white minds

第二十七章 生きるための力‐9

 戦闘は予想以上に膠着状態となっていた。
 五腹心が集うという最悪の事態であるにもかかわらず、誰の予想をも裏切り戦闘は長引いていた。その理由は一つしかない。
 目覚めかけているのだ、大きな力が。
 そう考え、アルティードはひそかに微笑した。
五腹心襲来という危機的状況を察知して、彼は神々を引き連れ長らく出ていなかった戦場へとやってきた。数では圧倒的優位に立つ魔族から、少しでも神技隊を守りたいがためだ。
「大して役には立てそうにないがな」
 彼は独りごちるようにそう言い、近づいてきた魔族を一人払いのける。悲鳴を上げずに吹き飛んだその男は、地面に伏して動かなくなった。そして数秒後には、空気へと帰っていく。
 まずはレーナが何かに目覚めた。彼女がどういったきっかけであのような力を発揮したのかはわからなかったが、それが本来の彼女なのだと彼は知っていた。
『彼女は弱くなったよ。私が会った時の彼女は、こんなものではなかった』
 以前シリウスは苦笑しながらそう言っていた。その時彼は、五腹心にも匹敵する強さだともつぶやいていた。
 今アルティードは思う。その言葉はある意味では正しかったが、ある意味では間違っていたと。
 彼女は五腹心に匹敵するのではなく、凌駕していた。
「ラグナたちもまさかここまでとは思っていなかったのだろうな」
 今さらながら彼女を敵に回さなくて良かったと心底思い、彼は視線を遠くへと移した。他の魔族を寄せ付けず、彼女はラグナとプレインを相手にしている。
 彼女はまるで空気のようだった。軽やかに舞うように動くその様は、女神という言葉では表せない何かだった。言うならば彼女は世界その物だ。現れは消え、また現れを繰り返す彼女は、生きていないようにさえ感じられる。
「その影響だろうな、アユリが目覚めたのも」
 彼は今度は眼差しを左方へと向ける。滅多に戦わないことで有名なレシガ相手に、青葉と梅花が奮闘していた。特に梅花にはどこか余裕さえ感じられる。それが引き出された力故かはたまた別の理由からかはわからなかったが、心強くはあった。
 そう、転生神は目覚めかけているのだ。
「リシヤ、ヤマト、アユリ、シレン……転生神の力が目覚めかけている。五腹心を相手にできる程に強くなっている。喜ばしいことだな」
 アルティードの顔に苦しげな笑みが浮かんだ。嬉しいはずなのに心から喜べないのは何故だろう。彼は自らに問いかけながら、また迫ってくる別の魔族へと光弾を放つ。小さな悲鳴と上空の爆音がわずかに重なった。
 彼はその音の方、黒く濁った空の煙を一瞥した。
 そこではアースが、何人もの魔族を相手に力任せに攻撃していた。苛立っているらしいが、実力差があるため魔族たちは為す術もなくやられている。アルティードは耐えきれずくすりと笑い、目を細めた。
 彼が不機嫌なのはおそらくレーナが一人で勝手に行ってしまったせいなのだろう。わかりやすい行動はどことなく微笑ましい。
「……なんて余裕でいる場合ではないのだがな」
 アルティードは視線を真正面へと戻した。
 彼の役割。それはそこに立ちはだかることで、下級魔族の動きを牽制すること。宮殿へと近づかないよう、威圧すること。圧倒的数を誇る魔族相手には、それは重要であった。
「象徴が倒れれば、統率が乱れる。それはお互い避けたいはずなのだがな、なあ五腹心よ」
 苦い笑みを瞳に宿し、彼はそう語りかけた。答える声などないが、ただ何故か同じような苦笑が返ってきたように感じられた。
 風になびいた銀髪が、彼の顔を一瞬覆い隠した。



