white minds

第二十六章 決断‐4

「何だよ、何してるんだよっ!」
 リンたちのもとへ駆けよった北斗は、手を震わせて立ちつくしている神を押しのけ、そう声を上げた。
 だがすぐそばにいるにもかかわらず、シンの視線は虚空を漂い彼を捉えてはいない。ただ放つ気だけがどんどん膨れあがっている。
「おいリンっ、シン!」
 再度叫ぶと覆い被さったままだったリンの指先が、かすかに動いた。彼女はゆっくりと頭をもたげ、北斗の方へかろうじて顔を向ける。
「ほ、くと? 私刺された?」
「思いっきりな! 動くなよ、お前」
「大丈夫よ、動けないから」
 彼女はそう告げながらも口元に笑みを浮かべていた。その瞳にいつもの力強さはないが、決して弱々しいものではない。
「シン?」
 ゆっくりと上体を起こし、彼女は彼の顔をのぞき込んだ。だがそれでも彼の瞳は何も捉えていない。見開かれた目は左右へ揺れ、虚空を掴んだ手は震えている。
 刹那、全てを拒絶する見えない風が、彼を中心に巻き上がった。
 その存在しないはずの風に巻かれた二人は、何かに引っ張られるようにはねとばされる。突っ立っていた神も、同じようにその被害を被っていた。
 背中から落下した北斗は、痛みにうめきながらそれでも辺りの様子を確認した。
 何が起こったのかわからず呆然とする神の集団。そこから少し離れたところで、同じように唖然とした輝慎弾の姿もある。
 そしてリンは、彼のすぐ横でぐったりとしたままうつぶせになっていた。
 彼は慌てて彼女の肩を掴み揺さぶる。
「リン!」
 声は返ってこなかった。背中にはまだ短剣が刺さっており、そこから少しずつ血がにじみ出している。
 北斗は泣きたいのを堪え、うめくシンを見上げた。先ほどの場所で頭を抱えながら、彼は今にも倒れそうによろめいている。いつの間にか立ち上がったのか定かではなかったが、その周りを渦巻く気は信じがたい程に膨らんでいた。
 これと似たようなことを、北斗は知っていた。
 何だった……?
 思い出すよりも早く、体はその恐怖に戦慄している。リンを抱きかかえるようにしながら彼はただ固唾を呑んでいた。
 ああ、魔神弾だ。
 そう頭の隅で理解してから、思い出すんじゃなかったと彼は心底後悔した。余計に震えが止まらなくなり、心臓が高鳴っていく。
「今だ、奴を仕留めろ!」
 すると神々の中から悲鳴にも似た声が上がった。はっとするも遅く、赤や白、黄色の光弾が次々とシンへ向かっていく。
「止めろっ」
 北斗の叫びは爆音にかき消された。彼はリンをその場にして立ち上がり、全力でシンの元へ駆け出す。
 シンの周りには、墨色の煙が漂っており、直撃したのか地面に当たったのか、はたまた結界で弾いたのかはわからなかった。北斗の背中を嫌な汗が流れる。
「シン!」
 煙が晴れると、そこにはうめくシンと低く構えた輝慎弾の姿があった。二人とも無傷なところを見ると、どうやら輝慎弾の結界で防いだようである。彼はシンを一瞥して、安堵の息をもらしていた。
「また貴様か!」
 神々の苛立ちの声が北斗の耳に痛い。それはあからさまな負の感情を帯びており、傍にいると目眩がしてきた。だがそうも言ってられず、彼はシンの隣へと駆けよる。
「しっかりしろよ、まさかお前、ここで終わりだなんて馬鹿なことはしないよな?」
 頭を抱えよろめくシンの肩を掴み、北斗は必死にそう呼びかけた。だがシンは苦しげに呼吸するだけで何も答えない。
「そこにいてくださいね」
 途方に暮れる北斗の背中に、輝慎弾はそう声をかけた。北斗がわけもわからずその方を見ると、彼は丁度神の放った赤い矢を素手で叩き落としているところだった。
 え?
