white minds

第二十五章 黒き刃‐8

「ユズは大丈夫なのか? 見た目は眠っているように思えるが」
 殺風景な部屋の中、アースは戸惑いながらもそう問いかけた。ユズはベッドに寝かされており、浅い呼吸を繰り返している。彼女に手のひらをかざしながらレーナは振り返らずにうなずいた。手のひらから淡い光がこぼれ、ユズをうっすらと照らしている。
「大丈夫だ。一度に使える許容範囲を超えた精神量を使用したから、体がまいってるだけだ。まあ相当苦しいと思うけどな、しばらくは動けないだろう」
 その話にはアースも覚えがあった。以前アスファルトがやってきた際レーナが同じことをし、途中で動けなくなったのだ。だがその時彼女はあるところまでやせ我慢し、平静を装っていたのだから、全く同じかどうかは定かではないが。
「ねえねえレーナ、それって前のレーナと同じってこと?」
 その疑問を代弁するかのように、後ろでそわそわしていたイレイが口を開いた。彼の隣には難しい顔で押し黙ったカイキと、心配そうに眉根を寄せたネオンがいる。いつも以上の人数を収容したその部屋は、窮屈な感があった。
 レーナはちらりと振り返る。
「ん、まあ許容範囲をどれだけ超えたかの違いはあるがな。その度が過ぎると意識失うし、死にかけたりするんだ」
 彼女は苦笑混じりに相槌を打った。その口調から経験ありと判断したアースは、呆れ混じりに彼女の頭を軽くなでる。彼女はやや困ったように顔をしかめた。
「えーとアース、そういうことされると気が抜けるからちょっと今は止めて欲しいのだが……」
「そうか?」
「うん、甘えたくなるから」
 さらりと言いのけられた彼は閉口し、どうしたものかと後ろの様子を見た。そこには案の定、半眼になったカイキと妙なくらいに笑顔なネオン、そしてキョトンとした顔のイレイがいる。
「ユズには少しでも早く回復して欲しいから、こうして技をかけてるんだ。だからその、えーと、集中を切らせたくないんだ」
「……ああ、わかった。だが何というか、その考えだとお前の疲労は考慮されてないみたいだが」
「え? ほら、われはそんなに疲れてないし」
 三人の反応を無視することにしたアースは、元気だと主張せんばかりのレーナの様子を観察した。空元気のようにも思えるが、前よりもずっと顔色はいいし何より揺らいだ感がない。
「今、辛いのはわれじゃないんだ。だからわれが辛いとか言っちゃいけない。それに、オリジナルのおかげで大分力を取り戻しているしな。この間だって相手はブラストじゃなくてオルフェだったし。だからわれは平気」
 だがそう告げる声は何故かどこか悲しげだった。同時に言い聞かせている風でもあり、奥底には切ない思いが隠されているように感じられる。空元気ではない、しかし辛くないわけでもない。その微妙な状況を読みとった彼はどうするべきか悩みながらも頭をなで続けていた。彼女は困ったように微笑んでいるが、止めろと言うのは諦めたようである。
「感じ取り、共感してしまうから仕方ないんだ。心の神の癖みたいなものだからな」
 そんな彼の迷いを見透かしたかのように、彼女は言葉を続けた。ユズにかざしたままの手のひらからはなお淡い光がこぼれ、辺りを優しく照らしている。それは彼女の思いを語る光だった。
 だから、誰もが、何をも口にできない。
 その光があまりに温かくて、そして切なかったから。
「次が最後かもしれない。だから覚悟しておかなきゃな」
 そのつぶやきに答える声は、誰からも発せられなかった。



