堂で昼食を取りながらサツバが尋ねる。彼の前に座っていたシンは曖昧に微笑んだ。皿に置かれたスプーンがからんと音を立てる。
「滝さんが聞いたら、終曲までって答えが返ってきたみたい」
「はい?」
 シンの答えにサツバは素っ頓狂な声を上げた。ここに当人がいないからまだいいものの、完全に軽んじた口調だ。シンはその茶色い瞳を細める。
「まあ強い人……じゃない神だし、味方してくれるんならいいんじゃないのか? 魔族襲撃の時いたら助かると思うし」
「いや、強すぎだろあれは。……でもレーナに似てて話しづらい。それにリンにも似ててやりづらい」
 サツバはすわった目でまた食事を再開した。その様子を眺めながらシンは首をひねる。
 レーナとは、仕草とか似てるけど。でもリンと似てるか……?
 彼はできる限り今までの彼女たちの行動を思い出してみた。出会いから今に至るまでを鮮明に。と、その時――――
「朗報よー!」
 食堂の扉を勢いよく開けて、リンが飛び込んできた。満面の笑みとその行動力、翻弄する力。確かに似ているかもしれないとシンは思い直す。
「レグルスが、目を覚ましたそうよ!」
 彼女の告げた事実に食堂はどっとわいた。今まで重苦しい話題が多かっただけに嬉しい限りである。皆の喜ぶ様をリンは嬉しそうに眺める。
「すぐに元気になるってわけにはいかないけれど、一、二ヶ月もすれば戻ってこられるって」
 そう言いながらリンは傍らにいるシンの隣に腰掛けた。そしてそのまま彼のコーヒーを手にして口にする。
「一、二ヶ月って……結構じゃないのか?」
 だがそんな行動にも慣れきってしまったシンは、気になった言葉を問い返した。リンはカップを両手で包みながら彼の方に頭を傾ける。
「ずっと動いてないと筋力も落ちるでしょう? それにまあ大事を取ってじゃないかしら。医者がそう簡単に患者を戦場に戻すと思う?」
 リンはカップをテーブルに置いた。白い指がそのふちをなぞり、その瞳が小さく揺れる。
「始まりの始まりって、いつだったのかしら」
「……え?」
「でもそういうのって、気づいた時にはもう始まってるのよね」
 リンは立ち上がるとその場でくるりと反転し、扉の方へと駆けていった。そしてちらりと振り返る。
「レグルスのこと知らせないといけない人まだいるから。ちょっと行ってくるわね」
 去っていく後ろ姿は軽やかだった。シンは苦笑しながらカップを手元に引き寄せ、視線を落とす。その中身は残り少なくなっており、満足できる程の量は残っていなかった。
「確かに、似てるかもしれないな」
 彼はサツバと顔を見合わせて、何も言わずに笑い合った。



 短く生えた草が一面に広がっていた。曇り空の下吹く風はなま暖かく湿っている。遠くに見える山は黒々としており、厚い雲に覆われていた。その光景を眺めながら、一人の男が細く息を吐く。
 筋肉質の体に服を無造作に着込んだ、焼けた肌の男だった。頭に巻き付けた包帯も、ただに巻いただけと言わんばかりの適当さである。包帯の隙間からのぞく髪は草色で、その瞳は黒々としていた。彼は口笛を鳴らす。
「お迎えとは律儀なことするなー、イースト、それにレシガ」
 彼が振り返った先には男女二人が立っていた。空色の髪に白い肌、穏やかな美貌を持つ男と、ワインレッドの髪に褐色の肌、妖艶な輝きを放つ女だ。二人が浮かべているのは微笑みだった。
「お帰り、ラグナ。君が最後の一人だよ」
 その一人――イーストが優雅に告げる。ラグナは口元をゆがめ、大きな手で乱暴に頭をかいた。
「オレが最初に封印されて、そして最後に起きるか。寝坊だな、完全に」
 自虐的な笑みには怒りと力が溢れていた。イーストは困ったように眉根を寄せてレシガを見やる。悠然と髪をたなびかせながら、彼女はラグナの傍らに寄った。
「あなたがどうこう思うのは勝手だわ。でも伝えなければならない事実があるの。あの子が、今あちら側についている。そしてアスファルトの彼女さんも、ね」
 あの子。
 それだけでラグナは言わんとすることを飲み込んだようだった。自然と口角が上がり、目にはぎらぎらとした光が宿る。彼の唇が素早く動いた。
「ならもう容赦する必要はないってことだよなー、えーイースト。あの小娘をオレが潰していいんだよな?」
「君が、かどうかはわからないね。今対地球戦の先陣を切ってるのはアスファルトだから。あ、これはブラストの提案だからね」
 今にも飛び出さん勢いで拳を握るラグナに、イーストは付け加えた。ラグナの眉が跳ね上がり、苛立たしげに蹴られた土が草とともに宙を舞う。草の匂いが鼻をついた。
「失敗の付けはちゃんとしろってことらしいね。まあ彼のことだから、他にも色々企んでるのだろうけど。だからしばらくは我慢してくれよ? ラグナ」
 ラグナは小さく舌打ちした。かきむしった草色の髪がなま暖かい風にかすかに揺れる。イーストはそんな彼の様子に苦笑し、レシガは微笑した。彼女の長い腕が彼の頬にゆっくりと触れる。
「目覚めたばかりの運動は体に悪いわよ、ラグナ。どうせすぐに出番が来るのだから待ちなさい」
「なっ、レシガ、勝手に触るんじゃねえっ!」
「相変わらずねえ、あなたは」
 その手を振り払うラグナに、レシガは妖艶な笑みを向ける。明らかに面白がってるその顔に彼は剣呑な目を向けた。イーストが笑いをかみ殺しているのがさらに気にくわない。
「ああ、それともっと重要な話があるのよ。聞きたいでしょう?」
 レシガの金色の瞳がすっと細められた。流れるような声が空気を震わせ、甘美な響きを耳に届ける。ラグナは顔をしかめながらも悠々とうなずいた。

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