white minds
第二十七章 生きるための力‐2
窓からは朝日が入り込んでいた。眩しい程の光が廊下を照らし、白い床を輝かせている。外を見れば土の間から草原が所々顔を覗かせ、春らしい気配を漂わせていた。実際気温はさほど上がってはいるわけではないが、雪がほとんど溶けてしまったおかげで季節の移り変わりを感じることができる。
「春なんだよな」
乾いた足音を響かせながら北斗はぽつりとつぶやいた。しばらく戦闘でごたついていたせいで、それをきちんと実感する暇もなかった。気がつけば、もう冬は終わっていたのだ。
「何だよ北斗、んなしみじみしちゃってさー」
そんな北斗の肩をサツバが勢いよく叩く。顔をしかめた北斗はちらりと振り返り、いつもと変わらぬ陽気なサツバの顔を見た。
「別に、しみじみはしてないって。そんなに気軽に叩くなよ」
「悪い悪い、じゃあオレは先にお見舞いに行ってるぜ」
「ってちょっと待てよサツバ!」
妙なくらい元気のいいサツバはへらへら笑いながら駆けていった。その後を北斗は慌てて追いかけ、止めようと手を伸ばす。
だが少し遅かった。走り出したサツバはあっと言う間に目的の部屋――治療室に辿り着き、その扉を思いっきり開けてしまう。
「よーっ、怪我人たち!」
そして大声でそう挨拶した。北斗は頭を抱えたい気分でサツバの隣に立ち、部屋の中を覗き込む。
中では不思議そうに目を見開いたシンがベッドに座り込んでおり、その隣にはリンが無理矢理丸くなって眠っていた。どう見ても苦しそうな体勢だが、気持ちよさそうな寝息が聞こえている。
「サツバ、声でかいだろっ」
「まさか寝てるだなんて思わなかったんだって」
「だったら少しは小声で喋れ!」
何故だか妙に不満そうにするサツバに向かって、北斗は慌ててそう言った。本来この役回りはリンのものだが、今彼女は睡眠中なので仕方がない。
「んーまあとにかく入るか」
サツバは顔をしかめながら部屋の中へと入っていった。そしてシンの向かいにある小さなベッドに腰掛け、北斗に向かって手招きする。
北斗もシンの様子を横目にしながら部屋へと入っていった。何だかひどく緊張し、手のひらに汗がにじんでくる。何も考えていなさそうなサツバの様子が正直羨ましかった。無論、何も思っていないわけではないのだろうが。
彼がサツバの隣に軽く座ると同時に、それまで苦しそうな格好で眠っていたリンがもぞもぞと動き出した。頭をもたげた彼女は周囲の様子を確認し、子どものように小首を傾げる。
「あれ? 何でサツバと北斗がいるの? ってもう朝?」
「いきなりその発言とは失礼だな。お前いつから寝てたんだよ」
「えっと……覚えてない」
彼女は現状を全く把握していないようだった。不思議そうに頭をひねりながらシンを見て、彼女は一度ふわりと笑う。それからゆっくりとサツバたちに目を向けた。サツバの顔はむっとしていたが、それでもその瞳には微苦笑が浮かんでいる。
口調はぞんざいだが彼も相当心配していたのだと知っていたから、北斗はあえて何も言わなかった。意地っ張りだから気にかけていたなんて口にしたくないのだろう。北斗の顔も自然と苦笑していく。
「うーっ、せ、背中痛いかも……」
「んな変な寝方してたからだろう!」
「どんな寝方したって痛いのよ。脳内麻薬が切れたんだから仕方ないじゃない」
呆れた声音で一喝するサツバに、リンは不満そうに目を細めてつぶやいた。そしてぎこちない動作で壁にもたれかかり、人間ってすごいわよねえ、としみじみとうなずいている。だがわけがわからないサツバは首を傾げて北斗と顔を見合わせた。話が見えないという顔だ。その気配を察して、彼女はわかりやすい言葉を頭の中から探す。
「つまり緊張の糸が切れたってわけ」
「ああ、なるほど。だから傷が痛むってわけか」
「そう。まあ我慢できない程じゃないんだけど、気にならない程でもなくてね」
彼女はあっけらかんとした顔でそう説明すると片手をひらひらとさせた。その隣ではシンが複雑そうに苦笑いを浮かべている。
「シンは、どこか痛まないのか?」
「オレは……動くとあちこち痛むくらいかな」
できるだけ平静を努めて問いかける北斗に、シンは柔らかく目を細めてそう答えた。まるで空白などなかったかのような顔だが、どこかぎこちなさが滲み出ている。
次にどう話を続けるべきか北斗は迷った。今まで通りに話せばいいのか、それともそっとしておくべきなのか判断が付かない。予想はしていたものの、こうやって目の前にすれば想像以上にその迷いは深刻だった。彼の背中を嫌な汗が流れていく。
「そういうわけで私たち怪我人なんだから、丁寧に扱ってよね?」
「え? あ、はいはい、わかったわかった」
そんな中、おどけた声音のリンはにっこり笑って北斗とサツバを交互に見た。その瞳は話は後にしてくれとでも告げているようで、北斗は複雑な気分になる。
