white minds

第二十五章 黒き刃‐7

「リン先輩!」
 梅花が泣くような声で呼びかけながら、崩れ落ちたリンの体を抱え上げた。力の抜けた体は重かったが、それでも梅花は懸命に支えようとする。
 貫かれた肩からは血が溢れ出し、顔色は見事なくらいに真っ青だった。それは事態の深刻性を物語っている。
 するとそのすぐ側に横たわっていた輝慎弾がすぐさま立ち上がり、その場を飛び退いた。彼は、頭を抱えてうめくシンの傍らに降り立ち、周囲に視線を巡らせる。そして助けを乞うように後方のアスファルトに眼差しを向けた。その瞳は困惑の色に塗りつぶされている。
「おー、思ったよりも頑張ってくれたね君の息子は。で、助けて欲しいみたいだけどどうするのアスファルト?」
「うるさいっ。お前に言われなくとも動くから黙っていろ」
 その捨てられた子犬のような目を見て、ブラストは笑い声をもらした。アスファルトは忌々しげに吐き捨てると、そんな彼を横目にふわりと空へ舞う。
 アスファルトは悲痛な面もちのユズを一瞥した。だが何も言わず、そのまま輝慎弾の前に音もなく着地する。ユズの双眸は彼を追っていたが、今はそれを意識したくなかった。彼はなだめるように輝慎弾の頭を撫でながら、シンの顔をのぞき込む。
「シン、また痛むのか?」
 彼の柔らかで静かな問いかけに、シンは小さく首を縦に振った。顔は青白く、額からは汗が滲み出ている。状態がかんばしくないことは明白だった。アスファルトは目を細めながら嘆息すると、長めの前髪をかき上げる。
「輝慎、シンをつれて少し下がっていろ。このままではまただめになる」
「え、でもアスファルト様」
「いいから下がっていろ」
 アスファルトは一方的にそう告げると、一度ブラストをきつくにらみつけた。それから梅花たちの方へ、おもむろに歩み寄っていく。
「梅花っ!」
 それを見て、それまで動きを凍らせていた青葉がはっとし、彼女たちの方へ慌てて駆けだした。ゆったりとした歩で進むアスファルトよりも彼は先に辿り着き、息を整えながら剣を構える。
「恨みも何もないが、むしろ感謝してるぐらいだが、しかしお前たちを倒さなければ私は家族を守れないらしい」
「勝手に言ってろ! オレだって、守りたいものがあるんだ」
「そうだな、だからこそ戦いは終わらないんだ。この無意味な戦いは」
 悠々と近づいてくるアスファルトと切羽詰まった顔の青葉は、互いに強く視線を交わらせた。だがかすれた青葉の声とは違い、アスファルトの声にはただ静かな感情しか宿っていない。
「だから、あなたは、馬鹿なのよ」
 その一部始終を見守っていたユズが、覚悟を決めてつぶやいた。
 かみ合ってしまった歯車はどうしようもなく、過去は変えられようがなく、だが未来だけがいつも揺らいでいる。
 彼女はそのどうしようもなさを噛みしめて、まるで泣いているようだった。
「アスファルト、あなたはもう、覚悟を決めてしまったの?」
 ユズは大きく飛び上がった。アスファルトの驚嘆した視線と、青葉たちの息を呑んだ気配と、自分に向かってきたことに驚愕したブラストの眼差しが、彼女には感じられる。彼女はブラストの前に降り立ち、全ての力を両手に集中させた。
「すぐ決めないと、あの子が、あの子の相方が壊れてしまう。あなたがいなくなれば、陣は引かざるを得ないわよね!?」
 体の上げる悲鳴を、制止を叫ぶアスファルトの声を無視して、彼女は技を放った。ブラストが飛びすさろうとするがそれさえ許さず、彼女は両腕を突き出す。
「ごめんなさいね!」
 青白い光の柱。
 それがユズの手のひらから真っ直ぐブラストの体を貫いた。だがなおも勢いを失わないその柱はどんどん広がっていき、辺りのものを次々と飲み込んでいく。