 この構図はおかしいと、理性が警告している。何かが違うと、訴えている。北斗は目を瞬かせてその光景を直視した。神の放つ光弾を、ことごとく輝慎弾は弾き返している。
 オレは守られている?
 シンの肩を掴んだまま、北斗は額にしわを寄せた。
 普通に考えるならシンをかばうためと考えるのが妥当だろうが、しかしそれなれば『そこにいてくださいね』など言う必要がない。
 何故――――?
 疑問の視線を彼は輝慎弾と神々へ向けた。怒りなのか恨みなのか、顔を紅潮させでたらめに技を放つ神々から、輝慎弾は確かに二人を守っていた。光球を結界で弾き、向かってくる者は手刀で薙ぎ払う。
「この、偽善者っ!」
 輝慎弾の口からとげとげしい言葉が吐き出された。だが北斗から見れば、その後ろ姿は泣いているようであり、そこに毒々しさは含まれてはいない。ただ純粋さだけがそこにはあった。
「人間を利用するなと言っておいて、邪魔になったらいらないとでもいうんですか! 傷ついてもかまわないというのですか!」
 北斗は息を呑んだ。少なくとも現状だけ見れば、その言葉に偽りはない。自分の中心がぐらつく感覚を、彼は覚えた。一度深く瞼を閉じ、そして頭をもたげると、彼は何気なく視線を横へずらす。
 !?
 そこには倒れたままだったはずのリンが、わずかに上体を起こして辺りをうかがう姿があった。彼女は口元を抑え、その目線だけを巡らしている。手は赤く染まり、上下する体は苦しげだった。意識があるのがおかしい状況なのだ。
「リン!」
 彼は思わず駆けだしていた。
 彼女めがけて走りながら、途中で彼ははっとする。
 ――――そこにいてくださいね。
 頭をよぎる輝慎弾の言葉。現状を思い出した彼の頬を、白い矢がかすめていった。彼はおもむろに立ち止まり、
「え?」
 信じられない光景を見た。
「だからそこにいてくださいとお願いしたのにっ!」
 彼の手を、輝慎弾が掴んでいた。
「でたらめな攻撃から二人守るなんて、そんな実力はないんですよっ」
 輝慎弾に引っ張られた北斗は、間一髪光弾を免れる。彼は輝慎弾の肩越しに、シンがまだ同じ場所でうめいていることを確認した。
 やっぱりオレのことも守っていたのか。
 そのことを噛みしめ、北斗は複雑な微笑を口元に浮かべた。何故かはわからないが、この幼い印象の魔族は彼らを守るつもりらしい。
 おかしくないか、これ?
 どんな顔をしていいか彼はわからなくなる。だがそんなことは意に介せず、輝慎弾は彼の手を強く引き、大きく飛び上がった。無論のこと引きずられる格好となった彼は、不安定な体勢のまま空中へと放り出される。
 二人はシンの前へと再び戻ってきた。何とか着地に成功した北斗は、安堵の息を吐きシンを一瞥する。見た目こそ何ら変化はないが、先ほどよりも気の乱れ具合が激しくなっていた。相当危ない状況らしい。
「おいおいそこの若い少年、ちょっとそりゃあまずくないかあ?」
 そこへ、からかうような、それでいて相手を萎縮させるような覇気のある声が空から降りかかった。
 同時に、感覚を脅かす圧倒的な存在感が突如現れる。
 その男を北斗は見たことがなかった。
 焼けた肌に草色の髪、筋肉質の体。だが風体以上の強さが、そこからは滲み出ていた。
「ら、ラグナ様……」
 輝慎弾の唇が震え、その名前が紡ぎ出される。
 神々も動きを止め、その男にのみ意識を集中させていた。
「なあ、アスファルトんとこの少年。確かにオレらは宮殿ぶっつぶせとしか言ってないが、だからいって人間かばって苦戦するってのはいかがなものかねえ、おい」
 瞳をぎらつかせたラグナは、輝慎弾を見つめている。輝慎弾の内に恐怖が宿っているのを、北斗は感じた。
 これが五腹心の一人。
 間近で見たのは、彼は初めてだった。だからこそ余計に、その強大さに言葉が出てこなかった。
