white minds

第二十七章 生きるための力‐12

 主のいない部屋は静まりかえっていた。飾りのない殺風景なそこはただひたすら白くて、不思議な孤独感を覚えさせる。
 しかしだからといってそこを出る気にもならず、青葉は大きく息を吐き出した。座り込んだベッドの端には、薄紫色に輝く拳大の玉が五つ置かれている。
「これが……二十六代目」
 彼はその玉に眼差しを向けた。どこか温かみを感じさせるそれらは、ほんのりとした光をまとっている。重量はないのか載っているシーツにはほとんどしわがなく、本当に存在しているのかも怪しい程だった。
『われが死ねばアースたちも次の日には死ぬ。それは今までの経験から間違いないだろう。だがこれがあれば少なくともビート軍団と呼ばれる者たちは生き続ける』
 うっすらと輝くレーナの手のひらから生み出されたのは、拳大の玉だった。薄紫色の光を帯びた、儚い印象の玉。それらを撫でながら説明する彼女の顔は、笑っているのか泣いているのかわからないような表情だった。
 おそらくは泣きたかったのだ。
 彼は目を閉じた。思い出す彼女の笑顔はいつも辛そうだったと、考えれば考える程胸が痛い。泣けないのは自分がいるからだと、直感的にわかってしまったからこそ余計に辛かった。
『アースたちが死んだ次の日、この玉から二十六代目のアースとネオンが生まれる。その次の日、カイキとイレイが生まれる。われが生まれるのはそれからさらに六日後のことだ。だからそれまで、お前に我々を守っていてもらいたいんだ』
 だが彼女はそう彼に頼んだ。いつも迷惑はかけまいとする彼女が、彼に頼んだのだ。その事実は重く胸に響いている。
「それだけ、信用してくれるようになったのか。それとも切羽詰まってたのか。まあ何にしろオレは、これを守らなきゃいけないんだよな」
 託されたのはそれらの命だけではない。彼自身、そして皆の命がかかっていると言っても過言ではなかった。レーナがいなければ乗り切れなかった戦いは多く、そして今後もそれは続くであろう。五腹心はまだ死んではいないのだから。
「たったの八日間だ。いや、生まれてから一日一歳ずつ年食ってくんだから、あわせて二十四日間か。それくらい、何とかできる。いや、何とかする。オレだって転生神なんだからな」
 梅花はアユリとして目覚めつつある。滝もレンカも力を発揮しつつある。自分だって何かできるはずだと、彼は念じるように思っていた。幸いなことに体力、回復力は並みではない。明日には全力で戦えるようになるだろう。
「梅花に、これ以上無理はさせられないしな」
 だからレーナも彼に頼んだのだろうと容易に想像することができた。たまたま居合わせたというのも否めないが、しかしさすがに誰でもいいわけではないはずだ。
 淡い光をたたえた玉を、彼は真っ直ぐ見つめた。いずれ生まれいずるはずの命は、今はまだ揺らぎながらベッドの上にその姿をさらしている。白いシーツに落ちた影は薄く儚かった。それは何とも言えない気分にさせてくれる。
「それにしても殺風景な部屋だよなあ、梅花と同じだ。まあアースが自由に出入りできるって点が、とんでもない違いではあるけど」
 その濁った気持ちをごまかすように、彼はつぶやきながら口の端を軽く上げた。部屋にはベッドと明かり、あとはよくわからない器具やらが置かれている大きな机しかない。自分の物に手間をかける気などないのか、それともそんな余裕はなかったのか。どちらもあり得るなと彼は思った。あの時彼女は相当大変だったはずだ。
「青葉」
 とその時、扉が開く音とかすかな声が彼の耳に届いた。慌てて振り返れば、そこにはほんの少し頭を傾ける梅花の姿がある。
「う、梅花っ、いつ起きたんだ?」
「さっき。あ、別に立ち上がらなくていいから」
 彼女はゆっくりとした足取りでやってくると彼の横に腰を下ろした。彼は瞳を瞬かせて、何が起こったのかを考える。そしてはっとした。ここに来る理由、それは一つしかない。慌てる彼に微笑みかけてから彼女は口を開いた。
「大丈夫よ青葉。話はもう全部レーナに聞いたから。私は彼女のオリジナルよ、気づかないわけないじゃない」
 彼は息を呑んで彼女を見つめた。予想していたよりもずっと穏やかなその顔は、悲しみに暮れている様子でもない。
 強い。思っていたよりもずっとずっと強い。強くなっているのだ。
 思わず伸ばしたその指先は自然と彼女の頬の輪郭をなぞった。不思議と温かな沈黙が辺りに生まれる。息づかいまで聞こえてきそうな静寂は、しかし先ほどのような孤独感をもたらしはしなかった。真正面から彼を捉える黒い瞳はただひたすら優しく透明だ。
「守られてばかりは嫌でしょう? だから私は悲しまないの。私が悲しめばレーナが困るから。私たちは彼女の苦痛の上に立っているのよ。でもそれをこれ以上増やしたくはないから、だから泣かないし落ち込まないわ」
 いつからこんなに微笑むようになったのだろう。気づけばいつしか彼女は微笑みかけてくるようになった。悩んでいる時、困っている時、立ち止まっている時。安心していいのだと言わんばかりの顔で見つめてくる。
「梅花……」
「だからね、青葉は、一人で頑張らなくていいのよ」
 彼女の唇が紡ぎ出したのは、いつも彼が言っていた言葉だった。彼女の瞳を間近から覗き込んで、彼は小さくうなずく。そして音もなく口づけした。ほんの少し、唇が触れる程度の軽い口づけ。
「お前、強いな」
「青葉がいるからね」
 彼はそのまま力一杯彼女の体を抱きしめた。折れそうでいて折れない華奢な体を抱きしめて、もう一度うなずく。
「じゃあ、オレも強くなる」
 静かな誓いに彼女は相槌を打った。
 レーナの気が消えたのは、それから数時間後のことだった。




 紡がれる思いはどこまで行くのだろう。
 繋がった鎖はどこまで続くのだろう。
 流れる時間はとどまることを知らず、動き続ける世界は止まることなく。ただ流されていく者たちはその中をもがき続けている。
 紡ぐべき思いを、紡ぐべき命を。守るべき思いを、守るべき命を。
 どうか絶やさないで。
 全ては繰り返さないために。
 同じ過ちを犯さないように。同じ苦しみを誰かが味わうことなどないように。愛する者たちが幸せでありますように。
 だがまだその思いの行く先を知る者は、誰もいない。

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