white minds

第二十六章 決断‐5

 シンの発した絶叫は音にはならず、しかし空間を激しく揺り動かしていた。膨張する気は世界その物に働きかけ、空間を歪ませていく。
「な、何だ?」
 それにはラグナでさえ顔をしかめ、辺りをうかがっていた。空間の歪みはあらゆるものに影響し、思わぬ結果を生み出しかねない。彼にとってもありがたくない状況なのだ。
「だめよ、だめよシン! あなたは壊れてはいけないの。あなたは生き残らなければならないの、何があっても」
 ユズが慌てて振り返り、シンの肩を揺さぶった。だが彼は声にならないうめきを発して悶えるだけで、何も答えない。
「ユズさん後ろっ!」
 ラグナが地を蹴ったのを見て、北斗は声を上げた。まだ歪みは許容範囲内と判断したのだろう、迷うことなく手にした不定の黒い刃がユズへと向かっている。
「もうっ」
 こんな時にと言いたげにユズは体を反転させた。ラグナの剣は間近まで迫っており、シンたちをおいていけない彼女は結界を張ろうと手を掲げる。
 だが、彼女が結界を張るより早く、ラグナの攻撃は中断させられた。
 横から迫ってきた白い光弾を一瞥して、彼は一旦上空へと飛び上がった。
 光弾はそのまま通り過ぎ、地面にぶつかり霧散する。どうやら精神系だったらしい。ラグナの舌打ちと北斗の安堵の息が同時に放たれた。
 北斗は、その光弾の来た先をすぐに見やる。
 そこには両手をつきだしたまま構える梅花の姿があった。彼女の指先から流れ出る気はいつも以上に澄んでいて、見えないはずなのに色をたたえているようだ。
「ほう、転生神のお二方が登場ってか、おい」
 やや離れたところに着地したラグナは、口の端をつり上げて嬉しそうにそうつぶやいた。彼の視線は梅花の方に真っ直ぐ向けられ、射抜くように光っている。そこへ青葉が梅花のもとへと駆けよってきた。彼は彼女の前に出て眼差しを鋭くしながら、ラグナをにらみつける。
「ユズさんはシンにいを頼みます。ここはオレたちが引き受けますから」
 彼はユズを一瞥してそう告げた。その決意を見たユズはうなずき、北斗たちを背後にしたまま少しずつラグナから後退していく。ラグナはちらりと彼女を見ただけで何も言わず、その意識は完全に青葉たちへと向けられていた。
 すぐさま攻撃に出ようとする青葉の手首を、梅花の細い手がとらえる。
「青葉、これを使って」
 彼女がそうささやくと同時に、彼の手の中に薄紫色の光が生まれた。その光の中心には、いつか見たあの銀色の長剣が存在している。
「梅花、これまさか……」
「行くわよ、青葉」
 梅花は地を蹴り、ラグナへとむかって駆け出し始めた。ラグナの瞳が野獣のように光り、その黒い刃が一段と大きくなる。
「お前らと手合わせしたことはなかったんでねえ、嬉しいぜオレはよっ!」
 彼の一降りを、彼女は舞うようにかわした。そこへ青葉が突っ込んできて、長剣を素早く繰り出す。
 だがラグナの方が余裕があった。青葉の剣を黒い刃で受け止め、不敵な笑みを浮かべている。そこには上から見下ろす者の強さが宿っていた。
 いくら転生神の生まれ変わりといっても、その実力を完全に取り戻しているわけではない。そのことは二人も、そしてラグナも理解していた。もちろんユズや北斗たちとてわかっていた。
「ユズさん、あの二人に任せて大丈夫なんですか?」
「大丈夫だとは思わないわ。でもだからといってこの子をそのままにはしておけないもの」
 下がりながら北斗は三人の戦いを目で追っている。梅花の放つ光弾をラグナは軽い動作でかわし、青葉の剣を余裕の笑みで受け止めていた。それはまるでもてあそんでいるかのようだった。
「ラグナは戦うことそのものが好きなのよ。まあそれが今回ばかりは好都合なんだけど」
 ユズはシンを抱えるようにしながらその額に手を当てた。彼の呼吸は荒く、今にも息絶えるのではないかと思うくらい顔が真っ青だ。
「……ねじ込まれた何かと彼自身の気がせめぎ合っているんだわ。でも彼の気が乱れすぎてて、このままじゃあ負けてしまう」
 彼女の声は悲痛な色を帯びていた。その表情は陰となっていて、北斗からはうかがうことができない。
「でも、何とか、何とかしないと」
