white minds

第二十八章 守るべきもの‐1

 後方から聞こえるあまり認識したくない音に、滝は頭痛を覚えた。思わず額に当てた右手がやけに冷たく感じる。あれは十中八九適当なボタンを押している音だ。司令室にあるパネルはどれも重要なもので、ということはあれもその一つで、つまりいじってはいけないところをいじってるわけで。考えれば考える程大きなため息がもれてくる。
「シン、イレイをあそこから引き離してくれないか?」
「今北斗が挑戦してます。でも椅子につかまって離れないんですよねえ」
「そうか、じゃあ手伝ってやってくれ」
「……了解」
 滝は振り向かずにシンにそう告げた。顔を見なくとも困った表情なのはわかりきってるが、子どもの相手ができる人というのも限られていたので仕方なかった。昨日はネオンを捕まえようとしたサツバが蹴り倒して、大泣きさせたのだ。
「この生活がしばらくは続くんだよな……」
 滝はもう一度嘆息した。膝の上にいるのはまだ七才のアースで、今は大きすぎる剣の手入れを熱心にしている。何もないとは思うが念のため見張っているのだ。機嫌を損ねて振り回されてはかなわない、というのも理由の一つではあるが。
「滝にい!」
 そこで扉の開くプシュゥという気の抜けた音に続き、青葉の声が響いた。滝が振り返るとそれにつられてか、膝の上のアースも無愛想な顔で後方を見る。
「どうしたんだ青葉?」
 複雑そうな顔をする青葉を、滝は苦笑しながら見た。一日一歳ずつ成長する自分と同じ顔の子ども、というのはやはり妙な感じがするのだろう。滝としては懐かしいなと思うだけでむしろ面白いくらいだったのだが、それはさすがに青葉には内緒だった。ただでさえ大変なのだ、拗ねられてはたまらない。
「えーっと、なんというかこの表現があってるかわからないんだけど、レーナが生まれたんだ」
 できるだけアースと目を合わせないようにして、青葉はそう言った。途端に司令室の空気ががらりと変わり、皆が息を呑む。
「レーナが?」
 滝はアースを床に下ろして立ち上がった。すると次の瞬間アースは走り出し、部屋を出ていってしまう。慌てた二人は顔を見合わせてうなずくと、同時に駆けだした。
「っていうか何であの馬鹿名前知ってるんだ!?」
「知らん。きっとあれだ、魂に刻まれてるって奴だ」
 自分でもわけがわからないこと言ってるなと自覚しながら滝は走った。隣の青葉は思いっきり顔をしかめて何かをぼやいている。
 扉が開いたままの治療室の中へ、二人は飛び込んだ。かすかに薬の匂いがする真っ白な部屋では、簡素なベッドがすぐ目に入ってくる。その一つに、梅花は腰掛けていた。その腕には白い布に包まれた小さな赤ん坊がいて、それをアースが覗き込むようにしている。
 梅花は微笑んで二人を見上げた。
「レーナ、生まれましたよ」
「……お前がそう言うとまるで産んだみたいだな」
「た、滝にい!」
「言いますね、滝先輩」
 何故か慌てる青葉を横目に滝は笑い声をもらした。だが当の梅花は平然とした様子で二人を見ている。
「今は寝てるみたいですけどね。でも気は安定してるし元気みたいです。たぶんそのうち目覚めるとは思うんですけど」
 そう小声で言って、彼女は腕の中のレーナを二人へと向けた。腕からこぼれ落ちるのではないかという小さなその姿は、一見しただけでは普通の赤ん坊と変わらない。
「に、似てる……」
「え? 何に?」
「いや、お前に、というかレーナに」
「それは当たり前でしょう?」
「いや、まあそうなんだけどな」
 だが青葉は何か感じ取っているのか複雑そうな顔でその小さなレーナを見下ろしていた。苦笑する梅花には既に母の強さが宿っている分、そんな彼の姿は滑稽に映る。
 レーナと同じだな、本当に。いざというとき強い。
 滝は心の中で苦笑いを浮かべ、青葉と梅花とを見比べた。
「大丈夫よ青葉、もう数日もすれば喋られるようになるんだから。そうしたら記憶はあるんだから今までのレーナよ? 見た目はちっちゃいけど」
 彼女はそう言いながら傍にいるアースに優しく目を落とした。小さなアースは何か考えているのか、唇を結んだままレーナをじっと見つめている。
「記憶があるのとないのと、どっちが辛いのかしら。まあ、この場合はどっちもなんでしょうけどね」
 ともすれば聞き逃すような声でつぶやくと、梅花はゆっくりと立ち上がった。彼女の視線を真っ直ぐ受けて、滝は口をつぐむ。彼に答えられるわけはなかった。そしておそらく彼女もそんなことは期待していないのだろう。だがそれでも、心に深く入り込んだ投げかけは消えそうにない。
「じゃあそろそろお昼ですし、食堂にでも行きましょうか。ここにずっといると気が滅入りそうになりますしね」
 軽く微笑むと彼女は軽やかに歩き出した。その後ろを、不機嫌な顔をしたアースがすたすたとついていく。滝は青葉と顔を見合わせて、何ともなしに苦笑しあった。
 食堂からにぎやかな声が届くのに、そう時間はかからなかった。




