white minds

第二十六章 決断‐3

 静寂の中、戦闘は唐突に始まった。
 地上で待機していた神技隊など無視したように、無数の光の筋が宮殿へと降りかかってきた。先ほどまでは何も存在していなかったはずの空に、黒い点が無数に浮かんでいる。
「宮殿が!?」
 誰かの叫ぶ声が爆音に飲み込まれた。色とりどりの光線が宮殿を覆う結界に阻まれ、弾かれていく。遥か遠くからでも眺めれば綺麗な光景だろうが、すぐそばとなれば戦慄が走るのみだった。地上は音を立てて揺れ、雪の中から顔を出したしなびた草は、細かく震えている。
「まさか宮殿を狙ってくるとはな」
 基地の前で上空を見据えていたレーナがその黒い瞳をすっと細めた。そこに宿っているのは複雑な感情で、いつも傍にいるアースでさえ読みとることができない。
「レーナ?」
「アース、今度ばかりは人数も重要そうだ。お前は地上で神技隊を守っててくれ」
「っておい、お前はどうするんだ」
「われは、上空で戦いつつ奴らの動きに注意を払ってる」
 彼女の瞳は常に空の一点を見つめていた。アースは目を凝らし、そこに何があるかを突き止めようとする。降り注ぐ光の筋の中、そこに誰かがいることだけがかろうじて見えた。
「プレインに、ラグナだ」
 傍にいる彼だけに聞こえる声で、ささやくよううめくよう彼女は告げた。姿ではなく気で感じ取っているのだろう。確かに上空にはとんでもない気が渦巻いており、彼女の見つめる一点がその中心となっている。
 二人の名は聞いたことはあったが、彼は実際当人を目にしたことはなかった。それは神技隊も同じだろう。それどころか、目覚めたという話も耳にしてないはずである。
 流星群のごとき光が止んだ。
 訪れた間に神技隊が怪訝な顔をしているのを、アースは目の端に捉える。
「アスファルト」
 彼女の唇が、愛しげに名前を紡ぎ出した。彼は彼女の視線を追って、やや右方へ眼差しを移す。
 白い衣をはためかせ、何ともでも読みとれるような、また読みとれないような表情を浮かべたアスファルトは、青空の中黙したまま浮かんでいた。彼の隣には輝慎弾と、そしてシンがいる。
「アース、後は頼むな。われは行くから」
 そう告げてレーナは重さを感じさせない動作で飛び上がった。彼女は真っ直ぐ、アスファルトに向かって白い刃を向ける。
「レーナ!?」
 その予想外の動きに地上から幾つも声が上がったが、彼女は全く意に介しなかった。そしてアスファルトも全く動じず、その刃を炎の剣で受け止める。
 それをきっかけに、上空にたたずんでいた魔族たちが各々動き始めた。その場で攻撃を再開するもの、宮殿へと降下するもの様々だが、不思議と連携が取れているようである。
「神技隊を守るか。あいつもまた難しいことを言ってくれるな」
 そう苦笑気味に吐き出して、アースは腰に下げていた剣を抜きはなった。