 うわごとのように彼女はそれを繰り返した。心配ながらもどうすることもできず、北斗はただ彼女と戦場とを交互に見る。
 ラグナは強い、このままじゃあの二人だってそうもちはしない。
 彼はそれをひしひしと感じていた。あの二人ならという思いはあったものの、目の前で繰り広げられている戦いを見ればそれが幻想だったと気づかされる。
 脳裏に浮かぶのは輝慎弾の最期の姿。今なら誰が同じ道を辿ってもおかしくない。誰が死んでも、誰がいなくなっても、そして自分が死んでも何らおかしくはない状況なのだ。彼の胸を恐怖が埋め尽くしていく。
 彼がそれを振り払おうと天を仰いだ時、また異変は起きた。
 見上げた先の視界に三つの存在が映り、それがゆっくりと地上へ近づいてきていた。
 その鮮烈な気の持ち主たちは空に浮かぶ羽のようにゆっくりと降り、互いにやや離れたところに音もなく着地する。
「レーナ!」
 彼は叫んだ。
 ラグナよりも右方に彼女は立ち、その双眸を周囲に向けている。大した怪我もないようで、いつものように得体の知れない強気な気配を漂わせながら、彼女はそこに存在していた。
 彼女の前方には白衣をなびかせたアスファルトが、悠然とたたずんでいた。悟りにも見える落ち着きをたたえた彼の瞳は、彼女と、そしてもう一人の男を交互に見ている。
 北斗は彼の視線を追って、三人目の男の方を振り向いた。
 レーナとアスファルトからさらに離れたところ、何とか肉眼で確認できる場所に、見覚えのない男が立っている。服装も体格も遠すぎて定かではないが、放つ気は冷たく研ぎ澄まされていた。
 まさか……あいつも五腹心?
 北斗の背中を冷たい何かが這い上がっていく。名前も顔も知らないが、その気だけで、その男がとんでもない奴だと彼にもわかった。隠す気などないのだろう、あらゆる感覚を突き刺すそれは北斗に恐怖だけを抱かせる。
 ゆっくりとその男はアスファルトへ近づいていった。穏やかすぎるその足取りは、見た者に戦慄を覚えさせる程だ。北斗は息を呑み、その男とアスファルトたちの様子をうかがう。
「ん? ああ、プレインじゃねえか。何であいつまで降りてきてるんだよ。見張りはどうしたんだ見張りは?」
 するとラグナが青葉の剣をやり過ごしながら、素っ頓狂な声を上げた。
 プレイン――――やはりあの男は五腹心だった。そう理解した北斗はレーナとアスファルトに不安げな視線を注ぐ。
 二人はプレインとラグナ、双方を気にしながらどう出るかを考えているようだった。大した傷はなさそうだが疲労が溜まっているのだろう、顔色はあまりよくない。
「仕方、ないわね……」
 唐突に北斗の横でユズがそうささやいた。彼女はシンを抱えたまま、視線をアスファルトの方へと向けている。
「ユズさん?」
 彼が問いかけた瞬間、彼女の周りを突然信じがたい程の気が渦巻いた。それは膠着しかけていた周囲の視線を一気に集め、時を止めてしまう。
「ゆ、ユズさん?」
 その気のすさまじさに北斗は飛びすさった。だが彼女はアスファルトの方だけを見つめていて、返答は返ってこない。
「この子を、神技隊たちを、転生神を助けなきゃ、私が今までやってきた全てが無駄になるもの。私は決めたわよ? アスファルト」
 彼女はどうやら微笑んでいるらしかった。周りを渦巻く気はどんどんその強さを増してきて、ついには白い光りに覆われ始める。
「ユズ?」
 アスファルトがその名をつぶやき、怪訝そうに顔をしかめた。
 その場の誰もが動きを止めて、彼女を凝視していた。
「私がこの子のを助ける。私が助けなきゃ、誰が助けるって言うのよ。せめて、こんな時くらいは親らしいことしなきゃね。だから、お願い」
 彼女はシンの体を強く抱きしめた。うめくだけの彼は何の抵抗もなく、彼女の腕に収まってしまう。
「あとはあなたに頼むわ。いえ、あなたたちに」
 彼女の体を、シンの体を、白い光が包み込んでいった。どこからか風が舞い上がり、その髪を、服を揺らし始める。
 まさしく彼女は女神だった。
 大地の上で、子を抱き、儚く微笑するその姿は畏怖する程に美しい。
 夢から切り取ったような白さが、その光景を未知なる世界へと変えていた。