 灰色の塔では空色の髪の男が優雅に立っていた。しかし彼の顔はしかめられており、その青い瞳は苦悩に濁っている。
「私の所に来るのはかまわないのだけどね、ブラスト。でもその不満顔は止めてもらえないかな」
「うるさいよ、イースト! 精神系の傷癒す奴っていったら君の部下くらいしか思いつかないから来たの。レシガに頼んだら無理だって言われるしさ」
「なるほど、レシガに断られたからそんな顔になってるのか。彼女も別に精神系が得意なわけじゃあないからねえ」
「でも絶対イーストだったら無理でも治してくれると思うんだけど。僕だから断ったんだよ、きっと」
「まあそれは私とレシガの関係だからね」
 その塔にいるのは主であるイーストとその部下フェウス、そして不満オーラを漂わせたブラストだった。しばらく前からここに居座り続けたブラストは終始ふてくされており、そのせいでフェウスなどは居心地悪そうに隅に座している。同じ五腹心のイーストだからこそ悠然と立ってはいるが、その他の下級の魔族ならば震え上がる状況だった。フェウスの青い顔がそれを如実に語っている。
「それってどんな関係さー!」
「馴れ合った、かな。ブラストの気は揺らめきすぎて扱いにくいんだよ。私のは穏やかだしよく見知ってるから、彼女でも何とかできる」
「何かそれすごい腹立つー。君たち仲いいもんねー、妬けるからさあ本当」
 ブラストはその部屋唯一の窓縁に寄りかかり、灰色の瞳に剣呑な色を宿していた。この場にオルフェでもいれば少しはましな状況かもしれないが、ブラストが追い返してしまったため今は塔の外にいるはずである。なだめ役がいないのはイーストとしてもいささか辛いものがあるが、この場合はどうしようもなかった。癇癪を起こしたブラストは手がつけられないのである。
「別に私だけじゃないとは思うけどね。まあプレインはあんな性格だからともかく、ラグナとは仲良さそうだし。ブラストがいつもじゃれついてるのが悪いんじゃないのかい?」
「あれはスキンシップだってー! それに、ラグナはからかうと楽しいからいじめてるだけだろうし」
「ああ、それはそうだね。ラグナをからかうと楽しいからね」
「誰をからかうと楽しいだって?」
 そこへ、二人とは別の苛立った声が部屋の中に響いた。イーストは穏やかに微笑んで、ブラストは仏頂面で、声のした入り口の方を見やる。
 そこにいたのは焼けた肌に草色の髪、黒々とした瞳の男だった。頭に巻き付けた包帯はただ巻いただけという適当さであり、筋肉質の体に服を無造作に着込んだといった風体だ。彼は苛立ちを隠そうともせず、皮肉下に口元をゆがめていた。
 そんな彼にイーストが優雅に話しかける。
「ああ、ラグナようこそ。君が来るとわかっていたらもてなす準備をしておいたんだけどなあ」
「おいイーストふざけてるんじゃねえ。もてなすってどうせレシガ呼ぶとかそんなことだろう? お前はいつもそうだ」
 だがそんなイーストにラグナは吐き捨てるようにそう言い、鋭い視線を向けた。イーストは是とも否とも答えず小さく首を傾げ、やはり穏やかに笑っている。
「うわー僕の時には来ないのに、ラグナいじめには来るんだ、レシガ。ひどいなーずるいなー、僕だって楽しいことしたいのになあー」
 二人のやりとりを聞いていたブラストは、仲間はずれ禁止ー、とつぶやきながら駄々をこね、じたばたし始めた。困って眉根を寄せるイーストとは違い、ラグナは不愉快な顔で舌打ちする。だがそこで目的を思い出して、彼は一つ咳払いした。生まれた間で真顔に戻ると、瞳を尖らせ口を開く。
「オレはこんな茶番をしに来たんじゃない。例の簡易基地が破壊されて、予定がずたずたになった。ブラストの野郎もこんな感じで使い物にならなそうだしな。それでだ」
 ラグナはイーストをねめつけるように見つめた。
「お前が擁護してるアスファルトに最後の指令だ。奴らの本拠地、あの宮殿を潰せ。それができないならオレとプレインが奴を丸ごと喰らってやる」
 音が、止んだ。
 さすがのイーストも目を瞬かせ、ブラストも驚きに言葉を失っている。
 それはすなわち『死ね』と告げているに等しかった。宮殿がそう簡単に潰れているのなら、もう既に彼らはそうしているだろう。そして丸ごと喰らわれれば――存在は消える。その力だけ奪われてしまう。
「そ、それはまた急な話だねー」
「プレインはかなりお怒りだぜ。奴の申し子さんは力つけてあっちにいるしよ、彼女さんも来ちまったしよ。もしそれで今こっちにいる息子が戻っちまったらとんでもないことだぜ」
「ま、まあそうだよねー」
 ラグナの言葉にブラストは適当に相槌を打つが、イーストは何も言わなかった。ただじっと黙したまま、困ったように微笑んでいるだけだった。その真意を掴むのは容易ではない。
「なあ、ちゃんと聞いてるか? イースト」
「ああ、聞いているよ、ラグナ。じゃあその話に関しては私がアスファルトに言っておこう」
 イーストがうなずくと、その空色の髪が軽やかに揺れた。そして優雅に一礼する姿は麗しくもどこか儚く見える。ラグナは肩眉をぴくりと跳ね上がらせ、息を吐き、包帯からはみ出した髪をぐちゃぐちゃにかきむしった。イーストがこうなると面倒なことになると経験上わかっていたからこそ、吐き出した息は重く濁っている。
「お前よー、何でそんなにアスファルトに肩入れるんだよ。確かにあいつはいい戦力だけど、思うように動いてくれなきゃ意味ないだろ?」
 ぼやくように口をついて出たラグナの言葉。イーストは視線だけ彼に向けてふふっと声をもらして笑った。それはいつもと違いどこか不気味なものを含んでいて、側で見ていたブラストがつばを飲む程だった。ラグナは顔をしかめる。
「彼の持つ技術のすごさに気づいているのって、私ぐらいみたいだね。君らは相手にしていないみたいだけど、あれはすごいよ? まあ失ってから気づくものって多いとは思うけどね」
 皮肉るようなイーストの声音は、いつもが穏やかな分背筋をぞくりとさせるものがある。ブラストは息を呑み、ラグナは苦笑しながら耳の後ろをかいた。
「かもな。だがプレインがあの調子じゃもう戻れない。引き返せない道ってのもあるんでね、残念なことに」
 ラグナはそう言い残して踵を返して出ていく。その後ろ姿をイーストは不思議な感情でもって眺めた。
 引き返せない。本当に引き返せないのだろうか?
 彼の胸に生まれた疑問は不可思議な色を帯びて渦巻いていく。
「ねえイースト、僕の傷の手当てはどうなってるのさー」
「ん? ああ、そうだったね。今呼んでるところだから、たぶんもう少ししたら到着するんじゃないかな。待ってるのが君だって言ってあるから遅くはならないと思うよ」
 だがその疑問をしまい込んで、イーストはふわりと微笑んだ。
 その思いの行き着く先は、まだわからない。



 始まりがいつだったのか誰も知らない。それなのに終わりがいつ来るのかを、皆が考えている。
 始まりなどなかったかもしれないのに。
 それでも皆が道の先を見つめている。
 その道は本当に存在しているのか? その道を本当に歩いているのか? その道はどこからどこへと続いているのか?
 思いの始まりは不確かで、だが今ここにあることを否定しようはなく、時に全てを狂わせる。
 終わりはあるのか? そもそも始まっていたのか?
 わからないまま誰もが今を生きることに必死になる。
 否、必死にならざるを得ない。
 振り返って見えるのは歩いてきたはずの道。だがそれは、今は霞んでいる。
 その始まりを知るものは、まだ『存在』していない……。

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