white minds

第二十八章 守るべきもの‐3

「アルティード、先ほどの話なんだが」
 背後から突然呼び止められて、アルティードは振り返った。聞き慣れたこの声はケイルのものだ。白く細い廊下に他の神の姿はなく、彼は少し安堵する。面倒な産の神たちを相手にするのは骨の折れることだった。だがケイルだけならまだ楽に話ができる。
「先ほどの話、というとバランスとナチュラルのことか?」
 問い返すとケイルは神妙にうなずいた。その拍子に鼻眼鏡がずり落ち、彼はそれを指先で軽く上げる。見慣れた仕草だがいつもよりも動作が重い。それは言いづらいことを口にする時の、彼の癖だった。
「ああ、その話だ」
「……その顔はつまり反対されてるということだな? 具体的にどの辺りだ」
 アルティードは微苦笑しながら自らの首筋に手をやった。手に触れた銀色の髪がさらりと音を立てる。
 神技隊の一部を宇宙へ派遣することとなった今、戦力不足になるのは明白なことだった。だから彼は産の神が出し惜しみしてるもう二つの神技隊、バランスとナチュラルを投入することを提案したのだ。もちろん彼らがそれを簡単に了承するとは思えなかったが。
「ジーリュたちは投入そのものに反対していた。が、そこは私が話をつけてだな、何とかバランスだけは手放してもいいという流れになった」
「ほう、ずいぶん簡単に妥協したものだな」
「彼らも不安には思っているんだろう。むしろ宇宙へ派遣するなと言いたげだったからな」
 そう告げるケイルの声にもやや苛立ちが含まれていた。彼も同じことを思ってはいるのだろう。だがかといって宇宙を放っておくと危険だというのもわかっているのだ。ユズがいた時代では宇宙は魔族に掌握され、地球は孤立していた。転生神であるキキョウがその力を発揮しなければ確実に神は滅びていたのだ。周りを囲まれること程怖いものはない。
「心配するな、ケイル。これも五腹心を動揺させるための一つの手なのだ。それに転生神は地球に残ることになっている」
 励ますようにそう言い、アルティードは一度硬く目を閉じた。それはつまり何も知らない技使いを宇宙へ放り出すことを意味している。神ではなく、人間を。あちらではシリウスが待っていてくれてるが、それにしても不安は大きいはずだ。毎度ながら無茶なことを頼んでいるなと思わざるを得ない。
「転生神は残る? そうか、それならジーリュたちも何も言わなくなるだろう」
 彼の言葉にケイルはやや表情をゆるませてそう答えた。だが何かを思いだしたのかすぐ真顔になり、鼻眼鏡の位置をただしながら神妙に口を開く。
「そうだアルティード、宇宙船の件だが」
「見つかったのか?」
 それもアルティードがケイルに頼んでいたことだった。これは神技隊にはどうすることもできない。だが宇宙へ行くとなると必須なものには間違いなかった。彼らは人間で、神ではないのだから。
「一応な。だが……奥の間にある一隻だけだった。あとは修理が必要で、数ヶ月はかかるだろう」
 だが本来なら喜ぶべき報告に応えるのに、アルティードは時間を要した。奥の間の宇宙船を数度は見たことがある。おんぼろと表現するのが相応しい頼りない船で、かろうじて動くといった状態だった。行きはともかく、帰ってこられるかどうかは微妙なところだ。
「あれしか……ないのか」
「ああ、他はもっとひどい状態だ。仕方ないだろう、我々にああいった船など必要ないのだからな。物資を運ぶのに使う程度で、それもずっと行っていなかったのだし」
 そうケイルは続けるが、それでも彼はうなずくことはできなかった。これではまるで帰ってくるなと言っているようなものである。顔をしかめる彼に、ケイルはなお言葉を続ける。
「とにかく辿り着けさえすればいいだろう? 宇宙へ出れば、数十人規模の船はいくらでもある。帰りはシリウスが何とかしてくれるだろう。こちらでは、これが精一杯だ」
 仕方なく彼は首を縦に振った。ひどい扱いのようだがこれが限界というのもまた事実である。時は待ってくれない。今動かなければ意味がないのだ。
「わかった、ではそれでお願いする。いつ動かせるようになるのだ?」
「明後日だな」
 彼は目だけで了承の意を伝えた。それにケイルは相槌を打って、踵を返し去っていく。 無機質な白い廊下を見つめながら、彼は吐息をこぼした。
 全てが綱渡りのようだと、苦笑せずにはいられなかった。