「何故だかわかるのよ、この子を助ける方法が。それが親だからか、それとも私が心の神だからかは知らないけど」
 彼女の姿が段々と白くなっていく。それは光その物になっているかのようだった。誰が見てもそれは知られざる力の片鱗としか思えない。
 光に覆われた二人には五腹心も、レーナさえも言葉を発することができなかった。
「ユズっ――――!」
 はっとしてアスファルトは声を上げた。走り出そうとする彼に向かって、彼女はゆっくりと右手を掲げ制止させる。彼女の唇がゆっくりとなめらかに言葉を告げた。
「ごめんなさいね、アスファルト。こうなる前にちゃんと言っておけばよかったのでしょうに。馬鹿で、意地っ張りだったから」
 彼女の姿が白んでいく。光がさらに強くなり、目を開けていられない程になった。誰もが瞼を手で覆った。
「でも、今でもちゃんと愛してるから。会えてよかったわ、ありがとう」
 そう告げる声は次第に小さくなっていき――――
「ユズっ!」
 唐突に、光は止んだ。
 目を灼くような白さは収まり、世界には再び色が戻ってきた。
 何が起こったのかと見回す者たちの中には彼女はいない。
 そこに、彼女の姿はなかった。
 呆然と立ちつくすアスファルトと、唇を噛みしめるレーナと、事態を把握できていないラグナ、プレイン、神々、そして神技隊だけが取り残されている。
 光の中心にいたシンは音を立ててその場に崩れ落ち、地面に倒れ伏した。
 その音が、皆に動きを呼び起こす合図となった。
「シン!」
 とりあえず北斗はシンに駆けより、その体を抱え起こした。気を失っているのか瞼を閉じたままの彼からは返答がない。ただその胸には金色のペンダントがかかっており、そして先ほどの気の乱れが嘘のように落ち着いていた。息も整っている。
 北斗はそのことに安堵しながら、目だけで周囲の様子をうかがった。
「まさか、まさか自分の精神全部使って助けたとでも言うのかよっ!?」
 すると心底驚いた声音で、ラグナが大声を発した。北斗は警戒しながらシンを抱えるようにし、必至に動揺を押し殺す。だがそんな彼などお構いなく、ラグナは今にも笑い出しそうな顔で頭を抱えると、アスファルトへと視線を移した。唇を噛みしめるアスファルトとラグナの双眸が、互いを捉える。
「ったく、予想できないことしでかしてくれるもんなあ、彼女さんはよ。ええ、アスファルト、じゃあお前さんはどうするんだ? 遺言聞いてオレたちに刃向かうのか?」
 ラグナはその黒い刃をアスファルトへと向けた。
 だがその背中へ向かって一つの光弾が真っ直ぐ迫ってくる。彼はそれに気づくと振り返りざまに叩き落とし、口の端を上げた。
 光弾の先にいたのは、また梅花だった。
 隙を見せず構えた彼女はラグナをにらみつけている。
「懲りずに邪魔する気かい? お遊びできる状況じゃなさそうなんで、今度は本気で行くぜ?」
「あなたを行かせたら、レーナたちが死にますから」
 鋭い双眸を向けてくるラグナに、梅花は静かな声で言い切った。ラグナの肩眉がぴくりと跳ね上がり、その口元に笑みが浮かぶ。
「神は愛情深いことで」
 ラグナは大きく飛び上がり、彼女へと刃を振り下ろした。だがそれには青葉が対応し、銀色の長剣で受け止める。
 ラグナの瞳に光が生まれた。
 その次の瞬間、支えきれなくなった青葉は後方へと吹っ飛ばされる。
「お前らをたたきつぶして、それからアスファルトの野郎の片づけだっ」
 ラグナの叫びが辺りに響いた。アスファルトがはっとしたように頭をもたげ、立ちつくすレーナを一瞥する。耳障りな剣の交わる音、青葉のくぐもったうめきがその心を後押しした。
「レーナ、最期の茶番に付き合ってくれるか?」
「もちろんだ、アスファルト。そのためにわれはここにいる」
 うなずく彼女を見て、アスファルトは動き出した。彼は手のひらに炎の刃を生み出し、それをレーナへと振りかざす。
 彼女も真っ白な刃を生み出し、それを受け止めた。舞うような優雅な剣の軌跡が空に残り、高音の音とも取れないような衝撃が鼓膜を叩く。
 その予想だにしない光景に、皆が一瞬思考を止めた。
 その意味するところがわからない。
 ただ『何故』という単語だけが皆の頭を埋め尽くしていく。
 何故、何故、何故?
