white minds

第二十七章 生きるための力‐4

 先ほどまで人であふれかえっていた司令室は、それが嘘のように静まりかえっていた。スクリーンに映し出された空は紅に染まり、美しい景色を演出している。
 もやは定位置となった大きな椅子に座り、滝はため息をついた。もうすぐ夕食時だ。つまりまた食料が減る。そのことを考えるだけで彼は頭が痛かった。
「ローラインや梅花がジナルのつてで何とかするとは言ってたが……それだって限界があるだろうしな。オレも長の所行って何か仕事もらってくるしかないか」
 つぶやいた声があまりに暗くて、彼は自分自身にげんなりした。レーナ曰く気分は相当技の発現に影響するらしい。ということは悩んでいたり落ち込んでいると戦力激減なのだ。
「滝、そんなに考え込まないで。とりあえずは梅花たちの報告を待ってみましょう」
 そんな彼のもとへ、レンカがコーヒーカップを持って現れた。いなくなっていったと思ったら食堂まで取りに行っていたらしい。彼女が手渡すカップを受け取りながら、彼は口の端に微苦笑を浮かべた。鼻にふわりとコーヒーのいい香りが漂ってくる。
「そう思ってはいるんだけどなあ……梅花に無理させると戦力減になるし」
「あら、滝はいつの間にか参謀ね」
「そう言えばそうだな。おかしいな、単なる神技隊の一人のはずだったんだが」
 二人は顔を見合わせてくすりと笑い合った。最近は特に、各々の役回りがはっきりしてきている。この司令室にいるのも、大体が決まったメンバーだ。
「まとめる側ってのも大変そうね、滝」
「オレはお前がいるから楽さ。困ったらレーナに聞けばいいわけだし、細かい作業は梅花がしてくれるし。それに弱気になった奴にはリンが叱咤激励してくれるしな。オレの仕事は、そんなにない」
 彼は笑いながらそう言い、カップに口を付けた。やや苦いコーヒーが、頭を冴え渡らせる。
 支える者の存在は大きかった。若長として期待されていた頃よりも、彼はずっと楽だった。肩に掛かった重さは今の方がはるかに大きいのに、それでも自分だけではないという思いが彼の気を楽にしている。
「そうね、一人じゃないからできるのよね」
「ああ、みんないるからな」
「よかっ――――」
 だがそこで答えるレンカの声は不自然に途切れた。そして次の瞬間、その手からカップが滑り落ち、派手に音を立てて割れてしまう。
「レンカ?」
 彼は彼女の顔を覗き込んだ。彼女は額に手を当てて、まるで固まったように立ちつくしている。こぼれたコーヒーが床に広がり、慌ててコンソールの方からジュリたちがやってくる気配がした。
「ごめんなさい……」
 しばらくしてようやくレンカはゆっくりと手を離した。何度か瞬きしておもむろに首を横に振ると、弱々しく彼に微笑みかける。
「最近時々起こるのよね。急に目の前に知らない映像が映って」
 そう告げて困ったように首を傾げる彼女を、彼はじっと見つめた。特別疲れているといった様子でもないし、顔色も前よりずっといい方だ。
「まるで突然昔のこと思い出すみたいに……」
 彼女は苦笑しながらそうつぶやき、そしてはっとした。決定的な何かを言い当てたように思えた。彼女は口元に手を当てて視線をさまよわせ、それからまたおそるおそる彼の瞳を見据える。
「もしかして」
「何か思い当たることがあったのか?」
「これが、リシヤの記憶なのかしら。前にユズさんが、そんなこと言ってた」
 今はもういないはつらつとした女性を思いだし、レンカは目を細めた。この間の戦闘で忠告のことなどすっかり忘れてしまっていた。だがそう、今ならはっきり思い出すことができる。
「私、リシヤの記憶を少しずつ取り戻しているのかもしれない」
 レンカはそうつぶやきながら、布巾を持ってやってくるジュリの姿を視界の端に捉えた。
 まだ何もかもが終わったわけではない。
 今も確実に時が流れているのを、彼女はまざまざと感じ取っていた。



