white minds

第二十八章 守るべきもの‐11

「え?」
 突然ブラストの動きが鈍くなった。弓を放つことは止めないものの、反応速度も、威力も、全てが一気に落ちている。
「オルフェ?」
 だがその理由も彼女――レーナにはすぐにわかった。動揺しているためだ。
 今し方後方で、彼の右腕であるオルフェの気が潰えた。滝とレンカが勝ったのだ。だがそのことをブラストの頭は認識できていない……否、認識しようとしていない。
「え? え? 嘘? 嘘だよね? だってオルフェがやられるわけないじゃないっ!」
 でたらめな攻撃を繰り返しながら彼はそうわめき散らした。空へと黄色い弓が次々と放たれる。この後どう動くのか、全く予想がつかない。
 暴走するだろうか? 今とどめを刺すべきか? できるか? 負担はかからないか?
 脳裏を一瞬色々なことがよぎる。しかし決断は早かった。道理を捨てた魔族を相手するのには、この体はまだ心許ない。被害が他に及ばないよう追い返す方が得策だ。
「ここに来る前、そのオルフェは何て言っていた?」
 弓の柄を自らの剣で受け止めて、彼女は声を上げた。焦点の定まらない瞳のままで、彼ははっとして後ろへ下がる。
「む、無茶はするなって、確かめるだけだから。何かあったらすぐさがれって……」
「何かあったら?」
「そう、何かあったら」
 彼の手から黄色い巨大な弓が消えた。そしてそのままその場に膝をつくと、頭を抱えてうずくまる。
「何かあったら……そうだよ、オルフェがいなくなっちゃったよ。僕を置いてどこかへ行っちゃった。ねえどこ? どこへ行ったの? オルフェ、ねえどこ?」
 まずいと、直感的に彼女は悟った。思っていたよりもかなり危険なところまで追いつめられている。
 まさか暴走? 自己崩壊?
 その精神量を考えれば、恐ろしくて身震いしそうなくらいだった。
 しかし――――
「ブラスト」
 声が、突然耳に飛び込んできた。
 姿よりも気よりも先に声だけが、この空間まで飛び込んできた。
「レシガ?」
 泣きそうな顔でブラストが顔を上げる。刹那、彼の目の前にワインレッドの髪がさらりと流れた。
「仕方のない人ね」
「れ、レシガぁ! あのねあのね、オルフェがね、僕をおいて行っちゃったんだ!」
 突然現れたレシガに、ブラストはすがりつくよう声を上げた。レシガは彼の腕を取ると、慣れた手つきでふわりと立ち上がらせる。
「そんなことないわよ、あの実直なオルフェがそんなことするわけないでしょう? あなたに付き合いすぎて疲れたの。だから少し休ませてあげなさい」
 顔を歪ませる彼の頭を撫でて、レシガはそう言い聞かせた。それからレーナの方へと顔を向けると、意味ありげに微笑んで相槌を打つ。
「ブラストはつれて帰るわ。ご苦労様小さなお嬢さん」
「もはや言われ慣れてどうとも思わないが、そうしてもらえるとありがたい」
 いつも通りの余裕の表情でレーナはすぐにそう答えた。レシガはくすりと笑い声をもらし、ブラストの腕を抱えたままもう一方の腕を上げる。
 魔族たちの動きが止まった。
 戦闘終了の合図だ。
 指先から天へと放たれた青白い光の筋が、撤退せよと告げている。
「子どもを戦わせるものではないわね」
 その言葉を最後に、二人の姿ははたりと消えた。残されたレーナは、苦笑を浮かべるしかなかった。
「まったくだ」
 風が、黒い髪を巻き上げていった。




 戦闘終了後の基地は、ある意味お祭り騒ぎだった。
 追い返すのがやっとかと思われていたところ、五腹心の右腕を葬ったのだ。皆が高揚し、浮き足立つのも仕方がない。食堂はこの数日間とは比べものにならない程にぎわいをみせていた。
「滝にい、おめでとうっ」
「……なんでお前がそんなに上機嫌なんだ」
「いや、滝にいが沈んでる理由の方がオレはわからないんだけど」
 カウンターにつきカップを手にする滝に、青葉は首を傾げながらそう言った。周りを比べても明らかに滝の表情は一段暗い。つきあいの少ないものが見ればそれは黄昏れているようにも思えるが、単に沈んでいるだけなのだと青葉にはわかった。
「別に沈んでなんかいない」
「いーや、絶対何か気になることがあるんだ。そういう時の滝にいって一人になりたがるし」
 なおも食いつく青葉に、滝は困り切った顔をする。隠し事ができないというのはある意味辛い。
「別に大したことじゃない。ちょっとレンカが気になること言ったからな」
「レンカ先輩が?」
「ん、まあ」
「振られたんすか?」
 冗談めかして放たれた言葉に、滝は思いっきり顔をしかめ頭を小突いた。大げさに額を抑えた青葉は、暴力反対ー、とつぶやきながら口を尖らせる。
「そうじゃない」
「んなのわかってますよー。まあでもあんま考え込まない方がいいっすよ。考え込むのって絶対体に良くないから」
 そう言い残して青葉は席を離れていった。どこへ行くのかと思えば、レーナと話をしている梅花の背後に飛びついている。
「いや、あれで何もこぼさないのはある意味神業だろう。さすが梅花……というか慣れか? ひょっとして」
 滝は苦笑しながらカップに口を付けた。濃いコーヒーはこういう時気持ちを落ち着けてくれる。一人になれる場所は、思考を冴え渡らせる。
 どういうことかと問いかけたら、レンカはあの時こう答えた。
 お互い目覚めが近い、ただそれだけだと。
 何故隠すのか、何故ごまかすのか、何故それしか言わないのか。
 リシヤとは何者だろう? ヤマトとは何者だろう? 転生神とは本当はどんな者たちなのだろう?
 それが無性に気になった。目覚めたらどうなるのか、記憶を取り戻せばどうなるのか、よく考えてみれば重要なことがまだわかっていない。
「まだ、オレらは知らない。何も知らないんだ。前よりは近づいたけど、まだ足りない」
 カップを置くとため息がもれた。もしかしたら彼女の方が、一歩先を行っているのかもしれない。それを思うと何だか息苦しくて仕様がなかった。
「オレはまだ頼りないみたいだな……ラウル」
 つぶやきは騒がしい声の中にすぐに紛れていった。




 どこまで行っても道はまだ続いていて、その先は見えなくて。
 途方に暮れそうになる。
 どこまで行けばいいのか、どこまで進めば立ち止まれるのか。
 わからなくて泣きそうになる。
 何を目指していたのか、何故この道を選んだのか、今となってはそれさえ思い出せない。ただ一歩進むことだけを考えていたから……目標を見失ってしまった。
 引き返せない道。
 選んだら引き下がれない。
 ただ何か大切なものを落としてきたようで、時折不安になる。
 戻ろうか、いや、戻れない。進まなければならない。振り返ってはならない。
 見据えるのは、ただこの道の先だけ。霧に包まれた道の先だけ。
 戻ったら、立ち止まったら、一生そこから抜け出せなくなるから。
 でもまだ、その先へは届きそうにない。

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