「マジかよ……」
 ラグナの動きも一瞬止まった。予想をはるかに超えた展開に、彼は眉根を寄せて振り返る。
 そこへ梅花の放つ白い矢が数本背後から迫り、彼は慌てて体をひねった。だがその肩を幾本かの矢が貫いていく。
「何だよっ!?」
 ラグナは体勢を立て直すべく一旦空へと飛び上がった。その視界に映ったのは剣を交わらせたアスファルトとレーナ、そしてそこへ向かって全速力で走るプレインだ。
「だめだっ、プレイン!」
「レーナ、危ねぇっ!」
 空から叫んだラグナの声と、地上で放たれた北斗の警告が重なった。
 だがレーナも、アスファルトも、プレインも、動きを止めようとはしなかった。
 プレインの手に赤黒い剣が生まれ、それがアスファルトへと振り下ろされる。アスファルトは口元に笑みを浮かべ、プレインに背後を向けた。
 そして――――
「な……に……?」
 突き刺さる鈍い音が、はっきりと耳に届いた。濁った色の土に、赤い液体がぽたりぽたりと落ちていく。
 静けさが世界を覆う。
 張りつめた声にもならない叫びだけが、周囲から三人の方へと流れ込んでいる。
 プレインの剣は、アスファルトの肩にほんの少しだけ埋もれていた。
 だが、それを握るプレインの肩、その下方には白い刃が突き刺さっていた。
「ま……さ、か」
 プレインはよろめきながら自分の肩の方へと手を伸ばし、その持ち主へと眼差しを向ける。白い刃はレーナの手に収まっており、それはアスファルトの腹部を貫いて、プレインへとめり込んでいた。
 プレインは一歩一歩後ろへ下がっていく。白い刃は、すぐさま空へと消えた。
「まさか、そんな馬鹿なっ!」
「冷静沈着なプレインが、そんな発言していいのか? そんなに、驚いたか」
 アスファルトはゆっくりと振り返り、唇を震わせるプレインへと微笑みかけた。彼の腹部からは大量の血が溢れ出し、白衣の裾を真っ赤に染めている。
「私が裏切るとわかっていたのだろう? プレイン。ならば何故そんなに驚く。それとも何だ、私がお前に斬りかかるとでも思っていたのか?」
 誰もが息を呑んで立ちつくす中で、アスファルトは笑っていた。侮辱されたプレインは顔を赤黒くしていたが、反論の言葉は出ないようである。
 アスファルトはゆっくりとレーナへと視線を向けた。それは温かだった。
「私の申し子を甘く見るな、プレイン。この通り優秀な奴だ。私の意図をきちんとくみ取ってくれる、状況判断もできる。この力、お前たちなどにくれてやるものか」
 レーナは切なげに微笑しながら、プレインを見つめていた。彼女へと目を移したプレインはそこでようやく全てを理解し、苦しげに息を吐き出す。
「まさかっ、お前たちはそのためにっ」
「私の申し子は強い。お前の部下たちもアースたちに片づけられているようだしな。ああ、どうやら地球神の代表も動き出したようだな。それも仕方ないだろうな、五腹心が二人も大暴れしようというのだから」
 くすくすと笑い声をもらしながらアスファルトは辺りを見回していた。皆が皆、信じがたいといった表情で彼らの方を見つめている。
「で、どうするんだプレイン。このまま戦いを続けるのか?」
 アスファルトの問いかけに、プレインは奥歯を噛みしめ飛び立った。彼は一言、退却だとラグナに告げると、そのまま空高く上っていってしまう。
「お、おいプレイン! ったく、後処理は任せたとでも言うのかよお、おい。勝手な奴だぜ、まったく」
 ラグナの愚痴で時は流れ出し、一帯にざわめきが生まれた。それに混じりアスファルトの倒れる音が、世界へと溶けていく。
「化け物だなあ、おい。まあオレは、部下の回収とでもいきますか、ったく」
 苦笑する彼の背中が、戦いの終焉を告げていた。

◆前のページ◆   目次   ◆次のページ◆

このページにしおりを挟む