 あと十四日。
 いつもよりもずっと時の流れが遅く感じられて、青葉はため息をついた。常ににぎわいのある食堂もこんな時にはなんの慰めにもならない。
「どうしたの? 青葉。そんな憂鬱な顔して」
 テーブルの向かいで小さなレーナを抱いた梅花は、そんな彼に心配げな視線を送った。ようやく二才を迎えたレーナは、彼女の膝の上でしきりに辺りを見回している。うまく喋れなくて疲れるから喋らない、という理由でまだ口を利いてはいなかった。そのせいなのかなんなのか、梅花は常にレーナを抱えたままである。
「いや、別に」
 彼は言葉を濁して軽く手を振った。途端に向けられた梅花とレーナの眼差しは、全く同じ物を投げかけている。
 思い詰めるな、考え込むなと、そう二対の瞳は語っていた。
 何だかおかしな光景だと思いながら彼は適当に相槌を打つ。
 そこへぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。子どものものが、複数だ。だがいつものことと気にもしない彼は、振り返らずにテーブルのカップを持ち上げる。ほんのりと漂ういい香りが鼻腔をくすぐった。
「あ、いた!」
 しかし耳に届いたのは予想していた声ではなかった。振り返ると、そこには青い大きな何かを抱えたメユリがいる。そして彼女の後ろにはイレイとネオンがいた。声の主はメユリらしいと判断して、彼はかすかに笑顔を浮かべる。
 ジュリの妹であるメユリは最近この二人といることが多かった。おそらく年が近い人ができて嬉しいのだろう。だから三人一緒なのは別に問題なかったが、しかしその目は異様に輝いていた。何か期待を秘めているのは間違いない。
 青葉は首を傾げながら梅花と顔を見合わせた。
「どうかしたの?」
 先に声をかけたのは梅花だった。メユリは満面の笑みを浮かべながら両手に抱えていた青い物を突き出す。それは大きなクマのぬいぐるみのようだった。梅花は小首を傾げて、不思議そうに彼女を見つめている。
「これ、レーナにプレゼント。頑張って作ったの」
 その言葉に青葉はもう少しで吹き出すところだった。現在二才のレーナは、そのぬいぐるみよりもずっと小さいが、しかし中身は以前のままだ。記憶を、保ったままなのだから。
 どうするんだ?
 彼はそのぬいぐるみとレーナを見比べる。同じように困惑してるのか梅花も黙ったままだった。妙な沈黙が一瞬、辺りを覆う。
 だが小さなレーナはためらうことなくそのぬいぐるみを受け取った。抱きしめる、というよりしがみつくようにすると、まるで花のような笑顔を浮かべてメユリを見上げる。
「えっと、ありがとうって言ってるみたいよ?」
「わあ、本当! よかった気に入ってくれてっ」
 戸惑いながらもそう答える梅花に、メユリは心底嬉しそうに声を上げた。そして後ろにいるイレイとネオンと顔を見合わせて、笑い声をもらす。
「やっぱり女の子は可愛いものがあった方がいいもんね」
「うん、リンもそんなこと言ってたもん」
「可愛いのには可愛い物を、とか」
 三人は口々にそう言い合った。どうやらリンが背後にはいるらしい。何とも言えない青葉はぬいぐるみにしがみつくレーナを見下ろした。とても微笑ましく可愛らしい光景だが、理性が受け入れるなと警告を発している。
「あ、梅花さん青葉さん、それじゃあね。今度はお洋服作ってくるから」
「め、メユリちゃん……レーナの成長早いからそれは必要ないかなあって」
「えーっ、でもほら、やっぱりそういうのって大切だと思うし」
「そ、そう」
「うん。じゃあまたね!」
 本当に楽しそうにメユリは去っていった。イレイとネオンは軽やかな足取りで、彼女をぱたぱたと追いかけていく。
「レーナ……保護欲を誘う戦略の一つだったりするの?」
「え? げっ、まじかそれ」
 三人の姿が見えなくなると、梅花は苦笑しながらそう問いかけた。だがレーナはただにこにことしているだけで、否定も肯定もしなかった。
 あと十四日。
 二人のやりとりと眺めながら、青葉はもう一度心中でそうつぶやいた。

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