white minds

第二十五章 黒き刃‐4

 基地へ戻った神技隊を待ち受けていたのは、シンがさらわれたという信じがたい事実だった。しかもユズから語られたその理由というのが、これまた理解しがたいものである。
 混乱に巻き込まれた彼らの多くは、各自の部屋にこもった。
 その事実を飲み込み、自分の中で納得するために。
 そうしてる間に、外はすぐに闇に包まれていった。昼間こそ気温が上がり雪が溶ける程だが、夜はまだまだ肌寒く容易には出かけられない。基地の中は適温に保たれてはいるはずだが、気分のせいなのだろうか、うっすらと感じる冷気から逃れるのは難しかった。故に早々ベッドに潜った者も多かっただろう。
 だがシフトのため司令室を離れられない者たちは、そうするわけにもいかなかった。沈黙が支配する中、手を摺り合わせる気配だけがじんわりとにじんでいく。
「はい、飲み物持ってきましたよ」
 そこへドアの開く気の抜けた音とともにジュリの温かい声がした。彼女が食堂から取ってきたのは司令室専用の『ティーカップセット』だ。どうやらコーヒーを持ってきてくれたようである。
「さっすがジュリ。ありがとな」
「ありがとうございます、ジュリ。ええーっと、でも何でわたくしに全部手渡すんですか?」
 ほがらかな笑顔で礼を言う青葉の声と、感謝を述べつつ戸惑うよつきの声が重なった。ジュリはいつも通りの穏やかな微笑みのまま、そのティーカップセットをよつきの腕にあずけている。春を思わせる温かい表情のはずなのに、彼には有無を言わせぬ圧力さえ感じられた。彼女は子どもに言い聞かせるようにゆっくりと頭を傾け口を開く。
「私が持ってきたんですから、あとは隊長がやってください。廊下や食堂は寒いんです、手がかじかんでるんですよ」
 たおやかに指先を見せた彼女は、お願いしますね、と付け加えて自分の席へと緩やかに戻っていった。その揺れる瑪瑙色の髪を恨めしそうに見ながら、よつきは小さく嘆息する。最近何故かつれないんですよねえと、意味深なぼやきを発しながら、彼はティーカップセットに目を落とした。見事なまでに磨かれたそれからも、どこか空々しいものを感じる。
「それはジュリなりの愛情表現だと思うんだけど」
「はあ……」
 首を傾げる彼に向かって、コンソールをいじっていた梅花がそう声をかけた。最近少し落ち着いてきたらしい彼女は、柔らかに微笑みながら人差し指を掲げる。
「誰にでも優しい人って、結構親しい人のこと気にかけなかったりするのよね。それが甘えというかなんというか」
「ええーと、じゃあ甘えられているという解釈でいいんでしょうか?」
 あさっての方を見ながらよつきは半眼になった。聞こえはいいが、現状を考えれば喜ばしいことではない。すると軽やかなジュリの声が彼らの耳に入ってきた。
「そういうことですよ、隊長。ほら、何だかんだ言って一緒にいる時間長いですし」
 会話はきっちり聞こえていたようだ。珍しく楽しげな彼女の様子を、司令室にいる面々は穏やかな気持ちで見守った。被害に遭っているのはよつきだけで、他の者には何の害もない。そう、彼らはここ数ヶ月できっちり学んでいるのだ、自分に害がないのなら放っておいた方が無難であると。
「私がずばずば物事言えるのって、今まではリンさんくらいしかいませんでしたからね」
 ジュリの声のトーンがやや落ちた。何を思い出したのかは定かではないが、明るいものではないのだろう。青葉は梅花と目を合わせ、複雑そうに微苦笑する。
「じゃあ、そのリン先輩には?」
 おそるおそる、よつきが尋ねた。ティーカップセットを抱えたままの彼を、ジュリは寂しげに微笑みながら見つめる。その唇が紡ぎ出したのは、予想通りの事実だった。
「私の知る限りでは今まではいませんでしたね。リンさんのお父さんが倒れてからは、ずっと一人で先頭を切ってきましたから。ああ見えて、言うべきじゃないと判断したことは絶対口にしてなかったんですよ。寂しいとか不安だとかは絶対言いませんでしたし、そんなそぶりも見せませんでしたから」
 その言葉に、青葉は滝を連想する。先頭に立つ者の定めなのだろうか? 辛いとか苦しいとか弱音は一切語らず、後から来る者を導かんとする。それがどれだけ厳しいことなのか彼には計り知れなかったが、だが並みなことではないだろうと予想はできた。
 ジュリが、静かに言葉を続ける。
「だからシン先輩がいて本当によかったって思ってたんです。それなのに、こんなことになって……」
 司令室に重い空気が流れた。シンがユズたちの息子で、魔族でもあって、そして転生神で。その矛盾した事実でさえ驚嘆せずにはいられないのに、その当人がさらわれたのだ。
 今どうしているのか何が起こっているのか、不安だけが膨らんでいく。
 しかもユズは言っていた。シンを連れていったのはブラストで、今は魔族界にいるのだと。だからうかつには手を出せないのだと。
 レーナの時とは違う。無事な保証はない。目的さえわからない。
 頭をよぎるのは最悪の予想で、不安はつのるばかりで、解決策も見つからないままじっと耐えなければならない。それは一種の拷問だ。
「同じ苦しみを二度繰り返して、平気な人っているのでしょうか」
 ぽつりとジュリがそうこぼし、ゆっくりと席を立った。そしてよつきの前までやってくるとかごの中からポットを取りだし、一つ大きなため息をつく。その切なげな微笑が印象的だった。
「冷めちゃうと美味しくないので、私が入れますね。隊長、せめてカップを用意してください」
 穏やかな言葉はそれだけにいっそう寂しげな空気を含んでいた。