 無理な力がかかっていることに、彼女は気がついていた。全身を常に刺激する小さな痛みが、少しずつ大きくなっている。
 突然無理に力をひねり出したからだ。意識が時折どこか遠くへもっていかれるような気配があるし、体がばらばらになりそうなそんな気さえする。
「梅花っ!」
 右方から聞こえた青葉の声に、彼女は反応した。何とか右足で跳躍し、背後から現れたレシガの手刀をかろうじてやり過ごす。
「限界なのでしょう、アユリ。だったらそのままやられてくれると、私としては嬉しいんだけどね」
 空中に浮かびながら、喜んでいるとも悲しんでいるとも取れる微妙な微笑みを浮かべ、レシガはそう言った。まるで瞬間移動のようにあちこちに現れる彼女に攻撃を当てるのは困難である。おそらくその移動方法の一つは魔族お得意の『転移』であろうが、それにしてもこれだけ続けてとなれば尋常なことではなかった。
 深いワインレッドの髪が優雅に空に漂う。褐色の肌にはじわりと汗がにじんでいたが、その金色の瞳は隙のない光を放っていた。
 そう、彼女は見抜いている。
 梅花は口の端にほんの少し笑みを浮かべ、低く構えた。
 このまま戦闘が長引けば、負けるのはこちらだ。時折邪魔をしてくる下級魔族は青葉がけちらしてくれているからいいものの、レシガに疲れは全く見られない。それなのに梅花の体は既に悲鳴を上げていた。
 近々限界はやってくる。
「ここで諦めたら、今までの全てが無駄になるでしょう?」
 梅花は地を蹴った。
 周囲の気の状態から、どの戦闘も厳しい状態だと言うことがわかる。ブラストの相手をしているシンとリンも、オルフェと戦っているよつきもジュリも、イーストとフェウス二人を相手している滝もレンカも、皆が皆劣勢に立たされていた。時間が彼らの体力を、『何』かを削り取っているのだ。
 でも、それでもやらなきゃいけないのよね?
 彼女は青白い刃をレシガへと繰り出した。それはレシガが生み出した透明な短剣とぶつかり合い、空間を振るわせる。
 そうよねレーナ?
 この戦場でただ一人、無尽蔵で何か得体の知れない力を使い続けている『片割れ』に、彼女は問いかけた。それまでの『未成生物物体』とは違う何かとなったレーナは、今もラグナとプレインを相手に戦闘している。
 あなたは私たちの、ユズさんの、アスファルトさんのために戦っている。繋いできた鎖を切らせまいと戦っている。でも、私は、もう守られるばかりは嫌なのよ。
 梅花は微笑んだ。それがあまりに唐突で、そして朝露のような輝きを秘めていて、レシガは思わず後退する。梅花が手にした刃の先が、うっすらと薄紫色に染まった。
「アユリがこれだけ戦えるだなんて、予想もしなかったわ」
 レシガの口が皮肉そうに歪み、梅花を捉える瞳が鋭くなった。梅花も何か嫌なものを感じ取り、じりじりと後ずさる。
「梅花っ」
 背後から青葉の声がし、彼が駆けよってくるのがわかった。だがその途端、体に強い衝撃が走り、彼女は草原に膝をついた。
 体に……力が入らない。
 彼女の背を冷たい汗が流れた。その頬を透明な刃がかすめていき、赤い筋が一本生まれる。
 レシガの姿は既に消えていた。だが彼女の横に辿り着いた青葉が、銀色の長剣を構えたまま辺りに隙なく視線を巡らせた。彼女は目だけで彼を見上げる。
「大丈夫だ、梅花。オレがいるから、だから心配するな」
「青葉?」
「お前がいなきゃ、オレが駄目になるからな」
 彼はそう口にしながら剣を横へと流した。それはワインレッドの髪を数本さらい、薄紫色の軌跡を残していく。
「なるほど、それでこそシレンなわけねえ、やっかいなことに」
「知るか。オレはオレの意思で戦ってるだけだ」
「守りたい者のためにでしょう? それがシレンなのよ」
 どこか嘲笑うようなレシガの眼差しと、決意をみなぎらせる青葉の眼差しがぶつかり合った。梅花はそれを、膝をついたまま見つめていた。
 そう、私は一人じゃないんだ。
 彼女はその事実を噛みしめる。
 張りつめた世界が、かすかに細かく震えていた。なま暖かい風が、彼らの頬を撫でていった。

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