「馬鹿っ、ユズお前!」
「ユズさん!?」
 アスファルトと青葉の叫びが周囲にこだました。強烈すぎる青白い光は見えるもの全てを視界から消し去り、何が起きてるのか判断不能にさせる。
「こんなに、一気に精神を使ったら……」
 リンの体を抱えたままの梅花が、呆然とした声をもらした。
 その危険性が、わからない者などいない。肌にビリビリと伝わってくる気が、痛い程の気が、それを感じさせている。
「ブラスト様!」
「ユズ!」
 そこへ上空から二つの切羽詰まった声が降りかかってきた。白い髪をなびかせたオルフェと、青い髪の男――ビートブルーだ。異変を感知してやってきたのだろう。
 皆が、状況を確かめようとしていた。
 感覚を犯そうとする気の乱流を堪え、皆が、全てが収まるのを待っている。
 青白い光も次第に弱まっていき、覆われていた景色が露わになってきた。そして、世界に色が戻り――――
「……え?」
 荒れ地と化した大地が皆の目に晒された。
 そこには倒れ伏したユズと、足を投げ出して座り込んだブラストが存在していた。
 それは魔族、神技隊双方にとって信じがたい状況だ。
「ブラスト様!」
「ユズ!」
 地上へと降り立ったオルフェ、ビートブルーが各々の大切な人へと駆けよった。膝をついたオルフェはうめくブラストを支えるようにし、ビートブルーはその合体を解き、ユズを助け起こす。
「あいたたた……オルフェ、久しぶりにくらっちゃったよ。しかも精神系だよ、痛いよ」
「黙っててください、ブラスト様。実はかなりやられてます。即刻戻りますよ、いいですね」
「え? ちょっと待ってよオルフェ、まだ僕は……」
「帰りますよ」
 オルフェはブラストを抱えるようにして立ち上がらせると、有無を言わせぬ形相でたしなめるようにそう言った。そして次の瞬間には、二人の姿は跡形もなく消え去ってしまう。
「ユズ……お前は、まったく、無茶しすぎなんだいつも」
 消えた二人の跡を見ながら、アスファルトは呆然とした声音でつぶやいた。彼は視線をその先へと移し、簡易基地の状態を確認する。
 それまで灰色の完全な形を呈していたそれは、今は見るも無惨な姿となっていた。攻撃の余波を受けたためだろうが、結界があったことを考えればとんでもない話である。
「アース、すまないがユズを頼む」
「レーナ?」
 ユズの傍らにいたレーナが立ち上がり、瞬時にその場から移動した。彼女はすぐに青葉たちの前に現れ、アスファルトを一瞥するとゆっくりと膝をつく。
「まずいな……これは。梅花、青葉、リンを連れて基地へ戻るんだ。できればジュリを引き連れていってくれ」
「え? ちょっと待ってレーナ、だってまだ戦闘が――」
「じきに終わる。ブラストとオルフェが去ったと気づけば、魔族たちは動揺するはずだ。それを叩くのは難くない」
 それでも心配げな梅花の肩を撫で、レーナは春の風のように微笑んだ。そして青葉に目配せすると、急ぐよう促す。
 青葉はリンを抱え、梅花に目で合図して走り始めた。それを横目にレーナは小さく嘆息する。
「アスファルト」
「ああ、わかっている。基地がこれでは、どうしようもないさ。本当、どうしようもない」
 レーナはアスファルトの方を振り向いた。困ったように眉根を寄せたアスファルトは、どこか諦めにも似た口調でもって言葉を吐き出している。
「残された道が一本なら、レーナ、お前はどうする?」
「われなら……新たな道を造るかな。残された道が最悪なものなら」
「なるほど、お前らしい。ユズは……どんな道を造ろうとしたのだろうな」
 既に戦場は混乱を来していた。ブラストとオルフェ、指揮官を失った魔族たちはそのことにうろたえ、中には撤退し出す者もいる。彼らの全てがブラストの配下だったこと、そしてブラストの命が『僕についてきて』だったこともその一因だろう。