 地上へ降り立った輝慎弾は、傍目を気にしながら駆けていた。時折光球を生み出し宮殿へと投げつけては、大きく跳躍して攻撃をかわす。
「シンは……あそこで戦っていますね」
 口の中だけで言葉を転がしながら、彼は神の一人が放った炎の矢を身をよじって避けた。神々は宮殿を囲むように構えているようで、どうやら守りに重点を置いているらしい。
 どうして宮殿を狙ってくるとわかったのだろう?
 頭の隅でそんな疑問を浮かべながら、彼は精神系の矢をその神々へと放った。アスファルトから言いつけられていることに、神への攻撃禁止は入っていない。それに相手が神であれば心も痛まなかった。プレインたちに勘づかれないためには真面目に戦闘する必要があるのだから、相手としては都合がいい。
 今のところはアスファルトの予想通りだと、彼は安堵していた。
 ラグナとプレインは上空にたたずんだまま戦う気配すらないので、神技隊が無駄死にする可能性はかなり減っている。また主立った部下すら連れてきていないので、注意する必要もなかった。
 それにアスファルトの相手はレーナだ。これならば、なかなか決着がつかなくとも不自然ではない。
「あとはシンの動きを見ているだけ」
 言い聞かせるように唱えながら、輝慎弾は神の一人へまた白い矢を数本放った。直撃したらしく、うめく声とともに周りの叫び声が聞こえてくる。だが彼はそれを無視して軽く地を蹴った。同じ所にとどまれば、周りの魔族に怪しまれる危険性がある。シンから離れるのもそれはそれでやっかいだが、またしばらくして戻ってくれば問題はないだろうと彼は判断した。
 初めは……気にくわなかったんですけどね。
 シンが運び込まれてきた時のことを彼は思い出す。ブラストの無茶な行いにより命の危険にさらされたシンは、それまでの記憶を失い、そして警戒心が強くなっていた。苛立った声を上げたり黙り込んだりにらみつけてきたりと、なかなか手強かった。
「でもアスファルト様は諦めなかった。そりゃそうですよね、本当の息子ですもん」
 しかも自分のせいでこんな目に遭わせたという自責の念もあるのだろう。でも、それでも、シンにかかりきりになるアスファルトを見るのは、輝慎弾は嫌だった。
「結局は私の我が侭だったんですけど」
 つぶやきながら彼はひらりと炎球をかわす。
 そう、結局は全て嫉妬でしかなく、寂しさでしかなかったのだ。吹っ切れたのがいつからかはわからなかったが、それからはシンも彼の話に耳を貸すようになってきた。突っぱねた態度は自分の心を映す鏡だったのだと、今の彼ならわかる。
「アスファルト様の思いを、私は壊したくないっ」
 彼は息を整えると大きく跳躍した。右手の手刀で小柄な神を払いのけ、低く構えながら今度は左から迫る別の神にひじうちをくらわせる。
 いつかまた笑い合う日のために――――。
 彼は手のひらに白い光の球を生み出した。
 手に入れた居場所を失う。それだけは嫌で、嫌で、だからこそ戦わなければならないのだ。
 彼の双眸は遥か先の未来を見つめていた。



