white minds

第二十四章 切れない鎖‐7

 胸から下げたペンダントを手でもてあそび、ユズは物思いにふけっていた。食堂の端という目立たなそうでいて目立つその場所は、今や彼女の特等席となっている。手のひらに簡単に収まるそのペンダントは、シンプルなデザインではあるがどこか神秘的な空気を放っていた。月をかたどったような丸い形にややくすんだ金色のそれには、かすかにわかる程度に花が彫り込まれている。
「自信はない、って言ってたけど……これが反応しちゃ決定的よねえ」
 あの子は誰なのと問いかける彼女に、レーナは答えた。自信はない、確証はない、だが可能性はある。もしかしたら二人の息子ではないか、と。
 ユズは深くため息をつく。無事生まれ変わっていたという喜びと、それが今だったというタイミングの悪さに彼女は閉口していた。言うべきか否か、判断に迷うところだ。
 彼女はふと視線を右に向けた。その先には昼食を取ったばかりで仲間とくつろぐ『彼女の息子』がいる。その向かいにいるのは確かサツバといっただろうかと、彼女は頭をひねった。
「アスファルトは、必ずまた来る。もしあいつにばれたらやっかいなことになるわよねえ。まああいつに、というよりは五腹心に、なんだけど」
 口の中で言葉を転がすように、彼女はつぶやいた。このままそっとしておけるならその方がいいに違いない。けれども時はいつも彼女を裏切るのだ。今伝えるべきか否か。ぐるぐる渦巻く思考はどこへも逃れられず、黒くたれこめた雲のように彼女を覆う。
「ユズ」
 彼女の思考をうち消したのはアースの声だった。その珍しさに顔をしかめながら彼女は頭をもたげる。彼は傍らに立ち、難しそうに眉根を寄せていた。これまた見慣れない光景である。
「なあに? アース。あなたから話しかけてくるなんて、レーナに何か頼まれでもしたの?」
 この三日間で彼の行動パターンを把握してしまったユズはそう尋ねた。だが彼は静かに首を横に振ると、向かいの席に腰を下ろす。
「あいつは何も言ってない。だがいつもお前を気にかけている。……言わないのか?」
 彼の放った言葉は断片的だったが、彼女には通じた。苦笑を堪えることができず、彼女はくくくと声をもらす。
「それをずっと考えていたところよ。迷ってるの」
「信じがたい話だからな」
「ええ……ショックでしょうね、きっと」
 彼女はまた胸元のペンダントに目を落とす。それは彼女たちが息子を生み出す際に使った物とお揃いだった。
 神が子をなす時は、何か芯となる物に自分たちの情報を注ぎ込む。だが神と魔族となればさすがにうまくいくかはわからなかった。だから聞いてみたのだ、姉であり転生神であり全てを知るキキョウに。
 神と魔族が子をなすことはできるのかと。
 難しいが不可能ではないという言葉とともに渡されたのがこのペンダントだった。これを芯にすればうまくいくだろうと、キキョウは言った。そしてユズたちの分として同じ物をもう二つくれた。
 それを今も彼女は身につけている。
 そして彼――アスファルトも。
「私たちの子どもは無事産まれたけど、何故か育たなかった。必死に尋ねたらお姉さまは珍しく微笑んだの。それは相方を、『彼女』を待っているからだって。だからしばらく寝かせておきましょうって。あの子は核に戻り、どこともわからぬ世界へ飛んでいったわ。……消えてしまった私たちの息子」
 つぶやくユズの視線は食堂の中央、シンに注がれた。嬉しい。けれども手放しでは喜べない。葛藤が彼女の中で再び渦巻く。
「あいつなら、まあ何とか受け入れられると思うが?」
「そうかしら? でもこの事実が広まると五腹心に気づかれるおそれがあるわ。もしそうなったら――――」
「狙われる、か?」
「確実に。目障りにきまってるもの。神と魔族の子なんて彼らにとっては許容範囲外よ」
 ユズはしおれた花のように微笑んだ。アースの口からも苦笑がもれ、その黒い瞳がすっと細くなる。
「アースたちにはアスファルトの、レーナには私の情報しか入ってないわ。それでも彼らは毛嫌いする。なのに神と魔族の子を認めるはずないでしょう? 即刻この世から抹殺したいはずよ」
 口にしながら不愉快な気分になったのだろう、彼女の目に剣呑な光が宿る。自然と動いた細い手は胸元のペンダントに伸びた。握りしめると鎖が触れ合う音がする。
「でもそんなことはさせない。私が、させない」
 彼女の言葉に反応したかのように、ペンダントの周りを薄紫色の光が漂った。静かな決意を、アースは見守っていた。