だが助かったのも事実だった。どうするべきか迷わなくてすむから。
「そう言えばローラインは? 二人が来るなら絶対ついてくると思ったののに」
「ああ、花を持ってくるって張り切ってたぞ」
「ってことはこの部屋はいずれ薔薇の匂いに包まれるのね」
リンは心底困ったように頬に手を当てた。服装さえいつもと同じなら今までと全く変わらない様子だ。ころころと変わる表情に、陽気な口調。そこに彼女の強さを読みとって北斗は何とも言えない気分になる。
彼女に任せればシンは大丈夫だろう。自分の出番は、もうないのかもしれない。
北斗はサツバの肩を叩いて踵を返した。
「じゃあなお二人さん、ゆっくり休めよ。ローラインは……何というか天災だとでも思って通り過ぎるのを待つ方針で」
彼は肩越しにそう言い残した。もう帰るのかと言いたげなサツバは、それでもローラインと鉢合わせになるのを恐れたのか渋々彼についていく。
「ありがとうね、北斗、サツバ」
扉が閉まる瞬間、リンは微笑んでそう言った。北斗は小さくうなずき、サツバとともにゆっくりと歩き出した。
差し込む朝日を視界の端に捉えながら、アースは歩いていた。静かな廊下に響く足音は、孤独を感じさせる。
『アスファルトの研究所を飛び出した理由? それは……まだ、言えない。でも、たぶん、近々アースには言えるんじゃないかと思う。こうなってしまった以上、隠しててもあまり意味はないからな』
今朝別れ際に尋ねた問いに、レーナはそう答えた。まだ痛々しい後ろ姿だったものの、もう泣いてはいなかった。いつも通りの「レーナ」としての顔で、彼女はほがらかに微笑んでいた。
『これだけ泣いたからもう大丈夫だ。だからそんな心配そうな顔しないでくれ。われがくよくよしてたらシンが立ち直れない。任された身としては、それは避けたい事態だからな』
彼女がそう言い残してどこに行ったのかはわからない。どうやら外に出たらしいが、既に気を終えない範囲まで行ってしまっていた。彼女は戦闘以外で滅多に外に出ない分、気になりはする。
「あ、アース」
すると背後から声がかかった。振り返ればそこには彼と同じ容姿の青年――つまり青葉が目を丸くして立っている。アースは不機嫌そうに目を細めて口を開いた。
「なんだ、お前か」
「って朝っぱらから不機嫌!? 会った瞬間なんだはないだろ、なんだは」
「一日のはじめに会うのがお前ならば不機嫌にもなる。相変わらずしまりのない顔をしてるな」
「顔は同じだろっ」
目を合わせれば口喧嘩がこの二人のお約束だった。早速一戦交えた二人は、威嚇するようににらみ合う。幸か不幸か廊下を通る者は他にいなく、口出しする者は皆無だった。いつもならレーナあたりが適当なところで止めるのだが、それも今はない。
「一日のはじめって……そういやレーナには会ってないのか?」
そこでふと気づいたのだろう、青葉は怪訝そうにそう問いかけた。言いたくないところをつかれたアースはむっとした様子で、さらに視線を険しくする。
「さっき別れたところだから、会ったというのは違う気がするだけだ」
「うぇっ? ってことは、その、ずっと一緒だったとか?」
「悪いか?」
彼女の行方を思いアースは額にしわを寄せた。帰ってくるとは思うが心配であるし、何も言わずに出ていったのが気にくわない。
しかし何故だが青葉も同じような顔をしていた。半眼になった彼は、別に、とだけ答えて視線をすっと横にそらす。
「そういうお前こそ、梅花はどうしたんだ」
「梅花? 今は司令室で滝にいやレンカ先輩と話してる……って何だその憐れみの眼差しはっ!」
「われがお前を憐れむわけないだろう、小馬鹿にしているんだ」
「なおさら悪いっ」
もういいと言い捨てて青葉はアースの横を擦り抜けていった。司令室に行くのか食堂で朝食なのかはわからないが、戦闘続行する気はないようである。足早に歩き出す青葉の背中を、アースは妙な気分で見送った。
「あのな――――」
だが少し進んだところで青葉はくるりと振り返った。訝しげに目を細めるアースに、彼は言い出しにくそうに口を開く。
「レーナは、本当に大丈夫なのか?」
絞り出したかのような声が、廊下に染み入っていった。アースは憮然とした表情のまま、かすかに口の端を上げる。
「われがいるから大丈夫だ」
「うわあ、自信満々」
「お前のように砕けているよりはいい」
「勝手に言ってろっ」
青葉は一度安堵したように息を吐き出すと、小走りに駆けていった。小さくなる背中は司令室の扉へと、あっと言う間に吸い込まれていく。
「大丈夫にするんだ、決まっているだろう。あいつをだめにする気はない」
一人取り残されたアースは踵を返し、ゆっくりと歩を進めた。窓から差し込む日差しは、その強さを増していた。