 プレインとラグナが見守る下という不思議な状況の中で、戦闘は続いていた。
 そんな最中、シンはふと輝慎弾の姿が見えないことに気がつく。
「輝慎?」
 彼は神たちの攻撃を避けながら走り出し、すぐ近くにいるはずのその姿を探し始めた。気を感知した限りではそれほど遠くではないと思いつつ、彼は視線を巡らす。
 少し行ったところで彼の瞳に映ったのは、輝慎弾が神の間で戦う姿だった。どうやら神側はそれほど連携が取れていないらしく、人数の割りに有利なのは輝慎弾の方である。だが――――
「輝慎!」
 その背後に北斗が迫っていた。神を助けるためなのだろう、彼は棒を横に流すようにして輝慎弾へ繰り出そうとしている。
 シンは全力で地を蹴り、右手に構えた炎の剣を前へ突きだした。それは赤い軌跡を残しながら北斗へと向かっていく。
「北斗っ」
「シン!」
 神の集団の中から、二つの声が同時に放たれた。声に導かれ肩越しに振り返った北斗の瞳と、シンの瞳が不意にぶつかる。
 北斗の目が見開かれた。
 手応えを期待するシンに、死を感じ取り息を呑む北斗。だが二人の予想ははずれ、響き渡ったのは剣と何かがぶつかりあった得体の知れない音だった。硬質なようでいて柔らかいその音に、二人の思考は一瞬止まる。
「だめなのよそれはっ」
 絞り出したような切ない叫びに、彼らは視線を左に移した。そこには風を髪にまとわせながら右手を掲げた、リンの姿があった。彼女の双眸は呆気にとられる北斗とシン、そしてその脇で立ちつくす輝慎弾に向けられている。
 そこでようやく彼らは、剣を阻んだのが彼女の生み出した結界だったのだと認識した。それがあまりに間近に生成したので、気づけなかったのだ。
「あなたは、殺してはだめ」
 リンは焦げ付いた土を小さく蹴って、飛ぶようにシンへと駆けよった。北斗は腰が抜けたように座り込み、シンはその場で瞳を揺らしながらたたずんでいる。
「あなたの心を壊したくないのよ、居場所を失わせたくないの。だからあなたは誰も手にかけてはいけないんだから」
 消えた剣を求めて開かれたシンの手のひらを、彼女はそっと包み込んだ。その途端彼の腕がびくりと震え、苦しげな息がもれ始める。
「お、オレは、オレは何も思い出したくないっ」
「シン?」
「オレに触れるなっ! オレを揺さぶるなっ!」
 彼は彼女の手を振り払い背を向けると、そのままの勢いでその場を飛び出した。彼女が張り上げた彼の名を呼ぶ声が、辺りを震わせる。
「今だっ!」
 すると神々の方から鋭く号令が放たれた。神技隊から離れたところを集中砲火と思ってのことだろう。光を反射する白い衣服に身を包んだ者たちが幾人も、同時に両手を前に突き出す。
「だめ!」
 リンは彼らの前に飛び出した。その瞬間、鼓膜をつんざかんばかりの轟音が鳴り響く。
 シンめがけて飛んできた火炎球、風の矢、雷の槍など全てを彼女の結界は防いでいた。粉砕され色とりどりの光となったそれらは、静かに空気へと帰っていく。
「人間、邪魔をするな!」
「できないわ、彼は私たちの仲間だものっ」
 苛立った神の一人が顔を怒らせるも、彼女は動じなかった。彼女の背後には、ますます混乱を来したシンが呆然とした表情で口をぱくぱくさせている。
「シン!」
 座り込んだままだった北斗が立ち上がり、声を張り上げた。彼は後ろの輝慎弾に目を光らせながら、それでも必死に呼びかけを続ける。
「シン、お前何でそんなところにいるんだよ! お前のいるところはそっちじゃないだろ!」
「う、うるさいっ」
 シンは左手で額を抑え、苦しげに言葉を吐き出した。その額から汗がにじみ出し、目の脇、頬を伝っていく。
 彼の異変に気づいたのはリンだった。
 前と反応が同じだと気づいた彼女は、このままでは危険なのだと直感的に理解する。彼の様子を視界の端に収めながら、彼女は神たちをにらみつけた。
 彼を守るのは私だと、心に誓って。
「所詮は人間か!」
 しびれを切らした神たちは一斉に動き出した。彼女のことなど無視するかのように、シンへの攻撃を再開する。
「だからだめって言ってるでしょ!?」
 彼女は泣きたい気持ちを抑えながら彼へと集う攻撃を結界ではじき返した。だが直接攻撃に転じた神たちは、二人へとどんどん近づいてくる。
「くそっ……」
 うめくシンを背後にかばうようにしてリンはそれらに立ちふさがった。死なせるつもりはないと語る黒い瞳には、強い意志が宿っている。
「何でこんな……」
 だが混乱の最中にいるシンは、額を抑えながら左へとよろめいた。
「シン!?」
 彼女はそれに気づき、彼の名を呼びながらその体を勢いよく押し倒す。
 ぶすりと、何かが何かに突き刺さる音が聞こえた。
 空気の匂いが変わっていき、世界から音が消えたようになる。柔らかい地面には、鮮やかな赤が広がっていった。
「リンっ!」
「シン!?」
 北斗と輝慎弾の叫びが重なる。それを意識の片隅で捉えながら、シンはゆっくりと瞼を持ち上げた。彼の視界に移ったのは、自分の上に覆い被さっている彼女の体と、手をわなわなとさせて立ちつくしている神の姿。彼は不思議そうに自らの手を持ち上げ、閉じたり開いたりした。
「お、お前らが、お前らが悪いんだからな!」
 吐き捨てるようなその神の声は誰でもわかるくらいに震えていた。彼は上体を起こし、その神と彼女を見比べる。
 彼女の服は赤黒く染まっていた。
 その背中には短剣がめり込んでいた。
「あ、あ、あ……」
 何故だか理由はわからないが、彼の中に不安がわいてくる。吐き気さえもよおすそれは彼の体を浸食していった。言葉が出ず、それでも漏れ出る声が、思い通りにならない何かを増殖させていく。
 彼の気が、前触れもなく膨れあがった。
 それは混沌とした、あらゆる感情の入り混じったものだった。

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