 動揺した魔族たちを、レーナとアスファルトは眺めた。
「それを選んで欲しかったんじゃないのか? お前に」
「そうか、そうかもな。しかし私は……馬鹿だからな」
「守りたいものが多いと、誰だって馬鹿になるのさ」
 アスファルトは苦笑し、そしてそれから大きく地面を蹴った。空に舞い上がったその姿はすぐに小さくなっていき、しまいには肉源では見えなくなる。
「でも道を一人で造るのは難しいんだよ、アスファルト。それに道がどこへ続くかなんて、結局辿り着いてみないとわからないんだ」
 既に語りかける相手がこの星にはいないと知っていながら、レーナは空を見上げささやいた。抱えた思いを壊さぬように、そっと、静かに。



 魔族たちが退却を余儀なくされたことで、戦闘はとりあえず終わりを迎えた。神技隊らは形を変えつつあるナイダの山をあとにして、基地へと戻る。
「リンはどうなった!?」
 話を聞きつけてきたのだろう、血相を変えて走ってきた北斗が、普段は使われない治療室へと駆け込んできた。その後ろには血の気のない顔のサホも腕を抱くようにしてついてきている。
「今、ジュリが治癒の技使ってます。何とか、助かりそうです」
 血だらけの服のままで、梅花が振り返り微苦笑した。その隣には青葉がいて、同じく血だらけの服で気むずかしい表情を浮かべている。
 リンは真っ白なベッドの上に寝かされていた。すぐに出血は止めたらしくシーツはあまり汚れていないが、臭いだけはぬぐい去れない。ベッドの脇には額に汗を浮かべたジュリが座り込んで、リンの肩に手のひらをかざしていた。そこから淡い光がもれ、柔らかな力が溢れだしてきている。
「リンさん、お願いですから、戻ってきてくださいね」
 ジュリは小さくその言葉を繰り返していた。戦闘での疲労もあるだろうに、それでも必死に技を使い続けている。
「怪我は、何とかなると思うんです。ジュリの腕は確かだし、リン先輩の生命力はすさまじいものがありますから。ただ……」
 入り口で立ち止まり不安げに唇をかんでいる北斗に、梅花は遠慮がちに口を開いた。北斗は目を瞬かせ、続きを催促する。
「ただ、ショックから立ち直れるかは別の問題だと思うんです」
 その言葉に、北斗ははっとし息を呑んだ。これが重要なことなんですけどね、と彼女は付け足し、切なげに微笑する。
 どれだけの衝撃があったのか、彼らにはそれを推し量ることはできない。
 その傷が大きければ大きいだけ回復は難しいだろう。なにより技には、精神量には『心』が大きく影響するのだ。意識が戻ってもまともに動けるかどうかは定かじゃない。
「リンさんは、必ず戻ってきます。それは私が保証します」
 すると不意に芯の通った声がし、皆はジュリの方を振り向いた。手のひらをかざしながらジュリはどこか遠いところを見つめて、それでも力強く言葉を放つ。
「リンさんは、他の人を絶対に傷つけません。リンさんが回復できなかったら、シン先輩が帰ってこられなくなるじゃないですか。だからリンさんは必ずちゃんと戻ってきますよ、シン先輩のために」
 私の知るリンさんはそういう人です、とささやくジュリの顔には悲痛な色はなく、そこには信じる者のみが持ち得る希望の光があった。梅花は柔らかく微笑みながら、そうね、とだけ答える。
「だから今は食堂ででも待っててください、北斗先輩もサホさんも。しばらくしたら私がリンさんと一緒に向かいますから。あ、もちろん青葉先輩たちもですよ。残り少ない大切な戦闘要因ですからね」
 そんな温かなジュリの要求に、彼らはうなずき従った。

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