 部屋に入ろうとしたジュリは、聞き慣れた足音を耳にして振り返った。夕陽に照らされて色づいた廊下を、メユリが駆けてくるのが見える。
「メユリ?」
「お姉ちゃんっ」
 緩くウェーブした髪を振り乱してメユリは声を上げた。その慌てた顔を見て何が起こったのか察知したジュリは、うっすらと微笑んで手を差し出す。
「あ、あのね、お姉ちゃん」
 飛びつくようにして口を開いた小さな妹を、彼女は優しく見下ろした。落ち着くのを待ってやると、メユリはおずおずと話し始める。
「さっき聞いたんだけど、お姉ちゃん、宇宙に行っちゃうって本当?」
 見上げてくるその瞳は不安を訴えていた。彼女はゆっくりとうなずいて片膝を折る。そして間近から小さな顔を覗き込んだ。何かを堪えるよう唇をぎゅっと結んだメユリは、じっと答えを待っている。
「はい、本当ですよ。私たちピークスとゲット、それから新しく加わるバランスが宇宙へ派遣されることになりました」
「じゃあ、じゃあ私は、私はどうなるの?」
「メユリはここに残ってください。技使いじゃないと、宇宙は危険なようなので」
 かみ砕くよう静かにゆっくりジュリはそう告げた。やっぱり、と言いたげなメユリは瞳を揺らしながら立ちつくしている。
「ゲットもってことは……サホさんも行っちゃうんだよね?」
「はい、そうですよ。でもここにはリンさんが残っていますから」
「うん、だけどっ」
 メユリは言葉を詰まらせた。
 何をいいたいのか、何を思っているのか、痛い程ジュリにはわかった。神技隊に選ばれた時と同じだ。寂しくて不安でどうしようもなくて、でもそれを伝えてはならないと必死に堪えている。ジュリはその細い腕を静かにさすった。
「ごめんなさいね、メユリ。また置いていってしまいますね。でも今度はすぐ戻ってきます。そう長くいても目的は果たされないようなので」
「本当?」
「ええ。長くて……一ヶ月といったところでしょうか。だからお留守番していてください。私たちがいなくなったらここ、大変なことになりますからね。埃だらけになりますよ?」
 くすりといらずらっぽく微笑んでジュリは小首を傾げた。それにつられてかメユリも笑い声をもらす。
「ですからお願いできますか? あ、しばらくはネオンさんたちの遊び相手もしてもらわなきゃいけませんしね」
「うん、任せて。私お姉ちゃんたちがいない間もしっかりやるよ」
 二人は見つめ合った。言いたいことはあって、でも言ってはいけないとわかっていて、だからこそ微笑むしかなかった。無理なお願いは相手を困らせるだけだと知っていたから。
「何か困ったことがあったらリンさんに言ってくださいね」
「わかった! お姉ちゃんも気をつけてね?」
「はい、大丈夫ですよ」
 ジュリが立ち上がるとメユリはにっこり笑って一度大きくうなずいた。それからくるりと背中を向けると、軽やかな足取りでぱたぱたと駆けていく。
「本当にいつも、ごめんなさいね」
 小さくなる背中を見送って、ジュリは微苦笑しながらつぶやいた。窓から差し込む茜色の夕陽は、徐々に傾いていた。

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