white minds

第二十八章 守るべきもの‐5

 振り返ると目に映るのは神々しさをまとった宮殿だった。華美な装飾というわけではないが、それでもどこか優雅さを感じさせるその建物は堂々とそびえ立っている。
「ユキヤ、突っ立ってないで早く行くぞ」
 言葉もなく立ちつくしていたユキヤに、苛立った声がかかった。振り返れば数歩先に、腕組みをした雷地が仁王立ちしている。
「なんだよ、雷地。んな怒った顔して」
「怒ってるんだ! お前のせいでみんなに迷惑かけているんだからな? 今頃あの基地であけりたちが待っているんだぞ」
 ユキヤはくせのある髪をかきむしった。先ほどミケルダから同じ理由でお説教を喰らったばかりだ。早く行け馬鹿、とまで言われた。お小言はもう飽きたというのが彼の本音である。
「ユキヤ、その顔は反省してないだろ?」
「してるってしてるって。そんなことより早く行かなきゃならないんだろ?」
「ったく、仕様がない奴だ」
 二人は小道を歩き出す。青々と茂った草原にはそれまでいた白い空間とは違い、自然の香りが充満していた。深呼吸をしたくなるような澄んだ空気、手が届きそうな青空。このままどこかへ行きたいとユキヤは本気で思う。
「そういやさ、雷地。お前は一緒に宇宙に行く神技隊のこと何か聞いてるのか?」
 うっすらとかかる雲を眺めながらふと彼はそう尋ねた。前方を歩いていた雷地は速度をゆるめ、やや顔を曇らせながら口を開く。
「指令をくれた女の人からは何も聞いていない、が、ミケルダさんが少し教えてくれた。一緒に行くのは第十九隊ピークスと、第二十隊ゲットらしい。ゲットはほら、時々一緒に修行していた人たちだ、わかるだろう?」
 ふーんとそっけない返事を返してユキヤは思い返そうとする。あの退屈な修行の日々のことは、どうも記憶に残りにくい。だが何とか掘り起こすことができた。そう、時々行われた合同修行の際にいた五人だ。気のよさそうな人や面白い人が多くて、羨ましいなと思ったのだ。
「そっか、あの人たちなら大丈夫そうだな」
「だろう? あとピークスは……まあ今は四人らしいが穏やかな人たちらしい。お前さえ面倒を起こさなきゃ、何も問題はないはずだ」
 雷地の声にはいつにない程の苛立ちが含まれていた。相当お怒りらしい。そう判断してユキヤは内心で舌を出した。真面目で説教魔な彼にとっては許し難い事実なのだろう。しばらくは何も言わない方がいいかもしれない。
「見えてきたぞ」
 その言葉に誘われて遠くを見ると、草むらに立つ白い巨大な建物が目に入った。これといった装飾はないが流れるようなそのフォルムにはどこか惹かれるものがある。
 だが少なくとも周囲の景色とは馴染まないものだった。宮殿がそうであるように、周りから浮き立ったその存在は心をざわめかせる。
「あれが基地?」
「だろうな。あそこ以外にそれらしいものはない」
「ちゃんとあけりたち入れてくるんだろうな?」
「お前に愛想尽かしていなければな」
 近づく程にその基地の大きさがひしひしと実感できた。白い壁は見たこともない金属でできているようで、不思議な感じがする。やはり異物だ。こことは違うどこか別の世界にあるはずのものなのだ。美しくはあるが、近寄りがたい気持ちになる。
 二人はしばらく無言で歩き続けた。何故だか急に不安がこみ上げてきて、足が重くなった。初めて訪れる場所、初めてで会う人々。だがそれ以上の未知の何かが待ち受けているような気がしてならなかった。
 ついに立ち止まり、二人は顔を見合わせる。
 その時――――
「あ、到着したみたいですよー?」
 基地の扉がおもむろに開き、中から金髪の男性が現れた。背が高く穏やかな顔をしたその青年は、彼らに気づいて微笑みかけてくる。
「ちょっと隊長、一人で勝手に開けないでくださいよ」
 続けて顔を出したのは長身の女性だった。肩を過ぎる程の茶色い髪は日の光を浴びて輝いている。いかにも人の良さそうな二人の出現に、ユキヤと雷地は再び目を合わせた。待っててくれているのはあけりたちのはずだが、その姿は見あたらない。
「あ、警戒してます? わたくしはよつき、ピークスの一人です。あけりさんたちには先に準備してもらってます」
 すると心を見透かしたかのようなタイミングで青年――よつきがそう言った。見ていると思わず和んでしまうその微笑みは、まるで魔法のようだ。
「ああ、そうだったんですか。わざわざすいません」
 雷地はそう答え、ユキヤの肩を軽く叩いた。その慣れた仕草に渋々と従い、ユキヤは軽く頭を下げる。
「あんまり硬くならないでくださいね、たった一日の宿ですけれど。あ、私は同じくピークスのジュリです。よろしくお願いします」
 そう言うジュリの声も、春のように穏やかだった。
 青々とした風が、彼らの髪を揺らしていった。




 夜の修行室は異様な空気に包まれていた。
 ぎこちないわけではない。ただ寂しさと不安とかすかな期待が入り混じり、独特な雰囲気をかもし出しているのである。
「これでしばらくはお別れよね」
 そんな中、一人颯爽と立ち上がったリンはそう言った。もう日付は変わろうとしている。明日のためにそろそろ寝ないとまずい時間だ。疲れて床に座り込んでいる者たちへ、彼女は優しい眼差しを向ける。
「ええ、そうですね。何だかいまだに実感わきませんけど」
 答えたのは柔らかな微笑みを浮かべたジュリだった。ほっと息を吐き出し立ち上がると、辺りをぐるりと見回す。必要最低限のもの――主に食料だが――に絞られた荷物がそこらに置かれていた。急ごしらえだがそれなりにはなったはずである。
「そりゃあいきなり宇宙だもんね? わくわけないわよ。でも本当、押しつけたみたいで悪いんだけど、ジュリ、頑張ってね。あなたとよつきにかかってるんだから」
 リンは軽くジュリの肩を叩いた。それから傍にいるサホ、あけりの顔を順に見る。
「はい、わかってますよ。とはいっても予定の星に辿り着けばシリウスさんがいますけどね。それまでのことは、私たちに任せてください」
「ええ、そのかわりこっちはちゃんと守っておくから」
 視線を交わす二人には周りを安堵させる力があった。それはこれまでずっと続いてきた時間の証。二人がこれといった約束もなく続けてきた、庇護の印。自分たちと同じ道を歩ませたくない一心で紡いできた、先を行く者の意思の表れだった。
 二人を見上げるサホとあけりの双眸に、穏やかな色が宿る。
「そちらの心配はしていませんよ。だってリンさんたちに滝先輩、梅花先輩たちが残っているんですからね。こちらは私や隊長が上になるわけですが、精一杯頑張りますよ」
 ジュリはそう言い軽やかに背を向ける。そして肩越しに振り返り、もう一度リンを見た。
 何も言わずとも伝わる思いを、口にするべきか彼女は一瞬迷う。だが奥へ押しやることの代償を思い返し、唇を動かした。
「メユリを頼みます」
 空気の震えが一時止まった。しかしうなずいたリンの顔には朗らかな笑みがあった。
 ジュリはそのまま視線を前へと戻し、出口へと歩き出す。
「任せておきなさい」
 そう答えたリンの声は、涼やかに修行室に響き渡った。

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