 不穏な気配をたたえたままの静寂。それがうち破られたのは十五日の午後のことだった。例年にない程上がった気温のため、積もっていた雪もかなりとけてきている。廊下の窓からその光景を微笑ましく眺めていたサホの耳に、けたたましい警鐘が響いた。
「魔族っ!?」
 慌てて彼女は司令室へと走る。彼女が中へ入る同時にどこからともなくレーナも現れ、部屋は騒然とした空気に包まれた。何度経験しても慣れそうにない嫌な瞬間だ。
「レーナ、まだモニターには何も映らないんだけど」
 そこではいつも通り外界を移したままのモニターを、リンが不思議そうに見つめていが。画面にあるのは青々とした空と雪の溶けかかった大地だけだ。魔族の姿も、また位置を示す赤いランプも現れてはいない。
「設定を変えて、地球からまだ大分離れていても警告を発するようにしたんだ。奴ら、あるところまで近づいたら空間飛び越えてくるからな。精神消費は無視してるらしい」
 レーナはそう説明しながらコンソールを叩き始めた。途端にモニターが真っ暗になる。
「あ、青いランプと赤いランプが」
 リンの言葉通り、黒く塗りつぶされた画面の中に青く輝く点が一つ、赤く輝く点がいくつか現れた。サホも不思議そうにそれを見上げ、首を傾げる。
 赤い点は魔族だろう。以前もそうだった。だが青い点が何かがわからない。問いかけるような二人の瞳にレーナは言い放った。
「青い点は地球だ」
 赤い点の数は、見る見る間に増えていく。司令室を覆う空気がさらに張りつめていった。レーナの舌打ちが耳に痛い。
「奴らを率いてるのは、おそらくアスファルトだ。嫌な予感がするんだよなあ」
 彼女の言葉に、待機している者たちは一斉に息を呑んだ。それぞれが各々の持ち場を離れず、しかし不安そうな目線を交わしている。そんな中、司令室へ向かってくる足音が複数遠くから聞こえてきた。
「レーナ、魔族なのか!」
「レーナ、あの馬鹿動いちゃったわよ!」
 扉を開けるなりに二人の声が重なった。滝の緊迫した声と、ユズの苛立たしげな声だ。彼らの後ろにも何人もの仲間の姿が見受けられる。レーナは振り向き複雑そうに微笑した。
「ああ、魔族だ。……本当、動いちゃったな」
 切なく儚く、だが諦めの色を含んだその表情。ユズは無言で彼女の側により、その頭を優しくなでた。滝は怪訝な顔をして後ろのレンカと目を合わせる。
「大丈夫、私が相手するからあなたはみんなを守ってあげて。結局は、私のせいなんだから」
 そう言い聞かせるようにささやくユズの横顔は確かに親のものだった。彼女はレーナに笑いかけるとすぐに身を翻す。青い衣服が音を立てて緩やかに舞った。
「滝、全員戦闘準備だ。今度はあちらも簡単には退いてくれないぞ?」
 レーナの声が司令室に染み込んでいった。



 数十分後に起きた異変をうまく言い表すことは、ほとんどの者が不可能だった。だから滝が、妙な物体が落ちてきた、とそれを表現しても誰もその知性を疑ったりはしなかっただろう。
 魔族の襲撃に備え基地の前で構えていた神技隊らが目撃したのは、何か灰色の巨大な物が落ちてくる姿だった。肉眼で確認できるのはそれが灰色であり、なおかつ半球らしいということだけだ。それは恐ろしいスピードで落下してきたかと思うと、ナイダ山の陰にゆっくりと沈んでいく。
 誰もが言葉を失った。あれは何だと問いかけることもできない。だがそんな中で一人ユズが忌々しげに声を上げる。
「ま、まさか、あれはあの馬鹿が作った馬鹿みたいな簡易基地っ!」
 最近の言動で、彼女の言う馬鹿というのがアスファルトのことを指すのだと大抵の者は知っていた。だからこそ表情が苦くなる。簡易だろうがなんだろうが基地を建てるとは、本格的に侵攻するつもりだと考えていいだろう。
 つまりそれは長期戦になる可能性があることを意味している。
「その基地、放っておいていいんですか?」
 滝がユズに顔を向け問う。彼女は険しい表情のまま奥歯を噛みしめていた。その喉からもれる息さえ張りつめている。
「もしあれが完成したら……魔族は結界を通らずにこの星に出入りできるようになるわ。あいつは空間を切り裂いた状態を維持する技術を持っているから。――――止めないと」
 その言葉を最後に彼女の姿はかき消えた。目に焼き付いた残像だけが、そこに彼女がいたことを皆に告げている。慌てる滝たちにレーナの声が降りかかった。
「ユズ一人で行かせるわけにはいかない、我々も行くぞ。だが陽動という線もある。この基地や宮殿を守る奴らとユズを追う奴ら、半々に別れよう」
 彼女の声が途切れるや否や、突如巨大な気が彼らの感覚を覆った。場所は丁度その簡易基地が落ちてきたその真上あたりだ。
「この気は……アスファルトに輝慎、それにあいつ、確かフェウスだ。このままじゃユズが危ない。われは先に行ってるからな」
 滝にそう告げてレーナは軽く地を蹴った。瞬く間に彼女の姿は消え、水を含んだ地面だけが声を上げる。取り残された滝たちは強張った面持ちのまま顔を見合わせた。
「じゃあすぐ二手に分かれよう。っと、アースたちは先行ってもいいからな」
 そう言葉を発しつつ、滝は後方のアースに視線を向けた。アースは小さくうなずくと、当たり前だと言わんばかりに疾走し始める。それを追いかけるようにカイキたち残りのビート軍団も走り出した。小さくなる背中を、滝は見送る。
 ペアを考えれば十人と十二人にわけるべきか……。
 彼は残された仲間たちを一瞥した。

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