 そこにいるだけでこれだけ周りを威圧できるのかと思う程の、すさまじい気をラグナは放っていた。前に輝慎弾が、そして隣にシンがいなければ逃げ出していたかもしれない。
「なあ少年?」
「そ、それは……」
「裏切ったな?」
 短く、はっきりと、ラグナの鋭い言葉が突き刺さってくる。
 ラグナは地を蹴り、軽やかに飛び上がった。ひどくゆっくりとさえ感じられる動作で、だがよどみなく彼は手のひらに黒い刃を生み出す。
 輝慎弾は一歩下がり、北斗とシンを後方へ突き飛ばした。その勢いでわけもわからず地面を転がった二人に、頭上から声がかかる。
「逃げ――――」
 だがその言葉は、最後まで放たれることなかった。
 次に北斗が聞いたのは、何かが切り裂かれる音とくぐもった悲鳴だった。
「おいたが過ぎるぜ、少年」
「あぅぐっ……」
 輝慎弾の胸板を、黒い刃が貫いていた。だがそれも一瞬のことで、北斗が目を瞬かせているうちにラグナはその刃を消し去ってしまう。
「き……しん?」
 それまでうめくだけだったシンの口から、名前がもれた。派手に血しぶきを上げて、輝慎弾は地面へと倒れ込んでいく。返り血を浴びたラグナは、頬の飛沫を拳でぬぐった。
「輝慎っ」
 シンが飛び出そうとするのを北斗は必至に妨げた。彼はシンの腕を捕らえて離さなかった。
 何故輝慎弾は自分たちを突き飛ばしたのか。それが予想できない北斗ではない。行かせてはいけないことはわかりきっていた。
 地面には、赤い液体が広がっている。白かった輝慎弾の衣服は緋色に染まり、手遅れであることを如実に語っていた。
「ご、めんなさ、い、アス……ファ、ルト様。わ、たしには……力、不足、でした」
 それでも輝慎弾の口からはうわごとのような台詞がつぶやかれていた。ラグナはその双眸を彼へと落とし、それから北斗たちへと向ける。
「律儀だなあ、おい。嫌いじゃねえよそういう奴は。ただ願わくばオレの部下として欲しかったな。恨むなら巡り合わせを恨むんだな」
 彼は北斗たちを見ていたが、その言葉は輝慎弾へ発したものだった。もう聞こえていないことなどわかっているのだろう。彼は何故か辛そうに眉根を寄せると、息をこぼした。
「ったくよーこういうのはオレの性に合わないって言ってんのに。あのブラストの野郎がへますっから、畜生め」
 愚痴をこぼしながらラグナはゆっくりと北斗たちへ近づいてくる。北斗は立ち上がり、シンの腕を捕らえて背後へと隠した。
 オレは守りきれるのか?
 北斗は自問する。シンは頭を抱えており、先ほどよりもさらに気が乱れていた。輝慎弾のことが追い打ちとなっているのだろう。
「とりあえずお前たちには死んでもらう。色々面倒そうだからなあ、ったく」
 ラグナの口角が上がった。
 北斗は固唾を呑む。
 と、そのとき――――
「勝手に殺してもらっちゃあ困るのよね」
 凛とした、聞き慣れた声が空から舞い降りた。
 同時に地上へ降り立ったのは、目の覚めるような蒼をまとった麗しき女性だった。
「ユズさんっ!」
「あーアスファルトの彼女さんな」
 北斗の叫びとラグナの醒めた声が重なる。ユズは北斗の前に立ち、不敵に微笑みながらラグナを見据えた。
 よかったと、心から安堵した北斗はシンの腕をさらにぐっと握る。
 彼の見たユズの背中は小さく、けれども力強さに溢れていた。そこからは何の感情も読みとることができなかったが、静かに闘志は燃えているようだった。
「ゆっくり眠りなさい」
 そう彼女がつぶやくと同時に、倒れ伏していた輝慎弾の体が光の粒子となって消えていく。
 それは死という事実を突きつけてくる光景だった。
 背後でシンが息を呑むのを、北斗は感じる。シンの気がまた一段と膨れあがった。
 そして、声にならない絶叫が辺りを覆った。

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