「アルティード、お前は何か隠しているな?」
 久しぶりに自室へ戻ろうとしたアルティードに、そんな声がかかった。薄暗い廊下で足を止めて、彼は心中でため息をつく。
 やっかいだな、こんな時に。
 そう胸中でつぶやきながら彼が振り返ると、そこにいたのは予想通りケイルだった。鼻眼鏡に手をかけながら険しい顔をしたケイルは、鋭い瞳でアルティードを見据えている。
「隠している? 何のことだ?」
「とぼけるな。最近の魔族の動き、そして奴ら神技隊の動きがおかしい。それにお前もだ、アルティード」
 そう問いつめながら歩み寄ってくるケイルは、心底怒っているように見えた。どうしたものかと思案するアルティードは、いつも通り何とでも取れる微笑みを浮かべてゆっくりと口を開く。
「魔族が神技隊を先に狙うのは、まず邪魔者を始末したいからだろう? 人間に混乱を来そうとするのは、我々の戦力をそぎたいからで。レーナの件とて、相手がアスファルトであれば何の不思議もあるまい。何が気にかかる?」
「五腹心が、一介の技使いを連れていくか?」
 ごまかそうとするアルティードに、ケイルはぴしゃりと手痛い一言を浴びせた。さすがに切り返す言葉が見つからず、アルティードは眉根を寄せる。その瑠璃色の瞳が曇り、吐息がもれた。
「確かにそれは変だな」
「とぼけるな、お前は何か知っているのだろう?」
 決めつけた問いかけにアルティードはゆるゆると首を横に振った。実際、シンの件については彼は何も知らない。そこに嘘偽りはなかった。だがケイルはそれでも納得できず、彼に詰め寄っていく。
「では何故神技隊の基地は閉ざされた? 何故お前は体を分かちて奴らに会いに行った? 腑に落ちないことばかりで、我々は非常に困惑しているのだ。このままでは私とてジーリュたちを押さえつけてはいられない」
 ジーリュ――産の神の一人であり強い発言力を持つ一方で、保守的な思想を持つ男だ。人間に気をかけるのを嫌い、神々の守りを優先させ、そしてレーナたちを依然として疑問視している。アルティードにとってはやっかいな男だった。落ち着いたいでたちとは打って変わって、その発言は容赦ない。
「そんなにまずい状態なのか?」
「ああ、いつ反乱が起きてもおかしくないのではという気さえするな。我々が仲間割れしている場合ではないのだが」
 ケイルも苦悩しているのだ。そのことを切に感じ取ってアルティードは悩んだ。
 ごまかし続ければ後で何を言おうとも相手にされなくなるだろう。それならば、別の方面から先手を打っておいた方がいいのではないか……。
「わかった、ならば私が知っている範囲で話そう。確かでは、ないのだがな」
 覚悟を決めたアルティードの瞳には、先ほどのような曇りはもうなかった。新たなる戦いへの決意を胸に、彼は唇を開く。紡ぎ出された現実は、ケイルの予想の範疇をはるかに越えていた。
「転生神が、神技隊の中に存在している」
 誰も通らない薄暗い廊下で、二人の視線が交錯した。