「聞いたかアスファルト、リシヤの記憶が戻ってきてるそうだ。確実に、全てが動き出しているよ」
 手のひらで金色のペンダントを転がしながら、レーナはそうささやいた。真新しいシーツのベッドからは、かすかに何かの香りが漂っている。彼女はそこに座り込んでただじっとペンダントを見つめていた。うっすらと薄紫色に輝いたそれは、確かに力を秘めている。
「転生神はここにいる。われが絶対に守り抜く。思いは受け継いだから、われが受け継いだから、希望を途絶えさせはしない」
 彼女は足をぶらぶらとさせながらベッドに倒れ込んだ。全身を覆う虚脱感は、おそらく精神的な理由だろう。何のために戦いを止めたいと思ったのか、何のためにこんなことを始めたのか、思えば思う程体から力が抜けていった。そう、途中で目的は変化していったから。
「目的が手段で、手段が目的で、われは何をやってるんだろうな?」
 問いかけても答えは返ってこない。彼女はペンダントをまた首にかけると、切なげに息を吐き出した。どんなに罪を重ねても胸が痛むのは、いいことなのか悪いことなのか……。
「レーナ?」
 そんな彼女へ頭上から声がかかった。少し視線を斜め上に向ければ、訝しげに覗き込んでいるアースの姿が確認できる。彼女はゆっくりと上体を起こし、ひらひらと片手を振った。
「ああ、アース。どうかしたのか?」
「それはこっちの台詞だろう。何かあったのか?」
「いいや、何も。ただ考え事してただけさ」
「レーナ」
 彼は彼女の隣に座り込み、その体を引き寄せた。そして目を瞬かせる彼女の顔を覗き込んで、眉根を寄せる。
「だからそうやって隠すのは止めろと言ってるだろう? ごまかさなくていいから、はっきりと言ってくれ。われは気になって仕方がない」
 そう告げながら彼はその黒く長い髪に指を通した。彼女は頬を染めながら困ったように微笑んで、白い手を彼の腕にそっと添える。
「別に、隠してないしごまかしてもいないさ。ただ自分で自分がよくわからないから、うまく説明できないだけで」
「お前がか?」
 彼は間髪入れずに聞き返した。本気で驚いているらしい彼の顔を見て、彼女は複雑そうに目を細める。だがすぐに気を取り直し彼女はくすりと笑った。彼の腕を取っておもむろに口を開く。
「われが一番わからないのは、われのことだよ? ああ、そうだった。アースには話すって言ってたっけな、われがアスファルトの研究所を飛び出した理由。丁度いいから、今それを説明するよ」
 彼女はいたずらっぽくささやくと、髪に挿していた金色のかんざしをその手に取った。彼はそのかんざしに目を落とし、不思議そうに彼女の顔と見比べる。
「これはわれのものじゃない、われの中にいる『彼女』のものなんだ。われの中には別の何かが存在していて、そしてそれはおそらくわれとよく似ていて、とてつもない力を持っている。『彼女』はおそらく、神と魔族の戦い、その原因を知っている」
 レーナの口から告げられたのはひどく実感のない話だった。だがその瞳は揺るぎなく彼を見上げ、嘘だろうと問わせない力を持っている。彼は固唾を呑み、またかんざしに視線を移した。くの字を重ねたような金色のそれは、彼女の手の中でほんのりと薄紫色の光をまとっている。
「そう、われの中には別の存在が確かに眠っていた。このかんざしはわれが目覚める前から手にしていた物――つまり『彼女』の物だ。われが研究所から飛び出した理由、それは『彼女』が命じたから」
 彼女があかした理由は、あまりに彼の予想からはずれていた。自分の中にいる別の存在に命じられる。その状況が彼にはさっぱりわからなかった。彼は訝しげに首を傾げ、彼女の瞳を見つめる。
「命じた?」
「魔族界から出ろと、ここを出ろと、『彼女』は何度も何度もわれの中でそう言った。われの声で、そう言った。そしてなかなか動かないわれに……強硬手段に出たんだ」
 彼女は口の端に、かすかに微苦笑を浮かべた。
「精神を暴発させるという、強硬手段に。結局われは堪えきれずに研究所を飛び出した。それが目覚めて三日目のこと。プレインとラグナがわれの観察に来る予定の日のこと。われが、ラグナを斬った日のことだ」
 精神の暴発というのは、耳障りの良くない言葉だった。それは魔神弾や、ついこの間のシンの様子を連想させる。しかし彼女の声は淡々としていて淀みがなかった。悲嘆にくれた様子もなく、悔やんでいる様子もなく、ただその事実のみを伝えている声だった。それが妙に空恐ろしくて、彼はつばを飲み込む。
「それがわれにとっての始まりだった。いや、既に始まっていたのだろうな。だが少なくとも『レーナとしてのわれ』にとっては決定的な出来事だった。その後の道を決める一つのきっかけだった。このままでは生きていくのもままならないかもしれないと思ったわれは……『彼女』の正体を突き止めるべく動き始め、結局はこんな有様さ」
 肩をすくめて彼女はゆっくりと頭を傾けた。彼は彼女の手を握り、そしてもう一方の手でその腰をおもむろに引き寄せる。
「予想以上の話だな。だがその間がずいぶん抜けていると思うが?」
 彼はそのまま彼女を抱きしめ、なだめるように背中を撫でた。腕にすっぽりと収まった彼女はその意図がわからず何度も瞬きをする。
「アース?」
「口にするのが怖いんだろう? 口にしてあらためて認識すれば、そこから逃れられなくなる。確かそう、言葉には力があるんだったよな?」
 その問いかけに彼女は素直にうなずいた。彼はうっすらと口の端を上げ、耳元で優しくささやく。
「それでもお前はお前だから、離れてなどやらないから、安心して言え。溜め込むな、一人で悩むな」
 何度も何度も呪文のように、彼はそう言い聞かせた。あまりに一人で長く抱え込みすぎたから、そう簡単には手放せないのだと彼はわかっていた。
「アース」
「ん?」
「ありがとう」
 彼女は胸に顔を埋めたまま、それだけを小さくつぶやいた。彼は相槌を打って、その背をゆっくりとなで続けた。

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