 夜が明け日が昇っても、心が晴れることはなかった。今日は気温が低いらしく、日差しの割に雪が溶けている気配はない。
「私が元気出さなきゃいけないのは、わかってるんだけどね」
 食堂で外をぼんやりと眺めながらリンはそうつぶやき、手元のコーヒーカップのふちを指でなぞった。既に冷めきったその中身は湯気を立てることもなく、静かに器に収まっている。黒々としたその液体に目を移し、彼女はそれを一気に飲み干した。苦みと引き替えに脳が活性化されたようで、彼女は小さく相槌を打つとすっと立ち上がる。
 こういう時は体を動かすに限る。ふさぎ込めば思考はどんどん悪い方へと傾いていくのだ。
 そう決心し食堂を出ようとした彼女の耳に、予期せぬ音が響き渡った。いつもとは違う、何か別の警報が基地中を震わせる。
「何!?」
 次々とどこからともなく駆けつけてくる者たちの向かう先は、やはり司令室だった。リンも同じように向かおうとし、ふと何か違和感に気づいて廊下の窓から外に目を向ける。
「神?」
 彼女の位置からでははっきりとはしなかったが、神らしき者たちの姿がちらりとだけ窓越しに見えた。おそらく出入り口前に立ちつくしているのだろう。
 まさか――――。
 一つの予感が彼女の中を走り抜けた。刹那、二度目の警報が鳴り響く。何か結界が発生した気配がし、基地が痺れたように細かく振動した。
「まさかこうも荒っぽくやってくるとは思わなかったな」
 リンの背後にそんな声がかかり、彼女は慌てて振り向いた。そこには予期したとおりレーナが立っており、困惑した様子で額に手をやっている。
「レーナ、まさか転生神のことが……」
「ばれてしまったらしいな。まあいつかは気づかれることだとわかっていたが……。だが問題なのはあちらがかなり強行的ってところだ」
 そうしている間にも微震は続き、白い廊下がうねるような感覚を覚える。その気持ち悪さに顔をしかめながらリンは再び窓の外に視線を移した。攻撃しているわけではなさそうだが、しかし何か仕掛けてはいるのだろう。気から判断するに神はどうやら七人程来ているようだった。
「このまま引き下がってくれるとは思えないな、仕方ない、行くしかないか」
 諦念の声音でそうつぶやくと、レーナは大きく嘆息した。彼女が何をしようとしてるのか察したリンは、その腕を捕らえてその黒い瞳をのぞき込む。
「一人じゃだめよ、レーナ。私アースにいびられたくないし、それに危険だわ」
「この展開にも大分慣れてきたな……」
 リンは真剣だったが、当のレーナはどこか遠い眼差しで司令室の扉辺りを眺めていた。だがリンはかまわず彼女の腕をしっかりと握る。おそらくレーナはこのまま例の瞬間移動で外へ出ようとしてたのだろうが、こうすればそれもできまい。アースが来るまでの時間稼ぎだ。
「どうするの? 外出ていって言い逃れとかできるの?」
「それは難しいな。まあ適当に言いつくろって有無を言わさず追い返すってところか。まだオリジナルたちには奴らを黙らせる権限はないわけだし」
 そうしてる間にも目的の人物はやってきた。状況を見て全てを察したのだろう、よくやったと言わんばかりに微笑すると、アースはレーナの背後をとってその肩に手を置く。リンも彼に微笑み返した。
 すると司令室の扉が開き、異変の説明を求めて青葉たちが飛び出してくる。
「転生神はどこだーって、神がやってきてるみたい」
 問いかけられるより早くリンはそう答え、窓の外に目をやった。時折強くなる微震は止まる気配がなく、不快な気分を後押ししている。
「われが出てとにかく追い払うから、お前たちは出るなよ? あいつらの狙いは転生神なのだから」
 レーナはそう言うと青葉と梅花、そしてその後から駆けよってくる滝たちに眼差しを向けた。魔族だけじゃなくて神にも狙われるのかよ、という青葉のぼやきには、皆苦笑せざるを得ない。
「レーナ、私も行くわ。私は転生神じゃないから大丈夫でしょう?」
 リンはその腕を離すことなく、黒い瞳を揺らして小柄な少女を見つめた。困ったように眉根を寄せたレーナはアースを一瞥すると、仕方なそうに承諾の意を伝える。
「わかった。だが使うのはあの瞬間移動の技だぞ? ここのガードをゆるめるわけにはいかないからな」
「大丈夫、私はレーナを信じてるから。ねえ? アース」
 リンはいたずらっぽく微笑んでアースを見上げた。彼は微苦笑しながら小さく相槌を打ち、催促するようにレーナの肩を叩く。
 刹那、三人の姿はその場から消えた。

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